第157話 道しるべ
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アイリスとソフィアはサピエンス神官長と面会し、養育院での不正について相談する。オプス神殿が皇妃派の影響下にある可能性について議論する。アイリスはソフィアと共に他の養育院の調査に協力することを決意するのだった。
サトゥルヌス神殿から戻ってきた。
私はウァレリウス家の少し離れたところに着地する。
丘の上の高級住宅地なせいか、比較的静かだ。
それにしても、ローマ市って深夜なのに騒がしいな。
「質問です。今ってこっちの時間で何時ですか?」
視聴者に呼びかける。
≫そっちはたぶん午前4時前だな≫
≫朝じゃん!≫
「ありがとうございます。寝る時間はあまりなさそうですね……」
寝る時間がないとは言っても朝、ベッドに入っていないと不自然だ。
もう少し遅くなっていたら誰かが起きてたかも知れない。
そういう意味ではギリギリ間に合ったと言える。
「長丁場お付き合いいただき、ありがとうございました。戻ってベッドに入ります」
私は空間把握を使いながら、忍び込み、中庭から建物に入ってなんとか侍女部屋まで戻った。
3人の寝息を確認すると、全員が寝ていた。
そっと自分のベッドに入って身体を横たえる。
しばらくは目が冴えて眠れなかった。
それでも朝方には意識を失っていた。
「フィリッパちゃん! 朝だよ!」
「――おはようございます」
むくりと起きる。
眠い。
それからすぐにリウィア様の元へとお湯を運び、彼女の身支度を整え、朝食の準備に入った。
あまり寝てないせいか、視界と意識がギラギラする。
ワインを冷やし、給仕に入った。
今日、ウァレリウス様とリウィア様は夫婦揃って出かけるらしい。
付き添いはメリサさん。
3人の昼食はいらないとのことだった。
――今日のウァレリウス家の昼食はクラウス様とエミリウス様の2人か。
2人は歳も離れているだろうし、性格的に合わなそうだけど大丈夫なんだろうか。
どんな会話するのか想像もできない。
それから後かたづけと私たち侍女の朝食を済ませ、ヴィヴィアナさんとの掃除に移った。
「今日も魔術の練習するんだよね?」
「はい。午前中は昨日見えた『空気』を確実に見えるようにしましょう」
「はい! 先生!」
「先生はちょっと……。慣れないというか」
「じゃ、フィリッパちゃん!」
先生はともかく、フィリッパと呼ばれることには慣れてきた。
思いながら真空を作ってゴミを吸い取っていく。
昨日も掃除したので、あまり埃はない。
今日は、天井や高い場所を集中的に掃除することにした。
「足下に空気のない空間を作ってるので、袋の下には寄らないようにしてくださいね」
「はーい」
次から次へと埃を吸い取っていく。
ヴィヴィアナさんの魔術の進捗としては、まだ集めた空気を急激に拡張するときしか見えないみたいだった。
「見えるようになるかなあ……」
「少しずつ慣れていきましょう。今は掃除中なので、休憩になったらいろいろ試してみましょう」
彼女は昨日と違い不安がっている。
そんな様子のまま、昼食の準備の時間を迎えた。
私たちはプリメラさんを中心に準備をした。
「給仕は1人で大丈夫かい?」
――よく考えたら私1人か!
