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第六章 対立の嚆矢(3)

 


 瑠璃に手本を見せるように大根を切りながら、ミテは言う。

 襷をかけて包丁を握るその姿は、まだ若々しく美しい。

 前夫と死に別れて木村家に再嫁したというが、伏し目がちな横顔を眺めていると、女の瑠璃でもどきりとしてしまう。

「ミテ殿は今、幸せかの?」

 再嫁ということは、前夫との死別後、実家が取り付けた縁で木村家にやって来たのだろう。

 無論、その前夫との婚姻も家格相応の家同士、縁組されたはずである。

 本人が望むと望むまいと、例に漏れず家同士の取り決めによるものだろう。

 武家に限ったことではないが、婚姻とはそういうものだ。

 唐突な問い掛けに、ミテはその手を止めて瑠璃を振り返る。

「……姫様?」

「いや、すまぬ。何でもない」

 ぽかんと口を開くミテに気付き、瑠璃は慌てて(かぶり)を振った。

 

   ***

 

「悪かった、さすがに我慢出来なくて」

「悪いな。……いや待て、俺は悪くなくないか? 姫と直人のとばっちりだ」

 道場に居残った直人と栄治が並んで座り、その正面にはぶすっと顰め面の銃太郎が腕組みして鎮座する。

「山岡さんも一緒に笑ってたでしょう! あなたもう二十六でしょ、他の手本になって然るべき人が何してんですか!」

 妙な壺にはまった二人が笑い転げたお陰で、講義らしい講義が行えず終いだった。

 年端もゆかぬ子供たちのいるそばで、大の大人がこのざまでは示しなど付くわけもない。

「大体、姫君が詫びただけでなんで二人が噴き出す必要があるんですか」

「え、いやぁ、だって──」

「まあ、姫がだな……」

 銃太郎が問い質せば、二人は互いに顔を見合わせ、またぞろ口許を歪ませて声を震わせる。

「そう、姫様が」

「ほ、ホイ、って──ゴフゥ」

「んブーッ」

「………」

 箸が転げても可笑しい年頃はとっくに過ぎたはずの二人が、大きな肩を震わせて堪えるのを眺めていると、銃太郎も自然とつられて口の端が上がりそうになってしまう。

「ちょっと……、何が面白いんですか……!」

「お前も顔が笑ってるだろ、何が面白いんだよ……!」

「姫様すごいよな、お前まで笑わせるなんてなかなか出来ないぞ」

 直人はそう言って瑠璃を持ち上げる。

 だが、これは目の前で肩を揺らし続ける二人につられているだけで、別に瑠璃に笑わされているわけではない。

 そう否定しようにも、一度緩んだ口許がもとに戻ることはなく、銃太郎もついに噴き出して笑声を上げてしまったのであった。

「ところで山岡さん」

「何だ?」

 一頻り笑ってから声をかけると、銃太郎は思い切って気に掛かったことを訊ねようと口を開く。

「姫君とはお知り合いですか」

「そうだな、七、八年くらい前からの付き合いだぞ」

 随分と長い付き合いだ。

 片や城の姫君、片や恤救身分の若い家中。

 到底何らかの接点などあろうはずもないのだが、先程の慣れた様子から察するに付き合いの長さは嘘ではないのだろう。

 思い返せば、直人もそうだ。

 ついこの前初めてお忍び中の瑠璃に遭遇したばかりだが、今やごく親しげにしている様子だ。

 城の重臣は無論のこと、青山助之丞と言い、ここにいる山岡栄治と直人、更には篤次郎も、継母のミテですら構えず接している。

 近頃では銃太郎自身も徐々に遠慮が失われてきているのを自覚していた。

「……本当に、誰とでも親しくするんだな。あの姫君は」

 指南役を仰せつかるのに、大いに頭を抱えていたのが馬鹿らしくなるほどだ。

 ぽつりと呟いたその時。

 母屋へ繋がる戸口のほうから足音が聞こえた。

「銃太郎殿、こっちにおるのかー?」

 瑠璃の声だ。

 次いで間口から今や見慣れた顔がひょこりと覗く。

「なんじゃ、まだおったのか」

 栄治と直人の二人の姿を認めると、瑠璃はどこかほっとしたように破顔して道場の板敷きへ足を踏み入れる。

 先刻の所業が後ろめたいのだろう。

 仲間の姿を見付けて安堵しているふうだ。

 だがそうした表情も一瞬で、瑠璃は銃太郎の傍らに跪くと、今一度深々と頭を下げた。

「銃太郎殿、さっきはその、本当にすまなかっ──じゃない、申し訳ありませんでした!」

 手を付き、床に伏したままの姿勢から微動だにせず、銃太郎の許しのあるのを待っているらしい。

 過ちは素直に詫び、筋を通そうという気持ちはある様子だ。

 銃太郎はほんの僅か視線を泳がせ、閉口した。だが、またすぐに目の前に伏す瑠璃に目を向けると、吐息交じりに声を落とす。


 

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