163:引きこもりの侵略
ご無沙汰りす。
・タミコたちと菌玉たちが二手に分かれてギラン救出作戦へ。
・メトロの中で巨大スライムと遭遇。
・一方ギランと団長は獣王ワタナベと対峙。
「実験動物、か」
青白い肌の、人の姿を模した怪物がぽつりとつぶやいた。そいつの手から滴る自分の血を、ギランは奥歯を噛みしめて睨みつけることしかできなかった。
「私をそう呼んだのはあなたで二人目だ、見知らぬ〝糸繰士〟よ」
「ああ、初対面だったっけな。元イケブクロのツルハシ・ミナトだよ」
怪物のつるりとした顔が一瞬曇った。
「私の中にある記憶では、そのような人相ではなかった。【不滅】の効能で老化や傷跡による外見の変化は原則起こり得ないはずだが」
「うっせーな、年とるといろいろあんだよ」
「しかし、そのにおいが〝糸繰士〟であることに間違いはない。お初にお目にかかる、私は、君たちが〝万象地象〟と呼ぶ存在だ」
(こいつが)
(獣王の一角、〝万象地象〟ワタナベ)
数万に及ぶ〝眷属〟を持つ。〝指揮者〟と呼ばれる分身のような個体を量産し、〝眷属〟を連れて侵略を行なう。それが〝万象地象〟ワタナベという災厄の形だ。ギラン自身相対するのは初めてだが、目の前にいるこいつがその〝指揮者〟の一体なのだろう。
(だが、なんでこんなところに?)
「んで、なんでてめえがここに来てんだよ? 呼んだ憶えねえぞタコ野郎」
「ようやくここまで来れたということだよ、ツルハシ・ミナト。すべてのメトロは分断されている、しかし道は――」
〝指揮者〟の身体がぽうっと赤い小さな光に囲まれかと思うと、そのセリフの続きは赤い閃光と連鎖的な爆炎で吹き飛んだ。爆破効果のある塵術か。
「ひゃっひゃっひゃっ! しゃべってるとき無防備になんのは、人間もバケモンも一緒だな」
朦々と立ち込める煙――を裂いて無数の触手が団長へと伸び、
「おっと」
それらはギィンッ! と【障壁】でことごとく弾かれた。
煙が晴れると、焼け焦げ、抉れ、ひしゃげた怪物がかろうじてそこに立っていた。
「……ああ、会話などどうでもいい」
しゃがれた声でそう言い、ぶるっと身震いすると、損傷は粘土細工のように一瞬でふさがっていた。
「魂……極上の魂……〝糸繰士〟、魔人、〝使徒〟……すべて私が喰らう。貴様の魂を、私に寄越せ」
「なにが魂だよ、無駄に詩的表現気取ってんじゃねえよ」
団長の背中から四本の菌糸腕が生じ、それらが黒刀を握った。
(……化け物同士が……)
この対峙、容易く割り込めるものではない。【騎士剣】を握りしめながら、ギランは機を窺うことしかできない。
(こいつが本当にワタナベの〝指揮者〟なら)
(シンジュク封鎖線の部隊は、どうなったんだ?)
狩人ギルド史上最強の男、〝糸繰士〟を除いて唯一レベル90の壁を突破した〝超越者〟カン・ジュウベエ。
彼の率いる部隊が、シンジュクメトロに日々湧いてくるワタナベの〝眷属〟を封じ込めていたはずなのに。
(彼らは、どうなったんだ――?)
そのとき、音がした。
「ぐっ!」
まるで脳みそに直接突き刺さるような甲高い音。団長は平然としている、おそらく普通の人間の耳には聞こえない超音波だ。
(――……なんなんだ、なにが起こってる……?)
ぱらぱらと天井から埃が降り落ちる、それは上階から発せられたようだった。
***
地下四階から五階へと下りる、その階段の手前。
先導するスドウが足を止め、続いてクレたちも立ち止まった。
「スドウさ――」
それ以上、言葉にならなかった。
前方に、裸の男が立っていた。こちらに背を向けるようにして。
(――……!)
