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第172話 最後の教え

前回までのライブ配信


カミラとウルフガーの関係が揺れるが、互いに誠意を示し和解。剣術試合ではエミリウスが風の魔術を使いウルフガーに勝利する。その後の話し合いでウルフガーは暗殺計画への関与を告白し、裏社会との関係を断つ方向で動くことになるのだった。

 その日の朝は「ブオー」というヴィヴィアナさんの声で起きた。

 声だけじゃなくて風の魔術も使ったようだ。

 メリサさんに怒られていた。


「魔術でみんなを起こそうと思って……」


「普通に起こして、ね」


 覚えたての魔術を使ってみたくなる気持ちはよく分かる。


 ヴィヴィアナさんに話を聞いてみると、昨日は横になってから嬉しさで興奮して眠れなかったという。

 でも時間が経つと不安にもなってきて朝一番に風の魔術を使ってしまったらしい。


「使えてよかったですね」


「うん」


 笑顔を交わし合う。


 昨日はウルフガーさんも深夜遅くまで素振りをしてたようだ。

 彼も何か思うところがあるんだろうか。


「本日は、カミラさんがお手伝いしてくださる最後の日です。行う仕事は変わりませんが、大切に過ごしましょう」


「ありがとうございます。もったいないお言葉です」


 朝の挨拶も終わり、仕事を開始した。


 エミリウス様は、ウルフガーさんの手伝いを始めることになった。

 自信はなさそうだったけど、今日1日はカミラさんがフォローするということで踏み出せた。


 ウルフガーさんも「エミリウス様ならできます」と後押ししてたけど、言葉が少ない気がする。

 カミラさんがいてくれてよかったと思う。


「エミリウスにできるわけないだろ。やるだけ無駄だ」


 クラウス様が悪態をついていたけど、ウァレリウス様が「やらせてみようじゃないか」とフォローしていた。


 エミリウス様は特に気にしてないようで、やると決めたら前向きになってるようだった。

 成長したなとしみじみ感じてしまう。


 私とヴィヴィアナさんは午前の掃除に移った。


 彼女は風の魔術を使うのが本当に楽しそうなので、メリサさんの許可をとって彼女を中心に邸宅の壁を掃除する。


 彼女の場合、楽しいと上達も早いみたいで、例のポーズと声を出すと一瞬で風の魔術が発動するようになっていた。


 午後にはいつものように1人で庭の掃除をする。

 慣れてきたこともあり、考えごとや視聴者との相談も行えるようになってきた。

 合間に左フックの練習も行う。


 気になっていることはウルフガーさんのことだ。


 コモド流の総師範に会うまでは、彼はこれまで通り連絡係を受け持つことになっている。


 ≫関係絶てたとしてその後はどうなるんだ?≫

 ≫未遂とはいえ皇帝暗殺に関わってたからな≫


「日本だと罪を軽くする場合、どうするんですか?」


 ≫素直に認めて情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)を求めるとか?≫

 ≫アメリカだと司法取引とかあるな≫

 ≫有用な情報を与える見返りに減刑ってやつか≫

 ≫捜査協力型の司法取引だな≫

 ≫日本にも10年くらい前からあるぞ≫


「機会があればビブルス長官に司法取引みたいなことができないか、相談してみます」


 ≫コネクションが役に立ちそうだな≫

 ≫持つべきものは権力者の知り合いか!≫


「こちらに来てから特にそう思いますね」


 司法取引できるなら、ウルフガーさんにも私の正体を明かした方がいいかな?

 とにかく、まずは総師範に会ってからか。


 このことも含めて、片づけないといけない話が2つある。

 このウルフガーさんの裏社会との関係を切る話と、私やマリカを探ってる何者かへの対応。

 闘技会までに終わるかな?


 私とマリカを探っているのが、本当にレオニスさんなら……。

 少し戦闘モードになった。


 手を打った方がよいのだろうか?

