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第9話 左手の男

 ボクは左手の男に注目しながら、彼から遠ざかろうと逃げていた。


 左手の男は確実にボクの存在に気づいてる。

 逃げても逃げても、正確に追ってくる。


 ≫逃げてー≫

 ≫話してみるという手は?≫

 ≫ミカエルの元に戻されたらどうすんの?≫


 コメントに答えたいけど、それどころじゃない。


「ボクと、同じ能力の、持ち主かも?」


 息を切らしながら疑問だけを口にする。


 ≫なんでそう思う?≫


「これだけ、複雑に曲がったりしてるのに、逃げる方向に、ぴったりついてきます。速い」


 ≫どうすんだ?≫

 ≫ラキピは能力で探すとき、何されたら困る?≫


 ボクがされて困ること?

 あ、逆の立場に立って考えてみるということか。


 ボクが空間把握で人を探すときにされて困ることを行えば、今の左手の男もボクを探しにくくなるはずだと。


「考えてみます」


 空間把握してるときにされたら困ること。

 一番は水の中、例えば川に飛び込まれることだ。

 ミカエルのとこの浴槽もそうだったけど、水の中の状況は把握できない。


 あとは、人型に見えない状態になること。

 表面しか分からないので人型でなければ見分けるのが難しくなると思う。


 木のような不定形な物体に身体をくっつけるのもいいかも。


 川は近くにないので、凸凹したところにぴったりくっつくのがいいかな?


 最適な方法もコメントで相談したいけど、今は情報共有の時間がなさそうだ。

 ボク自身が決めるしかない。


 人がいない路地に入る。

 下る階段もあり木がたくさんあるところだった。

 ボクはすぐにその木の陰に隠れ、背を預ける。

 木自体も建物の傍にありごちゃごちゃしている。


「ここに隠れることにします」


 完全な暗闇なので目視での発見は難しいだろう。

 灯りを持っていても、影になってて簡単には見つからないはずだ。


 しばらくじっとしていると、左手の男が近づいてくる。


 ボクは目を閉じ、呼吸の音すら小さくして木の根元と同化する。


 遠くで喧噪が聞こえる。

 コメントが流れていく。

 自分の心臓の音が大きくなっていく。


 「ザッ」と近くで止まる足音がした。


 左手の男だ。

 ボクが居る場所の少し先で止まっている。

 気配を探っているんだろうか?


 そう思っていると、左手の男は腰の剣を抜いた。


 何をするつもりなんだろう? と考えたその直後、バリバリという音と共に光が辺りを照らす。

 まるでカメラのフラッシュを連続で()いたようだった。


 驚いて動きそうになるが、なんとか耐える。

 なんだあれ?


 ≫何が起きてる?≫

 ≫光?≫


 左手がさっきまでより強力に存在を発している。


 その光と音に釣られてか、建物の二階以上の人がベランダに様子を見に出てきた。


 空間把握で確認してると、左手の男は顔だけ動かしているようだった。

 出てきた人たちの顔を確認しているのかも知れない。


「おい、そこで何をしている」


 急に左手の男とは別方向から声が聞こえてきたのでビクッとしてしまった。

 空間把握してる範囲を広げる。

 剣を持って整列した人たちが、広い道からボクたちのいる道を見ていた。


「お疲れさん。別に何もしちゃいない。大事なものを探していただけだ。そのランタンで照らしてもらえると助かるんだが」


 左手の男が答える。

 剣を抜いている男たちを前にして余裕があるなと思った。


「ふざけるな」


「別にふざけちゃいない」


「あの光はなんだ。放火しようとしていたんじゃないだろうな?」


「生憎ランタンがなくてな。自前で頑張ったって訳だ」


 そう言いながら左手の男は腰の剣を僅かに抜いた。

 一瞬だけ白く光りバチッという音がする。

 目を開けて見ていたので、光に曝されて眩しかった。


「そ、それは魔術か?」


「そんなとこだ。明かりはこれしか持ち合わせがなくてね」


「わかった」


 少し男たちの態度が変わった。

 それにしても魔術——?


 ≫魔法キター!≫

 ≫電気系魔術か?≫

 ≫ピッカー☆≫

 ≫ストリートファイターの野生児的な?≫

 ≫じゃあラキピの魔術はなによ?≫

 ≫気で探るとか?≫


 よく考えたらライブ配信を見てくれてるのはオカルト大好きの集まりだった。

 徹夜して朝のはずなのにテンションが高い。

 いや、徹夜明けだからこそのテンションかも知れないけど。


「他に聞きたいことはあるかい?」


「この辺でシナエ系の綺麗な女を見なかったか?」


「シナエ系の綺麗な女? そんなのが近くにいるなら是非お近づきになりたいが、残念ながら縁がない」


「そうか」


「他には?」


「他にはない」


「じゃ、引き続き巡回お願いしますってことで」


「ああ」


 駆け足気味で足音が去っていく。

 それにしても剣を持って複数人で巡回か。

 警察みたいなもんなんだろうか?


