濡衣とのこと
「シャミセンさん」
オレから少し離れた場所で井戸端をしていたハウル、テンポウ、キョウセンの三人が戻ってきた。
「何の話をしてたんだ?」
怪訝な顔でたずねるオレに、「なんでもないよ」
と、ハウルはカラカラと笑う。テンポウも似たような表情を見せているが、逆にキョウセンは不服そうな顔。
「そ、そう?」
なんでもない……ってわけじゃないだろうけど、まぁ気にしないでおこう。
「君主」
「アウ」
道の先を索敵していたワンシアとチルルが戻ってきた。
「道の先に井戸がありましたが、特にモンスターの気配はありませんでした」
「ってことは、プレイヤーが近づかないとイベントが発生しないってことか」
「井戸かぁ……髪の長い人が這い上がってくるとか?」
「お皿を回したお菊さんとか?」
「逆に頭の大きなおじさんが落ちてきたりとか」
オレやテンポウ、キョウセンが、道の先にある井戸から何が出てくるかを言い合っていると、
「結局行かないとわからないのに、行く前からそういう話しないでよ」
ハウルは震えた声でツッコミを入れた。
道はまっすぐに、井戸のところまで道標のように伸びていた。
「……なにも起きませんでしたね」
テンポウが、それこそ間の抜けた声をあげる。「モンスターの一匹もいなかったですし」
ワンシアとチルルが無傷で索敵から戻ってきたこともそうだが、イベント専用の場所なのだろう。
「ってことは、ここでなにかをしないといけないってことだよね」
「あの……シャミセンさん、さっきみたいに水属性の魔法を使ってみるとかは?」
キョウセンに言われたオレは、[アクアショット]を軽く井戸に向かって撃ってみた。
シン……と、静寂だけが広がっている。
「なにも起きませんね」
「他になにか方法はないのかね?」
「威力が足りないとか?」
「あぁ、[アクアショット]って[チャージ]で名前と威力が変わるんだったね」
なら、[アクアショット]よりもすこし強めに……、魔法詠唱の色が青から緑に変わった瞬間に、
「[アクアブレット]」
水の波動を井戸の方へと放った。
「……なにも起きませんね」
テンポウが首をかしげる。オレもなにも起きないよりはMPが無駄に減ることのほうが懸念なんだけど。
「ショットでなにも起きなきゃブレットでも起きない」
「あと残っているのは[バスター]くらいだけど」
キョウセンの言葉に、オレは彼女もオレと同様【アクアショット】の魔法スキルを持っているのだと知る。
「あぁ、キョウちゃん。それよりも上に[キャノン]ってのがあるんだけど」
ハウルがキョウセンにそう説明する。キョウセンはへぇーと感心した声を上げた。
「それじゃぁそれを試せばいいんじゃないんですか?」
「……MPポーション持ってる?」
一応手持ちにはあるけど、とりあえず聞いてみる。
なんでそうたずねたのかと言うと、基本的に[チャージ]を使うと消費魔法が半分になるのだが、この魔法は使う威力によって加算式になっているため、5%(無色)→10%(青)→15%(緑)→20%(赤)→25%(金)とMPが消費されるからだ。
あくまで[チャージ]を魔法ストックに入れている場合の話だけど。
「「「…………」」」
三者三様に違う方向に外方を向くハウルたち。いや確かに君たちもオレと同じでスキルでMP消費するけどね。
そこまで露骨に拒否らなくてもよくないですか?
「――んっ?」
そんな中、井戸の方に視線を向けていたハウルが、
「あうわぁ」
と小さく悲鳴を上げて尻餅をついた。
「どした?」
「井戸、井戸ぉっ!」
震えた指先でその井戸を指すと、おぞましくもさみしげな気配が漂ってきた。
「君主、なにか来ます」
ワンシアの警戒した声に釣られたように、オレは得物である錫杖を握りしめた。
「……あれ?」
キョウセンが片目を眇めるようにして、「ちょっと待って、あれってさっきまでわたしたちが後を追っていた幽霊じゃない?」
と言った。
井戸から浮揚するように現れたのは、たしかにオレたちがこの獣道に入るまで後を追っていた漢服の男だった。
「なんかさっきよりもずぶ濡れになってる気がするんだけど?」
「それはさっきまで井戸の中にいたからとかじゃないですか?」
「中を覗き込んでみたけど、水が落ちる音もしなかったから井戸は涸れてるわよ」
「そんなのはいいけど、どうするの?」
ハウルの悲鳴はいいとして、漢服の男はこちらを凝視しているだけでなにもしてこない。
「話しかけてみる?」
「うーんと、あの……どうしてこんなところにいるんですか?」
テンポウがそうたずねると、
「君たちは旅の者かね?」
「えっ? そうですけど」
プレイヤーっていうのも釈然としないので、ここはひとつロールをしておこう。
「そうか、実は君たちに折り入って頼みたいことがある」
「――怖いのは嫌ですよ」
いつの間にか立ち上がっていたハウルが口調を強めるように言う。
あと、オレのうしろでピクピクしないでくれませんかね。
「なに、実は朕をこの井戸に突き落とした男を退治してほしいのだ」
「ちん……?」
「中国語で【わたし】とか【オレ】みたいなそういう意味の一人称」
キョウセンがけげんな表情を見せたのでそう説明する。
「で、その男を退治しろと言われましても居場所がわからないんじゃ」
「なに、そこは心配はいらない……宝林寺という寺院をやつは根城としている」
「――フラグたっちゃいましたね」
テンポウの言葉に、オレは思わず肩を落としてしまった。
「だけど……、いいんですか? わたしたちの本来の目的は青毛の猫を探すことだったはずじゃ」
「そう……やつがわたしのところにやってきた時、毛並みが青い仔猫に化けておったのだ」