 少し視聴者に聞いてみよう。


「別の相談に乗ってください。誰かが私とマリカを探っている件です」


 風の魔術で庭の地面を掃除しながら視聴者と話し合う。


 ≫その件か≫

 ≫次の対戦相手の可能性があるんだっけ?≫

 ≫ワザと嘘の情報を流すとか?≫

 ≫誰に流させるんだよ≫

 ≫そりゃウルフガーだろ≫

 ≫探ってるのはレオニスとか言う奴なのか?≫


 レオニスさんが私たちを探っているという前提で話が進んでいく。


「ウルフガーさんに迷惑になるようなことは避けたいです。もし、偽の情報を流すのなら養成所から流すのが私の希望です」


 ≫そもそも偽の情報流す意味あるのか?≫

 ≫アイリスにもマリカにもたどり着けないだろ≫

 ≫親衛隊経由でマリカにはたどり着く芽はある≫


「そうですね。親衛隊には皇妃派がいるので、そこからマリカのことが漏れる可能性はあります。ただ、マリカは現在ノーナと名乗っているので正体はばれにくいです。剣闘士としての彼女を知っていれば、ばれる可能性はあります」


 ≫そういや偽名を使ってたか≫

 ≫写真が出回ってる訳じゃないし大丈夫か≫


「そうですね。ただ、それより心配してることがあります」


 ≫それより心配?≫

 ≫なんだ?≫


「私たちにたどり着けなかった場合です。更に余計なことが起きる可能性があります」


 ≫余計なこと?≫


「そうですね……。私たちを探している人物がいると知った皇妃が、その人物と手を組む、などです」


 考えながら話す。


 ≫皇妃とレオニスが手を組むのか!≫

 ≫実現すると面倒そうだな≫


 話ながら、確かにその可能性はあるし、実際にそうなったら怖いなと思った。


 ≫アイリスの別の弱点を探すという線もあるぞ≫

 ≫別の弱点って?≫


「別の弱点というと、例えばセーラですね」


 ≫なるほど≫


 レオニスさんと皇妃が手を組み、セーラに危害を及ぼされるのは避けたい。


「今のまま放置するとセーラに危害が及びそうな気がしてきました。皇妃が関わってこなければ可能性は低そうなのですが」


 ≫セーラが巻き込まれる可能性はあるか≫

 ≫親衛隊に皇妃派いるしな≫

 ≫セーラは今、親衛隊の牢にいるんだっけか≫

 ≫そうか≫

 ≫それでどうすんだ?≫


「セーラに手が及ぶと、後々も含め面倒なことになりそうです。新しいアクションを取らせないように、こちらから何か仕掛けるのがいいと思います」


 ≫具体的には?≫


「今は物騒なことしか思いつきませんが、誤情報を流し、希望を持たせて闘技会が始まるまでタイムアップにしてしまうなどです」


 ≫物騒なこと!≫

 ≫組織を1つ潰した実績があるからなあ……≫

 ≫暗殺集団の『蜂』か≫


「あまり敵は増やしたくないので平和的に仕掛けるつもりです」


 ≫ほんとぉ?≫

 ≫愛と平和作戦と名付けよう!(アメリカ)≫


「あまり期待はしないでください。また相談に乗ってくださいね」


 その後、相談に乗ってくれたお礼を言い、風の魔術で端に集めたゴミを集める作業に移った。


 次に左フックの練習を行う。

 練習していると、フックの精度が悪いことに気づいた。

 魔術は目的の場所へ正確に使えるのに、身体コントロールだと甘いのか。


 私は、思いつきで暴風の魔術を発した場所に、左フックを打ってみた。


 当たらない。


 何度もやってみたけど、全然まともに当たらなかった。

 拳に風は感じるけど、手応えはない。

 試しに暴風の魔術に向けて真っ直ぐ拳を突きだしてみた。


 不思議な抵抗感がある。


 水とも違った柔らかい抵抗感。

 ドライヤーの風を強烈にした感じに近いだろうか。

 なにより、当たったときに気持ちいい。


 このやり方は練習になりそうだ。

 私は面白くなってきて、何度も繰り返し左フックの練習をするのだった。


 そうこうしている内に、エミリウス様の魔術勉強の時間になった。


 彼の部屋を訪ねる。


「フィリッパです。魔術のご教授に参りました」


「入ってください」


 まずは昨日のことを話す。


