番外編64話 過去
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普通、試練といえば、終わりの見えない迷宮や強大な魔物との死闘みたいなものを想像していた。目を覚ましたら、それこそ、命の危険があるような壮絶な試練が始まるんだろうなって……。
ところが私が目を覚ましたのは――どこにでもありそうな小さな家。
まるで小さな村の片隅で暮らす普通の家庭に、ふらりと迷い込んだようだった。
「ここは……どこ?」
横たわったまま、まぶたを開ける。
視界に広がる光景が、どうしても理解出来ない。確かに砂の底に引きずりこまれたはずなのに……。
「! アレン殿下、セレアさん! 大丈夫ですか!?」
がばっと体を起こし、周囲を見渡す。
一緒に試練に巻き込まれた二人の姿を探した。
「耳障りですわね……! ギャンギャン騒がないで下さる!?」
……うん、無事みたいね……うるさいくらいに。
「……俺は大丈夫ですよ。貴女は?」
「私は平気です」
幸いにも三人とも怪我はなく、ホッと胸を撫で下ろす。
ただし今の状況はまるで掴めない。ここはどこ? 何でこんな場所にいるの……?
質素な木の机に椅子。キッチンには、微かに湯気を立てるスープの匂い。食器棚には大きなお皿とコップが二つずつに、小さなお皿とコップが一つ。
そこには確かに生活が息づいていて、誰かがここで暮らしているとしか思えない痕跡があった。
「どこかの誰かさんの所為で、俺達まで異能の試練に巻き込まれたようですね」
「やっぱり……そうですよね」
ハッキリと言葉にされると、現実味が増す。私は胸の奥でざわりとした不安を覚えた。
「な、何ですの? 私の所為だとでも仰りたいの!?」
……いや、どう見てもセレアさんの責任でしょ。
思わずアレン殿下と顔を見合わせ、そのまま二人で彼女を見る。
冷たい視線に耐え切れなかったのか、セレアさんは小さく目を逸らした。
「どういった試練かは分かりませんが、早く解決して外に出ないと、移動のオアシスに置いていかれることになりかねません」
「置いていかれたら……やばいですよね?」
「ええ、命の保証はないでしょうね」
こんな広大なリスリアラナ砂漠のど真ん中で遭難……! 想像しただけで背筋が凍る。
「や、やだ! さっさと試練を解決しなさいよ、リネットさん!」
私達の会話を聞き、ようやく状況の深刻さを理解したセレアさんは、血の気が引いたように青ざめた。
「それを言うなら、セレアさんが何とかして下さい! 勝手に異能の結晶に触ったのはセレアさんなんですから」
「わ、私は悪くありませんわ! 異能を手に入れるチャンスだったんですもの! 誰だって触るでしょう? それを止められなかったリネットさんの責任ですわ!」
「何で私の責任になるのよ……!」
言い争ってる余裕なんてないのに……!
セレアさんの身勝手な言葉に、頭がカッと熱くなる。
その時――不意に、背筋をなぞるような、ひやりとした声が背後から落ちてきた。
「……お姉ちゃん達、いらっしゃい」
私達以外の聞き慣れない声。
突然の一言に空気が凍りつき、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「だ、誰!?」
思わず叫び、声のした方へと振り返る。
そこにいたのは、砂よけのフードを深く被り、スカーフで口元を覆った、まだあどけなさの残る小さな少年だった。
「あ、驚かせてごめんね。ここに迷い込んできたの、お姉ちゃん達が久しぶりで……嬉しくて、つい声をかけちゃった」
申し訳なさそうに俯く少年は、どう見ても危険な存在には見えない。寧ろその仕草が可愛くて、こんな状況だというのに、胸の奥がふっと緩んだ。
「こ、こっちこそ急に大きな声を出してごめんね。えっと……君は?」
「僕はサディル。リスリアラナ砂漠の近くにある小さな町に住んでるんだ」
そう名乗った少年は、人懐っこく、暖かい笑みを浮かべた。
――やっぱり可愛い! ……けど、こんな危険な場所にどうして子供が?
