第154話 影を纏うもの
前回までのライブ配信。
掃除をしながら、アイリスはヴィヴィアナに魔術の基礎を教え始め、最終的に空気の動きを見ることができるようになる。しかし、魔術の練習に夢中になり夕食の準備が遅れたため叱責を受けるのだった。
夕食の準備はなんとか間に合った。
そして、今回の給仕も私が手伝った。
カップのワインがなくなったら注ぐという行為は魔術が使える私には向いてはいると思う。
偉い人に仕えるというのは苦手ではあるけど、前向きに考えていこう。
無事に終わって今は私たちの食事の時間だ。
「改めて言わせてください。夕食の準備に遅れてしまって申し訳ありませんでした。皆さんのお陰で準備にも間に合いました。ありがとうございます」
食事に手をつける前に謝った。
「あら、今日始めたばかりだしいいのよ」
「そうだね。それに、謝るのはフィリッパさんじゃなくてヴィヴィアナじゃないのかい?」
がっしりとした人は、プリメラさんだ。
「だよねぇ。フィリッパちゃんしっかりしてるからつい」
「ついじゃないよ、全く」
「それでヴィヴィアナ。魔術はどうなのかしら?」
メリサさんが話を変える。
「聞いてよ2人とも! なんか空気がぶつかってるのが見えるようになったよ、あたし!」
言われて顔を見合わせる2人。
「それってすごいのかい?」
「すごいよ! だよね?」
ヴィヴィアナさんが私に聞いてきた。
「はい。初日で出来る人は居なかったのですごいことだと思います」
カクギスさんですら手こずっていたからな。
親衛隊の特殊部隊の人たちも今一つ分かってなさそうだったし。
ヴィヴィアナさんは嬉しそうにパンをほおばっていた。
「そういえば魔術で冷やしたブドウも好評だったのよ」
「美味しそうだったもんねえ。いいなあ」
「こら、そんなこと言って、はしたないよ」
「はーい」
私たち侍女の食事にはデザートはない。
「魔術といえば、少し前の闘技会がすごかったって噂だね」
「あ! 聞いた聞いた! アイリスって女神みたいに綺麗な子が神話の巨人に勝ったんでしょ。どんな子か見てみたいなあ」
≫目の前にいるぞw≫
「いや、でもそのときに闘技場が壊れたらしいんだよ」
「え? ど、どういう?」
「私も詳しくないんだけどさ。魔術で壊したって話だ」
「え、そこまですごかったの? 聞いたこともないんだけど……」
「神話の戦いと噂されてるからね」
「――あたしも見に行きたかったなあ」
「クラウス様に着いていけば良かったじゃないか」
「それはちょっと……」
クラウス様?
「すみません。ちょっと話が見えないんですけど」
「ああ、フィリッパさんは知らなかったね。クラウス様はよく闘技会に見に行ってるんだよ」
「そうなんですか? 剣闘がお好きなんでしょうか?」
「さあねえ」
「食事のときには、お話されることもあるわねえ」
「そうなんですか。少し意外でした」
「クラウス様はローマ軍団に入ってたこともあるからね」
「そうなんですか?」
「貴族だと入る方が多いのよ。クラウス様は確か18歳から20歳まで入っていらしたはずよ」
「今のご年齢は?」
「23歳よ」
≫いつの間にかクラウスの情報集めになってる≫
≫ほんとだ!≫
「クラウス様は次男なんですよね? 聞いてよいことなのか分かりませんが、長男の方はどうしているのでしょうか?」
「長男のレメス様はローマ軍団に所属して、ゲルマニアに駐在していらっしゃるわ」
「どんな方なんですか?」
「私が申し上げるのも不相応ですが、優しい方ですね。周りのことをよく見てくれている方です」」
そういう人なのか。
この家では潤滑油的な役割だったのかも知れないな。
「そういう方なのですね。ご兄弟は男性3人なのですか?」
「他にも3名のご令嬢がいらっしゃいますね。内2名はご結婚をされています」
「もう1名は?」
「テルティア様は別の貴族の元で学ばれていますね」
ミカエルの元へはそういう名目で滞在しているのか。
「そうなんですか。すみません。いろいろ聞いてしまって」
「いいのよ。ここで働く以上、気になることでしょうし」
「そう言って貰えて助かります」
「あっ! フィリッパちゃん、今回の給仕は大丈夫だった?」
「はい。大丈夫でした」
「良かった。メリサさん、フィリッパちゃんが困らないようにならないの?」
「クラウス様のことよね。今回は見た人がいる訳じゃないし、難しいかも知れないわね」
今回は?