「な、なんとか頑張ります」
何事にも最初はある。
闘技の対戦も最初はかなり怖かったけど、今では少し緊張するくらいだ。
身だしなみを整えてから最初の給仕を行った。
無言でクラウス様とエミリウス様のカップに濃度の違うワインを注ぐ。
両方とも冷やしてある。
無言で注ぎ終え、部屋の隅で待機した。
「エミリウス。お前もたまには外へ出たらどうだ」
祈りを捧げているエミリウス様にクラウス様が声を掛ける。
「あ、あの……。はい」
「しっかりと話せ」
「はい。ごめんなさい」
「お前も集会に来るといい」
「集会……」
「私を見習って貴族として相応しい弁論や交流を行わないとな」
「はい」
「この間など集会にミカエル殿下がいらしてな。私の弁舌を誉めてくださったのだぞ」
「ミカエル殿下が……」
「ああ。これからの時代は議員も実力主義にしていくべきだという私の主張へ賛同してくださった」
「実力ですか」
「今のように生まれたときから議員になることが決まっているようではな。より優れた者が議員になり、ローマを率いるべきだ」
「優れた者というのはどのような……」
「話を聞けば分かる。経験を積んだ者にしか分からぬだろうがな」
「――はい」
エミリウス様の目がかなり泳いだ。
その気持ちがなんとなく分かってしまった。
クラウス様の言う『優れた者』の見分け方って客観的じゃない。
功績とかを考慮するならともかく。
「とにかく、お前も集会に来ることだ。人の優劣が分かるようになるかも知れんぞ」
「お誘いありがとうございます」
エミリウス様は頭を下げた。
「ところで、フィリッパ」
――私?
「はい」
「お前も集会についてこい」
ここできたか。
「リウィア様にお伺いします」
心構えはできていたので、なんとか平静を保てた。
「母上には私から話しておこう」
「よろしくお願いします」
とりあえず時間は稼いだ。
今日は付き合わなくても済みそうだなと、ほっと胸をなで下ろす。
それからのクラウス様は上機嫌だった。
エミリウス様に対して、何か一方的に話しかけている。
私は給仕をこなしつつ、あくまで情報収集としてその話を聞いていた。
「そういえば、今度、私が大役を任されることになってな。無派閥の貴族を我々の側に取り込もうという話だ」
「大役おめでとうございます」
「ああ」
「無派閥の方々はどのような作戦で取り込むのでしょうか?」
エミリウス様が初めて話に興味があるような態度を見せる。
「私がカトー議員の元へ行き、直接話す予定だ。彼が無派閥の有力者だという情報を得ているからな」
「カトー議員にはどのような利益を提示するのでしょうか?」
「何の話だ? 話してみないと分からないだろう」
エミリウス様はその言葉を聞いて無表情になる。
私も同じ気持ちだ。
あのカトー議員にそんな無策で行っても、遠回しに馬鹿にされて時間を無駄にするだけだろう。
クラウス様を交渉役に使うミカエルの考えも分からない。
何か意図があるのだろうか。
それにしても、エミリウス様――。
クラウス様と違って、彼はいろいろと頭が回るのかも知れない。
その後はクラウス様の機嫌が悪くなり、エミリウス様の発言は全て否定され続けていた。
涙目になってかわいそうだけど、見習い侍女でしかない私にはどうすることも出来ない。
一応、あとでプリメラさんに話しておこう。
食事のあと、片づけをする。
プリメラさんには、エミリウス様の様子だけを伝えておいた。
あとで声を掛けておいてくれるらしい。
3人で話しながら片づけをしていると、ウルフガーさんがキッチンに入ってきた。
「近々、オプス神殿の方々が祈祷に参られる予定です。心づもりをしておくように」
「分かったよ」
プリメラさんが返事をする。
私とヴィヴィアナさんは顔を見合わせた。
ウルフガーさんが出て行く。
「祈祷? どういうこと?」
ヴィヴィアナさんが聞いた。
「リウィア様が代々オプス様を信仰してるんだよ。で、最近、いろいろあるから祈祷をお願いしてたのさ。まさか、本当に来てくださるなんてね」