「サディルは、どうしてここにいるの?」
「分からないんだ。気が付いたらここにいて……」
嘘をついているようには見えなかった。
砂漠を歩いているうちに、気づかぬ間に異能の試練へと巻き込まれてしまったのかもしれない。
サディルは、ぽつりと呟いた。
「……ママとパパに会いたいよ……」
その声は寂しさに震えていて、まるで泣くのを必死で堪えているようだった。
悲しみに沈んだサディルの声に、ぎゅっと、胸が締め付けられるような痛みを感じる。
「一緒に帰りましょう! 私が家まで送ってあげる!」
「……本当?」
「うん、約束する」
私が小指を差し出すと、サディルはおそるおそる指を絡めて「約束だよ」と、小さな声で笑った。
一説によると異能とは、人の願いが具現化したものだと、アイノウ様が言っていた。
だとしたら、今の試練も誰かの願いに由来しているのかもしれない。
それが何かはまだ分からないけど…………でも、方法はきっとある。この家に囚われた願いを解き明かせば、試練から解放される道は見つかるはず。
そう信じたい。サディルと約束したんだから、必ず見つけなきゃ。
「そんな子供なんか放っておきなさいよ! それよりも異能を手に入れた方が、よっぽど価値がありますわ!」
「セレアさん……少し黙っててくれませんか?」
本当に自分のことしか考えられないのね。
サディルはセレアさんの声にびくりと肩を震わせると、そっと私の背中に身を寄せるように隠れた。
「あ、あのお姉ちゃん怖いよ……!」
「怖がらせてごめんね。でも大丈夫だよ。私がいるし、このお兄ちゃんは私よりもずっと強い魔法使いなんだから。将来は帝国騎士団に入るんだよ」
隣にいるアレンを手の平で指すと、彼は怪訝そうに眉をひそめた。
「……何を言っているんですか」
「本当? 帝国騎士団に入れるなんて凄いね、お兄ちゃん!」
パァッと目を輝かせるサディル。
「アレンは将来、凄い魔法使いになるって決まってるんだよ」
ラングシャル帝国において、帝国騎士団の名は最も栄誉あるものとして知られている。アレン殿下がその一員となるなら、サディルもきっと安心するだろうと思って口にしたけど、大成功だった。
「余計なこと言わないでくれますか」
一応、配慮してくれてか、私にだけ聞こえるように小声で話すアレン殿下。
「だって、サディルを安心させるためですよ?」
「安心させるのはいいですが、俺を巻き込まないでください。将来の話まで背負わされるのは困ります」
「……そうですよね。ごめんなさい」
胸がズキンと痛む。
本当は、私がそうなると言えたら良かったのに。勝手に夢を諦め、勝手にアレン殿下に背負わせてしまったことを反省する。
「……もう結構です。それよりも、早く試練から解放される方法を探しますよ」
「は、はい」
気持ちを落ち着けて、この家について調べることにした。
一見すると、どこにでもあるような、ありふれた家。
ただ普通の家と明らかに違うのは、出口がないこと。
窓はあって光も差し込むのに、開けようとしても、まるで壁の一部のように、びくともしない。
「ここも駄目か……」
「大丈夫? お姉ちゃん」
「あ、う、うん。大丈夫だよ!」
不安を悟らせまいと、無理に笑顔を作り、サディルの手をぎゅっと握りしめる。
小さな手……まだ六歳くらいかな? こんな所に両親もいないまま一人なんて、怖くて当然だよね……。
「サディルのお母様とお父様は、家にいるの?」
「……そのはずなんだけど…… 。僕……ママと喧嘩して家を飛び出してきちゃったんだ。ずっと……おうちに帰りたいって、ママに謝りたいって、神様にお祈りしたんだ」
「……そうなのね」
胸が締めつけられるみたいに、悲しい。
帰らせてあげたい。そして、帰ってちゃんと仲直りして欲しいな。
「何なんですの、この家……! こうなったら、全部壊してやりますわ!」
出口のない家に焦りが滲み出したセレアさんは、剣を抜き、壁や窓に斬りつける。しかし刃が触れた瞬間、まるで無効化されるかのように、傷はみるみる元通りになった。
「――《鳴雷【めいらい】》」
雷光が鋭く閃き、空気を裂く音とともに小さな稲妻が壁に打ち付けられる。だが、家は微動だにせず、傷は瞬く間に修復される。
アレン殿下も同じように魔法を試みたが、結果は同じ。
魔力も剣も、何も通用しない。
――完全に、閉じ込められた。
アレン殿下は冷静に観察して、静かに言った。
「どうやらこの家から脱出することが、異能の試練のようですね」
「脱出……」
「どこかに出口があるはずなので、探し出すしかありません。ただし、あまり時間の猶予はありませんが」
言うのは簡単だけど、どうやって?
平和そうに見える空間ほど怖い。もし本当に出口がなかったら――そう考えるだけで、背筋が凍った。
「出口なんて、どこにもないよ」
「……え?」
屈託のない笑みを浮かべ、そう言い切るサディル。
けれど、その笑顔には妙な不気味さがあって――私はどうしても、素直に受け止められなかった。
「な、何でそんなことが分かるの?」
「だって僕、ずっと、ここにいるんだもん。ねえ……出口なんて、一度も見たことないよ」
「ずっと……? それって、いつから――?」
サディルの声は無邪気なのに、その言葉の意味が重すぎて、心がざわついた。
「ちょっと! 子供と遊んでる暇があるなら、さっさと出口でも探しなさいよ」
セレアさんの怒声が鋭く響き、私とサディルの間を断ち切る。
きっと彼女には、私がサディルと会話しているのが、ただの怠慢にしか見えなかったのだろう。
「や、やっぱり騎士のお姉ちゃん怖いよ! 怒ってる顔が、さっきよりずっと怖い……!」
「お黙りなさい! あなたみたいな子供がいるから、余計に厄介になるんですわ!」
「セレアさん、止めて下さい!」
思わず声を張り上げる。
苛立っているからって、子供に当たるのは違う。私はサディルを庇うように前へ出た。
――だけどその瞬間、空気が淀んだ。背後から異様な魔力がにじみ出す。
「……酷いね、騎士のお姉ちゃん……。僕の『願い』を……奪うの?」
耳に届いた声は、さっきまでの幼い響きではなかった。低く重く、頭に直接響いてくるような――
「サディル……!」
振り返った先にいたのは、さっきまでのサディルじゃない。
その瞳は宝石のように紫に煌めき、妖艶な光を放っていた。




