第十九章 経巡り肯う(2)
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「いたか!?」
「いえ、塩澤向こうで姫様らしき姿を見た者はないようです」
「では、高田や供中はどうだ」
「こちらも駄目です」
「くっそう、あンの馬鹿姫、一体どこへ行かれたのだ……!」
家僕らの報告に、鳴海は思わず地団駄を踏む。
自ら城下を一巡した後に、鎮守の両社山へ一旦集合させたものの、何の手掛かりもなかったのである。
社の門前には人通りも多く、只事でない気配を察した町人たちも足を留めて様子を窺っているようだった。
普段から瑠璃に張り付かせているために、家僕は鳴海以上にその行動を把握している。
その家僕を以てしても、この日の行方は杳として知れなかったのである。
「鳴海様。こうも足跡を辿れぬとあれば、やはり姫様お一人の行動ではないのでは?」
そろりと片手を挙げて恐る恐る発言する家僕を、ぎろりと一睨みする。
「ちょ、鳴海様、顔怖いです」
「怖くない! 美形だからそう見えるだけだ!」
「あーはいはいそうですね。そもそもね、あの変に目立つ姫様を誰も見ていないって言うんですから、何者かの手引があるはずでしょ」
「そ、それは……」
それもその通り、何者かが敢えて人目を避けて瑠璃を連れ去ったと考えるほうが自然だ。
だとすると、愈々事態は深刻なものとなる。
殿や家老にも報告せねばならず、捜索網を一層拡大する必要もある。
「正親、お前は城の丹波に仔細報告せよ。私は青山の倅に瑠璃様の交友を洗い浚い吐かせる!」
「うわぁ、私が行くんですか……」
「四の五の言わずに行け、瑠璃様の一大事だぞ!」
「大谷殿!」
大音声が響いたのは、渋る正親を叱咤した直後のことであった。
怒鳴り声にも近い、耳を震わす声で呼んだのは瑠璃の砲術指南役。
銃太郎がその大柄な体躯を些かも持て余す風もなく、全力で駆けてきたのである。
「瑠璃は成田村のほうへ向かったと……!」
続け様に叫びながら、銃太郎は鳴海の前に足を留めた。
「ええい近くで叫ぶな! 貴様は声がでかすぎる!」
「そんなことより馬! 馬をお貸しください! 瑠璃のところへは、私が参ります」
「何だと貴様、私を差し置いて──」
「私が単騎で往くほうが早いのです!」
普段慎み深い言行の銃太郎が、今は鬼気迫る面持ちで声を張る。その様子に、鳴海は不覚にも気圧されかけた。
瑠璃が矢鱈と師事したがるもので、銃太郎には日頃から目を光らせていたのだが、彼がここまで強く出ることは過去に一度たりともなかった。
「鳴海様、お任せしてはどうです?」
「!? んな、正親っ、おまえまで──」
「だってこうまで言い切るからには、居場所の見当がついているんでは?」
と、正親は同意を求めるような素振りで銃太郎に目配せる。
すると銃太郎も力一杯頷いたのである。
的確な指摘にぐうの音も出ず、鳴海はぐぬぬと唸る。
「ぅおのれ銃太郎……、貴様、瑠璃様をお助けしたついでになんかしたらただでは置かんぞ……」
「何もしませんよ!? 何なんですか人聞きの悪い!」
「そういうわけだから、そこの鳴海様の愛馬に乗ってゆけ。俺が許すから」
「正親ぁ!? 私の馬だぞ何勝手なこと──」
「うるさいですねー、姫様捜索に慣れた馬だし、最適でしょ」
「ううううるさ……っ!? おまえ、貴様、主に向かって何を──」
「はいはいほらほら、我が主は私と一緒に城へ向かいましょうね」
正親は半ば強引に鳴海の背を押し、銃太郎に向けた目を細める。
「じゃ、あと宜しくね。鳴海様は城にいるから、姫様見つけたら城までお連れして」
「馬鹿、やめろ! 瑠璃様の捜索は私の務めだと昔から決まって……!」
「まったくもー、そろそろ他に任せることも覚えてくださいよ」
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淀んだ雲は、厚く空を覆う。
衣服がしっとりと肌に纏い付くような湿気を含み、水田を撫でる温い風が瑠璃の頬と髪に届いた。
黄山は滾々と百姓町人の現状を説き続け、瑠璃はとうとう首を縦に振ったのである。
「そなたの言い分はようわかった。民が苦境にあることも、承知しておる」
まずはその三浦という男に会ってみよう、と続けると、黄山はどことなくその眼差しを和らげたようだった。
「姫さん、あんた……鈴石一揆を知ってるか」
徐に訊ねる黄山の声色は、静かで抑揚に乏しい。
「? 鈴石?」
丹羽家所領の土地の名である。
城下東を南北に流れる河川よりも、もっと東の山間の地にあるのが鈴石であった。




