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番外編57話 過去

 

 ◇


 ――――時の流れは、残酷なほど早い。


 トルターン学校に入学して三度目の春が訪れ、無事に三年生に進級した私は、十三歳になった。


「リーーネット! 勉強の調子はどう?」


「わぁ! ビックリした。驚かさないでよ、スミン」


 在学中、寮で集団生活をしている私達は基本二人部屋。

 部屋で勉強していた私の首に人懐っこく抱き着いてきたのは、相部屋の相手でカリツファ男爵令嬢のスミン。ツインテールとつぶらな赤い瞳が、まるで兎みたいに可愛い。


「ごめんごめん。あのね、リネットも自分の勉強で忙しいと思うんだけど、少し教えて欲しいところがあって……」


「何だ、そんなこと。全然いいよ」


「ほんと? ありがとうリネット!」


 人に教えるのも勉強になるし、一生懸命努力している人の力にはなってあげたいよね。


「リネットの教え方すっごく分かりやすい! いつもありがとね! 私が退学にならなかったのはリネットのおかげだよぉ」


「どういたしまして。でも頑張ったのはスミン自身だよ」


 今はBクラスに所属しているスミンだけど、一年生の時はCクラス……それも退学寸前だった。

 『このままじゃ退学になっちゃうよ! お願い助けて!』と、泣きついてきたスミンに勉強を教え始めたのは一年の後期。そのまま勉強を教え続け、見事、二年の終わりにBクラスに昇格することが出来たのだ。


「リネットは順調?」


「ぼちぼちかな。今最後の追い込みしてる」


「授業が終わったら図書室で閉館するまで勉強して、寮に戻ったら寝る時間を削ってまで勉強して、ほんとに凄いね! 流石、万年二位!」


「それ褒め言葉じゃないから! 一度は一位になってるから!」


「いいじゃない。二位でも十分凄いんだから!」


 私達がこうして夜遅くまで勉強しているのは、もうすぐ始まるクラス分けの試験のため。

 スミンの言う通り、難関校のトルターン学校で二位の好成績なら充分良い! って思うかもしれないけど、私は一切納得していない。


「私は一位になりたいの」


「頑張り屋さんだねぇリネットは。はい、じゃあこれでも舐めて頑張って! でも無理しすぎは禁物だよ!」


 机の上にいっぱいのカラフルな飴が入った籠を置くスミン。

 二年間相部屋だから分かるけど、スミンは勉強を教わったお礼として、いつも甘い物を渡してくれる。勉強のお供に糖分補給はありがたいよね。


「ありがとう、スミン」


 包みから飴を取り出し口に放り込む。


「私なら天才に勝つとか無謀なこと考えもしないのに、リネットはどうしてそんなにアレン殿下に勝ちたいの? ……私心配だよ」


「それは……」


 天才に勝つのは無謀。

 その言葉通り、私はあれから一度もアレン殿下に勝てていない。

 

「 ……」


 私はハッとすると、取り繕うように笑顔を浮かべた。


「――ほら、勝ったらガリ勉令嬢って呼ばれなくなるし、負けたままじゃ嫌じゃない?」


「ふぅん。あ、もうこんな時間だ! 早く寝なきゃ明日に響いちゃう! リネットもいい加減休んだ方がいいよ!」


 時計の時刻はもう深夜を回ってる。

 基本、試験前しか夜更かししないスミン。慌てたようにベッドに潜り込んだ彼女からは、すぐに寝息が聞こえてきた。


「お休みなさい、スミン」


 部屋の電気を薄暗くし、代わりに机の上のランプを点けて机に向かう。

 もうちょっと勉強しよう。そう思ってペンを走らせたけど、うまく頭が働かなかった。


「……どうして私は、いつまでもアレン殿下に勝てないんだろうね」


 薄暗い部屋の中、ポツリと呟いた言葉が静かに消えていった。


 ◇


 三年生、前期試験の順位発表日――


「また俺の勝ちですね、ガリ勉令嬢さん」


「……っ、アレン殿下」


 張り出された順位表の前。

 馬鹿にするように笑顔で話しかけるアレン殿下が凄くムカつく!


「俺に勝つと言っておきながら全く勝てませんね。いつ俺に勝ってくれるんですか? 楽しみに待っているんですけどね」


「期待に応えられなくて申し訳ありませんね! 次こそは絶対に勝ちますから! あと、ガリ勉令嬢って呼ぶのは止めて下さい!」


「その台詞はもう何回も聞きましたね。あと、ガリ勉令嬢と呼ばれたくないなら俺に勝てばいいだけでは? 俺に勝てば、もう呼ばないって約束だったでしょう?」


 そうだけど、嫌なものは嫌なの! 嫌がってるのにここまで呼び続けるのはどうなの⁉


 順位表を前に言い争いをしている私達の姿は、最早試験直後の恒例になっていて、生徒や教師達は「またか」と慣れたように通り過ぎていた。


「何はともあれ、またクラスメイトとしてよろしくお願いしますね」


「……はい」


 アレン殿下には負けてしまったけど、二位なのでAクラスは確定。

 成績順でクラスが決まるから、一位のアレン殿下とどうしても同じクラスになってしまうのが嫌だけど、こればかりは仕方ない。


「お願いなので、出来るだけ関わらないで頂けませんか?」


「あはは、お断りします」


 一年の時からずっと、こうやってちょっかいをかけてくるアレン殿下。何が楽しいんだか。

 自然と隣を歩くアレン殿下を横目に、私達は教室に向かった。


「――――魔法の系統を選択する日が近付いているから、各々考えておくように」


 終礼の時間。

 一年の時から変わらないAクラス担任のフクロリー先生が伝えたのは、三年生で選ぶ選択授業について。


 そっか、もうそんな時期か。

 トルターン学校には攻撃魔法、回復魔法、防御魔法、補助魔法などの選択授業があり、低学年の間は自分がどの魔法の系統が適しているかを見極める期間だったけど、三年生になれば、学んでいく魔法の系統を選択する。


