第十一章 減らぬものなら金百両(1)
二本松藩に会津征討応援の命が下された急報が齎されたのは、花も間もなく満開か、という頃のことだった。
三月の初めに京を発した九条総督の一行は同月二十三日、仙台藩校養賢堂に入りその本営としたのである。
先に仙台へ派遣した家老日野源太左衛門らによって報せを受け、二本松藩では急遽更に丹羽一学、丹羽新十郎の両名を仙台へ派遣することとなる。
「征討応援とは、それでは仙台は兵を出すようになるのか」
「まだ分かりませぬ。会津と剣を交えるような事態にならぬよう努めますが、すぐに兵を出せるよう、手筈を整えておかねばなりますまい」
「会津との国境に、か……?」
出立間際の二人を捕まえた瑠璃が問うと、新十郎が早口に答える。その返答に、瑠璃は背筋を強張らせた。
笠を着け、取り急ぎの支度を整えた二人にも、流石に緊迫した気配が付き纏う。
「丹波殿に任すには少々頼りのうございますが、致し方無い。我らの留守中、皆が軽挙妄動に走ることのなきよう、瑠璃様も充分にご留意くだされよ」
一学もまたより一層眉根を寄せて釘を差した。
この二人が一度に揃って城を空ける。その事に一抹の不安を覚えた。
「……相分かった。そなたらも急ぐであろうが、気を付けてゆけ」
二人の背を送り出し、託すことしか出来ない身の上が歯痒かった。
四月に入り、藩は郡代羽木権蔵らを以て更に領内より二万八千両の才覚金を募る。
国事多端の折、財政は破綻寸前にまで追い込まれていた。
***
鞠よりも一周りほど大きな薄茶色の毛並みを狙い、瑠璃は叢からその引き金を引いた。
乾いた音と共に反動が伝わって仰け反りかけたが、撃ち放たれた弾が獲物に当たることはなかった。
「あぁー、仕損じた……!」
「惜しかったなぁ、瑠璃姫」
「へへん、俺より先に兎を仕留めようなんて甘いんだよ!」
土埃と草の瑞々しい匂いに混じって、銃口から立ち昇る硝煙が鼻を突く。
この頃は剣術等の稽古を免じて、家中の皆が連日砲術の鍛錬に専念するようになっていた。
よく晴れた日の砲術訓練は、射撃場を出て山や森で行うことがあり、この日もその一環で、城下の外れにある小高い山へ出て兎追いに擬えた射撃訓練を行っていた。
無論のこと、瑠璃も朝から参加していたが、臆病で用心深い兎はそうそう姿を見せず、また見つけたにしても気配を敏感に感じ取ってすぐに叢に隠れてしまう。
昔からの子供の遊びでもある兎追いは、動き回る的を撃ち抜く訓練には売って付けであった。
「なっかなか命中させられぬなぁ……」
撃ち損じた兎の逃げ込んだ下生えを眺め、瑠璃は悄然と肩を落とした。
一度逃げた兎は一層警戒するために、叢深く潜り込んで二度は姿を現さない。
事故を防ぐために門下生は斜面の高みから横一列に並んで麓へ向かって兎を狙ったが、集合の陣太鼓が打ち鳴らされるまで、列のどこからも仕留めた声を聞くことはなかった。
「くっそー、俺も全っ然駄目だぁ……! すばしっこいんだよ、兎ぃ!」
「まあまあ篤次郎、俺なんか結局一発も撃てなかったんだから」
普段成績の良い篤次郎までもが歯噛みして地団駄を踏むと、更に隣の才次郎がそれを宥める。
「ええ? 一発も撃たなかったって、何だよそれ?」
一発も当てられなかった、ではなく、そもそも才次郎は発砲をしなかったというのだ。
それを妙に思ったのだろう、篤次郎が怪訝な顔付きで尋ねる。
「だって、俺が狙うと兎はすぐ逃げるから……」
「えっ……うん、当たり前だろ……?」
兎にしてみれば命の瀬戸際なわけだから、逃げるのは当然だ。逃げる相手、動く相手を撃つ練習なのに、という顔で呆れる篤次郎だが、才次郎はやや肩を落し気味に笑った。
「けど、当たらないと分かって撃ったところで、弾を無駄にするだけだろ? 殿様の弾薬を無駄にすることは出来ないなと思って」
才次郎の答えを傍らで聞き、瑠璃は目を瞬いた。
「さ、才次郎……」
なんて出来た御子なのか。と、声にもならない衝撃であった。
驚嘆しながらも賞賛の言葉を掛けようと、瑠璃が口をぱくぱくさせたその時、低く落ち着いた声が割り込んだ。
「才次郎、それは良い心掛けだ。無駄弾を撃たないこともまた、大切なことに違いはないからな」
ぽん、と才次郎の頭上に大きな掌を載せて、銃太郎が頷いた。
どうやらそばで話を聞いていたようで、その心掛けを褒めたのである。
少しも無駄を出せない藩財政の逼迫を知ってか知らずか、番入り前の少年にすら、そうした精神が根付いていることに只々舌を巻いた。
姫君である自分は窮状を知りながら、当たらぬ弾を撃ったというのに。