「普通は来ていただけないものなんですか?」
今度は私がプリメラさんに聞く。
「年中、農地を回るので忙しいって話だよ。農業やってないウチなんかに来るのが不思議なくらいだね」
「そうなんですね。教えてくださり、ありがとうございます」
ソフィアが神殿の人たちをどう説得したのかが気になるな。
しかし、リウィア様がオプス様を信仰していたとは……。
私たちは食事を済ませ、掃除の仕事に戻った。
埃などを吸い取っている間、ヴィヴィアナさんには魔術で風を起こすことを試みて貰う。
とにかく魔術が使えるようになりたくて落ち着かないみたいだ。
彼女は1つのことしか出来ないらしく、ゴミ袋を持つのも休んで貰っている。
「動いてるー?」
「いえ、全く動いてません」
「風が起きた気がしたんだけどなー」
「魔術を使う方はもうちょっと普通の風が見えるようになってからの方がいいかも知れませんね」
「うーん。分かった」
偉そうな言い方になってしまうけど、この素直さが彼女の強みだと思う。
「まず、空気が吸い込まれるところを見えるようにしましょう」
ゴミ袋を持ってもらい、また見る方に集中して貰った。
「ぜんぜん見えない……」
「どの辺りを主に見てますか? 指さしてみてください」
天井を見ていることが多いのは分かっていたけど、自覚して貰うために敢えて聞いてみる。
「あの辺り」
彼女が指さしたのはやっぱり天井付近だった。
「次は、この袋の口元の縁を見て貰えますか? ヴィヴィアナさんはそっちの方が見えやすいと思うんです」
「縁? どの辺り?」
真空をゆっくりと解除した。
「この辺りですね」
空気が最もぶつかっていた場所を、指で指し示す。
円を描くように。
「こんなところだったなんて!」
「はい。ヴィヴィアナさんが今、見ることが出来てるのって空気がぶつかる場所なんです。だから、それに近いことが起きているところがいいかなと思いまして」
「ちゃんと私のこと考えてくれてるんだ……。こんな風に教えて貰ったのって初めて」
「ヴィヴィアナさんの一生懸命な姿を見ていると、なんとか魔術を使えるようになって貰いたいんです」
「フィリッパちゃん!」
目が潤んだかと思うと、彼女が抱きついてきたので、なすがままにされた。
こういうスキンシップは慣れてないので、なにをどうすれば良いのか分からず固まる。
でも嬉しかった。
「あ、ごめんね。つい」
「大丈夫です。嬉しかったですし」
「もう。フィリッパちゃんてば冷静なんだから。そこがいいんだけど」
「ふふ。ありがとうございます」
私たちは掃除に戻った。
再び、真空を作り出し、高い場所を中心に埃を吸い取っていく。
ヴィヴィアナさんも袋を持ちながら、口元の縁を凝視していた。
「何か様子は違う気がするんだけど……」
不安そうにする。
「その違いを大切に見ていきましょう。大丈夫です」
「うん!」
すぐに元気になった彼女はそれから、違和感を感じたり感じなかったりを繰り返しながらも、見る場所がどんどん的確になっている気がした。
あるとき、敢えて口元の真空部分の直径を半分くらいにしてみる。
「――え?」
表情が変わった。
分かりやすい。
変化したのが見えたんだろう。
「ね、ねえ、フィリッパちゃん――」
「すみません。口元の大きさの話ですよね?」
「う、うん。なにか小さく見えるんだけど」
「はい。それであってます。ヴィヴィアナさんが気づくか試してしまいました。ごめんなさい」
「いいよいいよ! 全然気にしてないから! 私がおかしくなった訳じゃないんだ?」
「おかしいどころか、着実に成長してます」
「やった」
「このまま少しずつ出来ることを増やしていきましょう」
「がんばる」
≫いろいろ三十路には思えないな≫
≫シッ!≫
≫日本でもこんなもん≫
≫アイリスの方が枯れてみえるな≫
≫おいw≫
なんとなく自覚はしている。