 選択の仕方は、配られた用紙に希望する魔法の系統を書いて提出するだけ。


「どの魔法の系統を選ぼうかな?」

「僕は回復魔法を選ぶよ。僕に一番合っていたからな」

「私は防御魔法にしますわ」


 何人かの生徒は、もうどの魔法の系統を学ぶかを決めているようで早々にペンを走らせた。かく言う私も、帝国騎士団が魔物の退治や護衛などの有事に対応のために攻撃魔法が重視される傾向があるから、攻撃魔法を選択すると入学前から決めていた。


「……攻撃魔法……で、本当にいいのかな」


 だけど、学校生活を送る中で迷いが生まれた。

 今は何とか技術でカバーしているけど、普通に攻撃魔法を学ぶだけでいいの? それでアレン殿下に勝てる? 夢である魔法を探索する帝国騎士団第0部隊に入れる? ただでさえ魔力が弱いのに。


「駄目だ。考えがまとまらない。一旦持ち帰って考えよう」


 攻撃魔法と記入したものの、先生に提出せずに鞄にしまう。

 そのまま席を立ち、教室を出ようとした私の前に立ちふさがる人混み。


「アレン殿下は何を選択されるんですか?」

「アレン殿下ならどの魔法の系統を選んでも大丈夫ですわよね」

「私もアレン殿下と同じ魔法を選択したいです!」


「さぁ? 貴女達に答える必要ありませんよね」


 天才と名高いアレン殿下が何を選択するのか興味があるようで、皆が人だかりになってアレン殿下に詰め寄っていたが、当の本人は一切答えるつもりはなさそうで適当にあしらっていた。


 何を選択するかくらい答えてあげたらいいのに。


 人混みをすり抜けると、教室から出てまっすぐに寮に向かった。


「ただいま。っと、スミンはまだ帰ってこないんだっけ」


 寮に戻り部屋を見渡してもスミンの姿はない。

 確か試験も終わったし、息抜きで遊んでくるって言ってたっけ。いつも私の方が勉強で帰りが遅いから、誰も部屋にいないのが新鮮。


「今日は私もゆっくり休もうかな」


 勉強は苦じゃないけど、試験が近かったこともあって必死で勉強していたから寝不足気味。

 選択授業とか、考えなきゃいけないことはあるけど、とりあえず体を休めようと机に鞄を置こうとしたところで、一枚の手紙が目に入った。


 学校生活において、基本、長期休暇以外は家族との面会は不可で、交流は手紙でしか許されていない。配達された手紙は寮の部屋に届けられるが、私に無関心な家族からは一枚も手紙が届いたことがない。


「私に手紙? 珍しい。誰からだろう」


 滅多に届かない私宛ての手紙の主を確認するため、封筒を裏返して宛名を見た。


「……クリフ様」


 宛名の主は、私の婚約者クリフ=ノートリダム。

 季節の挨拶に軽い近況報告。事務的な内容だけが並んだ文字に、封筒に書かれていた明らかに別の人物の筆跡は、親に言われて仕方なく出したことが丸分かりだった。


『結婚後はリネットにノートリダム伯爵家の運営を任せるから、しっかりと家門の勉強を中心に学ぶように』


 ……そうだ。私が夢を追えるのは、学校を卒業するまでの間だけ。

 分かっていたのに、最後に手紙に書かれていた一文で現実を突きつけられた。どれだけ頑張っても、私の夢が叶うことはない。


「……勉強しなきゃ……」


 椅子に座り、鞄から教科書やノートを取り出すと、がむしゃらにペンを走らせた。


  私の結婚は、生まれた時から決められた政略結婚だ。

 クリフ様と結婚することは私自身が納得してる。きっとこれが幸せなんだって、何度も自分に言い聞かせてる。


 それなのに……どうして私は、こんなに苦しいんだろう。


「もっと……勉強……」


 本当は分かってる。

 私がアレン殿下に勝てないのは、私が「本気」じゃないからだ。私が必死に勉強しているのは夢のためでも……お母様のためでもない。ただ勉強している間は何も考えずにいられるから、ただの現実逃避だ。


 試験前も無茶していたし、体の限界が来たんだと思う。

 視界がかすみ意識が朦朧とする。せわしくなく動いていた手が止まると、そのままペンは床に転がり落ちた。


「――リネット⁉ お願い目を開けてよ! リネット!」


 気が付いたら部屋で倒れていて、スミンの叫びが遠くの方で聞こえた気がした。




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