「――聞いていいことかどうか分かりませんが、ヴィヴィアナさんはクラウス様から今回のようなことを受けたんですか?」
私の問いにメリサさんがヴィヴィアナさんを見ると、彼女は頷いた。
「ヴィヴィアナに露骨な質問をしたり、マッサージや夜の誘いをするようなことがあったのよ。軍から帰ってきたときにね」
≫うわっ≫
≫セクハラ親父かよ≫
「そんなことがあったんですか……」
なんと言っていいか迷う。
「フィリッパちゃん、そんな顔しなくても大丈夫だから。触られたりはしたけどそこまでだったし!」
「ウァレリウス様が直接注意してくださったみたいだよ」
プリメラさんが腕を組む。
「ウルフガーくんも守ってくれたから!」
ウルフガー……くん?
20代後半くらいで冗談が通じなさそうなウルフガーさんに『くん』付けが意外すぎた。
しかもヴィヴィアナさんは言ったあと照れてる。
≫おやおや……?≫
≫あー、そういうことか≫
≫これは惚れてますな≫
「そうだったんですか。よかったです」
ほっとしながらも、別に思考が働き、そっちでは混乱していた。
皇帝暗殺未遂の件でウルフガーさんを探りにきたのに、その彼がそこまで悪い人物に見えない。
貴族よりも仕事仲間を優先できる度量もある。
「今回もフィリッパちゃんのことウァレリウス様に相談してみたら?」
「だから見た人いないから無理だって。さっき、メリサが言ってただろ」
「あ」
「ご心配ありがとうございます。皆さんと話していたら気持ちも軽くなってきました。そういえば、クラウス様ってローマ軍団にはもう所属してないのですか?」
「現在は政治にご興味があるみたい。政治関係のパーティーや集会などに参加していらっしゃるわ」
「ありがとうございます。それではずっとこの邸宅にいる訳じゃないんですね」
「だね。安心したかい?」
「ええ、まあ」
私が応えると少し笑いが起きた。
「――ただ、もしかしたらだけど、クラウス様のパーティーへの出席や集会にフィリッパさんが付き添うことになることもあるかも」
「――え!」
「確かにあるかもね。クラウス様って見せたがりなところがあるんだよ」
「分かる! フィリッパちゃんみたいな綺麗な子と一緒にいるだけで自慢できると思う」
「こら、自慢言わない」
「はーい」
≫ヴィヴィアナ、割と本質は突いてるよな≫
≫美少女の主人は羨ましがられるだろうなあ≫
「それってローマ市のどこで行われるんでしょうか?」
「場所は決まってないねえ」
「そうなんですか……」
「不安かい? 私たちも付いていきたいけど人手がねえ」
「私の発言で不安にさせてごめんなさい。まだクラウス様に付き添うと決まった訳じゃないし、決まったときに考えればいいんじゃないかしら?」
「――この辺りの地図ってないんでしょうか?」
少し強引だと思ったけど、地図を話題にする。
目的は養育院の場所を知ることだ。
「地図? ウァレリウス様に頼めば用意できるわよ」
「え、フィリッパちゃん、地図も分かるの?」
「一応分かります。故郷で地図の読み方は習いましたから」
「すごい!」
「私たちの中だと誰も地図は分からないからね。ウルフガーは努力して身につけたみたいだけどさ」
「今晩にでも借りられるように頼んでおくわね。私が預かるから見たかったら私に言って」
「助かります。お願いします」
ありがたい。
養育院の肝心の場所は……。
ウルフガーさんに聞けば良いか。
素振りが毎日の習慣なら、今日も外に居るはず。
終わって邸宅に入ってくるのを待とう。
こうして夕食が終わった。
必要な情報も得られたし、皆さんのことも分かって有意義な時間だったと思う。
そのあとは、私とヴィヴィアナさんで後片づけを済ませて、リウィア様の身体を拭いてから自由時間となった。
メリサさんが地図を借りてきてくれたので、少し見せて貰う。
巻物状の地図を広げると、思ったよりも精密だった。
しかもパピルス製じゃない。
布? とか思っていると、羊皮紙製だとコメントされる。
邸宅の場所だけ教えて貰い、しばらく見ていた。
円形闘技場や皇宮の場所はすぐに分かる。
道もしっかりと描かれていた。
ずっと見ていると、気の利く視聴者がスクリーンショットを撮ってくれたらしかった。
すぐにダウンロードもできるようになったらしい。
現在のローマ市の地図とはもちろん違う。