一瞬で、クレの肌がぞわりと粟立った。
男はゆっくりと振り返り、こちらに目を向けた。
「…………あれ? なんだろう、これ?」
抑揚のない声で男はそうつぶやいた。
(……こいつは……)
潜伏中の賊かと思ったが、ひと目で違うとわかった。
「見憶えのある顔がいくつか……この魂の、記憶か……?」
剥き出しの肌は変に青白く、粘液のようなものでぬらぬらと濡れている。必要最低限の筋肉を備えた身体はすらりとして、腕だけがアンバランスに長い。体毛は眉毛に至るまで一本も生えておらず――性器もない。
(こいつは、人間ですらない)
オウジメトロで対峙した魔人より、これまで出会ったどんな生き物よりも禍々しい。
「……なんだ、貴様は……?」
そいつに一番近いスドウが尋ねた。声が若干震えていた。
「おい、そいつから離れろ」
菌玉の声もいつになく強張っていた。
「それに……このにおいは……ふむ」
青白い男は犬のように鼻をひくひくとさせ、その手を前に突き出した。
「下がれっ!」
菌玉がさけび、そして一瞬だった。
金色の菌糸玉が、横合いからスドウを打ちつけた。
スドウの立っていた場所にまっすぐ閃光が走り、スドウの右手が肩から切り離されてくるくると宙を躍った。
「――あれ、外した」
切断したのは、青白い男の右手――長大な刃状に変形した腕だった。
痛みに悶えるスドウの巨体を、男の二撃目が届くより先に金色の菌糸玉がこちらへ引き寄せた。
同時に男へ向けて無数の菌糸玉が放たれ、
「なんだこれ」
男は左手も刃化し、両腕を鞭のように振るってそれらを叩き落とした。
「全員逃げろっ! 行けぇっ!」
雨のように打ちつける菌糸玉を、男は無造作に腕を振りながら払いのけ、軽々とした足取りでどんどん距離を詰めてくる。
「邪魔」
振り下ろされた剣の腕。
菌玉の脳天に落ちる寸前で阻んだのはヨシツネの黒刀だった。
「ぐっ……ぎぃいっ……!」
押し返し、そのまま目にも留まらぬ速さで数合打ち合う。けたたましく衝突して火花なく爆ぜる。
「鬱陶しい」
力任せにギュンッと振り回した両腕がヨシツネの刀をはじく。とどめとばかりに男が踏み込んだ瞬間、
「ナイス、囮」
死角、ヨシツネの影から潜り込んだクレが、男の脇腹にてのひらを張りつける。
(〝伝武〟)
ドゥン、と男の身体が揺らぐ。
(――!?)
「……なんだ?」
軽く押されたくらいの驚き、表情も変えずに。まあいいやという風に剣を振りかぶる。
上段からの振り下ろし。刃になっていない肘にクレは手刀を合わせ、関節の内側に指を掛けて引く。ガクンと男の重心が前のめりに崩れたところで足元に滑り込み、足首に絡みついてうつ伏せに倒す。
ペキ、とアキレス腱が悲鳴をあげてちぎれ、
(やっぱり)
お構いなしと言わんばかりにブンッと突きが迫り、クレは側転ですぐさま飛び退く。
「こういうのは初めてだな……どの私も、記憶にない」
片足をひょこひょこさせつつ、それでも平然と立ち上がる男。
アキレス腱は確実に断裂させた。それは人体に与える苦痛でも最上級、なのに屈曲反射は微塵も起こらなかった。痛みを感じていないのは明白だ。
それに、〝伝武〟の手応え――衝撃が貫通も拡散しなかった。クレ自身もよくわからないが、少なくとも今まで打ち込んできたどの生き物とも違うようだ。
「もうええ、お前らは引っ込んどれ。儂がやる、久々に本気でな」
構え直すクレとヨシツネをすり抜けて、菌玉が前に出た。
「菌玉さん……」
「さあ、しかとその目に焼きつけよ。最強奥義〝菌玉観音〟――……?」
男が、クレたちに背中を向けてふらふらと歩きだし、
「そうそう……これこれ……忘れてた……」
ぶつぶつ言いながらスドウの腕を拾い上げ、
「んー……すぅー……」
まるで葉巻でもそうするかのように、鼻の下にこすりつけるようにしてにおいを嗅いだ。
「…………!!」
その目がカッと開き、ぶるぶると身体が震えだし、そして――
「はは……はははっ……!!」
ぞっとするような悪魔的な笑みで、クレたちをじろりと睥睨した。
「このにおい……そうか、意外と近くにいたんだな、我が同胞よ」
「もういい。死ね、玉なし」
菌玉が手をかざした瞬間、男は口を耳まで裂けんばかりに開いて咆哮した。
その声自体はクレの耳には聞こえず、しかし鼓膜が破れそうなほどにビリビリと振動し、石壁からぱらぱらと震えた。
一瞬怯んだクレたちに、男はにたりと笑いかけ、そのまま床を蹴った。背中を向け、階段のほうへ一目散に。
「逃がすか!」
菌玉の菌糸玉を何発も受けながら、それでも青白い輪郭はびくともせずに階段の奥へと消えていった。
「……ちっ、仕留めそこなったか」
(今のは)
おそらく人間の可聴域を超える超音波だ。
不意はつかれたが、あいつに反撃に出るそぶりはなかった。攻撃の手段でないなら、
(……信号?)
