第十一章 減らぬものなら金百両(2)
「すまぬ、才次郎……感謝する……」
「え? なんで瑠璃姫が俺に感謝するんだ……?」
才次郎はきょとんと首を傾げ、暫時あって漸くはっとする。
「あっ、そうか。そういえば姫君だもんな……」
篤次郎と一緒に瑠璃姫瑠璃姫と呼んでいる割に、その身分はすっかり失念していたらしい。才次郎は苦笑しつつ、悪い、と一言詫びた。
(無駄弾は気にしても私のことはあんまり気にしとらんな、こやつ)
勿論、それで良いと思うし、仲間としてごく自然に受け容れて貰えていると思えば幸いなことである。
「その心は忘れず持ち続けるといいぞ、才次郎」
目を細めて褒める銃太郎を、瑠璃はじっと見上げた。
「若先生っ、俺も! 俺も無駄にしないようにきをつけます!」
「ああ、分かった分かった。篤次郎は何度か撃っていたようだが、惜しかったな。修練を積む意味では、挑戦した結果撃ち損じて得られるものもある」
「はい! 敵の気配から動きを読むことも必要だと感じましたっ!」
風が森の木々を揺らし、沖天から少し西へ傾いた陽光が木漏れ日となって注ぐ。
その光を受けて、篤次郎の目はきらきらと輝き、真っ直ぐに銃太郎を見詰めている。
心底から慕い、憧れていることは間違いないだろう。故に兄弟弟子と張り合って、主張が大きくなりがちである。
すると、銃太郎がちらと瑠璃に目を向けた。
かと思うと、にこりと笑った。
「瑠璃も頑張ったな。今日は撃ち損じたかもしれないが、その経験もいずれ必ず役に立つはずだ」
「えっ、あ……うん。──そうじゃな! 次は必ず兎を仕留めてみせる!」
思いがけず頑張りを認めるような銃太郎の口振りに、僅かに驚いた。
真っ向から笑顔を向けられ、こんなふうに言われたのは、もしかすると弟子入り以来初めてのことかもしれない。
緑の匂いのする風が草木をざわめかせ、銃太郎の大きな髻を撫でていく。
銃太郎の笑った顔に笑窪が出来るのを、瑠璃はこの時初めてまじまじと見入ってしまったのであった。
***
「のう、澪。少し頼みがあるのじゃが……」
朝稽古を終えて汗を流すと、瑠璃は女中の手を借りて身支度を整えていた。
髪を整え、木綿の小袖袴から着替えを済ませる。身なりを整えての父母への朝の挨拶は、流石に欠かすことは出来ない。
機嫌伺いそのものは当然として、着替えが面倒だというのが正直なところだった。
どうせ打掛などはすぐに脱ぎ捨てて、小袖に戻ると城下に飛び出していくのだ。
「姫様の頼みは毎度結構大変なので、お控え頂きたいのですけど……?」
手際よく帯を結び、打掛を着せ掛けながら澪はげんなりとした声で言う。
確かに奔放に振る舞っている自覚はあったし、澪にもその分苦労を掛けている面は多いだろう。
「まあそう言わずに聞いてくれぬか。これは単純な我儘ではない」
「へぇー、そうですか」
唐花の文様の入った帯を締め、絹の打掛を羽織り、斑入りの鼈甲櫛や簪、銀製の花簪をちらと見遣る。
ろくに使いもせぬ品々が並んでいるのを目の端に眺め、瑠璃は内心で頷いた。
「出入りの商人を呼んで貰いたいのじゃ」
すると澪は手を止め、意外そうな顔になる。
「商人、ですか? ……姫様が?」
「そうじゃ。少ぅし簪や櫛を見とうての。目利きの商人を呼んでくれるか」
「えっ、姫様が……?」
何とも腑に落ちない表情で、ひどく訝りながらではあったが、澪は承知する。
この日、瑠璃は珍しく姫御前らしい装いのままに過ごし、城内でも奥御殿でも密かに奇異の目が向けられたのである。
姫君のお呼び出しとあれば、商いをする者の動きは早く、その日のうちに城の瑠璃に訪いがあった。
身に着けた物を除き、衣裳も小間物も手持ちの物は全て並べ置き、数々の品を揃えてやって来た商人を大いに戸惑わせた。
無論、奥御殿に仕える女中たちもその突拍子もない行動に驚き、流石に待ったを入れた者もあったが、無理矢理に見積らせてしまったのだ。
そうして得た金子は御金蔵へ収めるよう手配させ、瑠璃は目録に著した仔細を持って丹波を訪ねたのであった。
朱の振袖に打掛を纏ったままの瑠璃に、ほんの刹那丹波は奇妙な顔をした。
丹波と話をしていた最中だったのか、その腹心たる郡代・羽木の姿もあり、やはり丹波同様の反応を見せた。
瑠璃はずかずかと二人の側に寄って行くと、手にした目録をばさりと開き、羽木へ突き出す。