「昨日の試合は素晴らしかったです。楯の裏に風の魔術を使う戦術は見事としか言いようがありません」


「ありがとうございます。フィリッパ先生のお陰です」


「光栄です。エミリウス様の才覚と努力あってこその結果です。お聞きしたいことがありますが、よろしいですか?」


「は、はい」


 彼は少し緊張した様子を見せる。


「今後、勉強していきたい魔術の方向性です」


「あ、なるほど。僕は基本的にフィリッパ先生の考えに従うつもりですが、やはり強い風の魔術が使いたいです」


「強い風ですか」


 突風の魔術をちゃんと教えればエミリウス様なら使えそうな気がする。

 ただ、使えなかったときに応用が効かない魔術でもある。


 エミリウス様なら大丈夫だとは思うけど、危険な魔術でもある。


「考えているので、少々お待ちください」


 彼は水系を捉えるのが得意そうだし、まずは気体を圧縮する魔術を覚えてもらうのがよいかもしれない。


 水分子だけを集めれば創水の魔術となる。

 普通の風の魔術で水分子を集めても量は少ない。

 ただ、準備段階としてはよい選択な気がする。


「お待たせしました。考えがまとまりました。私が使うような魔術とは異なりますが、別の方法で強い風を使うものをお教えします。かなり応用の効く魔術です」


「ありがとうざいます! 応用というのはどのようなものか聞いてもいいですか?」


「もちろんです。水を作ったり、強い風を出したり、音を遠くに届けたり、少し空気を暖かくしたりもできます。実際にやってみるので、集中して空気の動きをご覧ください」


 私は突風や暴風は使わずに、ノーマルな風の魔術だけで一通りやってみた。


「どうですか?」


 聞いてみると、エミリウス様は的確に何をやっているか捉えている。


「さすがエミリウス様。素晴らしいですね。その上で、まずは水を作る魔術の理屈と方法を話します。私はこの魔術を創水の魔術と名付けました。他の人も使っていそうなので、他に名称があるかもしれません」


「あれは創水の魔術というのですね」


 それからなるべく詳しく、気体としての水、液体としての水がどう移り変わっていくかについて話す。

 温度によって、分子の動く速度が変わる説明もした。


 結露(けつろ)のような現象もローマだと通じないことに気づき、都度細かく説明していく。

 理解が早いのと、興味深く聞いてくれるので私も楽しく説明できた。


 実際使ってもみてもらったけど、さすがに難しかったらしい。


「気体を集める魔術は私も苦労しました。慌てずに、まずは水の分子だけを動かせるようにしましょう」


 これも実際に使ってもらう。

 水分子のみに絞って動かすのは問題なさそうだった。


 彼が最初に見えたのは水分子だったしな。

 最初の成功体験って大きいのかも。


 それとも、マリカにとっての酸素分子が、エミリウス様にとっての水分子のような存在なのだろうか。


「少し休憩しましょうか。次は剣術関係に移りますか? それとも、このまま水の魔術について続けます?」


「剣術関係をお願いします」


 予想が外れる。

 水の魔術の方を続けたそうだったのに。

 剣術の方か。


「承知いたしました。では、休憩しながら少しお話しましょう。お飲み物を持ってきますね」


 冷えた麦茶を持ってくる。

 私の分は冷えた水だ。


「お待たせしました。冷たい麦茶です。どうぞ。今朝から始めたウルフガーさんのお手伝いはいかがですか?」


「分からないことだらけです。それでも丁寧に教えられました」


「続けられそうですか?」


「はい。初めて家の役に立てそうなので頑張ります」


 14歳で家の役に立ちたいと思っているのか。

 ローマでは普通のことなのか、エミリウス様が特殊なのか。


「良い方向になるといいですね」


「はい」


 その後は、仕事中のウルフガーさんやカミラさんの様子などを聞いた。


 カミラさんが仕事中に余談を話してないかも聞いてみる。

 でも、エミリウス様に教えるため以外の話以外はしていないらしい。


 話していて気づく。

 ウァレリウス家の問題点などは、カミラさんに直接聞くのがいいのではないか?


