第121話 暴走
前回までのライブ配信。
アイリスはトーナメント決勝でゼルディウスを下し優勝する。閉会式では歓声を受け、皇帝からも「明日への勇気を貰った」という言葉を受ける。しかし帰宅後、遠くで魔術が暴走しているのを感知するのだった。
私たちはカクギスさんにメンバーの人数分の剣を借り、セーラが居る留置場へと向かった。
メンバーは私、マリカ、カクギスさん、それにセルムさんだ。
「借りていた剣をなくしてしまって申し訳ありませんでした」
カクギスさんから剣を受け取る。
そのときに私は謝った。
以前、彼に借りた剣をなくしてしまっている。
スピンクスと思われる怪物に奇襲を受けたときだったと思う。
「気にするでない。戦いの中ではままあることよ」
その後、セーラの居る留置所の近くへとたどり着いた。
台風のような暴風が吹き荒れている。
範囲は結構広い。
半径200mくらいか。
「サンソが暴走してる」
マリカが呟いた。
「酸素だけ暴走してるってこと?」
小声でマリカに聞く。
「たぶんね」
酸素なら『蜂』の可能性が高い。
ビブルス長官に伝えた方がいいかも知れない。
「マリカ。長官かカトー議員に伝えたいことがあるんだけど良い? マリカにしか頼めないから」
マリカならあの2人と顔見知りだし、飛べるので移動も速い。
「うん、分かった。何を伝えれば良い?」
「セーラの居る留置所で暴風が吹き荒れてて、それが何者かの仕業だということ。それに『蜂』が関わっていそうなことを伝えて」
「『留置場で暴風。それに『蜂』が関わってる、ね。分かった」
「お願い。あと、長官の判断に任せるけど、隊が1つ来てくれるとありがたいかも」
「お伝えしてみるね。カトー議員しかいらっしゃらなかったら彼にお伝えしてみる感じで良い?」
「うん」
「了解。じゃ、行ってくるから」
マリカは楯に乗って宙に浮かび上がり、すぐに見えなくなった。
「ふむ。我々はどうする?」
「まずは、セーラとクルストゥス先生の無事を確認しましょう」
「承知した。お主はここより留置所までの距離がどの程度だと考える?」
暴風の中心までなら大体200mだ。
こっちの単位に直すと300パッススか。
そこから留置所までは更に距離がある。
「300パッススと少しですね。あと、セーラが元々捕らわれて居た場所は地下です」
「地下か。ならば探るのは容易だな。待っておれ」
カクギスさんが集中する。
この距離でもあの空間把握が使えるのか。
「何人が居るな。2人は無事なようだ。しかし、身体の大きな者が1人倒れておる」
「大きな者? 状況は分かりますか?」
「分からん。しかし生きてはいるようだな」
「地上はどうですか?」
「暴風の中心に大きな男が1人、傍らに男が1人、あと得体の知れない者が1体がこちらに向かってきておる」
「得体の知れない者? 神話に出てくるスピンクスのような形ですか?」
「スピンクス? 顔が女で身体が獅子のあのスピンクスか?」
「はい」
「ふむ。言われてみれば近いな」
スピンクスが居るかも知れないのか。
となると彼女が原因で男が暴走している可能性もある。
暴走と言えば、話に聞いた『蜂』の女王のことを思い出す。
その話から考えると、今、暴走している男は、『蜂』の皇帝なんじゃないだろうか。
「どうするつもりだ」
セルムさんが聞いてきた。
「まずはセーラたちと合流します。この状況の原因が分かるかも知れません。それに、ここが戦場になるなら安全な場所に避難して貰いたいです。カクギスさん。暴風の中心と留置所はどの程度離れていますか?」
「ふむ。100パッススというところだな」
70m弱か。
あの魔術の光を感じてから20分は経っている。
「こちらに向かってくるスピードはかなり遅いんですかね?」
「そのようだな」
「彼らの背後に回り込みましょう。背後から留置所に近づき、セーラたちと合流します」
スピンクスに気づかれる可能性も考えて、大きく回り込んだ。
飛んで向かったので、すぐに逆側にたどり着く。
途中、カクギスさんが人を発見した。
逃げる様子はなく、隠れてスピンクスたちを伺っていたらしい。
≫こんな状況で誰だよ≫
≫何者だと思う?≫
≫皇妃の関係者かメリクリウスではないかと≫
≫メリクリウスか! 可能性はあるな≫
なるほど。
確かにどちらかの可能性が高いか。
ともかく、今はセーラたちと合流する方が先だ。
私たちは建物の影に隠れながら留置所に向かっていった。
風が強い。
ビューとゴーが混ざったような音が聞こえる。
そうして、留置所にたどり着くと入り口部分が半壊していた。
いまにも崩れそうだ。
更に、地下へと続く階段は瓦礫で塞がれていた。
顔を見合わせる私たち3人。
そのとき、魔術だけの光が私の横に現れた。
身構えるが、光はすぐに地下へと吸い込まれていく。
しばらくして、また私の目の前にその魔術の光が現れた。
そんな私の様子に、カクギスさんとセルムさんは緊張を高めている。
どうして魔術のみ?
