番外編58話 過去
◇
意識を失ってから目が覚めるまで、丸一日もかかった。
どうやって倒れたかは覚えてないけど、幸いにも軽い打撲程度で頭も打っておらず、保健室の先生からはただの疲労と診断を受けた。スミンには「だから言ったじゃない!」とギャンギャン泣かれ、フクロリー先生からは「無茶をして体を壊したら元も子もないぞ!」と、こんこんと説教された。
だけど私は、懲りずに勉強に精を出す変わらない日常を送っていた。
「リネット、選択授業決めたか? 提出していないのはリネットだけだぞ」
「フクロリー先生」
授業終わりの廊下。
フクロリー先生に呼び止められた私は、選択授業である魔法の系統について話された。
「確かリネットには婚約者がいて、結婚後は家に入ることが決まっているんだったな? それなら回復魔法や補助魔法はどうだ? 旦那様を支えることが出来るぞ」
「……そう、ですね」
フクロリー先生の言う通り、家に入ることが決まっている令嬢は回復魔法や補助魔法を選ぶのが定番になっていて、正直、その選択も悩んだことはある。
だけど――――
「すみませんフクロリー先生。もう少しだけ考える時間を下さい」
勉強すれば使えると思うけど、私自身あまり回復魔法が得意じゃないと、三年間の学校生活で学んだ。きっと回復魔法を選んだところで、 帝国騎士団第0部隊には入れない。
……馬鹿な私。
どうせ入れないのに、未だに夢を諦め切れずにもがき続けて悩んで、往生際が悪い自分が心底嫌になる。
「別にいいが、考え過ぎて前みたいに倒れるなよ」
「はい、気を付けます」
「悩んでいるなら、他の生徒から話を聞いてみたらどうだ?」
「分かりました。そうしてみます」
心優しいフクロリー先生。生徒思いで的確なアドバイスもくれるから、生徒達から人気があるんだよね。
兎に角、幾ら私が悩んでいたって、いつまでも保留出来る問題じゃない。ちゃんと答えを出さなくちゃ。
「――と言うわけで、スミンはどの魔法の系統を選んだの?」
「唐突だなぁ。まぁいいけど」
お昼休み。
Bクラスのスミンを呼び出し、中庭で一緒にお弁当を食べる。
在学中、学生は食堂のご飯無料だけど、貧乏な家の出身だったり将来的に遠征などがある騎士団を目指す生徒は、自炊することも 珍しくない。
「私は回復魔法一択だよ! リネットと同じで、私も将来結婚して相手の家に入ることが決まってるからね。疲れて帰ってくる旦那様を癒してあげるの!」
そう言うスミンの表情には裏表が一切なくて、純粋な気持ちが伝わる。
確かスミンの婚約者は幼馴染の子爵令息だっけ。貴族にしては珍しい恋愛結婚で羨ましい。
「やっぱり回復魔法だよね……」
「何をそんなに悩んでるの? 確かに魔法が使えるに越したことはないけど、結婚したら私達は家門の運営がメインだし、言ったらなんだけど何でも良くない? それともリネットは結婚後、外で働く予定があるの?」
「……ないよ。クリフ様――私の婚約者は、結婚後は家にいることを望んでるから」
「……リネット、何か隠し事してる?」
私の夢は、誰にも話したことがない。
話して「無理」「駄目」「諦めろ」と否定されても、「頑張って」「諦めなければ叶うよ」と応援されても、どちらでも傷付く気がしたし、口にするのも怖かった。
「……してないよ」
「ほんとにほんと? 大丈夫? 無理してない? また倒れちゃったりしないよね?」
「大丈夫だよ。心配性だなぁ」
「何かあったらすぐに言ってね! 力になるから!」
私が倒れて、傍で一番心配してくれたスミンには感謝しかない。スミンがいなかったら、私は一人でもっと苦しんでいたと思う。
「私、スミンと友達になれて良かった」
「えー何いきなり! でも嬉しい! 私もリネットと友達になれて幸せだよ!」
私の初めての友達。
愛情表現豊かで、すぐに人懐っこく抱き着いてくるスミンが大好き。ずっと、友達でいたいな。
そこから当たり障りのない会話を続け、食事が終わると、スミンとお別れしてAクラスに向かった。
昼休みも勉強して過ごすことが多いから、こんなに楽しい昼休みは久しぶり。
「あ」
「おや、勉強に夢中過ぎて倒れたガリ勉令嬢さんじゃないですか」
折角いい気分だったのに!