 私が気になっているのは、ウァレリウス家がホルテンシウス様に任せている農地経営のことだ。

 彼女がオプス神殿へ戻った後も、私とは話す機会があるはず。


「そろそろ、剣術関係について始めましょう。私に訪ねたいことははございますか?」


「はい、あります。ウルフガーに膝をつかせたあの現象です」


 エミリウス様は言葉を選び、慎重に話す。


「あの現象ですね。断言はできませんが、私が使った『必倒の理』と呼んでいる技と同じことが起きていると思われます」


「何もされた感覚がないのに僕が床に落ちたあの技ですね」


「はい。その通りです」


 よく気づくな。

 記憶力も良いのだろう。


「先生は何が起きてあの現象が起きたのか分かっているのでしょうか」


「いえ、根本的なことまでは分かっていません。それでもよろしければ分かっている範囲で説明いたします」


「お願いします」


「では、説明します。前提として予想外のことが起き、お尻で身体全体のバランスがとれる場所を探している状態になっていることが必要です」


「はい」


「その上で、相手を押したり引いたりせずに、予想できないように身体の一部だけを動かします」


「身体の一部ですか」


「分かりやすいのは腕ですね。私を押したり引いたりしなくても、腕は動かせるはずです」


 実際に腕を横に伸ばしてみる。


「なぜ、押したり引いたりしてはダメなのですか?」


「私が技を受ける立場だとします。バランスを崩しているときに、誰かに押されると立ち直れてしまいます。足を踏み出せるからです」


「足を踏み出せる、ですか?」


「はい。これから足を踏み出すことでなぜ立ち直れるかを説明いたします」


 ひと呼吸置く。


「まずは、人が倒れないようにするために使っている3つの方法をお話します。足を踏み出す、お尻を動かしてバランスをとる、足首の力で維持するの3つですね。どれかを使うか、組み合わせることで倒れないようにします」


