第十章 心恋(1)
風は凪ぎ、蒼天から暖かな日差しの降る麗らかな日和であった。
同門の兄弟弟子たちを招き、瑠璃もまたお付女中の澪を連れ出して来ていた。
無礼講は大前提での花見の席である。
野点の茶を頂く傍らで澪が荷担組を解き、重箱から花見用の餡団子を取り分ける。
その所作は一分も躓くところなく、美しい。
厳しく躾けられたのがよく分かる。
ふと顔を上げれば、五分咲きの桜が空色に映えた。
手入れの行き届いた庭園には、声を掛けた銃太郎門下の少年たちが二十名ほども遊び、師範の銃太郎や直人、助之丞や栄治など日頃親交のある者を身分の別なく招いていた。
趣のある景色の中、少年たちが賑やかに燥ぐ声は眺めるだけで微笑ましいものだった。
の、だが。
「──っなーんで鳴海の茶園なのかのぅ」
至極ささやかに、ひっそりと花見をすると話しただけである。
だが、澪にそう打ち明けた途端に鳴海の耳にまで入り、あれよと言う間に段取りが済んでいたのである。
気が付けば、大谷家の茶園での花見となっていた。
「さあ、姫様。お団子を召し上がられませ」
「あ、ありがとう……」
澪に差し出されるまま団子を受け取る。
「瑠璃様……このような場で、何故そんな粗末なお召し物を……」
晴天の花に似合わず曇り顔の鳴海が、実に恨めし気な視線を送って寄越した。
かく言う鳴海はといえば、登城時と同じく熨斗目小袖に裃を着けている。
「そなたも平服でよいぞ……?」
「ぐぬぬ……今日こそは久々に麗しいお姿を拝見出来るかと、それは楽しみで夜もちょっとしか眠れぬ日々を過ごしたというのに……!」
聞いてか聞かずかぶつぶつ独りごちているが、そもそも今日は鳴海を含める予定はなかった。
が、茶園を開いて饗してくれていることを思えばそこに言及するわけにもいかず、瑠璃は苦笑する。
「あー、ところで鳴海。そちらの殿御は……?」
鳴海のそばにはこれまであまり見なかった顔が控え、さっきから黙々と団子を頬張っている様子が気になっていた。
「ああ、このほど大目付となった黒田傳太と申す者です。何を隠そう、先日の上書はこやつが運んで来ましてな」
鳴海の紹介を受けて、傳太は瑠璃へ会釈する。
反射的に瑠璃も黙礼したが、新十郎が破り捨てた上書の件を思い出し、瑠璃はふと短く息を吐く。
「ああ、そうなのか。……こんな無駄をするから脛毛で楯突かれるのじゃぞ。花見なぞその辺の野っぱらで充分じゃろ」
「分かっておられませんなぁ、瑠璃様。だからこそ、私の茶園を差し出しておるのですぞ?」
心得顔で少々鼻を高くする鳴海に、瑠璃は素直に首を傾げた。
あの後新十郎から聞き出した話によれば、揚屋入りとされる切っ掛けになった三浦の上書には、藩政改革の他、三百石以上の家臣の禄を減じるよう藩財政にも言及していたらしい。
確かに、近年の藩財政は窮乏していた。
長きに亘る富津在番、軍備の増強等における費用は並々ならぬ負担となって領民に圧し掛かった。
お上の命とあらば御用金は出さざるを得ず、しかもそれは返される見通しなど無いものだ。
御用金とは上辺だけで、事実上の献金である。
民の血税で賄われる俸禄を受けながら奢侈に流れる大身の暮らしぶりを嘆いたがゆえに、三浦も相応の覚悟を以て上書を提出したのだろう。
ところがそれは要路には容れられず、結局揚屋入りとされてしまった。
「奴は畏れ多くも殿のお出まし一つとっても、出先の農家に迷惑がかかるとして突っ掛かっていく。──まあ、怯まず信を貫く姿勢には感服するばかりですがな」
寧ろそういう気骨ある男は嫌いではない、と鳴海は付け加えた。
現に、三浦のその諫言を受けた藩主は喜んで聞き入れたという。
「今の番頭に樽井という者がありますが、その父などは奴を甚く気に入ったようで、娘を嫁にくれております」
「ほう? そうだったのか」
樽井家と言えば六百石の大身。過去には代々家老を歴任していた家だ。
その樽井が百三十石の三浦家へ娘を出したのだから、その入れ込みようは想像に難くない。
「瑠璃様が常に無駄に質素な形をされていることは今や家中に知らぬ者はございますまい。しかし、家中には様々な者がおります。人目に触れるところで花見をしていては、良からぬ噂を立てられる恐れもある。しかしここならば、矢鱈に人目に触れずに済みますからな」
言われて改めて、瑠璃は息を呑んだ。
鳴海の言う通りだからだ。
いくら自分が簡素に振舞ったところで、大勢いる家中がどう見るかは分からない。
「……鳴海、すまん。気を遣わせた。そなたの申す通りじゃ」
瑠璃に対し避難が生まれれば、それは即座に藩主一家の悪評となり、加えてそれに連なる重臣や親しい者たちへ迷惑が降りかかることになる。
考えの至らなかったことを詫び、瑠璃は目を伏せた。