あ、クルストゥス先生か。
魔術での連絡手段をここで使ってくるとは。
すぐに私は地下で、小さな突風の魔術を何度か使った。
これで気づいて貰えるはずだ。
再び魔術の光が私の目の前に姿を表した。
その光は大きくなったり小さくなったりを繰り返す。
先生から私への合図だろうな。
地下にクルストゥス先生が居ることは確定か。
髪の長さが短いけど、セーラっぽい人物も居る。
あと、倒れている人は魔術の光を宿している。
魔術を宿しているということはモルフェウスさんかな?
彼が怪我をしているのなら、急いだ方が良いかも知れない。
私はカクギスさんとセルムさんに合図を送り、再び移動して建物の影に身を潜めた。
風の音が小さくなる。
ここなら話せるか。
「状況がある程度分かりました。中には、セーラとクルストゥス先生らしい人が居ます。あと、『蜂』の誰かが倒れています。助けないと危ない状況かも知れません。あと牢に何人か居ますね」
「俺も探ってはみたが親衛隊は居らんようだな」
「はい。どうしたんでしょうか? どちらにしても居ないなら居ないで好都合です。まずは入り口や階段の瓦礫を吹き飛ばします。倒れている人のことも心配ですし、まずはセーラたちから状況を聞こうかと」
「それが良いか」
「瓦礫の撤去はお主のみで出来るか?」
「はい。突風の魔術を使ってやってみます」
地下の空気を圧縮して吹き出させればなんとかなりそうだ。
「撤去中に奴らに見つかったらどうするつもりだ?」
セルムさんが聞いてきた。
「隠れるか逃げるかですね」
「――俺は隠れさせて貰うからな」
「分かりました。見つかったと思ったらすぐに大声を出すので隠れてください」
「ああ」
「他にありますか? なければ撤去に向かいましょう」
「良いぞ」
「特にない」
「では、行きましょう。最初は私から離れててください。撤去したら先に私が地下へと入ります」
「ふむ。撤去後は再び崩れぬように俺が風で押さえておこう」
「助かります」
私たちは再び強風に身を晒した。
再び留置所の入り口付近に向かう。
入り口は扉ごと破壊されていた。
さっきも見たように地下への階段も塞がれている。
ただ、意図的に地下階にセーラたちを閉じこめようとした訳ではなさそうだ。
私は地下階でパンと鳴らしてセーラたちに合図を送った。
その後、瓦礫を吹き飛ばすための空気をゆっくりと溜めていく。
ゆっくりなのは、一気に集めると地下の空気が薄くなりそうだというのが理由だ。
セーラたちは耳を塞いでいるようだった。
私の突風の魔術の音を警戒してるのだろう。
≫そもそも風でコンクリートを飛ばせるのか?≫
≫風速100m/sで軽量鉄筋なら倒壊する≫
≫マジか≫
≫瓦礫なら風速50m/sでいけるんじゃ?≫
風速50m/sでコンクリートのブロックが壊せるというのは、前に聞いた覚えがある。
セルムさんと戦っていたときだったかな。
ただ経験上、風速50m/sじゃ威力が足りない。
電柱みたいな風に弱い形のものならいけるんだろうけど。
なので今回は風速100m/sくらいで行くつもりだ。
感覚的には、人を浮かすことが出来る倍の強さになる。
空気を集めるのに時間を掛けていると、セルムさんがイライラしてきたのが分かった。
地下にはセーラも居るし焦っているのかも。
≫瓦礫の撤去なら水で濡らしてからが良いぞ≫
そういえば日本でも家を壊すときに水を掛けてたっけ。
粉塵を飛ばさないようにするためだろうか?