「なるほど。足を踏み出すことができると、倒れないということですね。自分で足は踏み出せないのですか?」


 相変わらず理解が早い。


「お尻でバランスをとっている最中は踏み出せません。足を踏み出すには、どちらか片方の足に体重をかける必要があります。不安定な状態ではそれが出来ません」


 頭をフル回転させて話す。


「そういうことですか」


 エミリウス様は、自分で片足を上げたり、両足に体重をかけたまま踏み出せないことを確認していた。

 その様子を見ながら今、自分で話した説明に自分で納得する。


「でも、どうして――例えば腕を動かすだけで倒れるのでしょう」


「残念ながら倒れる理由については私にも分かりません」


 話ながら、腕が動くことで身体の重心が移動するからじゃないかな、と思ったけど何も言わないでおいた。


「ある程度は理解できました。ありがとうございます。あと1つ相談があります」


「どのような相談でしょう」


「今日の剣術練習で何を教わったら良いかという相談です」


 話を聞くと、今日のカミラさんとの最後の練習で何を習ったら良いかというものだった。

 仕事で何を教えてもらったのか、彼女が上達する上で何を大切にいているかなどを聞きながら話し合う。


 結果、基本的な楯の使い方と毎日の剣術練習で何をしたらいいのかを聞く方向でまとまった。


 そして、いよいよ、カミラさんとの最後の剣術練習の時間になる。


 いつものように剣術練習は始まった。

 クラウス様は今日もいない。

 ヴィヴィアナさんも、掃除が終わるまで来れないようだった。


 彼女は風の魔術を使いすぎて掃除が進まなかったのだろう。


「剣術訓練を始めましょう。私の参加は本日で最後となります」


 カミラさんの声が響く。

 最初、いつもの凛とした響きの声だと思っていた。

 でも、よく聞くと僅かな震えが混じっている。


 彼女もまた、最後の剣術練習ということに特別を感じているのか。


「何かご要望はございますか?」


 エミリウス様はウルフガーさんの顔をみた。


「ウルフガーから要望を言ってほしい」


「失礼ながら、エミリウス様を差し置いてそのようなことは」


「本当に僕はあとでいいから」


 ウルフガーさんは躊躇したが、やがて静かに頷いた。

 頷きに敬意と覚悟のようなものを感じる。


「承知いたしました。では、カミラ様、私と試合をしていただきたいのですが、いかかでしょうか」


「分かりました。3本でよろしいですか?」


「いえ、1本でお願いします」


 ウルフガーさんの声に、普段にない意志と重みが込められていた。

 すでに集中もしている。

 彼が得た全てを、この1本に込めようとしているのが伝わってくる。


「1本ですね。フィリッパさん。立ち合い人をお願いできますか?」


「はい」


 私は答えながら、2人が向き合う姿を見つめた。

 共に気負ってる様子はない。

 夕闇が迫っている。

 はるか遠くの喧騒。

 時が止まったような錯覚を覚えた。


「始めてください!」


 私の声が静寂を破る。

 カミラさんの動きはおおよそこれまで通り。

 長年の研鑽を感じさせる。

 彼女は基本技だけで戦っていた。


 その基本技は研ぎ澄まされているように感じた。

 まるで、ウルフガーさんに見せておきたい、すべての基本を披露しているかのように。


 一方のウルフガーさんは、剣の振りが以前と明らかに変わっていた。


 力を使うのは、振る前のその一瞬だけ。

 その振り方も今までとは違う。

 振り回すのではなく、剣の重さに任せ、美しい放物線を描くだけ。


 鳥肌が立つ。


 隙がかなり少ない。

 木剣が楯に当たる音もこれまでとは違った。

 心地よい響きを奏でている。


 カミラさんは苦戦しながらも、表情に隠しきれない喜びを浮かべていた。

 瞳に、師としての誇らしさと、1人の武人としての感動が入り混じっている。


 試合は激しさを増していった。


 ウルフガーさんの剣筋は確実に変化し、実践の中で洗練されていく。

 カミラさんが教えた剣の振り方を、わずか数日でここまで身につけたのか。


 そして――。


「勝負ありです」


 ウルフガーさんがカミラさんの胸元に剣を寸止めしている。

 それを見て、私は高らかに宣言した。

 彼は剣を引き、一礼する。


 静かになった。

 呼吸の音だけが聞こえる。


「よく……」


 その静寂を破ったのは、カミラさんの震えた声だった。


「よく、中級の振りをこの短期間で身につけましたね。お見事です」


 独り言のような響きをもってウルフガーさんに向けられた。

 心の底からの言葉なのだろう。


「カミラ様のお陰です」


「いえ、これは貴方の剣への真摯(しんし)な姿勢の(あかし)です」


 2人の間に信頼の空気のようなものがあった。