 ところでシナエ系の綺麗な女って何だろう?

 悪い予感しかしない。


 浮ついた気持ちを落ち着けて、再び木と同化するように気持ちを静める。

 あと、この左手の男が早く去ってくれればいいんだけど。


「あいつらもう行ったから出てきてもいいぞ」


 ——え?

 ここにいるのバレてる?


 ≫はったりかもしれんぞ≫

 ≫出ていくな≫


 そ、そうか。

 はったりの可能性もあるのか。

 あまりの突然の展開に心臓がドクバクしてる。


「羊飼いと狼の時間は終わりだ」


 ≫ダメだ≫

 ≫逃げてー≫

 ≫隠れ場所って木の根元であってるの?≫

 ≫羊飼いと狼ってなんだ?≫


 『羊飼いと狼』の意味は分からないけど、なんとなく何を言いたいかは分かる。

 追いかけっこは終わりとかそういう感じだろう。


 ともあれ、完全にバレてるな。

 逃げてもすぐに追いつかれるだろうし、最悪、殺されるかも知れない。


 ボクは覚悟を決めて出て行くことにした。

 身体を起こし、左手の男の前に出る。

 真っ暗闇で目視ではシルエットすら確認できなかった。


「助かる」


 ボクが前に立つと、左手の男は短くそう言う。


「な、何度も助けてもらったのはボクの方ですので」


「なるほど。そういうことか。質問いいか?」


「——なんでしょう?」


「なぜ何度か俺に助けてもらったと知ってるんだ?」


「それは——」


 左手の力を強く感じて同一人物だと知ってるからだけど、それは言っていいことなんだろうか?

 判断がつかない。


「言いたくなければいい」


「言いたくない訳じゃありません。言いにくいだけです。貴方がミカエル——様側の人だと思っているので」


「ほー。よく分かったな。しかし、嫌われてるな、あいつも」


 あいつ?

 皇位の第二継承者に対してその呼び方?


 一瞬、兄弟かなと思うが、それだとこの人も皇族となる。

 皇族がこんな夜に1人でボクを探すはずがない。

 となると。


「雇われてるんですか?」


 単にこの人の言葉遣いの問題だと考えた。


「いいや。友人だ」


「友人? ボクを捕まえろとでも頼まれたんですか?」


「たぶんな」


「たぶん?」


「ああ。俺の探してる女の子はえらく綺麗らしいが、闇夜じゃどの女の子も綺麗に見えるから誰だか分からない」


 あー。

 あーあー。

 会話が面倒くさい人だこの人。


「それならボクは関係ないということでお願いします」


「どうしたものかな。あと皇妃にも追われてるんだろ?」


「皇妃?」


「さっきのウィギレスの奴らが言ってたシナエ系の綺麗な女って、探させてるのは皇妃だと思うぞ」


 ≫調べたらシナエって中国ってことらしいな≫

 ≫チャイナの語原か?≫


 コメントが目に入る。


「シナエ系って珍しいんですか?」


「珍しいな」


 自動車もないような文明レベルなら、ローマに中国人がたくさんいる訳がないか。


 でも、そうなるとボクの容姿は目立つということになる。

 日が昇るまでに逃げないと本気でまずいな。


「あれ?」


「まずったな」


 左手の男と声が重なった。

 いつの間にか、さっきの剣を持った男たちに挟みこまれている。


「囲まれてるの気づいたか?」


「いつの間に。それにどうしてこんな」


 空間把握してみるが数え切れない。

 路地の両端にそれぞれ10人程度いる。


「狙いは俺だろうな。さっきの奴らが援軍を引き連れてきたんだろう」


「なんで貴方が狙われてるんですか?」


「ほら、娼館で暴れただろ」


「あー。でもどうやって貴方だと分かったんですかね?」


「お前みたいに魔術感知使えるやつがいるんだろ。この左手を感知できるやつがな。ユミルと鉢合わせしちまったからなあ」


 魔術感知?

 それにユミルさんとも知り合いか。

 あ、でもミカエルの友達というなら不思議じゃないな。


 ≫何が起きてる?≫

 ≫説明くれ≫


「両端それぞれどのくらいの数いるか分かるか?」


 再度、空間把握で確認する。


「だいたい10人ずつですね」


「そうか。なら、近い方から出ていくか」


「え? 出ていくって」


「夜も遅いから、家に帰ろうと思ってな」


「——なるほど。じゃあボクも途中までご一緒させてもらいましょうかね」


「それがいい。夜道は危険だからな。軽く道は(なら)しておくさ。義理はなくともその程度は手間じゃない」


 ボクを見逃してくれた上に逃げ道すら用意してくれようというのだ。

 十分だと思った。


「ありがとうございます」


「話せてよかったよ。気をつけてな」


 彼が一瞬こっちを向いて笑ったように思えた。

 不思議とお互いに緊張感がまるでない。


 ボクたちは知人同士の会話が終わったかのように離れて、そして次の瞬間には駆けていた。

次話は、明日の午後8時くらいに投稿する予定です。

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