第十七章 万感交到る(1)
「羽木殿が御乱心じゃと?」
鳴海の言う、少々困ったこと、とは瑠璃も予想だにしないことであった。
出迎えた鳴海の報告によれば、丹波がまた妙なことを画策しているらしい。此度は丹波の独断というわけでなく、腹心の羽木によるものだという。
「瑠璃様、羽木殿に何をなさった」
「何もしとらんぞ……、たぶん」
「ならば何故、羽木殿があのようなことを言い出すのか」
「だから羽木殿はなんと申しておるのじゃ」
いい加減、核心に触れろとせっつくと、鳴海は口惜しげに渋面を作った。
「次の軍事調練に付随して、上覧射撃を行うとのことです」
「ふぅん? 良いではないか。それの何が問題じゃ」
調練と別途に場を設ける必要はなさそうだが、この時期、そうした士気を高めるための発案は反対する道理もない。
そう言い返すと、鳴海はくわっと両目を見開いた。
「大問題ですぞ!? 景品はなんと瑠璃様ですからな!?」
「ほぇー、景品があるのか、それは皆も気合が──」
「入ってよろしいのか!!?」
「入るわけなかろうが!!? 阿呆か!? 羽木殿はもう良いおっさんじゃろう!? いつからそんなお茶目な奴になったのじゃ!?」
「お茶目で済む話ではございませんぞ!?」
「しかし、待て。冷静に考えれば、そんなことが許されるはずもない──」
辛うじてそう気付き、瑠璃は大廊下を歩く足をぴたりと止める。
鳴海もそれに倣って歩みを止めたが、鳴海の顔は険しいままだ。
「まことに残念ながら、殿はお許しになられたと」
「ホァ!?」
瑠璃は顔面の全筋力を総動員してその顔を窄めた。
とんでもないことを言い出す重臣と、とんでもないことを許す藩主である。
普段暴走している鳴海のほうが余程にまともに見える。
「瑠璃様、顔、顔! 姫君がそんなしょっぱい顔をなさるものではございませんぞ!」
顔ぐらいしょっぱくもなる。
それほど耳を疑う話なのである。
「しかしな!? そんな呼び掛けをしたところで、名乗りを上げる奴がおると思うのか!? 嫌々参加する奴のところへなぞ嫁ぎたくはないぞ!?」
「瑠璃様は今や撥ねっ返りで家中に知れ渡っておりますからな……。いやなに、それでも蓼食う虫も好き好き、割れ鍋に綴じ蓋、と──」
「……そなたは私に過保護で贔屓な割に、ずっばずば物を申すの」
「黙って居られればそれなりの姫君ゆえ、我こそはと手を挙げる者もおりましょう。……恐らく」
「ん、まっったく褒めとらんの」
「とはいえ、望めば誰でも、というわけでもないようです。既に実力を認められ、また瑠璃様を任せるに足る人物を予め選び出し、その者らに競わせるのだとか」
「……一応訊くが、そこに選抜者の拒否権はあるんだろうな?」
「さて、今のところは何とも」
鳴海は事のあらましだけを簡潔に告げて、その場を辞してゆく。
ろくでもないことになった。
こんなことならば、早々に適当な相手を見繕って、婚約ぐらいはしておけばよかったのかもしれない。
何か特別に思惑があるのか、わざわざ余興のようなものにする意味も解せなかった。
(……羽木殿の発案としても、丹波殿もそれを良しとしたわけだものなぁ)
過去にも主家の姫が家臣に降嫁した例はあったが、やはりそれなりの家格を選び、決して賭け事のような選定はしない。
主家と姻戚関係になるからには、降嫁先はそれなりに吟味されるものである。
ああまで詳細に語るからには、鳴海の早合点というわけでもなさそうだが、直々に確かめる必要がありそうだ。
そしてもう一つ。
直人から預かった文を袂に入れっぱなしにしていたことを思い出し、瑠璃はまたもしょっぱい顔を浮かべたのであった。
***
「なるほど、とんでもない嘆願じゃのう」
疲れたからと人払いした室内で、ひとり脇息に凭れて文を開いた瑠璃は、思わず天井を仰いだ。
こんなものを寄越したところで、望みが聞き入れられると思ったのだろうか。
過去、要路を悉く敵に回し、投獄された男の釈放嘆願書である。
差出人の名は中島黄山。
先ごろ、銃太郎を連れて城下を出歩いた際に遭遇して以来だろうか。
「さて、どうしたものか──」
家老に繋いだところで、即日却下されるのは自明だ。
それは黄山とて承知で、故にか今は他言せず、会談の機会を賜りたいとして結んである。
用件を先に明かしているのは、先日の一件から信頼を回復せんとしてのことだろう。