しかも、北が上を向いてないようだ。
ただし、ティベレ川の流れだけは似ているようだった。
川の形から見ると、左側が北との話だ。
地図上の位置関係は、現代日本から見られる地図とは結構違うらしい。
こっちの地図は分かりやすさを重視しているのでは? とのことだった。
他はウルフガーさんに聞かないと分からないな。
「ありがとうございました。ウルフガーさんにもこの地図についてお話を聞きたいんですが、その時はどうすれば良いですか?」
「言ってくれれば、私が行くわよ」
「そんな、悪いです」
「ここに呼ぶのも躊躇われるしね。私も特にすることもないから大丈夫よ」
「――助かります。下でウルフガーさんを待ってみますね」
「今から?」
「早い方がいいと思いますので!」
「……分かったわ。明日でもいいのよ?」
「はい」
私は、侍女の部屋を出て、広間へと向かった。
周りに人が居ないのを確認する。
「さて、それでは、ウルフガーさんを待つ間に、魔術の練習をしようと思います。私自身が影になる魔術です」
視聴者に呼びかけた。
ギリギリ私の耳に届く音量だ。
≫いよいよか≫
≫どうやるんだ?≫
相談したいこともあるので、普通に話した方が良いと気づく。
広間の中でも一番明るそうな場所へと向かった。
防音の魔術を展開する。
「防音の魔術を使いました。これから私自身の腕に光曲の魔術を使います。光を反射しないようにするイメージですね。それで黒に見えれば成功です」
≫OK≫
≫どういう魔術?≫
≫光の反射をコントロールする魔術だな≫
≫そんなこと出来るのかよ≫
「言い忘れていましたが、鉄の巨人戦でも使いました。メドゥーサの盾で石化されそうになったので、跳ね返してたりします」
≫言えよぉー!≫
≫そんなヤベえことになってたのかよ≫
≫いつ?≫
「最後の最後ですね。ミネルウァ様の作戦だったと思います。攻撃を避けて上を見たら、そこにメドゥーサの顔がありました」
≫言えよぉー! その2≫
≫ミネルウァ様の作戦って?≫
「あ、途中から鉄の巨人に、ミネルウァ様が憑依してたと思われます」
≫あー、そういうことか≫
≫言えよぉー! その3≫
≫ミネルウァ様との意味深な会話はそれでか≫
≫もう途中から訳が分からなくなってたからな≫
≫岩とか飛んでたのあれミネルウァ様の力か≫
「そうですね」
≫よく勝てたな……≫
≫マジモンの英雄やん≫
「あのときの話は時間を設けてお話したいと思います。今は、影化の魔術について相談させてください」
≫分かった≫
≫まぁ、しゃーなしか≫
≫名前は『影化の魔術』でいいの?≫
≫分かりやすいしいいのでは?≫
「あまり、ちゃんと考えていませんでしたが、分かりやすいなら影化でいきます」
≫アイリスって割と名前には無頓着な気がする≫
≫配信だと分かりやすさ重要≫
「そうですね。では、影化の魔術を腕に掛けてみます」
左腕を視聴者から見えるように差し出した。
皮膚の解像度を原子レベルまで上げようと試みる。
なかなか難しい。
金属みたいな単純な構造ならいけるんだけど、さすがに皮膚は複雑すぎるか。
「すみません。生物的なのは複雑すぎて難しいです」
≫石化はどうやって跳ね返したんだ?≫
「メドゥーサの石化は、瞳で直接反射したからいけたんだと思います」
≫なるほど≫
≫いきなり有機物は無理か≫
≫あれ、血液は操作できるんだよな?≫
「そういえばそうですね」
少し腕に赤血球を集めてみた。
薄暗い中でも白かった肌がピンク色になる。
≫うおっ≫
≫変色した≫
≫大丈夫なのか?≫
赤血球の操作をすぐに止める。
色は戻っていった。
「赤血球は操作できますが、これに光曲の魔術を使えるかどうかというと難しそうですね。原子レベルで見てるわけではないので」
≫どういうことだ?≫
≫光曲の魔術の原理≫
≫1.光子が電子に吸収される≫
≫2.すぐに電子から光子が放出される≫
≫3.光曲の魔術では放出の方向を操作する≫
≫赤血球の場合は細胞を見てるので尺度が違う≫
≫あー、そういうことか≫
≫なるほど分からん≫
「タンパク質の分子に解像度を合わせればいけるんでしょうか?」
≫その辺りはアイリスにしか分からんだろうな≫
≫皮膚というとコラーゲンか≫
≫コラーゲンってタンパク質だったの?≫
≫タンパク質だぞ≫
≫どういう構造なんだ?≫