私はすぐに瓦礫全体を濡らしていく。
ほどなく準備が整った。
周りへの警戒も止め、瓦礫を吹き飛ばすことだけに集中する。
――よし。
バン!
まずは留置所入り口の瓦礫を吹き飛ばした。
吹き飛ばした瓦礫を下から支えて屋上に置く。
続けて、集めた空気を使って地下への階段の瓦礫をどけた。
壁のような薄い瓦礫だったので一度排出され始めると早い。
人が通ることが出来るようになったので、すぐに地下に入っていく。
早速、崩れかけの他の瓦礫はカクギスさんが風で押さえてくれている。
中に入って、すぐにセーラたちが居る牢に向かう。
暗闇かと思ったら明かりが点いていた。
「な、なんだよ?」
「何が起きてる?」
「助けてくれ!」
入るとすぐに牢に居る人たちが声を掛けてきた。
「黙っておれ。すぐに助けがくる。ここに危険はない」
カクギスさんが剣を抜いて言うと、すぐに静かになった。
私は地下の奥、セーラたちが居る場所へと急いだ。
到着すると、牢の中にセーラとクルストゥス先生が居た。
倒れているモルフェウスさんの姿もある。
隣の牢で、魔術の光を放つ液体が床にこぼれていることが気になった。
「アイリス! 来てくれてありがとう」
彼女の髪は短くなっている。
短いと言っても肩くらいまではあるんだけど。
「気付いてくださり助かりました」
クルストゥス先生も無事みたいだ。
ふと、手前を見る。
牢の鉄格子は人が通れる程度に開いていた。
セーラがシャザードさんと同じような魔術を使って斬ったんだろうか。
「倒れているその人――モルフェウスさんは無事ですか?」
「無事――とは言い難いですね。得体の知れない者にやられたようです」
クルストゥス先生が話すと、モルフェウスさんが顔を上げた。
「そっちに入ります。どこを怪我しているか分かりますか?」
私は鉄格子をくぐって牢に入った。
「大きな怪我は足ですね。抉られています。彼女が応急処置として、凍結の魔術を使った上で、太股を縛ってくれましたが……」
「ありがとうございます。見せてください。セーラ。傷口を洗うので凍結解いて貰えるかな」
「うん」
「ありがとう。少し失礼します」
私はすぐに彼の太股に腕を回し、痛みを止めながら創水の魔術で洗っていく。
止血はバチバチと電気で行う。
肉の焼けた匂いがした。
かなり血を流していたので水を飲んで貰う。
クルストゥス先生の水筒を借りて、水自体は創水の魔術で補充した。
赤血球は補充できないけど、これで血圧だけは維持できるはず。
「――お前は俺たちの敵だろう。どうして助ける?」
水筒を差し出したときに、モルフェウスさんが聞いてきた。
「単純な理由です。モルフェウスさんから話を聞きたいからですよ。助けないと話ができないでしょう」
「話か」
「はい」
「――いいだろう」
「ありがとうございます。では早速。あなたに怪我をさせた得体の知れない者――怪物というのはスピンクスでしょうか?」
「あれがスピンクスというならそうなんだろう。特徴は一致する」
「ありがとうございます。貴方のお兄さんはどうなりました? その怪物――仮にスピンクスと呼びますね――に何かされましたか?」
「――俺たちのことをどこまで知ってる?」
「そうですね、少し長くなります。水を飲みながら聞いてください。ここからの話って関係のない人に聞かせてもいいんですよね?」
「今更だ」
私は、まず皇妃とスピンクスが繋がっている可能性があることを話した。
その上で私が『蜂』について知っていることを簡単に話す。
モルフェウスさんはそれを黙って聞いていた。
特に反応はない。
「補足する点はありますか?」
「特にないな」
「ではその上で質問良いですか?」
「ああ」
「気分を悪くさせるかも知れません。ただ、重要なので聞きます。モルフェウスさんは暴走したノクスの女王を倒したんですよね? どうやって倒しました? 普通ではなかったという話ですが」
間があった。
「――そうか。いいだろう」
モルフェウスさんが私を正面から見た。
「心臓を潰した。それで動かなくなった」
続けて彼は淡々と言った。
「潰した? 刺したり斬ったりしただけではダメだったということでしょうか?」
「その通りだ」
生きてる人の心臓を潰す。
覚悟が揺らいだ。
どうしようもなければ私は『蜂』の皇帝を殺すつもりだった。
でも、心臓を潰すとなると……。
私に出来るのか?
