第十二章 恭順の翳り(1)
四月十四日、総督府の醍醐忠敬、世良修蔵らが福島城下に入り、長楽寺に奥州軍事局を置いた。
二本松藩領の北に位置する福島藩からこの城下までは、目と鼻の先と言って良い距離である。
その報せは無論丹羽二本松藩にもすぐさま届けられた。
しかしこの時、二本松藩の藩是を代表して語る丹羽一学並びに丹羽新十郎は、仙台や米沢の使臣と共に会津へ謝罪降伏を勧告すべく、若松へ赴いていたのである。
一つ、領地の削減。
一つ、藩主父子の謹慎。
一つ、首謀家来の死刑。
降伏にかかるこれらの三ヶ条を、先行して会津入りした仙台藩の若生文十郎が説き、それを更に三藩使臣でもって後押しする形となる。
仙台藩には既に総督府が入り込んでおり、眉を焼くような状況下であったが、まず会津がこれを呑み勧告を受け容れなければ進展しない。
瑠璃は日課の朝稽古も終わらぬうちから、藩主長国に呼び出された。
そんな性急なことは一度も無かったために、打ち合っていた鳴海も流石に手を止め、険しい面持ちで瑠璃と顔を見合わせたのだった。
急ぎ支度を整えて父母の待つ部屋へ立ち入り、瑠璃はそこに背筋を伸ばして座すまだ小さな背中にぎくりとする。
養嗣子、五郎左衛門の姿もあったのだ。
平素別々に挨拶するものを、恐らく今朝は同席させるために早々から呼び出されたのだろう。
藩主である長国は病の癒えぬ身体を夫人久子に支えられながら、苦悶の色を浮かべていた。
「事態は今話した通りだ。今に我が藩へも、総督府の使者が訪れるやもしれぬ」
「はい。福島城下に軍事局を置いたのは、会津を討つよう命じる上での、我が藩への圧力も兼ねているものと存じます」
「丹波が何かと補佐するであろうが、そなたには丹羽家の名に恥じぬ振る舞いと判断が求められる。国入りから間もなく、勝手も分からぬであろうが、そこにいるそなたの義姉を頼るがよい」
長国の言葉を受けて、まだ前髪を残す顔がこちらを振り仰ぎ、にこりと笑った。
「はい、義姉上様におかれましても、何卒宜しくご教示を賜りたく存じます」
「えっ、ぉう……」
幼いながらにきりりと整った涼し気な面立ちで、一点の曇りもない眼差しを向けられた瑠璃は、何故かやや気圧されたような気になった。
と同時に、長国の傍らに控える母久子の控えめな咳払いが聞こえた。
「瑠璃、五郎殿にお返事を」
「……も、申し訳ございません。五郎殿、わたくしこそ、どうぞよしなに」
母の目があるので多少大袈裟なほどに取り繕うが、焦眉に迫る状況に張り詰めつつも、瑠璃を眺める五郎の目は好奇心にきらきらと輝いているようだった。
「病躯ゆえ、皆に任せるばかりになっておるが……。どうだ、皆砲術に励んでおるか」
不意に目を細めた長国の優しげな声が尋ね、瑠璃は居住まいを正して肘を張り、やや頭を垂れる。
「は、私も西洋流砲術の手解きを受けておりますが、家中は毎日射撃訓練に励んでおります」
「そうか。しかしそなたはおなごの身。くれぐれも危険のないよう計らうのだぞ」
「はい。師も大いに留意して下さいます。ご心配には及びません」
「瑠璃、あなたはおなごなのですよ? 言葉柄も挙措も、日に日に家中の男子のようになって……」
「良い、良い。これくらいの気丈さがなければ、この難曲を乗り切ることは出来まい」
心なしか咎めるような母の口振りに反して、父は薄く微笑みを浮かべて言う。二人ともに気性は穏やかではあったが、日頃の瑠璃の行いに対する見方は思い思いのようである。
父母へ微笑み返し、瑠璃は再度深く一礼した。
「丹波殿も昨今の対応に追われているようですが、藩是に違わぬようお努めの様子。父上様におかれましても、御身体十分にお厭い下さいますよう」
横合いから注がれる、義弟の煌めく視線に居た堪れなさを感じつつ、瑠璃はこれからまさに砲術訓練に出かけることを口実に場を辞したのであった。
***
「今日こそは何卒、若君様の御部屋までお越し頂きたく」
加齢のためか眼窩の落ち窪んだ嶮しい眼差しを向けられ、瑠璃はぎょっとした。
父母の前を下がると、瑠璃は手早く平素の小袖に袴を着け、足早に表門へ出ていく。その途中で、和左衛門に遭遇したのである。
「和左衛門か。そなたも諦めが悪いのう……」
義弟である若君が城へ入ってからというもの、城内の行く先々で視線を感じ、ともすれば声を掛けようと躙り寄る和左衛門の姿を目の端に捉えながら、その都度やり過ごしてきた。
が、やはり新十郎の存在が大きな枷になっていたと見える。一学と共に新十郎が城を開けた途端に、その接近は露骨で性急なものになった。