嫌な人影を見付け、見付からないように慌てて立ち止まったけど少し遅かった。
「……アレン殿下、何かご用ですか?」
もうその名前で呼ぶな論争も疲れました。
「用がなければ話しかけてはいけませんか?」
「はい」
「相変わらず貴女はつれないですね 」
冷たくしてるのよ! 関わって欲しくないから!
他にチヤホヤしてくれる人は山ほどいるんだから、冷たいって分かってるなら話しかけてこなきゃいいのに。
自然と並んで歩くアレン殿下の思考回路が全く分からない。
「今日は図書室に閉じこもって勉強しなかったんですね」
「友人と食事をしていました」
「友達いたんですね」
いますけど? 勉強ばっかりしてるけど、ちゃんとクラスメイトともコミュニケーションは取っていますから!
「まぁ、倒れる前に息抜きをするのは大切なことだと思いますよ」
「……アレン殿下は、選択授業でどの魔法を選んだんですか?」
アレン殿下にまでこんなこと聞くとか、相当参っていたんだと思う。
ただ口にしてから気付いたけど、アレン殿下って自分のこと聞かれるの嫌なんだっけ。
教室で冷たく女子生徒をあしらっていたアレン殿下の姿が、頭を過ぎった。
「攻撃魔法を選択しました」
「え? 答えるんですか?」
「聞いたのはそちらでしょう」
「そうですけど、教室では聞かれても答えていなかった気がしたので」
どうせ私にも、「ガリ勉令嬢さんには関係ないでしょう?」とか冷たく返して終わりだと思ったのに、どんな心境の変化?
「ああ。彼女達には教えたくなかったので」
「私にはいいんですか?」
「いいですよ」
それはそれで何で? って感じだけど……私に答えるなら他の女子生徒に答えても同じでしょ。
「メルランディア子爵令嬢は何を選択したんですか?」
「攻撃魔法を選択するつもりでしたけど、まだ迷っていて……アレン殿下は、どうして攻撃魔法を選択したんですか?」
「父の意向です。俺は陛下に、帝国騎士団に入れと命じられていますから」
「帝国、騎士団に?」
まさかその名前が出てくるとは思っていなくて、動揺する。
「ええ。父は魔力を強く持って生まれた俺に、国の要である帝国騎士団を任せたいと考えているんでしょう」
「……そうなんですね。きっとアレン殿下なら、簡単に帝国騎士団に入隊出来ますよ」
アレン殿下の実力は先生達も認める折り紙付きだ。アレン殿下ほどの天才なら……騎士団の中でも特別な力を持っていたり、実力者ぞろいの帝国騎士団第0部隊 に入るのも夢じゃないんだろうな。
羨ましい。生まれつき魔力が強くて天才で、大した努力もせずに夢を掴めるアレン殿下が。
私はどれだけ努力しても、夢を諦めるしかないのに……。
「勘違いされているようですが、俺は一言も、帝国騎士団に入りたいと言ったことはありません」
「え……」
「言ったでしょう、父の意向だと。そこに俺の意思はありません」
「帝国騎士団に入りたくないんですか?」
「貴女と違い、そもそも魔法に興味がないので、入りたいと思ったことはありません。トルターン学校に入ったのも父の意向です」
「魔法に興味がないって……」
皇族として魔法を強要されて生きているの? 卒業してからもずっと? そんなの……酷い。
「天才なので、周りが納得出来るほどの魔法は少し勉強すれば使えるようになりましたし、それ以外は真面目に勉強したこともありませんでした。メルランディア子爵令嬢に負けるまではね」
「私?」
「ずっと退屈していたので、退屈な学校生活の丁度いい暇つぶしが出来て良かったです」
「暇つぶしって……」
人のこと暇つぶしとか失礼じゃない!?
「いつか後悔させますからね」
「楽しみにしていますよ」
結局、最後はいつもの言い争いになって終わってしまったけど、アレン殿下の踏み込んだ話を聞いたのは初めて。
全てが順調で悩みが無いと思っていたのに、どうやら違うみたい。
「いいですね、貴女は。夢中になれる何かがあって」
最後に私に向けて吐いたアレン殿下の言葉は、どこか皮肉めいて聞こえた。