奥歯を噛みしめていたからか、ガリッと鳴る。
「お前がやる必要はない。俺が片を付ければいいだけのことだ」
モルフェウスさんが立ち上がろうとする。
「お兄さんに恨みでもあるんですか?」
「恨みは――ない」
「では譲れません。そもそも、貴方の怪我では無理でしょう」
彼と目があった。
なんの感情も映していない目。
いや、諦めだけが見えた気がした。
引き込まれそうになる。
「少しだけお話よろしいでしょうか?」
セーラが間に入ってきた。
「うん、もちろん。モルフェウスさんも良いですか?」
「俺が口を出す権利はないだろう」
彼は身体を引いた。
毎回ちゃんと返事をしてくれるところを見ると、律儀な人なのかも知れない。
「ありがとうございます」
セーラは薄暗い中でもはっきりと分かるようにニッコリと笑った。
「それで話って?」
「その前に1つだけ聞いておきたいことがあります。はっきりさせておきたくて。良いかな?」
彼女の表情は真剣だ。
「うん」
「アイリスって自分がローマ人だと思う?」
「ローマ人? 思ってもないし、考えたこともなかったよ。私は日本人という意識しかない。あ、日本って言うのは私が生まれ育った国ね」
その上で函館市民だけど。
「答えてくれてありがとう」
セーラは晴れ晴れとした顔になった。
「そのことを踏まえてお願い。私に今回の作戦を考えるお手伝いをさせて貰えないかな?」
そうか。
彼女はローマに恨みがある。
だから私に協力する前にローマ人かどうか聞いたんだろう。
「そういうことなら、お言葉に甘えてセーラに全面的にお願いしようかな」
「全面的? 私に?」
「無理にとは言わないけど」
指揮系統の1本化も考えるとセーラに任せた方が良いと思う。
「――ううん。その話、受けさせて」
彼女が頷いた。
それに合わせるかのようにカクギスさんが私を睨んできた。
セーラを信用してないのかも知れない。
「ありがとう。結果がどうなろうとも、私が責任を取るね」
そう言ってカクギスさんを見る。
彼は息を吐いた。
「じゃ、私が簡単に知ってること話すから。セーラは質問があれば遠慮なく聞いて」
私は続けて作戦で必要になりそうなことを早口で彼女に伝えていく。
一通り聞いた彼女は少し考えてから口を開いた。
「スピンクスって姿は見せないようにしてた?」
「意図して姿を隠していたかどうかは分からない。でも、私は彼女の姿を見たことがないよ」
「そう。モルフェウス様にもお話を伺いたいのですが……」
セーラが身体をモルフェウスさんに向ける。
「答えられることには答える」
「ありがとうございます。スピンクスは貴方の前に姿を見せましたか?」
「俺からは見えない位置に居た」
「それは意図してのことだと思われますか?」
「そうだな。あれは意図的、だろうな」
「貴重な情報ありがとうございます。ところで、改めて皆さんに聞きます。この作戦に協力してくださる方はいますか? 命の危険もありますが……」
セーラが改めて問いかけた。
「協力する。俺に関しては命の危険を考慮しなくても良い」
最初に口を開いたのはモルフェウスさんだった。
「ここで参加せぬなら最初から着いて来ぬわ」
「もちろんです。お役に立てることがあれば協力しますよ」
カクギスさんとクルストゥス先生も言ってくれた。
「セーラ様の作戦であれば、協力するのは当然のことです」
最後の発言はセルムさんだ。
礼儀正しいセルムさんに慣れてないので違和感がすごい。
「皆さん……。ありがとうございます」
「お礼を言わなきゃいけないのは私だから。みんな、ありがとうございます」
慌てて私もお礼を言った。
セーラは更に質問を続けた。
主に、スピンクスの目的と戦力を探ってるみたいだ。
≫彼女らの目的はアイリスさんの命でしょうね≫
≫決勝のあと、疲れているところを狙ったか≫
≫数日前、暗殺者を送り込まれてたしな≫
視聴者はそんなことをコメントしている。
スピンクスの目的は私の命か。
確かに可能性が高そうだ。
ふと見ると、セーラが手の甲で唇をなぞっていた。