 互いに尊重し合っている、理想の師と弟子の形だと思った。


 試合はひと区切りつく。


 カミラさんが次の練習の希望を聞くと、ウルフガーさん、エミリウス様、共に楯の使い方の練習を申し出ていた。


 同じ意見だったことで、ウルフガーさんと顔を見合わせていたエミリウス様が面白い。

 2人は今後もうまくやっていけそうな気がした。


 その2人だけど、カミラさんの指導を一言も聞き逃すまいとする姿勢が伝わってくる。


 私は少し離れたところから、その光景を見守っていた。

 まるで昔からずっと続いている風景のようで、同時に、今日で終わってしまう特別な時間だ。


 私はそこにはいない。

 だから、疎外感もある。

 でも、それでいいと思った。


 彼らは剣に対して嘘がない。

 私は剣に対して中途半端だし、フィリッパなんて偽名を名乗って接している。


 私が見ている間もなごやかに練習が進んでいく。

 カンッという楯で木剣を弾く音。

 夕闇に心地よく響く。


 いつかこの風景を思い出す日が来るのだろうか。

 私は音に耳を傾けながら空を見た。

 ついに日が落ちてくる。


「ふー、間に合った!」


 そこへ息を切らせたヴィヴィアナさんが現れた。

 濡れたタオルを持っている。

 掃除にこの時間まで掛かったんだろう。


「まだ続きそう?」


「はい。最後の練習風景です」


「そっか。そうだね」


 2人で言葉なく彼らをみていた。

 一度日が落ちてくると早い。


 ふと、終わりに向かって進む時間は、どうしてこれほど美しいのだろうと思った。

 強い感情を伴うから特別に感じるのだろうか。


 そして、そのときは呆気なく訪れる。


「そろそろ終了といたしましょうか。何かお話そびれていた質問などはございませんか?」


 カミラさんの声にも、僅かな名残惜しさが混じっていた。


 誰も発言しない。

 言葉が見つからないのかもしれない。

 終わらせてしまう言葉を、誰も発したくないのかもしれない。


「質問がないようであればそれでは――」


「カミラ先生」


 エミリウス様の声が、夕闇に響いた。


「エミリウス様、どのようなご質問でしょうか」


「いえ、感謝の言葉を」


 エミリウス様がカミラさんを見つめる。

 その瞳に、これまで見たことのない強い光があった。


「僕はこれまで剣術に関して全く自信がありませんでした。もちろん、昔も今も実力はありません」


 ゆっくりと確認するように言葉を続ける。

 少し震えてもいた。


「続けてください」


 優しい声だ。

 母のような姉のような包容力に満ちていた。


「はい。そんな、剣もまともに振れない僕に対し、好意的な態度で接してもらえ、とても救われました」


 エミリウス様の声が次第に力強くなっていく。


「チャンスも与えて貰い、それが大きな自信に繋がりました。今後も剣術を続けようと思うのはカミラ先生のお陰です。ありがとう、ございました」


 14歳の少年が、懸命に言葉を探し、ゆっくりと感謝の言葉を終えた。


「エミリウス様……」


 カミラさんは胸に手を当てる。

 溢れ出そうな感情を抑えつけるように。


「その、なんと言えばよいのか……」


 彼女の声が震えはじめた。

 そして天を仰ぐ。

 静かに大きく息を吸っているのが分かった。


 私とヴィヴィアナさんは、無意識に彼らに近づいていた。

 近づくだけで、彼らの時間を邪魔するつもりはない。

 ただ、この瞬間を見届けたかった。


「申し訳ありません。いけませんね、年齢を重ねると。つい感極(かんきわ)まってしまいました」


 彼女は吸った息を吐いて一息で言った。

 顔をエミリウス様に向ける。

 一筋の涙が、頬を伝って落ちた。


 ヴィヴィアナさんは胸に拳を握りしめ、見ている。


「私も伝えるべきことがある」


 ウルフガーさんが顔を上げた。

 普段の彼からは想像できないほど、感情が表に出ていた。


「あなたは私の恩人だ。感謝させてほしい」


 その言葉を聞き、カミラさんは手で口を覆った。

 肩を震わせる。

 ウルフガーさんにとって「恩人」という言葉がどれほど重いか、それを知っているカミラさんだからだろう。


 彼女は目を閉じた。

 口から手を降ろし、拳を軽く握る。


「――私は」


 涙声だった。

 ごまかしたりせずに話し始める。


「私はとても恵まれていますね」


 噛みしめるように言葉を紡ぎ、目を開けた。


「エミリウス様には剣術を続けるきっかけとなったと感謝していただき、ウルフガー様には恩人とまで言っていただけました」


 言葉が少しずつしっかりしてくる。 


「こちらにお伺いしたときには思いもしていなかったほど、私にとって大切な時間となりました。お

2人の健やかな人生と、その(かたわ)らに剣術があることを祈っております」


