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番外編66話 過去

 

 差し込んだ光に照らされ、現れた扉。

 ようやく出口が見えたのだと、胸の奥で希望が弾ける。


「やっと……! サディル、これで帰れるよ!」


「うん……うん、お姉ちゃん」


 抱きしめていた小さな体を少し離し、笑顔を見せる。サディルも涙に濡れた頬を赤くして、かすかに笑った。

 もう大丈夫。やっと家に帰れる。


 その瞬間だった――


「う、うわああああああっ!」


「なっ!? サディル!?」


 まばゆく光る扉の間から黒い影が飛び出す。

 黒い影はまるで腕のように細長くうねり、触手のようにサディルの体をからめとったのだ。


「な、なにこれ……! サディルを放しなさい!」


 急いで魔法を使おうとしたが、もう遅い。


「や、やだっ! 放して! 助けてお姉ちゃん!」


「サディル!」


 伸ばした私の手は空を切り、胸の奥が凍りつく。

 闇はずるずると、サディルを闇の中へとさらっていく。

 

「お姉ちゃん……たすけ……」


 掠れる声。小さな手は私に届くことなく、そのまま闇の中へ呑み込まれた。


「何なの……これ。どうして……!?」


 届かなかった手を見つめ、拳を握りしめる。

 これはサディルの願いのはずなのに。

 なのに、どうして得体の知れない闇が現れて――サディルを奪っていくの!?


「……終わったはずなのに!」


 私の呟きを断ち切るように、周りの空気を察したアレン殿下の低い声が、張り詰めた空気を震わせる。


「これは……おそらく別の異能でしょう」


 彼の言葉に、一気に背筋がぞくりと冷たくなった。


「別の異能って……!?」


「異能は人の強い願いから生まれると言われています。ですが――人の想いが、必ずしも清らかなものばかりとは限りません」


 足元から、ドス黒い魔力がじわりじわりと這い上ってくる。

 気付けば先程とは比べものにならないほど濃く、息苦しいドス黒い魔力が辺りを満たしていた。


「……サディルの『帰りたい』という願いが異能になったのなら……この闇は何なんですか!?」


「おそらく同じ結晶に宿った、もう一つの側面です。この砂漠で帰れずに果てた無数の人々の絶望が、サディルの願いと絡み合ってしまったのでしょう」


「そんな……」


「子供の純粋な願い」と「絶望に歪んだ人々の願い」。

 二つが同じ場所に積み重なり、光と闇の二面性を持つ異能として結晶化してしまった――そういうことなの?

 私の顔色が蒼白になる中、アレン殿下は冷静に言葉を継いだ。


「サディルを探します。そこに、グラウス子爵令嬢もいるはずですから」


「セレアさんも?」


 脳裏に、あの時一瞬だけ見えた黒い手が蘇る。

 まさか彼女も、この異能に囚われてしまったの?


「急がなければ全てが手遅れになってしまいますよ」


 アレン殿下の声は冷静だった。

 けれど、その瞳にはさっきまでとは違う不安と緊張が滲んでいた。

 視線を追うと、床の裂け目からどす黒い闇が渦を巻き、奥へ奥へと道を作り出している。まるで「こちらへ来い」と誘っているかのように。


「それとも、足手まといはここで待っていますか?」


「わ、私も行きます!」


 恐怖で震える手を握りしめ、私はアレン殿に告げた。

 このまま放っておくことは出来ない。サディルを、セレアさんを助けるために。


「では行きましょう」


 闇の中を進むと、家が崩壊するように壁はひび割れ、瓦礫が絶え間なく降り落ちる。

 サディルの大切な思い出の家が崩れてしまっていることに、心が痛んだ。


「二人は無事でしょうか……?」


「今まで攻撃してこなかったわけですし、抵抗さえしていなければ、無事だと思いますよ」


 ――決して、ここから出ることを許さないだけ。


 一歩、また一歩。息を殺して進む。

 そうして辿り着いた先は、光ひとつない広大な闇の空間だった。

 足元には硬い床があったはずなのに、踏みしめるたびに、黒い液体のようなものが波紋を広げ、そこから囁きのような音が立ち上る。「一人にしないで」「皆、道ずれだ」「一緒にいよう」――誰かの記憶、誰かの苦しみが、闇に溶けて漂っているような……。


「! サディル! セレアさん!」


 視線の先には、闇に囚われている二人の姿があった。

 まるで二人を見張っているように浮かんでいるのは――「銅」に輝く、異能の結晶だった。


「『銅』!?」


 思わず、目を見張る。

 異能の危険性を語る上で、色の識別は欠かせない。

「金・銀・銅」の異能は、特別で強力な反面、危険性も段違いに高い。アイノウ様も、絶対に手を出すなと忠告していたのに……!