色気のようなものがある。
「アイリス。さっきカトー様に今回のことを知らせたって話してたよね? 親衛隊は来ると思う?」
「たぶん、すぐに来ると思う。想像だけど、距離からいってあと4分の1時間くらいかな」
「現在のスピンクスたちの位置は?」
「留置所の入り口からこっちの方向に150パッスス行った距離」
私は方向を指さしながら言った。
≫150パッススだと100mくらいか≫
≫俺らもすっかり慣れたな≫
≫日本でなんの役にも立たねえw≫
「進行方向の先ってアイリスが住んでる場所?」
「うん。そのはず」
「――ん。作戦案が固まりました」
「えっ、もう?」
「うん。作戦を話す前に、まず皆さんの命が最優先ということでお願いします。そしてスピンクスたちの目的はたぶんアイリスの命です。ソムヌスの恨みを利用して殺そうとしているのはないかと」
彼女の考える『目的』は視聴者たちと同じか。
「スピンクスがソムヌスのような他者を使う理由は、彼女が姿を見られると何か問題があるんじゃないかと想定しています」
なるほど。
「次に私たちの達成目標です。これはソムヌスを倒すことですね。スピンクスは刺激しないでください。彼女は別の手段で無力化します」
≫無力化できるのかよ!≫
「どんな手段?」
無力化できるなんて思いもよらなかったから聞いてしまう。
「彼女は目撃されるのを嫌ってるみたいだから、それを利用します」
「ふむ。それで実際どうする?」
「親衛隊の到着を待って、彼らに目撃させようかと思ってます。明かりが必要ですが、ランプ用のオイルがたくさんあるみたいなので、これを使います」
「火を灯す当てはあるのか?」
「見ててください」
セーラは鉄格子を中心に魔術を使った。
魔術が一気に収束し、薄暗い中で鉄がほんやりと赤く光る。
「鉄を熱して光らせました。この魔術を使えばオイルが燃えます」
「ほう」
≫オリーブオイルの発火点は325℃ですね≫
≫なんでオリーブオイル?≫
≫ローマだとランプにも使われていたので≫
≫発火点とかよく知ってたな≫
≫今、調べました≫
≫1000℃以上に出来るセーラなら楽勝か≫
「明るくした上で、親衛隊の皆さんに目撃していただこうと考えています」
セーラがニコリと微笑んだ。
≫スピンクスが逃げない場合も聞いてください≫
そうか。
目撃されても彼女が必ず逃げると決まってる訳じゃないからな。
逃げなかった場合のリスクも大きいし。
「スピンクスが逃げなかったときの作戦は何か考えてる?」
「一応ね。アイリスには皇宮へ逃げて貰おうと思ってる。そのときは皆さんもバラバラに散開して逃げてください」
「皇宮? あ、さすがのスピンクスも皇妃には危害は加えられないってこと?」
「うん。ちょっと危ういけれど、それしか考えられなくて」
「他に案もなさそうだし、彼女が逃げなかった場合の作戦としては十分だと思うよ」
「あともう1つ。スピンクスの直進する炎みたいな攻撃が放たれたとき、アイリスは対処できる?」
スピンクスのあの光線みたいな攻撃か。
前は危なかったけど、今なら対処できる気がする。
「気をつけてれば問題ないと思う。以前は不意打ちに近かったし」
「分かった。信じるね。彼女の姿が目撃された直後に気をつけて」
「うん」
その後、彼女は各々の役割を話していった。
私とカクギスさんはソムヌスを倒す役割。
クルストゥス先生はオイルを撒く役割。
先生は親衛隊との調整も行う。
セルムさんはセーラの護衛。
モルフェウスさんは最後の切り札として、建物の屋上から飛び降りてソムヌスを倒すつもりらしい。
私1人でソムヌスを倒せればベストだ。
私の数撃で倒し切れなかったら、すぐにカクギスさんも参戦する。
それでもダメなら最後の手段として、モルフェウスさんが集合住宅の屋上から攻撃する。
私としては電撃を使って2撃目までには倒してしまうつもりだ。
心臓を潰すかどうかはその後の展開による。
そこまで考えたとき、ふと思い出した。
