第十七章 万感交到る(4)
「すっごく訊きにくいんだけど、さ」
「? 何じゃ」
「上覧射撃で勝ち抜いた相手と縁組するって話、おまえはそれでいいのか」
「!? ……なんでそれを」
話の広まり方が速すぎる。
まだ瑠璃ですら、事の詳細を聞き出していないというのに。
既に家中に広まっているとは考えにくいが、何故助之丞が逸早く承知しているのか。
訝ると、助之丞はふと真顔になり、一度躊躇った後で瑠璃の目を見た。
「俺にも話が来たんだよ。今朝、父上に呼ばれてさ。何かと思えば、射撃勝負で勝ち抜けば別家を立てるお許しを頂ける、って」
「助左衛門殿が、そう申したのか」
「そ。どうも丹波様から直々に打診があったみたいでさ」
助之丞の父、青山助左衛門は用人として、兄の半蔵は小姓頭として出仕している。いずれも藩主一家には非常に近い役どころである。
青山家の家督は長男の半蔵が継ぐだろうが、助之丞は二男ながら以前の水戸の役でも従軍しており、実力も十分なのである。
それで声が掛かったのだろう。
「別家、……そうか」
助之丞にとっては、これは好機に違いなかった。
おまけで瑠璃が熨斗をつけられて転がり込んでくるとは言っても、家中の二男三男にとって、願ってもない立身出世の機会なのだ。
他家に養子入りするか、或いは何らかの特技で身を立てねば、生涯実家の厄介叔父という身分に甘んじなければならず、肩身の狭い思いをする羽目になる。
そうした背景もあるだろうと慮れば、真向から馬鹿げた座興に過ぎぬと一蹴することも憚られた。
「その様子じゃ、おまえも話は知ってたんだな」
「羽木殿と丹波殿の戯言と思うたが、本当のようじゃ。ただし、私には何の断りもなかった。鳴海が教えてくれねば、今初めて聞かされることになっていただろうなぁ」
「そっか。まあ、これも政の一環だと思えば、勝った相手に嫁げ、の一言で済ませちまうんだろうけど」
助之丞の目が、やや同情的な色を含んで瑠璃に向けられる。
どれほどの人数に声を掛けるつもりなのかは知らないが、その中の一人が助之丞であることには、どことなく安堵のようなものを感じた。
もしも勝ち抜くのが助之丞だったとして、気心知れた相手ならばまだ救いがあるようにも思うのだ。
「俺は話を受けるぞ」
「えっ!?」
不意に助之丞がきっぱりと告げ、瑠璃は密かに息を呑んだ。
吃驚したのも束の間。助之丞の立場なら、それも当然なのかもしれないと思い直す。
「出るからには、本気で勝ち抜くつもりだ」
「……う、うん」
「今度ばかりは、銃太郎さんにも負ける気はない」
そう言った助之丞の眼差しは、今し方までの穏健なものとは打って変わって精悍なものになっていた。
***
「もう戻りませんか、若様! やめましょうよ、お忍びだなんて」
「ならん。義姉上はいつも砲術道場に出掛けていらっしゃるのだろう。降嫁先だと目されるような者なら、まずはその砲術師を知る必要がある」
「降嫁先!?」
「噂に聞いた。義姉上は否定なさったが、少なくとも今、義姉上の関心はそやつに向けられているはずだ」
「いやぁ、どうでしょうね? あの姫様が殿方に興味を持たれることなんて、……」
瑠璃は小銃をぶっ放すために日々通っているのであって、少なくともそこに恋路のようなこそばゆい感覚が存在するようには見えなかった。
寧ろ、同門の少年たちと木登りでもしてそうな印象のほうが強い。
「それを確かめるために来たんだ。いいからついて参れ!」
「ですが若様! もし露見したら、手引きした私はどうなりますか!? 姫様のためなら女中は罪に問われても構わんと仰るんですか」
城を抜け出すという五郎の勢いに圧し切られ、引き摺られるようにしてついてきた澪だったが、北条谷へ入る辻で漸く五郎の袖を引っ掴んだ。
「そ、そうは申しておらんだろう。万が一騒ぎになったとしても、すべての責は私が負う。おまえが罪に問われるようなことにはしない!」
「未だ家督を継がれぬ御身で、どこまでご自身の言い分が通るとお思いですか」
城からここに至るまでに、どれだけ諫言し引き留めたか分からない。分別ある聡明な少年と思えばこそ、澪も懸命に言葉を尽くしたが、とうとう白昼の路地にまで出て来てしまっていた。
早ければ既に若君の姿が見えぬことに気付いた者もあるかもしれない。
「で、でも義姉上は毎日のように出掛けておいでだし……」
「あんな風でも一応、姫様は御父上様や御家老様方からきちんとお許しを得ておいでです」
あくまで砲術道場に通うことについてのみで、その他のお忍びについては許しも何もないのだが。