≫3本の繊維で出来たロープみたいな構造だな≫
≫調べたら30万の分子量らしいぞ≫
≫分子量?≫
≫ざっくり言うと水素1個=分子量1≫
コラーゲンは水素30万個分ということか……。
「すみません。タンパク質関係はちょっと手に負えそうにないです。電子の動きのイメージが全くつきません」
≫そうか……≫
≫まあ仕方ない≫
≫ふむ。では水に濡らしてみるのはどうかね?≫
≫こ、この口調は?≫
≫実験屋? お前、実験屋なのか?≫
≫私の他に居なければだがね≫
≫いろんな意味でお前しか居ねえよw≫
≫キター≫
「お久しぶりです。皮膚を濡らして、水だけに光曲の魔術を使うということですか?」
≫そうなるね≫
≫瞳の反射も水へ使ったのではないかな?≫
「そうかも知れません。皮膚を濡らして光曲の魔術を使ってみます」
私は防音の魔術を解いて、広間中央のため池? に向かった。
池の上に腕を置く。
そして、創水の魔術で腕を十分に濡らした。
すぐにその腕の水に光曲の魔術を使う。
光は直角に反射するように操作した。
腕が真っ黒になる。
気持ち悪い。
≫うおっ!≫
≫成功したー!≫
≫すげえ≫
≫なんかグロいなw≫
池の傍から離れ、元に明るい場所に戻って、防音の魔術を掛ける。
「ありがとうございます。濡らしてからなら問題なさそうですね」
≫常に濡れてればOK≫
≫カエルかよ≫
≫ふむ。乾いた状態でも少しは使えるはずだが≫
≫表皮だけの水分量も3割程度あるからな≫
「そうなんですか? 分かりました」
温風を腕に吹きかけ、濡れた腕を乾かす。
その上で、腕を視聴者に見せながら、再び光曲の魔術を使う。
ただし、今度は水分にのみ魔術を掛ける。
確かに水は少し存在してるな。
腕が僅かに暗くなったような気がした。
「魔術を使ってない境――前腕の半分から手前――を見ると、少し暗くなってますね? 3割暗くなったとはいえませんが」
≫本当だな≫
≫微妙だ≫
≫出来たことが大切≫
「水分子をうまく捉えられていないのかも知れません。マリカならもっと上手くやれると思うんですが」
≫ふむ。実験なのでね。問題はない≫
≫本命は濡れた服で使えるか否かだね≫
≫濡れた服だと?≫
≫そこまで考えてるのか……≫
≫季節が問題だな……。夏ならよかったのに≫
「ご心配ありがとうございます。寒さは熱を集めればなんとかなるかも知れません。とにかく、実現するのが第一歩ですね」
≫ふむ。今日はこのくらいにしておくとしよう≫
≫明日も練習するなら濡れた布が欲しい所だね≫
≫実験屋は明日も来るのか?≫
≫高頻度で見ているよ。単純に面白いのでね≫
≫マジかw≫
≫必要ないのでコメントは控えていたがね≫
「ありがとうございます。明日は準備するので、そのときまたお願いします。皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。これから、少しパンチの練習に移ります」
そろそろ、ウルフガーさんの素振りも終わりそうな気がする。
私は玄関の外でパンチの練習をすることにした。
ここに来る前に、ルキヴィス先生から簡単なパンチの打ち方だけは習った。
普通のパンチの打ち方とは違う気がする。
まず、コツとしては、水に濡れた手を指先から飛ばす感じで振るう。
ただし、片手で前に向けて振るい、最後の一瞬だけ拳を握る。
握る一瞬は短ければ短いほど良いらしい。
このとき親指を中心に回して握る。
更に、この拳を握った瞬間に、同じ側の足先で地面を踏む。
右手なら右足先。
左手なら左足先だ。
それ以外は、肘から先だけで打つし、完全に手打ちに思える。
これで相手のアゴなどの弱点を打ち貫く。
決して相手の中心は打たずに、弱点のみを打つやり方らしい。
必然的に対人間用となり、非力な私向けのやり方だそうだ。
ただ、ルキヴィス先生もこの打ち方を使っている。
理由は帰ってきたとき教えてくれるらしい。
しばらくパンチを練習していると、ウルフガーさんが素振りを終えて玄関に向かってきた。
私はそのまま玄関の入り口で待ち、彼がやってくると声を掛けようと近づく。
「お疲れさまです、ウルフガーさん。フィリッパです。少し聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「待っていたのか?」