キョウセンの言葉が聞こえたのか、漢服の男はそう口にした。
「朕はそれを愛でておったのだが、ある日突然この井戸の方へと朕を誘い込み」
「そのままドボン……ってことか」
「なんか、夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫みたいですね」
「いや、あれは自分で誤って溺死してるから」
テンポウの言葉に、キョウセンがツッコミを入れた。
ちなみに説明すると、飼い主のお酒を舐めた猫が酔っ払ってしまい、足を滑らせて水瓶に落ちてしまうというのがその話のオチなのだった。
◆
その後、オレたちは漢服の男の話を整理していた。
「……つまり、その青毛の猫がこのイベントのボスってことでいいのかな?」
「流れからしてそうだろうね」
「まさか、こういう流れになるとはねぇ」
井戸の一本道から離れ、元の道に出たオレたち一行は、さてどうしたものかと考えていたのだが、
「すぐ終わらせよう、今すぐ終わらせよう、二秒で終わらせよう」
ハウルは震えた声で、しかも血走ったような目で口走る。
「ハウル、SAN値直葬されてない?」
「でも宝林寺ってどっちになるんだろ」
キョウセンが視線を右往左往させる。
「っと、人魂が一定の方向から現れてますけど」
テンポウの言う通り、眼の前を浮かびいる人魂は、オレ達の目の前を左から右へと流れるように現れては消えている。
「ってことは人魂が現れた方向に進めばいいってわけか」
「なら行こう、全速前進で行こう」
ハウルがオレの手を引っ張るようにその場から走り出そうとする。
「落ち着けッ!」
グイッと、その手を引っ張る。「――あっ!」
不意にオレが手を引っ張ったからだろう。ハウルはそれこそバナナの皮を踏んですってんころりするように、地面と背中をくっつけた。
「煌兄ちゃん」
涙目で睨んでくるハウルに、
「だから落ち着け。走ったところでなにも変わらんだろうよ」
「そうだね。ボス戦のフラグが立っている以上、わたしたちが向かう場所は宝林寺だけど、ボスがどんなのかまではわからないし」
「というか、いくら怖いからって、ひとりで先走るのは却って危険だと思うよ」
オレやキョウセン、テンポウからツッコまれるハウル。
「くぅん」
そんなハウルを労ってか、チルルがハウルの頬を優しく舐める。
「ハウルさま、『磯際で船を破る』という言葉がありますゆえ、ここはグッと我慢することも大事かと」
「わかってるけど……」
ハウルが怖いのが苦手っていうのは知ってはいるし、わかってはいるのだが……、
「おまえ、NODでオレやセイエイと三人でPTを組んでいた時に、同じことがあってやばいことになったの忘れたのか?」
「…………」
口をモゴモゴとさせながら目をうつむかせるハウル。
「別に怖いのが嫌いってのはいいけどさ……そういえばハウル」
オレは、ふとハウルの職業にもしやという考えが浮かんだ。
「精神を安定させるスキルとかってないの? 混乱を回復させるとかそういうやつ」
「シャミセンさん、そういうのって術者が混乱状態になってたら意味ないんじゃ?」
テンポウにそう言われたが、要はVRギアが恐怖値を検測して、より恐怖感を持たせているって感じがするんだよなぁ。
オレが知る限り、今日のハウルがここまで怖がっているのも違和感があった。
「ないわけじゃないけど、ただ今の状態だと使えるかわからないし」
「いい案だと思ったんだけど」
「……でも、――うん」
ハウルはスッと立ち上がるや、「同級生が二人もいる手前、自分だけわがままはいえないね」
自分の頬を両手で叩いた。
「それに――わたしだってこんなところでデスペナはくらいたくないし」
「なら、決まりだ――。このまま宝林寺に向かう」
オレがそう告げるや、ハウルやテンポウ、キョウセンはコクリとうなずいてみせた。
「とりあえず魔法ストックの整理はしておいたほうがいいかもしれませんね。今出ているモンスターの属性から見て、ボスも似たような傾向があると思いますし」
「ってことは『水』と『陰』か」
「それなら『水』の弱点が『土』。『陰』なら対局になる『陽』が弱点になりますけど」
「……まぁ、そうなるよな」
「ならシャミセンさんは『土』属性のスキル持ってましたよね?」
「いや、そう言われると思ったんだけど[安身窟]はそもそも属性スキルじゃないんだよなぁ」
濡れた地面に円を描くことで、そこが隆起し鎌倉を作るのが[安身窟]の効果だ。
身を守ったり、相手を閉じ込めることはできるのだが、そこはいかんせん攻撃するためのものではない。
「オレが覚えているのは【アクアショット】や【フレア】、【ライトニング】を外したら補助系しか覚えてねぇよ?」
「あとは体現スキルだけど……」
「体現スキルってそもそも属性自体が設定されてないんだけどね」
「わたしも属性は『水』に偏ってるし」
「わたしなんてそもそも魔法じゃなくて吟遊詩人の体現スキルだからね。しかも補助系メインの」
ちらりとキョウセンを見据える。
「期待していること悪いけど、わたしが覚えている魔法スキルに『土』属性の魔法は入ってないよ」
ため息混じりで返された。
「ということは、もう一つの弱点属性でどうにかするしかないか」
そう口にするや、
「といっても、シャミセンさんが覚えている陽系の魔法って【ライトニング】くらいじゃないですか」
と、テンポウが肩を落とす。「ないよりマシだろ」
「それはそうですけどね」
「最悪、ボスがそれ以外の属性を持っていないことを願うしか……」
ちらりと、ハウルやテンポウを一瞥すると、
「「ほんと、そういう最悪なことにならないことを祈りますよ」」
慨嘆の意を唱えられた。