その後は、彼女が見る範囲を袋の口元から袋の中へと、袋の中からもっと全体へと見える範囲を広げて貰った。
ただ、どうしても空気そのものが見えないようだ。
無風なのに実は分子が衝突しているというイメージを持つことが難しいのだろうか。
「フィリッパちゃん! 足下! 足下!」
慌てた声に反応する。
瞬間的に、足下の真空に寄りすぎたと判断し、後ずさる。
その反動で真空を解いてしまい、パンッという音と共に空気が乱れた。
袋は吸い込まれ、私たちも吸い込まれそうになる。
咄嗟に空気を緩やかに制御し安定させた。
袋が力なく落ちた。
一瞬あった喧噪が静かになっている。
「ヴィヴィアナさん、大丈夫ですか?」
「う、うん。驚いたぁ。フィリッパちゃんも大丈夫?」
「はい。すみません、私の不注意で」
「気にしないで。私なんていっつも失敗して怒られてるから」
「そ、そうなんですね」
≫昨日、睡眠不足なのが原因じゃないのか?≫
≫それなあ≫
≫さすがに集中力が落ちてるのか?≫
そうかも知れない。
今日は大人しくしていた方がいいかも。
「それにしても、足下の真空――危ないところに近づいてるってよく分かりましたね?」
「なんとなく危ない、って」
「見えた訳ではないんですか?」
「うん。あはは、なんだかよく分かってないんだよね」
意識は出来なくても、無意識では空気がない状態というのが分かってるのかも知れない。
「お陰で助かりました。その『危ない場所』って今、ヴィヴィアナさんが見ようとしているものなんですよ」
「そうなの? どうして分かったんだろ?」
「ヴィヴィアナさんに魔術の才能があるってことだと思います」
「ほんと?」
「はい。掃除しながらもう少し続けましょうか」
私は横たわっている袋を拾って、散らばった埃の固まりを風の魔術で集めた。
≫やる気にさせるのが上手いな≫
≫先生向きなのかも≫
≫アイリス先生!≫
大学では教育課程を取ってたんだよな。
先生になるかどうかまでは考えてなかったけど。
袋を持ち直しながら目を閉じる。
ヴィヴィアナさんと私とでは、性格も生きてきた環境も違う。
彼女に魔術を知ってもらうには、私が彼女の考えや価値観に寄り添って目標を立てることが必要な気がする。
人に教える――人を導くって難しいんだな。
「お仕事再開です」
私は明るく言って、再び掃除を始めるのだった。
それからは、掃除をするときは掃除を。
ヴィヴィアナさんにアドバイスするときは掃除を止めて彼女に集中する。
と、切り替えて行うようにした。
集中力の不安があったし、どちらも片手間で済むことじゃない。
彼女の進捗としては、風が見えるようになってきた。
ただ、やっぱり空気そのものは見えないようだった。
「ひょっとしたらヴィヴィアナさんには時間が必要かも知れませんね」
「時間?」
「はい。風が全くないのに粒が衝突しているって言われてもすぐに納得できないと思うんです」
「うーん」
「実際、どうですか?」
「えへへ、実はよく分かってないんだよね。ごめんね」
「謝らなくてもいいですよ。理解できなくて当たり前だと思います。それに、風は見えるようになったんですよね?」
「うん」
「それだけでも大進歩です。ここからは長い目で見ていく感じでどうですか?」
「長い目か……。分かった。フィリッパちゃんを信じる!」
「ありがとうございます。では、しばらくは普段の生活で気が向いたときに空気を見るようにして貰えませんか?」
「普段? 今日してたみたいに見ればいいの?」
「はい」
「分かった!」
それから私たちは、中庭の掃除も含めて行った。
途中、ウァレリウス夫妻が戻ってきたので、慌てて出迎えることもあった。
いつの間にか時間は過ぎ、夕食の準備となる。
「留守中、変わりはなかった?」
戻っていたメリサさんが聞いてくる。
「私の方はなかったよ」
「私もー」
「私は昼食のときにクラウス様に集会に参加するよう誘われました」
「――そう。我慢できないことがあったら言ってね」
