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第十七章 万感交到る(3)

 

 

「澪!」

「はぁ」

「義姉上を骨抜きにするにはどうすればよい!?」

 澪はその耳を疑った。

 目の前で堂々と声を張るのは、間違いなく若君である。

 が、若君といえば、年少ながらに利発で品も備わり雅量に富む、とか何とかいう評判である。

 その若君が、今何と言ったのか。

 澪は一瞬のうちに三度は反芻した。

「……は?」

「義姉上をよく知るおまえなら、何かよい知恵を出せるであろう!?」

「ん? ……んん? なになになに? 何ですって?」

「だから、義姉上はいずれ私と夫婦になるんだ! 家臣の嫁には絶対にやらん!」

 何がそこまで五郎を急き立てるのかは解せぬが、兎に角珍しく頭に血が上っているらしいことだけは分かる。

「それを義父上までお許しになるなど……! 義姉上は物ではない! 将来私の妻となる大切な方だ! そうだろう!?」

「えっ、ああ……、まあそう、ですかね?」

「だから義姉上を籠絡する手立てを共に考えてくれ!」

「若様、もう少し十三歳らしい物言いってありませんか」

 これほど起伏の激しい人だったかと思うほど、今の五郎には余裕が感じられなかった。

「姫様とは、きちんとお話しになられたはずでは?」

 夫婦になる相手が瑠璃だと思い違いをしていたから、しっかり否定しておいた、というのは瑠璃本人から聞き及んでいる。

 しかし五郎の口振りからすると、瑠璃の話はあまり御理解頂けていないのだろう。

(姫様の詰めが甘かったのね)

 理解どころか、完全に五郎を煽り立てただけにも見える。

「話はした。結果、このまま大人しくしていては、義姉上の視界に入る事も出来ないのだと気付かされた」

「え……、そっちの方向なんですね……」

 聡慧と評されるものの、ちょっとばかり話が通じなさそうで、澪は頬を強張らせる。頭が良すぎるせいで、二段も三段も物事をすっ飛ばしてしまう性質なのだろうか。

「まずは私も義姉上の御身辺を探ってみようと思う。おまえも力を貸してくれるだろう?」

 五郎の顔は微笑んでいながらも、どこか犀利で、有無を言わさぬ威圧感が漂っていた。

 

   ***

 

 ふっくりとした紅色の頬を艶々と輝かせ、喃語を話す赤子を構いながら、瑠璃は青山家の庭にいた。

 きゃっきゃと甲高い声を上げ、瑠璃の髪を引っ張る小さな紅葉も、ふくふくと柔らかく愛くるしい。

 赤子は青山助之丞の甥、松之介である。

 昨年、助之丞の兄夫婦に生まれた子で、叔父となった助之丞もその可愛さに目尻を下げ、声音も柔和に喃語で語りかける溺愛ぶりだ。

「はぁぁぁあ、めんごいのぉぉお」

「そうだろぉ? うちの松之介、本っ当めんげぇんだよ」

「うんうん、城下一の愛らしさじゃなぁぁ」

「当然だろー? 城下どころか、きっと日の本で一番だぞー?」

 助之丞は口許を緩ませ、「なー?」と声を掛けながら、まんまるの頬を軽くつつく。

「まあまあ、姫様も助之丞さんも褒め過ぎですよ」

「そんなことはなかろぉぉ? こーんなに可愛い子では、褒めるなというのが無理な話じゃ」

 青山邸は城からも目と鼻の先で、瑠璃は助之丞の誘いを受けてご自慢の甥に会いに来ていた。

 庭の縁台に二人並んで腰かけ、代わる代わる抱いてあやすのだが、松之介は頗る機嫌よく、どちらの腕にあっても楽しげに笑う。

 助之丞の(あによめ)である母親のつやが、そろそろ午睡をさせるからと抱き上げ、座敷の奥へ引き揚げるまで、場の中心は松之介であった。

「あぁん、もう行ってしまうのか?」

「燥がせすぎると、あとでむずかるのですよ」

「そうかぁ、そうなってはつや殿も松之介も互いに難儀じゃな」

 名残惜しく松之介の手を取ってすりすりと撫でてから、瑠璃はつやに視線を投げる。

「また会いに来ても構わぬかの?」

 するとつやは、いつでも歓迎しますよと穏やかに微笑んだのであった。

 三十手前のつやは、殆ど同い年の夫・青山半蔵と夫婦になり、子にも恵まれた。

 世情の不安さえなければ、今が最も幸せな時なのかもしれない。

 その笑顔は松之介にも負けず輝かんばかりで、母となった女の全身から溢れ出る、強い慈愛の色に中てられそうになる。

 松之介を連れて奥へ下がるつやの背を見送りながら、瑠璃は助之丞に問いかけた。

「おなごは皆、いずれはつや殿のようになるものなのか……」

 周囲の決めた相手と夫婦になり、子を生して母となる。むろん、どの家でもそれが連綿と続いてきたから今があり、己が存在し得るのである。

 そして、自分にもその順番が回ってくるというだけの話だ。

 だが、つやの姿をどれだけ眺めても、どうしても自分の先の姿を重ねることが出来なかった。

「瑠璃姫、おまえさ」

「うん?」

 少々しんみりとした問いを投げかけてしまったが、助之丞はそれには答えず、改まって咳払いをする。


 

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