「今日もこちらに居ると思い、待たせて貰いました」
「そうか。どのような話だ?」
「はい。他の先輩方と話していたところ、この邸宅の周辺について知っておいた方が良いということになったのです。そこで地図を使って簡単に教えて貰えないかな、と。忙しければまたの機会で大丈夫なのですが……」
「この辺りの地理か。分かる範囲で良いなら教えよう」
「ありがとうございます!」
「では、入るぞ」
「はい。地図を持ってきて貰いますね」
広間に入り、私は地図を持っているメリサさんを呼びにいった。
一緒に階段を降りてくると、彼女はウルフガーさんに一声掛けた。
「台で地図を広げましょうか」
彼女は、池の近くの台を指さすと私たちの方を向きながら移動していく。
地図が広げられた。
「質問していいのよね?」
「はい」
「フィリッパさん、質問していいそうよ」
「ありがとうございます」
ウルフガーさんの立ち振る舞いからはメリサさんへの敬意が見てとれる。
視聴者にも分かりやすいように、私から見て地図を北向きにする。
その後は簡単な質問をしていった。
主にこの邸宅やクラウス様が出掛ける可能性のある場所だ。
「そういえば、昨日私がリウィア様と向かった養育院はこの地図の中にあるのですか?」
「ドムス・カリタティスならばここだ」
「思ったより遠くにあったんですね」
ウルフガーさんの指したのは、円形闘技場の真南の位置だった。
視聴者によると、今はカラカラ浴場がある辺りらしい。
ただ、建物が立ち並んでいるだけのようなので、こっちの歴史だとカラカラ浴場は存在してないのか。
内側の城壁のすぐ外側なので、場所はなんとか分かる気がする。
ただ、行くのは深夜だし、目印的な建物がないのは不安ではある。
「この地図はいつ頃に作成されたものなんですか?」
「先代が購入されたものなので、20年は経っているかしら。今とそれほど違いはないと思うわ」
「安心しました」
言いながら全然安心してなかった。
ただ、建物は細かく掛かれているし、さすがに城壁や道との位置関係は大きく異なってはいないだろう。
私は2人にお礼を言って、メリサさんと一緒に部屋に戻るのだった。
それから深夜。
皆が寝静まったあとに、私は部屋を抜けだした。
目的は、養育院の場所を確認しておくこと。
影化の魔術も不十分だし、それ以上は踏み込まない。
空間把握で確認した範囲では皆寝ているようだ。
気付かれた様子はない。
私は、静かに部屋を出て更に邸宅からも出る。
満天の星。
私は周辺を確認しながら、邸宅の裏側へと回り込んだ。
敷地の外に出て、十分に距離を取り、空へと舞い上がった。
まず目指すのは、円形闘技場だ。
すぐに到着し、薄暗い養成所も見えた。
皆は元気だろうか?
そのまま北極星を確認してから南へと向かう。
城壁を超えたところで、降り立つ。
深夜にも関わらず騒がしい。
そこら中で、馬車の音や喧噪が聞こえてくる。
こんな状況で眠れるのだろうか?
「養育院の近くに来ました。ここから、導いてもらえると嬉しいんですが……」
≫もちろん≫
≫手元に地図があるの不思議な感じだな≫
「助かります!」
≫暗すぎるから、一度空から見た方がいいかも≫
「分かりました」
私はもう1度、空へと舞い上がり、真下を見た。
高い位置にはないけど、月明かりもあって建物のシルエットくらいは見える。
≫ディスプレイ明るくすると見えるな≫
≫視界、左下の道から3番目かな?≫
≫俺もそこだと思う≫
割と低めの建物だ。
敷地面積はそこそこある。
私は少し離れたところに降り立ち、その建物に近づいた。
――確かにこの建物だ。
「昨日見た養育院だと思います。ありがとうございます」
中を確認するなら、屋上からの方が良いか。
私は一度離れて、空中から屋上に降りたった。
空間把握で確認すると中に人が居る。
子どもたちはすでに寝ているが、大人たちはまだ起きているようだった。
―ただ、1つ問題が起きている。
最初は気付かなかった。
身動き1つしてない。
養育院の大人たちが居る部屋の外側に、女性が居た。
気付いたときはゾッとした。
ガラスない窓の傍に寄り、揺らめくカーテンの外側で聞き耳を立てているようだ。
何が目的なんだ?
私は予想外の謎の人物の登場に、かなり混乱しているのだった。




