第二十一章 内証の姫君(1)
あんな別れ方をしたせいか、瑠璃とは顔を合わせづらくなってしまった。
門弟たちは翌日も時間通りに道場へやってきたが、瑠璃だけは顔を見せなかった。
そのことに何となく安堵したような、しかし落胆したような気分が綯交ぜになって胸中を占める。
砲術どころではなくなってしまったのだろうか。
それとも、瑠璃もまた顔を合わせにくいと思ったのだろうか。
いや、それにしたって遣いの一人くらい寄越しても良さそうなものだ。
どちらにせよ、今瑠璃に会ったとして、まともに話せる自信はなかった。
「先生」
「………」
「若先生」
「………………」
「わかせんせい!!!」
「うわっ!?」
耳元で大声で呼ばれ、銃太郎は飛び上がった。
声変わり前の少年の、きんと高い声音は容赦なく耳を劈く。
「火薬! 溢れてます!! 盛りすぎです!!」
言われて手許を見ると、銃弾に籠める弾薬を溢れても気付かず詰め続けていたらしかった。
見兼ねた篤次郎が、声を掛けてくれたらしい。
「どうしちゃったんですか若先生。そんなボケっとしてるとこ、俺初めて見ました」
「す、すまん。少し考え事をしていた」
「ただでも雨で滅入っちゃうのに、若先生までそんなやる気のないこと言わないでくださいよー」
「……まったくだ、不覚を取ったな」
昨日からの雨は一夜明けてもなお続き、射撃訓練が行えず、致し方なく火薬の調合と弾薬の拵え方を復習っていた。
篤次郎は勿論、他の門弟たちもやはり銃太郎の様子を不審がっていたようで、その視線は須らくこちらに注がれている。
「若先生、瑠璃姫ですか」
「はっ!?」
才次郎が手を止めて、じっと胡乱な視線を寄越しつつ言った。
勘の良い子だとは思っていたが、本当に勘が良い。
「若先生、瑠璃姫がこないから気になってしょうがないんですよね」
「………」
実際にそうなので何も言い返せないのが悔しい。
すると才次郎は真顔のまま銃太郎に畳み掛けた。
「調練のあとの射撃勝負、俺も出られませんか。俺、勝ち抜きますんで」
「はぇ!? さ、才次郎……おまえ何言ってるんだ」
「あー、勝負は俺も出たいなー! 瑠璃姫は要らないけどさー」
話はもうすっかり子弟たちに広まっているらしい。
「若先生が出ないのは何故ですか? 若先生が出ないなら、俺が出ます」
「え……」
「えー、でも勝っちゃったらあいつ嫁に来るよ? ちょっと考え直したほうがいいよ!」
「篤次郎は黙ってて。俺はほんとに真面目に言ってるんです、若先生」
「ま、真面目にって言われてもな。出る者は城が定めた者だけだ」
「それで若先生に御声が掛からないのはどういうわけですか」
「ど、どういうって、それは──」
正直、そんなのこっちが訊きたいところである。
「……瑠璃はあれでも姫君だ。候補に挙がるためには腕に加え、家格というものも重視される」
苦し紛れに説明したものの、才次郎は終始怪訝な面持ちで、到底納得には至らない様子である。
仕方なく、銃太郎は強引に話を切り上げ、弾薬作りの数を上乗せしたのだった。
***
雨天の日暮れは早い。
門弟の子供たちを帰し終えると、間もなく辺りは薄暗くなった。
地面は雨を吸ってぬかるみ、所々の窪みに大小の水たまりを作っていた。
才次郎だけはなかなか帰ろうとせず、何故試合に出ないのかと食い下がったが、銃太郎は曖昧に濁すに留めた。
そのうちに根負けし、才次郎はどこか不服を残していそうな顔のまま、北条谷を後にしたのである。
何となく、才次郎には心の内を見透かされているような気がしてくる。
聡い子である。
「………」
使った火薬と、皆が作った薬莢を木箱に詰めながら、雨の静寂を聴く。
結局、瑠璃本人は愚か、遣いの一人も来なかった。
そのことに落胆している己を払拭しようと、努めて次の調練の計画を無理矢理に考える。
だが、それもすぐに霧散して、銃太郎は重い息を吐いた。
「邪魔するぞ」
低い男の声が聴こえたのはその時である。
一瞬、直人でも訪ねて来たかと思ったが、道場の間口に立つ男の影はそれよりも大きい。




