第十六章 波乱の幕開け(2)
努めて微笑み問い掛けると、それまで強気の顔を見せていた五郎の面持ちが、目に見えて狼狽し始めた。
まだ三つや四つと幼くはあるが、妹たちの存在がある。
「それは、……」
「ね?」
口籠ったところを見ると、図星らしい。
稀に顔を合わせた時に、きらきらと眩しい視線を寄越していた理由が判明した気がする。
「でも、私はずっと義姉上と夫婦になるものと思って──」
「私は丹波殿から一度、降嫁を打診されたことがあるだけで、以降何も聞かされてはおらんのじゃ」
そうでなくば、年下の若君と──という話があっただけで、不自由が嫌さに有耶無耶にしていたように思う。
恐らく五郎も似たような話を聞かされたのだろうが、そこで相手を瑠璃と思い込んでしまったのだろう。
「そういうわけでの。五郎殿に添う姫というのは、私と決まっているわけではない」
「そんな……」
「五郎殿にとっても、相手は年下の妹たちのほうがよろしかろう。私のような暴れ馬では申し訳がないよ」
「………」
誤解を糺したに過ぎなかったが、五郎はその顔色を変え、それきり黙してしまったのだった。
***
丹羽丹波邸。
藩庁門を出てすぐ、城とは目と鼻の先にある広い敷地の邸宅である。
屋敷を囲む長屋門には使用人が数多く住み、家老座上のそれに相応しい規模を誇る。
「大垣から書状が届いたそうですな」
腹心の羽木権蔵を私室に招き入れると、羽木は丹波が口を開くよりも早く問うた。
家老屋敷らしく執務棟が設けられてはいたが、丹波は家士の耳目すら遠ざける話のときには、母屋の私室へ羽木を通す。
現藩主・長国夫人は大垣藩戸田家の出である。その縁で、こうして度々恭順を促す書状を寄越していた。
その都度、病床の主君に報せはするものの、既に藩是は決してあると聞かされるだけだ。
「御上に恭順の御意思がない以上、勧告には応じられぬ」
「しかし、大垣には橋渡し役を頼めるよう話をつけておかねば……」
「わかっておる」
降ろうにも時期を見なければならず、そこに加えて城内の意思決定は一学・新十郎の言に左右されている現状だ。
「我が藩が大垣と繋がりのあることは、諸藩も承知のはず。斯様なやり取りがあると公になれば、周囲の監視の目は一層厳しくなろう」
白石へ出向いた二人の居ぬ間に、城内の議論を恭順に纏め上げたところで、奥羽諸藩が揃って手を組む以上、内輪に無用の争いを産むだけである。
煮え湯を飲まされ続ける要路の立場も知らず、城の外にも恭順を唱えて憚らぬ者すらあった。
思うに任せず、丹波の苛立ちは募るばかりであった。
「御上の信任は、どうも私より一学らのほうに傾いているようだが……、どのような道行きになろうとも、主とその御血筋だけは途絶えさせてはならぬ」
「むろん」
羽木は頷き、なればと声を潜める。
「早々に瑠璃様の降嫁先を決めるのがよろしいのでは」
「それなのだが……、正直なところ迷っておる。問題行動の多さゆえ、降嫁を提案申し上げたが、無駄に健康優良児なのはなかなかどうして、他に代え難いようにも思えてな」
「………」
「聡明な若君と、壮健な瑠璃様を娶せれば、次代ばかりかその次の代までも安泰なのでは、とな」
「いやしかし、あの方は臣も民も隔てなく親しくなさり過ぎる。故に隙も多く、今後の局面で思わぬ波乱を呼びかねませぬぞ。やはり政とは縁遠い家へ降嫁頂くのが望ましいかと」
「ふむ……」
羽木はあくまで降嫁を推すと見え、これまでの瑠璃の突拍子もない行動を論う。
「次の大調練に合わせ、御前試合など設けては如何か。番方の者で競わせ、勝者に降嫁するというのも良いのでは」
羽木の提案に、丹波は驚きぽかんと口を開く。
「ぉお……おぬし、結構思い切ったことを申すのだな……」
「なんの。型破りには型破りを以て臨まねば、瑠璃様をその気にはさせられませぬぞ」
尤もらしく持論を展開する羽木の語気は強く、妙な威圧感を感じる。その圧倒的な眼光に、丹波は少々苦笑った。
「おぬし、瑠璃様に何か恨みでもあるのか」
「いいえ何も? 御幼少の砌に背中にカエルを突っ込まれたとか、月代にでんでんむしを乗せられたとか、これっぽっちも恨みには思うておりませぬ」
「……だいぶ恨んどるな」
***
銃太郎の門下生たちは、教練が終わると途端に賑やかになる。
厳しい指導の直後だというのに、疲れなど全く感じさせず、これから遊びに行こうと誘い合う姿さえあった。




