170:〝超越者〟
えー、、、大変たいへんご無沙汰しております。
コミックス4巻が発売になるので、おめおめと戻ってまいりました。すいません。ほんとにすいません。またしばらくお付き合いいただけると幸いりす。
前回までの迷宮メトロ
・カーバンクルの聖地ナカノに、獣王〝万象地象ワタナベ〟襲来。その目的は獣王〝鮮血風鼬スズキ〟の命。
・戦争開始、と思ったらアベシューは不思議な精神世界で目覚める。リョーショーと名乗る老人と世界の謎を語り、仲間たちの動向を見ることに。
・戦争の手助けにと「御神木の根を切る」クエストに挑むタミコたち、辛くも襲撃者を退ける。そこに現れたのは旧知の獣王〝氷絶龍鮫サトウ〟だった。
「――ヨシツネくんは、ヤキューという遊びを知っているかい? この国がまだニホンと呼ばれていた頃、国民の間でたいそう親しまれていた競技の一つさ。僕の生まれ育ったセンジュトライブでは子どもたちの公園遊びの定番でね。簡単に言うと、投げた球を棒で打つ遊びなんだ。球を、棒で打つんだ」
「なんで二回言ったんですか?」
「ニホンではそれを生業とする高給取りのプロヤキュー選手もいたりして、海の向こうの国々と世界大会が開かれるほど人気の競技だったそうだ。ときにプロ選手として有望かどうかを見極める指標として、尻の大きさというのが重要視されていた。わかるかい? 目にも止まらぬ豪速球を投げる、あるいはそれを遥か地平線の向こうまで打ち返す……そうしたパフォーマンスを実現するためには下半身から全身へ連動する莫大なパワーが必要になる。ヨシツネくん、わかるかい? すなわちヤキューとは鍛え抜かれし男たちが尻とプライドをぶつけ合う崇高な――」
「リョーショーさん、このへん早送りしてもらっていいすか?」
「阿部くんは野球は興味あったかね? なにを隠そう私は東京生まれの阪神ファンでね。平成の終わりに阪神の優勝を見れなかったことが人生の心残りの一つなのさ。今でもたまに夢に見るよ……あのまま何事もなく新しい年号を迎える世界線だったなら、私が天寿を全うするまでに阪神の優勝を拝めただろうかと」
「無理でしょうね(巨人ファン)」
突撃槍のごとく鋭い円錐形の腕先が、高速で回転しながら伸びてくる。
防御も受け流しも許されないそれを、クレは地面すれすれに飛び込んで回避。相手の足首に手をかけて反転、背後をとる。
「キャァッ!」
奇声とともに〝指揮者〟が引き戻した腕を後ろに払う。
クレはその腕を下に押し崩す。前のめりになった相手の顎をかち上げ、
「入身投げ」
後頭部から地面に叩きつける。舌を切ったのか、〝指揮者〟の口からゴパッとどす黒い血があふれる。
「――からの」
怯んだ相手をうつ伏せに転がし、
「クレ式活殺術〝己絞め〟」
伸びた腕を首に巻きつけて後ろから絞めあげる。ちなみに即興だ。
「君ら関節効かないけど、脳みそはあるっぽいもんね」
「グ、ギギ……!」
〝指揮者〟は足をバタバタさせてもがくが、クレは膝で背中を押さえて相手の動きをコントロールする。
「ギャァアアッ!」
ぶつん、と腕がちぎれる。いや、自分の意思で切り捨てたのだ。
「ちっ――」
腕を投げ捨てるクレ、その一瞬の隙にぬるりと拘束から抜け出る。
左腕を突撃槍に変え、飛びかかってくる。
クレも真っ向から迎え撃つ。回転する突撃槍の付け根――手首を手刀で跳ね上げ、
「これが僕の――」
触れた胸板から背中へ、衝撃が突き抜ける。交差する勢いにより威力を倍加させる。その名も、
「――〝飛龍伝武〟だ」
「……ガフッ……」
〝指揮者〟は顔中の穴という穴から体液を噴き出し、ずるりと崩れ落ちる。枯れ果てた老人のようにしおれ、完全に沈黙する――。
「ふう……終わったよ、ヨシツネくん」
「遅かったですね。こっちは根の切断も終わってますよ」
ヨシツネはそう言って【不壊刀】についた樹液を振り払った。足元には〝指揮者〟の率いていたメトロ獣の死骸が転がっている。
「こほっ、くっ、ごほっ……」
「だいじょぶかい?」
彼の持病、メトロ喘息の発作のようだ。
「ぐふっ……んんっ……だいじょぶです、ちょっと失礼」
ヨシツネはバッグから袋をとり出し、口元に当ててすーはーと呼吸する。袋の中には葉っぱが入っている、というと字面的にヤバいが喘息の症状を緩和するベポラミントだ。
「ふう……お待たせしました。少し休憩にしてもいいですか? こいつらの胞子嚢、いただきたいので」
「構わないよ、時間もまだあるしね」
やや顔色が青ざめていたのも束の間、ヨシツネはウキウキとして獣の解体を始める。もろに人型な〝指揮者〟も当然のごとく逃さない。