(なにかの合図か?)
「ぐっ、ごふっ! ごふっ!」
「ヨシツネくん!」
急に咳き込みだして膝をつくヨシツネ。
「大丈夫かい? メトロ喘息の発作?」
「……あの化け物、すごい瘴気を……それに……」
刀を握った自分の手に視線を落とした。一瞬とはいえ激しく打ち合ったその手は、ぶるぶると震えていた。
「あの太刀筋……兄さんと同じ……?」
「え……?」
「おい、ヒヨコども。お前らの仕事はここまでだ」
見上げると、菌玉がやれやれという風にスドウの腕で自分の肩を叩いていた。
「お前らは先に毛玉の里に帰れ。ここからは儂一人で行く、子守の時間はもう終わりだ」
「でも……」
「状況は一変した。あの化け物がこんなところにいるとはな」
「あいつは……?」
「……〝指揮者〟だ……」
答えたのはスドウだった。残った腕で身体を起こそうとしている。顔色は真っ青だが、部下たちの治療でとりあえず止血は済んだようだ。
「〝万象地象〟ワタナベの分身……最悪の事態だ、やつは……お社様が危ない……!」
***
「――で、お前がなんでこんなとこにいんのか、聞いてねえんだけど」
シャツも生身も傷だらけ血だらけのまま、団長が座り込んでいる。そのかたわらに、胸から下を失って黒刀で磔になった〝指揮者〟が横たわっている。
「……ああ……近々、あの〝糸繰士〟が本気で戦争を仕掛けてくると聞いてね……」
「あのチビか……聞いた、誰から?」
「友だち、だよ」
「五十年引きこもりにダチがいてたまるか。誰だそいつは?」
「別にいいだろう……ともあれ、それで私も、永遠に続くかと思われた心地よい膠着状態に別れを告げることにしてね。それで密かに引っ越し先をさがし中だったってわけさ」
「ミミズみてえに地の底を這いずり回って、うまそうなにおいを嗅ぎつけやがったか」
「僥倖、というものだよ。まさか、私をさらなる進化へ導く貴重な魂、それが二つもこんなところで見つかるとはね」
「あん? 二つ?」
「メッセージはすでに受けとった。私から私へ、そして本当の私へ……」
「……あっそ、もういいわ。じゃあな」
ガシュッ、と黒刀の切っ先が眉間を貫くと、〝指揮者〟の肉体はどろりと解け、黒いしみになって広がっていった。
「さて、と……こりゃあちっと最悪だな。この国のやつらにも、俺の計画にとっても」
気づけばフロア中で鳴り響いていた戦闘音がすっかり止んでいる。スライムも他の〝指揮者〟も、もうこの場にはいないようだ。
と、
「――やっと見つけた。このクソオオカミ」
現れたのは、ハクオウ・マリア。
そして、カーバンクルのタミコと――
「……姫……」
イカリ・ノアは怒りと恐れのまじった目で団長を睨みつけていた。
「ったく、今日は来客が多いな」
「おほほ。天下のなんとか旅団様ともあろうものが、泥まんじゅうと共喰いで壊滅寸前って草も生えないんだけど」
「……ああ? 雑魚が図に乗ってんなあ。今機嫌わりいんだよ、二秒で殺すぞ」
団長のこめかみがビキビキと軋んでいる。飄々としたこの男がここまで怒りを露わにするのをギランは初めて見た。
ざっ、ざっ、と乱暴な足音が近づいてくる。
「団長」
カワタローだ。後ろにはトロコと、ヒキフネ村の子どもが二人。確かコハダとイサキだったか。
「よお、副団長殿。無事だったかい」
「仲間が大勢死んだぜ」
「みてえだな」
「……エンガワも、死んだ」
「そうか」
「イクラとエビスケと、アカガイとハマチも。ムジラミもだ。あの人型の化け物に殺られた」
「そうか」
カワタローの拳が団長の顔面を打ち抜いた。胸ぐらを掴み、歯を食いしばり、肩を震わせ、やがてその場に崩れ落ちた。
「……やれやれ」
団長は天井を仰ぎ、首を振り、それからノアやハクオウたちのほうに向き直った。
「てめえらのオトコに会わせろ」
「……え?」
「あの童貞くせえ面のゆとり世代野郎だよ。やつの力が要る、このままじゃ国が滅ぶぜ」
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そして私は今週末ワクチン2回目行ってきます。ドキドキ。