 彼女は一礼した。

 涙声も最後にはしっかりしたものになっていた。


 でも、後ろで聞いていた私には分かってしまう。

 後ろに回した手がずっと震えていた。

 どれほど言葉を選んで、どれほど感情を抑えて話していたか。


 ヴィヴィアナさんは泣いている。


 私は思わず拍手をしていた。

 拍手以外に表現する方法が思いつかなかった。


 ヴィヴィアナさんも私につられて拍手する。

 エミリウス様も拍手する。

 ウルフガーさんは拍手はせずに、深く一礼していた。


 カミラさんは笑ったまま泣いていた。

 横顔の奥には私の知らない感情が見える。

 誇らしさが近いのだろうか。

 寂しさも見える。

 2人への慈しみもあるのかもしれない。


 ただ、ひどく心は揺さぶられる。

 教えることが、こんなにも美しいものだということを、私は初めて知った。


 こうして、最後の剣術練習は終わった。

 でも、大切な何かは続いていくのだろう。


 その翌朝。

 カミラさんとのお別れのときがやってくる。


 馬車がやってきたので何事かと思ったらソフィアが乗ってきていた。

 お忍びらしいけど、全く忍べてない。

 そのソフィアはすぐにウァレリウス様に交渉に向かって私の半休を獲得した。


 相変わらずの行動力だ。


 邸宅外での見送りは、私たち侍女とウルフガーさん、それにエミリウス様だった。

 ウァレリウス夫妻は玄関で見送り、クラウス様は玄関にカミラさんがいるときに少し顔を出した。


「それでは皆様。お世話になりました。また、機会がありましたら」


「せっかく仲良くなったのに寂しいよぉ」


「カミラさんから数多くのことを学びました。貴女は私の目標です。ありがとうございました」


「また、ウチがオプス神殿に占いを頼むこともあるかもしれないしさ。そのときは来て欲しいね。そしたら、一緒にテーブルを囲めるかもしれないしさ」


「皆様……」


 カミラさんの声に、昨日のような感情が込み上げてくるのが分かった。


「カミラ様」


 ウルフガーさんが一歩前に出る。


「はい」


「今後、私の剣術のことを聞かれた場合、貴女様のことを念頭に置き答えてよろしいでしょうか。ご迷惑かと思いますので、コモド流やカミラ様のお名前を出すことはございません」


「いえ、名前は出しても構いません」


 彼女の返事は即答だった。


「私は弟子をとることが可能です。ウルフガー様さえよろしければ、コモド流にいらっしゃり、正式な弟子となりませんか?」


「私のような者ではご迷惑になります」


「そうおっしゃられると思っておりました」


 カミラさんの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「もしも、迷惑になるようなことになれば、それは私に見る目がなかったということです。それとも、ウルフガー様は私に迷惑をかけたいとお考えなのですか?」


「いえ、そのようなことは」


「いじわるな言い方でしたね。返事は今でなくても構いません」


「はい。承知いたしました。感謝いたします」


 ウルフガーさんは深々と頭を下げた。

 彼がコモド流の総師範と会うときに、返事をすることになるのだろうか。


「カミラ先生ありがとうございました」


 エミリウス様の声が、朝の空気に響く。


「エミリウス様、光栄です」


 カミラさんがエミリウス様を見つめる。


「大変失礼な物言いになりますが、1つよろしいでしょうか?」


 彼女は静かに言った。


「もちろんです」


「貴方には才能があります。指導する立場の本音としてそう考えております」


 力強い声だ。


「他の誰に何をおっしゃられても、私がそう話していたことはお忘れにならないでください」


「――はい」


 エミリウス様が真っ直ぐにカミラさんの目を見た。

 彼もまた、深く頭を下げる。


「では、名残惜しいですが……」


 メリサさんが場を納める。

 完全に蚊帳の外のソフィアは微笑みながら振る舞っているが、何が起きたのか説明してというプレッシャーをひしひしと感じる。


「ウルフガー様。コモド流の件は本日中に確認し、フィリッパさんにお話しておきます」


 ウルフガーさんを総師範に紹介するのがいつになるかという件か。

 そうして、私たちはソフィアの馬車に乗り込むのだった。


 馬車の扉が閉じられ、外の様子は分からなくなる。

 しばらくして出発。

 出発後もカミラさんはウァレリウス邸の方を気にしていた。


 空間把握で見ると、ヴィヴィアナさんたちが手を振っている。

 そのことを伝えると、カミラさんは「皆様……」と嬉しそうに、そして寂しそうに微笑むのだった。

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