「この〝指揮者〟ってやつ、明らかに狩人の菌能使ってきますよね」
「人間の胞子嚢から増やした分身、ということなんだろうね。となると、果たしてそいつの胞子嚢は人間のものなのか、それとも獣なのか? ちょっぴり哲学的な問いに発展しそうだ」
「もぐもぐ……ちゃんと力になってる感じありますけどね」
クレも一つもらってみた。共喰いの経験はないが、確かに他の獣と同じように自身の血肉になっている感覚はある。ベースは人間だとしても、こうして〝指揮者〟として生まれ変わった時点でワタナベのほうに変質しているのだろう。
「もぐもぐ……こんなときでもレベリングとは、ヨシツネくんの貪欲さには恐れ入るね。僕も見習わないと、もぐもぐ」
メトロ喘息持ちのヨシツネは、メトロで自由に狩りをすることができない。地上の獣では量も質も心もとなく、故に強敵の胞子嚢に飢えるのもしかたのない話だ。
「まあ、もぐもぐ……そうでもしなきゃ、追いつけないですから……もぐもぐ」
「もぐもぐ……目標とする人……もしかして、兄君のことかな?」
咀嚼がぴたりと止まる。ヨシツネは眉間にしわを寄せ、小さく首を振った。
「……目標、とはちょっと違うかもですけどね」
***
一通り食事を終え、二人は次のポイントへ向かうことにする。
「えっと……ここはどこでしたっけ……」
ヨシツネが地図を広げるより先に、
「さっきのポイント『ヘの十三番』から南南東の少し下に進んだところだ。次にここから近いのは『ロの九番』かな」
確認してみると、クレの言うとおりだ。
「……何度も同じこと言いますけど、クレさんを見てると、自分が天才なんて言われるのが恥ずかしくなりますよ」
この子どもの落書きみたいに複雑な地図を、最初に一目見ただけで全部記憶したという。しかも行く先々で次の目的地までの最短ルートを数秒で発案してのけるのだ。
「その地図、縮尺も遠近感も見事なまでに再現できてるからね。ナカノの人たちは隅々までこのメトロを調べ尽くしたんだろう。いや……あの本物のお社様の仕業かな?」
「住民じゃなくて、あの獣王が? なんでそう思うんです?」
クレは小さく首をひねり、「いや、なんとなくね」と曖昧に肩をすくめた。
「ともあれ、僕らのノルマは二十二本、ここまで処理した根は十九本だ。あの男の言う八割方という最低ラインはすでにクリア済みだけど、時間的にあと一本はいけそうだね。ヨシツネくんの体調はどう?」
「だいじょぶです。まだ発作は軽いですし、ミントも効いてますから。ここまで来たらノルマ全部こなしちゃいましょうよ」
「いや……次を最後にして、ここを出よう。君の体調もそうだけど、それ以前に……」
クレが天井を仰ぐ。
「地上ではすでに怪獣大戦争が始まっている頃だ。僕らの役目は、この御神木を傷つけて〝超フィトンチッド〟を過剰分泌させ、やつらの進軍と士気を鈍らせることだ」
「そのあとに、最後の作戦に移行するから早く逃げとけ、でしたっけ?」
「あの男がその詳細を僕らに伝えなかったのは、おそらくその知識ごと敵に吸収されることを恐れたからだろう。となると、あの男の中ではその『最後の作戦』こそが真の狙いなんじゃないかと、僕はそう予想している」
「筋は通ってます、けど……なんでしょうね、その作戦って?」
答えるまでに、クレは少し間を置いた。
「……いくつか想像してるけど、それは言わないほうがいいかもしれないな。いずれにせよ、早めに避難したほうがよさそうだ。僕としても一秒でも早くシュウくんの元に駆けつけたいからね」
辿り着いた行き止まり、ここが『ロの九番』。
「これまた……ちょっと骨が折れそうですね」
またも巨大な根が露出していた。これまでより一際太くたくましい。御神木特有のむわっとする空気がいっそう濃い。見上げながらヨシツネは【不壊刀】を生み出す。
「クレさんは周囲の警戒しててもらっていいですか?」
「…………」
「クレさん?」
彼は呼びかけに応えなかった。顎に手を当て、根を見上げたまま硬直している。深い思考の中に潜っているかのように。
「……そういうことか……」
「へ?」
「……いや、そう思わせて……僕なら〝橋〟に……」
「クレさん? もしもし?」
ヨシツネが視線を手でチラチラ遮ると、クレはようやくはっと我に返った。
「なにか気になることでも?」
「いや……まずはここでの用事を済ませよう。そうしたらすぐに――」
「やあ」
二人の足元に、
顔がズボッと現れた。
「「――っ!」」
