第十二章 恭順の翳り(3)
「? どうかしたのか」
「ああいや、何でもない。時々こうして城下の皆の顔を見たくなるのじゃ」
顔、というよりは、彼らのその表情だ。
道行く人々の顔を見れば、大凡どのような暮らし振りかが窺い知れる。
訝る銃太郎にそう答えたが、瑠璃は気付かれぬようにそっと息を吐いた。
忙しなく行き交う人々の中に、旅装はあっても兵装はない。そのことに安堵を覚えていた。
「おい、瑠璃姫じゃないか?」
声が掛かって振り返ると、一軒の商家から暖簾をかき上げて表へ出てきた男が、凝然とこちらを見ていた。
五十を過ぎたくらいのその男には見覚えがある。と同時に、様子を眺めるにも場所選びを誤ったかもしれないと、瑠璃は眉を寄せた。
「黄山か」
中島黄山、城下亀谷町で蚕種紙業を営む商家の生まれであるが、学を好んで諸国を遍歴し、町人にはなかなか珍しい人間であった。
特に勤王の志に篤く、若君の傅役であり新十郎の養父である丹羽和左衛門とは、旧来の仲でもある。
「なんだ、随分な顔をしてくれるなァ。そう警戒するような間柄でもないだろうよ」
黄山はそう言って苦笑するが、黄山が城へ直訴して恭順を勧めたことは家老らの談義で仄聞したばかりである。
黄山その人とは本来何の蟠りもないが、藩是に対立する姿勢である以上、警戒しないわけにはいかなかった。
「しかし珍しい組み合わせだな。今日の従者は木村の若先生か」
黄山が瑠璃の横に立つ銃太郎をちらと見遣ると、銃太郎は無言のままに小さく会釈した。
「従者というより御目付役じゃな。それよりも、城下の様子はどうじゃ? 他領の者の姿も多かろう」
「仙台もとうとう兵を出したな。つい先日は五、六十人ほどの仙台兵がこの城下を過ぎて行くのを見たぞ」
頻りに出兵を急かされて、仙台も形式上先鋒隊を派遣したに過ぎないが、それでも藩境に向けて兵を出すということは、暗に戦の始まりを示している。
そう話す黄山に、瑠璃は身を強張らせた。
「では、仙台は会津に攻撃を仕掛けるのか!?」
「いや、同情的な姿勢は変わらんようだ。出兵も渋々だろう」
しかし、と黄山は繋ぐ。
「のらりくらりと躱し続けるのも、長くは保たんだろう」
「一学殿も新十郎殿も、会津へは諸藩の使臣と共に降伏を勧めると申しておったが……」
家中には薩長連合に対し強い敵意を抱く者が多い。一学と新十郎はそうした者たちを代表して反薩長を唱えながらも、やはり宿老、匙加減というものを心得ていた。
腹の底に薩長への憤懣を滾らせながら、それでもまずは──、という姿勢なのである。
果たして会津がその説得に応じるか、また応じたとして総督府がそれを受理するのか。
まだ初手すら打っていない状態での出兵は、事の成り行きを複雑にする。
「こんな状況だ。あんたのように町方の人間とも親しく関わる城の人間が、どうして帰順を説かずにいるのか、不思議でならん」
口籠る瑠璃に、黄山は更に矢継ぎ早に不服を漏らす。
「和左衛門殿ばかりか、若君すら遠ざけてるそうじゃないか。その上、私物を売り払って軍事費用に繰入れたと聞いたぞ。殿の公言に続いて姫さんがそこまでしてるってのは、まさか帝の軍に対して本気で徹底抗戦する構えじゃないのかって噂まで聞こえてきてる」
顰蹙も露わにする黄山に、瑠璃は息を呑んだ。
秘密裏にしたつもりが、町人の間で話が広まりつつある。
その耳の早さには恐れ入るばかりだが、ややあって瑠璃は口を開いた。
「会津は幕府にも朝廷にも忠義を尽くし、礼を尽くして身を粉にして働いてきたではないか。会津には帝へ仇為す意思などないはずじゃ。朝廷を恣に操り、兎にも角にも会津を討てと申す薩長に対して反発を覚えるのは当然であろう」
「そんなことは皆承知だ。だから仙台も討会令には消極的で、諸藩も会津に同情的だ。しかしよく考えろ、如何に薩長憎しと言えど、相手は錦旗を掲げた帝の軍だ。大樹公も降伏、江戸城も既に開城した。忠義を尽くすべき幕府はもうないんだぞ!?」
「それは──」
俄に語調の烈しくなった黄山との間に、すっと陰が割り込んだ。銃太郎だった。
流石に見兼ねたのだろう。瑠璃を背に庇うように立ち塞がると、銃太郎は瑠璃に一度だけ振り向いて黄山に向き直る。
「中島殿、瑠璃を責めてもどうにもならない。少し落ち着かれよ」
すると黄山も激しかけているのを自覚したか、さっと顔色を変えた。
「お気持ちは察するが、瑠璃は姫君です。執政ではない」
「そう、だな。……すまん、詮無いことを言った」
黄山が詫びると、目の前の銃太郎の背中もどことなくほっと安堵を漂わせたように見えた。
「ただな、姫さん。和左衛門殿や若様の話にも、少しは耳を傾けて貰えないか。それにあんたはいずれ、若君との婚礼だって考えにゃならん立場だろう? 不毛な戦に持ち込んで、態々足許を揺がすことはないだろう」