「ごめんセーラ。1つ言い忘れてた。彼らから少し離れた場所に人が居る」
「人?」
「うん、1人だけだけどね。スピンクスたちを遠くから探ってたみたい。考えられるのは皇妃の監視か、神に関係した人が偵察してるか」
「神に関係した人――? どのような方なのかな?」
「トーナメントで私と戦った人だね。私は彼をメリクリウス様だと思ってる」
「メリクリウス様ってローマ神話の?」
「そう。ローマ神話のメリクリウス様」
私が言うと、またセーラは手の甲を唇に当てた。
「――うん。そのことは忘れましょう。作戦への影響は少ないんじゃないかな。もし皇妃の監視でも放置しておいて大丈夫。情報自体はスピンクスから伝わるだろうし」
彼女は諦めたように笑った。
「そのことでセーラが皇妃に恨まれたりしない?」
「心配しないで。私は屋上に居る予定だし大丈夫だよ」
「分かった。セルムさんと先生もスピンクスに見つからないように気をつけてください。カクギスさんは……」
「俺のことは気にせんで良い」
「すみません」
その後、いくつかの空気を使った合図を決めて作戦を開始する。
全員が魔術使えると、こういうとき便利だな。
「他に聞いておきたいことはありませんか?」
セーラが周りを見渡す。
私も見渡した。
全員と目があったけど、誰も口を開こうとはしない。
「分かりました。では、作戦の前に私から。アイリス、まだ時間はありそう?」
「うん。ほとんど進んでないよ。カクギスさんは瓦礫の押さえ大丈夫ですか?」
「今のところ崩れる様子はないな」
「分かりました。では皆さん少し聞いてください」
一呼吸おいて、セーラが続ける。
「この場の皆さんは、なんらかの形でアイリスと対立していたと聞いています。私もそうでした。それが今はこうして彼女の元に集っている。不思議ですよね」
彼女は目を閉じた。
まつげに照り返された灯が揺れる。
「私はローマへの反乱を興し、参謀のようなことをしていました。途中までは上手くいっていましたが、それもアイリスが現れる前までです。
結局、彼女の働きで反乱は失敗しました。
私は捕まります。気が付くと彼女と共に生活していました。このときの私は幼い子供のようだったと聞いています。世界中で彼女だけが味方だと思っていたことだけは良く覚えています。
その後もいろいろ彼女に助けて貰って、ここに居ます。目的も失い、生きる意味も見いだせず、諦めていたときに彼女が居てくれたりもしました。さっき見て貰った鉄を熱くする魔術だって彼女と共に作り上げたものです。
思ったんです。
彼女は何者なんだろうと。どうして、彼女のような存在がこの世に居るんだろうと。
でも、私の中には彼女への恨みもあった。いっぱい悩んで、全部皇妃が悪いってことにしちゃいました」
彼女はくすっと笑ってから私を見た。
それから真剣な表情になり、虚空を見つめる。
「――私は。私はアイリスの力になりたい」
彼女の目から涙が零れ落ちた。
誰もが黙っている。
「あ、あれ。ごめんなさい」
慌てて彼女は指で涙を拭った。
「いや。分かった」
モルフェウスさんがつぶやく。
男性陣3人が一瞬だけ視線を交わし合った。
「では、行くとするか」
カクギスさんを始めに彼らが立ち上がった。
モルフェウスさんだけは片足で立つがすぐにセルムさんがフォローに入る。
そうして、私たちは外に出た。
まずはスピンクスたちの進行方向へ先回りする。
今度はモルフェウスさんだけを楯に乗せて移動した。
誰も口を開こうとはしなかったが、それぞれの決意みたいなものが伝わってくる。
目的地付近に到着し、それぞれが配置に付いた。
私は単独で集合住宅の屋上に向かう。
屋上に出ると地上以上に強風が吹き荒れていた。
身体から体温が奪われていく。
一方で、空にはたくさんの星が輝いていた。
不思議な光景だ。
この状況で私は1人、作戦が始まる瞬間を待つ。
1人で居ると忘れていた身体のダメージを嫌でも意識してしまう。
身体は震えていた。
それが寒さのためなのか緊張のためなのかは分からなかった。




