第二十一章 内証の姫君(3)
「青山は元々別家を立てる心積もりがある。そのための研鑽も積んでいる」
「しかし、それは家中なら誰しも──」
「当然、ではないぞ。青山はもう何年も前から姫を憎からず思っている。そのためにここまで来たような節があるからな。……まあ尤も、姫には全く認識されていないようだが」
その昔、敵意剥き出しにした助之丞が、一度山岡家を訪ねて一丁前に牽制していったことがある、と栄治は続けた。
「姫がおまえに弟子入りしたのは、内心穏やかではなかったろう」
どうやら敵視されているというのは、銃太郎自身も身に覚えはあった。
「青山にしてみれば、姫を横取りされたようなもんだ」
「弟子入りは瑠璃が自ら志願したことです。それをとやかく言われても困ります」
結局、栄治も牽制しに来たのだろうか。
むっとした顔になったのを見逃さなかったらしく、栄治は小さく笑った。
「いや、悪い。前置きが長くなったが、昔話をしに来たわけではない」
じゃあ何なのだ、と目で訴え掛ければ、栄治はすっと目を細めた。
「つまりは、青山の覚悟は並ではない。姫は俺の腕に期待しているようだが、俺が負けることも充分あり得る。もしそうなっても、俺を恨まんで貰いたい」
「……恨む理由が、私にはありませんよ」
瑠璃本人に申し出を断られた以上、他の誰かを恨むのはお門違いというものだ。
銃太郎が些か投げやりに返す。
すると栄治は一頻り様子を窺うようにしてから、そうか、と言って立ったのだった。
***
翌早朝、銃太郎は昨日の雨にぬかるんだ射撃場にいた。
白くたなびく朝霧が立ち込める中、その傍らには小銃を構える瑠璃の姿があった。
パン! と乾いた銃声が響き、驚いた鳥の群れが森の木々から一斉に飛び立つ。
硝煙を燻らせる銃口を下ろし、瑠璃がふっと短い息をついたのを見て、銃太郎は遠く離れた的を見遣る。
瑠璃の放った銃弾は的の中心を下に逸れて、外円に近いところを撃ち抜いていた。
初めこそは、銃を構えるだけでやっと。
そこから銃の仕組みを手解き、発砲の手順を繰り返し教えてきた。
手間取ることもなくなり、この短期間で瑠璃は随分と上達したと思う。
が、銃太郎の感慨に反して、瑠璃は眼差しを緩めることなく唸った。
「全っ然、駄目じゃ」
「いや、これで十発目だろう。続けざまにこれだけ撃てたなら上出来だ」
事実、十発中十発とも全て的に当てている。
中央から上下左右に逸れているとは言っても、目覚ましい成長である。
「撃つたびに中心から遠くなる。命中率を上げるにはどうすればよいのじゃ、若先生……!」
銃座に着いたまま、瑠璃は眉を険しくして銃太郎を見上げる。
切羽詰まったような面持ちだ。
自ら試合に出ようと思う、と言って、瑠璃が稽古をつけて欲しいと頼んできたのはつい半刻前のことである。
夜が白むのと殆ど同時に、玄関に来客があった。
既に起き出し、飯炊きに使う薪を割っていた銃太郎が自ら応対に向かうと、稽古袴を着けた瑠璃が立っていたのだった。
「射撃に必要なのは、集中と精神力だ。一朝一夕に身に付いたら苦労はないぞ」
銃太郎は僅かに呆れて説くものの、瑠璃はじっと銃太郎を見上げ、ひたすら訴えかけるような視線を寄越す。
何か秘策はないのかと、その顔が言っているように見えた。
「こればかりは、鍛錬の積み重ねがものを言う。近道はないと思ってくれ」
「えぇぇ、そんな」
瑠璃はやや大袈裟に嘆いて項垂れた。
調練の日取りは、この閏四月の下旬と定められ、同時に射撃勝負の布令も正式に出された。
「これでは助之丞に勝てぬ」
瑠璃はそう歯噛みするが、他にも候補に挙げられた子弟は多いだろう。
殆どが家柄の良い、次三男である。
小銃射撃なら、瑠璃の腕で勝てる相手も間々あるだろうが、青山助之丞を下すことは至難と見ていた。
試合は、一発二発的を撃ち抜けばよいというものではない。
どちらかが外し、勝負のつくまで続くのである。
かつて銃太郎が青山助之丞との勝負で撃ち合った時には、二十撃っても勝負がつかなかった。
流石の銃太郎も集中が揺らぐほどの長丁場で、最後の一発を打ったときには、これで勝負が決まらなければ、負けるのは自分だと腹を括った。
結局は、青山助之丞の放った次の一手が僅かに的を逸れ、銃太郎は辛くも勝利を収めたのである。
ほんの僅かに銃太郎の精神力が上回っていた。
勝因は、最終的にそこなのだ。