「ありがとうございます。そのときは頼らせてください」
私の言葉にメリサさんが頷く。
「それでは、夕食の準備に移りましょう」
準備をしながら、私はエミリウス様のことを聞くことにした。
「噂話のようになってしまうのですが、エミリウス様には何か特別な才能とかあるのでしょうか?」
「エミリウス様に特別な才能? メリサ、知ってるかい?」
「――フィリッパさん。貴女はどう思ったの?」
「はい。失礼な言い方になりますが、頭がかなり良いのではと思いました」
「――そう。実は私もウァレリウス様にそのように申し上げたことがあるの」
「え? どういうこと?」
「ヴィヴィアナは黙って手動かしな」
「……はぁぃ」
「で、ウァレリウス様に何を申し上げたんだい?」
「特別な家庭教師を雇ってみたら、と」
「それはまた」
「もちろん、却下されたわ。ウルフガーも私と同意見だったみたいだけどね」
「ウルフガーもかい。フィリッパさんはどういうところで頭がいいって思ったのさ?」
「お昼にエミリウス様がお兄様と話しているときです。政治についてお話されていたのですが、エミリウス様は具体的な疑問点を指摘されていました」
「フィリッパちゃん、政治も分かるの?」
「残念ながら分かりません。ただ、エミリウス様のお話はその通りだなと思いました。それは頭が回らないと出てこない指摘だとも思いました」
≫アイリスなら政治についても語れるだろ≫
≫ここに来てるのも政治がらみだしな≫
≫完全にローマの政治に巻き込まれてる状況≫
「エミリウス様がクラウス様にねえ……」
プリメラさんが呟いた。
「どちらにしても、特別な家庭教師を雇うのは難しそうなのよねえ」
「フィリッパちゃんが教えたら?」
「なに言い出すのさ」
「フィリッパちゃん、教えるのすごく上手だと思う。メリサさんどうかな?」
「――フィリッパさんはなにか教えられるの?」
「教えられるとしたら魔術です」
≫科学系もいけるだろうな。数学もいけるか?≫
≫剣術もな≫
≫そっちの世界なら医学もいけるだろ≫
≫こうしてみると教えられること結構多いな≫
≫おねショタ!≫
≫それは性癖だからな。教えられない≫
「魔術ね。では、ウァレリウス様にお話してみることにするわ。いいわよね?」
何か私が教える方向で話が進んでる!
でも、言い出したのは私だし、エミリウス様の目線からウルフガーさんの話も聞けるかも知れないか。
「――お願いします」
≫実現したら面白そうだな≫
≫エミリウスって本当にかしこいのか?≫
≫まあ、情報源にはなるだろ≫
「分かったわ。さてと、少し遅くなってしまったので、急いで準備をしましょうか」
その後は、あまり話をせずに食事の準備を済ませた。
夕食での給仕を終え、自由な時間となる。
夕食では、ウァレリウス様がオプス神殿が祈祷を行いにやってくると宣言されていた。
リウィア様はずっと喜んでいた。
あと、クラウス様がまたお誘いしてきた。
私が給仕したときに小声で「集会について話がある。あとで私の部屋へ来い」と言ってきたのだった。
私はそのことをメリサさんに丸投げして、外に出たのだった。
庭園へ出ると、いつものようにウルフガーさんが素振りをしているのが分かった。
毎日何回くらい振っているのだろうか。
彼についてはこれまでのところ、怪しいところは見あたらない。
毎日の素振りを欠かさないなど、生真面目さもある。
怪しいのはむしろクラウス様の方なんだけどなあ、などと思いながら邸宅の裏へと向かった。
周りに誰もいないことを確かめる。
「皆さん、また相談させてください」
私はエミリウス様について皆の意見を聞いた。
ただ、まだ情報が足りないみたいだ。
ウルフガーさんがエミリウス様を評価してるなら信じられるという意見もあった。
そういう考え方もあるのか。
「それにしてもウルフガーさん全然怪しくないんですよね」
≫そうだよな≫
≫怪しい筆頭はクラウスだからな≫
≫結構あからさまにアイリス誘ってくるしな≫