「……さて、ここからが試練の本番ですね」


 アレン殿下はそう言うと、魔力を体中に集めた。

 アレン殿下の周りに、濃い魔力の渦が集まっていく。空気が震え、肌を刺すような静電気がぱちぱちと弾けた。


 まさに空気が震えた直後――闇の触手のようなものが、一気に私達目掛けて襲う。

 それはまるで意思を持っているかのように、生きている私達を取り込もうとしていた。


「《鳴空【めいくう】の裂光【れっこう】》」


 アレン殿下から雷の上級攻撃魔法が炸裂する。

 雷鳴が轟き、眩しさの中で闇が悲鳴を上げたかのように大きく揺らぎ、触手が焼き切れる。

 しかし焼き切れた隙間から次々と新たな黒い闇がうねり出て、攻撃の手は止まらない。


「そんな……どれだけ闇があるの!」


 私の声は震えていた。


「……メルランディア子爵令嬢。俺が引き受けるので、貴女は二人を……いえ、サディルを連れてここから脱出して下さい」


「な、何言ってるんですか?」


 アレン殿下の声には、いつもの冷静さの裏に隠れた緊迫が滲んでいた。


「サディルを連れて行ったのは、彼がこの家の扉の鍵だからでしょう。サディルさえいれば、外に出られるはずです」


「い、嫌です!」


 即座に首を振り、声を張り上げる。

 それでは彼とセレアさんを見捨てて、ここから出ていくことになる。


「貴女も理解がない人ですね。貴女がここにいたところで、何の役に立つんですか?」


「セレアさんを見捨ててなんていけません! それに脱出するなら、私より皇子である貴方でしょう!?」


「俺が残る方が合理的です。貴女には敵を足止めする力も、ここを突破する魔法もない。むしろ足手まといです」


「実力が足りないことは、痛いほど分かっています! でも……だからって見捨てることはできません!」


「貴女のそのくだらない気持ちだけで、何が出来るというんですか。実力がない者が前に出るのは、ただの害です。実力が伴わない者に、意思を示す権利はありません」


 言葉がぶつかるたび、空間が震える。

 闇の触手は容赦なく襲いかかり、アレン殿下は魔法を展開しながらも、隙を見せずに言葉を返した。


「これ以上、足を引っ張らないで下さい。邪魔です」


 冷たい言葉に、胸の奥が締め付けられる。

 私はこのまま何も出来ずに二人を見捨てて、一人だけ助かるの……?


「……そんなこと……私には出来ない!」


 深く息を吐き、呼吸を整える。

 胸の奥で残り少ない魔力を掻き集めると、手を前に突き出した。


「……何をするつもりですか?」


「――《軍蜂【ぐんぽう】の陣幕【じんまく】》」


 アレン殿下の問いには答えず、私は魔法を放った。

 防御魔法の中級。

 掌から淡い光が放たれ、闇の触手を弾く六角形の透明な壁が生まれる。触手は壁にぶつかるたびに黒い霧を巻き上げ動きを止めるが、完全には防ぎきれなかった。

 壊れた壁から、黒い影が手を伸ばす。


 やっぱり私の魔法では、完璧には防げないか……。


 私は魔力をさらに絞り出すと、すり抜けてきた闇の触手に向けて放った。


「《焔玉【ほむらだま】》――!」


 《焔火【えんび】》より上位の炎の中級魔法。

 掌から放たれた小さな火球がすり抜けてきた闇にぶつかると、瞬間的に弾け、黒い霧を巻き上げた。消えそうになりながらも、動きをかろうじて押し返しているのを見て、胸の奥でかすかな安堵が広がる。

 私でも、押し退けることは出来る!


