第十八章 邂逅と牽制(3)
「義姉上の降嫁先を決める試合だ。話が来ていないのなら、それでよい」
五郎の拗ねたような声音に、銃太郎は思わず息を呑んだ。
降嫁先を決める試合、と聞こえたが、そんな試合が行われること自体、今初めて耳にしたのだ。
噂だけが独り歩きしているようなものだった。
確かに瑠璃本人も、一体どこまでが本気なのか、冗談めかしてミテに台所修行を受けたりと降嫁もあり得るという素振りを見せていたことは確かだ。
しかし、これまで実際に城に目立った動きはなかったのに。
「……瑠璃は、本当に降嫁するのですか」
「私は認めておらんぞ! ……っというかだな! 貴様、さっきから聞いていれば瑠璃瑠璃と、何故義姉上を気安く呼び捨てているんだッ!?」
「あ、いや申し訳ありません。これは瑠璃が──」
「ほらまた呼び捨てた!! 何なんだ、私への当て擦りか!? 無礼なっ!」
「ちっ違います違います!!」
「若様落ち着いて! 銃太郎様ももうちょっと気を遣って!」
澪が間に入って執成すが、五郎は今にも掴みかかってきそうなほど、前のめりに身を乗り出している。
相当、義姉を慕っているらしい。
「私には、そのような話はございません」
答えながら、胸に重石を置かれたような気がした。
相手は大名家の姫君、片や自分は六十五石取りの家を継ぐ身分である。降嫁先の候補に挙げられる道理がなかった。
そろそろそういう年頃なのだとは知りつつも、自由に飛び跳ね歩く普段の姿から、暫くは今の縁が切れることもないだろうと漠然と感じていた。
だが、知らぬ間に、噂は真となりつつあったのだ。
一体、誰が候補として挙がっているのか。
候補に挙げられる条件は数多くあるのだろうが、よりにもよってその最後の決め手が射撃だという。
「若様。流石にもう、お戻りになりませんと」
澪が頻りに戸外を窺って、口を挟んだ。
九つを過ぎても相変わらずの曇天が陽光を遮るが、雨は止んでいるらしかった。
「待て、澪。これだけは確かめておかねばならん。木村銃太郎と申したな、そなたにとって、義姉上は何だ」
「えっ……!?」
どう見ているか、という問いに、銃太郎はまたも声を詰まらせた。
「答えよ」
真正面から銃太郎を見据え、五郎はぴしゃりと言い放つ。
「……瑠璃は」
自分にとって、何なのか。
単純に師弟関係だという一言で、全てが完結する。だが、その訪れを心待ちにし、その振舞いと言動に一喜一憂する。
それは他の弟子と相対したときには覚えず、彼女に関してのみ起こる、奇妙な心の揺らぎだ。その正体が何なのかは、認めたくはないものだった。想うだけで心中穏やかならず、先日直人と触れ合ったのを見ただけで、激しく不快感を覚えた。
それは、単なる弟子とは全く異なる何かが介在していることの証左だ。
しかし、若君を前にして馬鹿正直に答えられるはずもない。
「瑠璃は、見所のある弟子です。長年武芸の鍛錬をされているからでしょうか、筋が良く、近頃では射撃の腕も──」
「ただの弟子、それはまことであろうな」
いやに掘り下げようとする五郎の一言一句が、いちいち耳に刺さる。
それ以外にどう答えることが出来ようか。
「まことにございます」
銃太郎の返答を受け、五郎は途端に安堵の色を浮かべたのであった。
***
「若君がおられぬぞ! 城内隈なく捜すのだ!」
奥御殿が俄かに騒がしくなり、和左衛門が真っ青になって焦慮の声を上げ、奥に仕える者の殆どであらゆる場所を捜索する。
そして捜索の手は奥御殿のみならず城屋敷全体に延び、更には中世から続く山城の、その全体にまで拡大されたのである。
倉皇とした城内の一角で、大谷鳴海もまた、大目付の黒田傳太よりの報告に止めを刺されていた。
「瑠璃様まで消息を絶たれただと!? 助左衛門殿はどうしたのだ!? 今日は青山家にいたはずではないのか!?」
「いやぁ、それが暫くは二男の助之丞と一緒に赤子をもちもちしていたらしいのですが、その後瑠璃様は助之丞の伴を断り、お一人で城に戻られたそうで」
「あああ赤子をもちもちィ!?」
「反応するところ間違えてませんか」
「まさかその赤子、助之丞と瑠璃様の子か!?」
「は? ……頭大丈夫ですか」
「くっそう、ちょっと良い奴だと油断していたら、助之丞め……!」
「話聞いてませんね、あんた」
瑠璃に関してはどうせまた得意のお忍びで、日常の茶飯事なのだが、若君については一大事である。
「兎も角、姫様の行方は我々がお捜ししますので、鳴海様は若君を──」
と、傳太が言い終わらぬうちに、鳴海は厩に向けて一目散に駆け出していたのである。次に目で追った時には、既にその背が豆粒のように見えるほど遥か彼方に遠ざかっていた。
「……駄目だこりゃ」
その判断と行動の迅速さには舌を巻くが、人の話は最後まで聞いて欲しいものである。若君の件は二の次どころか、鳴海の念頭から綺麗さっぱり払拭されてしまった可能性すらありそうだ。
傳太は吐息混じりに吐き出すと、引き続き瑠璃の行方を追うことにしたのであった。
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