≫その姿が全世界に配信されてるとは思うまい≫
≫怖ぇ!≫
その後、またウルフガーさんの話に戻り、彼の素振りについて話していた。
素振りを30分してるなら600回は超えていることになるという。
大体10分で200回から300回換算らしい。
コメントを見ながらウルフガーさんも空間把握で見ていると、彼に動きがあった。
素振りを終えたと思われる彼が、外に向けて歩き始めたのだ。
しかも玄関の方とは違う。
その方向に人は居ない。
彼は地面にしゃがみ込んだ。
そうして、その地面から何かを掘り出す。
「――ウルフガーさんですが、今、地面から何かを掘り出したみたいです。あ、たぶん金属製の箱みたいなものですね」
彼は鍵のようなものを取り出して、その箱を開けた。
「箱から何かを取り出しました」
≫なんだ?≫
≫皇帝の暗殺未遂と関係してるんじゃないのか≫
≫取り出したのは砒素?≫
≫今、必要ないだろ。手紙じゃないのか?≫
≫素振りの時間を利用して外部とやりとりか≫
≫それなら誰にも悟られないな≫
「箱をまた地面に埋めたようです」
≫ウルフガーは何も入れなかったのか?≫
「何かを入れた様子はありません」
≫必要なときだけ入れるのかもな≫
≫雨のときとかどうするんだ?≫
≫防水?≫
≫雨の日は連絡しないとか?≫
≫突然雨が降ってくることもあるだろう≫
≫いろんな意味で効率は悪そうだな≫
≫ただ、雨でインクが消えるメリットもある≫
≫どこがメリット?≫
≫放置しておいても証拠隠滅に繋がる≫
≫なるほどな≫
≫古代ローマには防水技術があったみたいだぞ≫
「実物を見ないと分かりそうにないですね」
≫場所は覚えておけ≫
「はい。彼が去ったあと、すぐに行きます」
≫リスク大きいな。大丈夫かよ≫
「そうですね。ただ、ここで見逃すと私が来た作戦に意味がなくなってしまいます。最大限に注意して探ります」
≫まぁ、アイリスならいけるか≫
「影化の魔術を研究しておかないとこういうとき困りますね」
≫考えが完全にスパイのそれ≫
≫Oh! Ninja girl!≫
≫くノ一って英単語化はされてないのか?≫
≫Kunoichiって単語は一応あるな≫
≫『女』という漢字を分解して――くノ一≫
≫女忍者=くノ一はフィクションが元だからな≫
≫なんの話だよw≫
コメントのことは置いといて、ウルフガーさんの行動を追う。
箱を埋めると、彼はすぐに邸宅の方へと戻っていった。
なぜか息を潜めてしまう。
彼が邸宅内に入るのを見届けると、私は箱を埋めた場所へと移動を始めた。
ただ、近づきすぎると、地面に足跡がつくかも知れない。
私は敢えて敷地の外に出ることにした。
外壁を暴風の魔術で飛び越える。
一応、防音の魔術を邸宅側に設置したので、音は抑えられたはずだ。
外は道というより、狭い通路だった。
ここなら昼でも人通りが少ないか。
すぐに箱を埋めた場所に近づいていく。
そこには柱と金属製の柵が並んでいた。
ここなら、大きな道からは柱で身体が隠せるし、柵の下に箱を埋めることも出来る。
リスクは庭掃除のときに箱が見つかるくらいか。
私は箱を掘り起こすことはしないで、地面の中の金属部分だけを探知した。
切断の魔術が使えるようになってからは金属部分は分かる。
確かに箱が埋まっていた。
空間把握も併用すると、箱の中身が空だということも分かった。
箱は大きくはなく、ギリギリ手に乗るくらい。
本当にパピルスの一片が入るくらいだ。
私は素早くその場所を離れた。
掘り起こすと何か分かるようになってる仕掛けがあるかも知れないし、今は手を出さない方がいいだろう。
ただ、このままにはしておけない。
少なくとも、何が入っているのかは知りたい。
パピルスが入っているなら、どのような内容が書かれているのかは知りたい。
ただ、とりあえず今日は寝よう。
寝ないと頭も回らない。
私は再び防音の魔術を使いつつ、壁を飛び越えるのだった。