「サディル! セレアさん!」


 黒い霧に視界を遮られながらも、必死に防御魔法を維持しながら、一歩ずつ先へ進む。

 やがてその奥に、黒い闇に囚われた二人の姿が見えた。


「絶対に、助ける……!」


 闇の中に手を伸ばし、必死に引き離そうとする。しかし二人は黒い触手に絡め取られて、びくともしない。

 それでも必死に、力を込め続けた。


「……理解出来ませんね。何故、そこまでするんですか?」


 アレン殿下の声が、驚きと困惑を帯びて微かに耳に届いた。

 彼の言う通り、私の体はもう限界だった。

 触手が当たり黒い霧が舞い上がるたび、目眩がする。汗と血で全身が重く、立っているだけでも精一杯。だけど――


「……ここで逃げたら、きっと一生後悔します。だから……私は助けたいんです」


 絶対に、諦めたくない。


「どいて下さい――《鳴空【めいくう】の裂光【れっこう】》」


 アレン殿下が魔法を放つと、闇はうねるように揺れながら、二人の体から消え去った。


「ああ、無事で良かった……!」


 サディルもセレアさんも、意識は戻っていない。

 けれど確かに呼吸があり、体の温もりも感じられる。その瞬間、胸の奥で張り詰めていた力が抜け、思わずホッと息を吐いた。


 これで後は脱出するだけ――


「っ」


 ――それなのに視線がふらつき、私は膝から崩れ落ちた。

 魔力切れ、だ。


 その瞬間、闇の触手が背後から迫り、私は抗う暇もなく絡め取られた。


「……っ、アレン殿下。このまま私を置いて、行って下さい」


 振り絞った声は掠れていた。

 盾も維持できない。小さな魔法一つももう使えない。魔力も体力も底を突きた私は、本物の足手まといだ。


「何を――」

 

「私一人の犠牲で三人が助かるなら……貴方のいう合理的でしょう?」


「…………っ」


 珍しい。アレン殿下の瞳には、これまで見たことのないほどの戸惑いと動揺が浮かんでみえた。


「行って下さい。サディルとセレアさんを……よろしくお願いします」


 静かに、しかし決意を込めて言い切る。


 アレン殿下はしばらく黙って私を見つめていたが、やがて重く息をつき、振り返らずに二人を魔法で浮かばせると、出口に向かい走り出した。


「後はアレン殿下に任せれば……安心よね」


 去り行く彼の背中を見送る私を、闇の触手はまるで繭のように絡みついた。

 不思議と痛みはない。

 私、このまま闇に囚われて死んでしまうの? ああ……結局、夢を叶えることは出来なかったな。でも最後に三人を助けられたから……それでいいや。


 闇に包まれ、意識がゆるやかに途切れていく――その瞬間、何かに強く引き戻される感覚が走った。


 ぼんやりと視界が晴れると、闇の中でも鮮やかに輝く金の髪が目に入り、心臓が強く打った。


「ア、アレン殿下⁉」


 闇に囚われていたはずなのに、気がつけば、しっかりと彼の腕の中に抱かれている。


「まさか……戻ってきたんですか? どうして……?」


「……自分でも分かりません」


 低く響くアレン殿下の声には、普段の冷静さの影もなく、自分でも気持ちの整理がついていないような感じだった。

 だが、それでも彼は私を離そうとしなかった。


「っ、大丈夫ですか!?」


 まるで私を取り戻そうとするかのように、闇が私達を取り囲む。

 気を失っている間も、彼は戦い続けていたのだろう。

 広大な魔力の持ち主であるはずのアレン殿下も、疲弊の色が濃く、残りの魔力が僅かになっていることが分かった。


「今からでも私を置いて逃げて下さい!」


「……しません」


 彼の言葉に熱いものがこみ上げ、心が震える。

 何も執着しない、無関心だと思っていた彼が、今、自分を犠牲にしてまで守ろうとしてくれている。


「悠長に会話している暇はありません。来ますよ」


 私とアレン殿下は、二人で迫りくる闇を睨み付けた。


 ――その時だった。

 空気が震え、闇がざわめくように揺れる。


「な、何……!?」


 戸惑っていると、次の瞬間、空間の一角が裂けるように紫の光を放った。


「お姉ちゃん! お兄ちゃん!」


 光の先から響いた声に、私は目を見開いた。


「サディル……!?」


「やだよ! お姉ちゃん、お兄ちゃん、戻ってきて! 死なないで! 僕との約束を……果たしてよ!」


 紫の光がますます強く輝く。

 闇は一瞬怯み、その隙を見逃さないように、私たちの足元に魔法陣が現れ、私達の体を包み込んだ。


「これって……!?」


 見たこともない新しい魔法式。

 優しく私達を包むそれは発光し、空間が軋むような音を立てた。

 次の瞬間、足元がふわりと浮き、重力が消えたような感覚に襲われる。


 そのまま私達は、闇に包まれた異能【虚【うつ】ろなる空【そら】】から、光の指す方へ脱出した。




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