二人が同時に攻撃に移る、
より先に、地面から現れた刃が二人を狙う。
「ちっ」
二人が飛び退くと、顔の持ち主はヌルリとミミズのように地面から這い出て立ち上がった。裸の人型の怪物――〝指揮者〟だ。
「その顔……見憶えがあるね」
「よく顔の区別なんかつきますね。僕も……あの腕には見憶えがありますよ」
巨大な刃状に変形しているその腕――あの隠しメトロで遭遇した、スドウの腕を切り落とした個体だ。
「私も君たちのことは憶えている。豊潤な魂たちよ」
ボゴッ、ボゴッ、と地中や壁面からメトロ獣が現れる。ゴブリンやらオーガまでお馴染みながら多様な顔ぶれだ。
「さてヨシツネくん、恒例のジャンケンといこうか。勝ったほうが親玉、負けたほうが雑魚――」
言いかけたクレを、ヨシツネが【不壊刀】で牽制した。
「すいません、クレさん。こいつだけは譲れません、大事な用があるんで」
「…………」
二秒ほど目を合わせたあと、クレは苦笑まじりにうなずいた。
「しょうがない、君の真剣さに免じよう。残りは僕の実験台にさせてもらうよ、〝飛龍伝武〟や〝金剛伝武〟を完成させるために」
クレが舌なめずりとともに獣たちのほうへ飛び込んでいく。ヨシツネは殺気を向けて〝指揮者〟をその場に釘づけにする、案の定やつはヨシツネを警戒して動かない。
「……お前を殺す前に、一つ訊いていいかい?」
「殺すのは無理だが、なんだい?」
「自分の元になった人間の記憶はあるか? あるいは……僕のことを知っているか?」
この怪物は――ヨシツネのよく知る太刀筋を使っていた。
ヨシツネの兄、狩人ギルド最強の男、〝超越者〟カン・ジュウベエと。
(獣王の侵攻が始まっている)
数十年に渡り、メグロ本部の狩人たちが封じ込めていたワタナベが、地上に出てここへ攻め込まんとしている。包囲網はすでに崩壊している、そう考えるほうが自然だ。
ならば――兄は?
眼の前にいるこの怪物は、その成れの果ての姿ではないか?
「…………」
〝指揮者〟は目をきょとんとさせて、不思議そうに首をかしげた。
「……質問の意図がわかりかねる。私は私だ、私は一つの私であり、すべての私の一部だ。あなたについては――よだれが出るほど焦がれた魂であると、私にとってはそれだけだ」
生前の記憶はない、ということか。
ヨシツネは小さく鼻を鳴らし、
「……まあいい。剣を合わせればわかる」
黒刀の切っ先を、まっすぐに向けた。
「お前の元が兄さんなら、手間が省けるだけさ。僕は――いつか最強を超えるために、この剣を磨いてきたんだ」
次回、9/28に更新予定です(たぶん)。よろしくお願いします。
それと「コミックス4巻」が9/29に発売予定です。表紙にはリスが!ネコが!ブタのおっさんが!
各ストアで予約可能になっておりますので、何卒なにとぞ。
以下駄文
・キンタマの神様の警告を受けた話
※己への戒めとして、また皆様の健康の啓発のために。
昨日のことですが、近所の泌尿器科を受診しました。
ここ一週間ほど、ときどき右のキンタマにかすかな鈍痛がありまして。「なんなんだろうなー」と昨晩ふとお風呂でセルフチェックしてみたところ、
右のキンタマに、謎のしこりを発見。走る衝撃。
慌ててネットで調べてみたところ、色んな病名が出るわ出るわ。中でも作者を絶望に落とす恐怖のワード、
「精巣がん」。
凍る背筋。この夜はほとんど眠れませんでした。
そうして翌朝一番に病院へ直行。お医者さんに触診されジェルを塗られエコーをとられ、下された診断は、、、
「精巣上体炎」。
キンタマの上部にある繋ぎ目の部分が炎症を起こす、お医者さん曰く「キンタマの風邪」。よくある病気だそうで、この感じだとほっときゃ治るとのことでした(しこりは残るかもらしいですが)。
私もその病名はぐぐったときに目にしていたのですが、「発熱を伴う」という症状が当てはまりませんでした。
先生に尋ねたところ、「慢性・急性にかかわらず発熱しないケースもザラにある。ネットで自己診断せずに、心配なら病院で受診を」と。ともあれ精巣がんでなくて心底ほっとしました。
本作にてキンタマキンタマと面白おかしく書いてきたバチが当たったのか、これもキンタマの神様の警告だったのかもしれません。今後は心を入れ替え、キンタマを崇め奉りながら生きてまいります。
精巣がんは非常にまれな病気ではありますが、自分では気づきにくいほど症状に乏しく進行も速いという怖い病気でもあります。
読者諸兄におかれましても、ときどき自分で触診してキンタマの声に耳を傾けてみてください。




