157:失われた円環
漫画版の第1巻、いよいよ6/1に発売です。詳しくは活動報告にて。
コミックファイアにて漫画版7話が公開されました。1~6話すべてサムネを飾ってきたタミコに取って代わって選ばれたのは誰でしょう?ぜひ一度ご覧あれ。
「なによこれ、ベヒーモスとドラゴンの大群が運動会でもした感じ?」
森の中にぽっかりと生じた、土煙の立ち込める無残な更地。木々は倒れ、草花はぷすぷすと焼け焦げ、青い獣の死体が何体も転がっていた。
それらの中心で、〝凛として菌玉〟が丸太に腰を下ろして煙管を咥えていた。だいぶ前にちょっと顔を合わせた際「禁煙した」と自分から報告してきて「吸ってたのすら知らんわ」と返事したのをハクオウ・マリアは憶えていた。
「おお、黒耳おぼこか」
「殺すぞジジイ」
菌玉は自身の金色の菌糸玉をいくつか握り、ゴリゴリと手の中で回していた。真面目なことを考えているときの癖、とギランか誰かに教わったのをハクオウは憶えていたが無駄すぎる知識なので忘れることにした。
「ずいぶん時間がかかったのう。して、成果は?」
「それは……モニョモニョ」
「んあ? 最近耳が遠くての、もっと大きい声で言ってくれんか? なんなら儂の耳に直接吐息を――」
「逃げられたわよ、全員ね」
「はあ? 〝コマゴメの魔女〟ともあろう女が、ヤキが回ったもんだのう。逃すのは婚期と処女喪失だけにしてくれんか?」
ハクオウの横に七体の菌糸人形が現れたのを見て、菌玉は丸太の上に正座した。
「しかたないでしょ。呪いのナイフの小娘だけでも厄介だったのに、途中からあの青い獣どもが邪魔しに来て。どういう合図かしらないけど、どさくさに紛れて逃げていったわ」
ふん、と菌玉が煙まじりに鼻を鳴らした。
「つーか、あんたこそどうしたのよ? ずいぶん派手にやり合ったみたいだけど」
地形ごと変わるほどの激しい戦闘音はハクオウの耳にも届いていた。菌玉自身は無傷のようだが、その一張羅は土埃や獣のものらしい返り血でひどく汚れていた。
「……逃げられた……いや、逃げてもらった、と言ったほうが正しいか」
「は?」
「五分ほどやり合って、『もうじゅうぶん』つって尻尾巻いてトンズラよ。お互い本気でやり合ったら、それこそイケブクロの街まで更地にしかねん勢いだったからの」
「マジで言ってる?」
ターバンの隙間から覗く目は案外本気っぽかった。
「まあ本気でやったとて、あやつに勝てた見込みはなかったかもな。いやはや、これほど底が知れんと感じたのはあの皮かむり都知事以来だのう」
「もう一度閣下を侮辱したら今度こそ殺す」
「なに? 包茎のなにが悪い? 子どもはみんな包茎だ、大人だって儂を筆頭に……わかった、【尖剣】は仕舞え」
人間としてはクズでも戦闘能力は国内トップクラスのこの男だ。それがここまで言うのだから、あの自称ツルハシ・ミナトも相当の化け物ということだろう。
「……それで、ギランは? まさか――」
「連れてかれた。死んじゃおらんようだがの……やつの言葉を信じればだが」
ハクオウはぎゅっと袖を握りしめ、小さく舌打ちした。
「ったく、弱いくせに粋がるから! なーにが『私がケリをつけなきゃいけないんです』よ、それで返り討ちに遭ってりゃ世話ないわよ!」
「そう言ってやるな。一度男に生まれたからには、たとえ勝機なき戦であろうと勃ち上がらねばならんときが来るものよ」
「ふん、哀れな生き物ねえ」
菌玉が腰を上げ、あたりを見回し、ふうっと深く息をついた。
「……それにしても、つくづく恐ろしいもんだのう。〝糸繰士〟つーもんは」
「自称〝糸繰士〟の魔人って話でしょ?」
ハクオウ自身は直接会っていないが、少なくともこれまでの情報をつなぎ合わせればそれ以外に答えがないことはわかる。
「確かにのう。人を騙り、〝眷属〟化した獣を従え、無数の能力を使いこなし、世に混沌をもたらさんと暗躍する。まさにギルドや国の説く魔人の姿そのものだったのう」
「でしょ」
「かと思えば、かつての教え子への執着を見せる。儂のような強者相手だったとはいえ、切り札の獣を浪費してまで部下の逃亡を手助けする。実に不合理で感情的だ。儂にはあれが――人間以外の何者にも見えんかったわ」
そんな馬鹿な、とハクオウは言おうとして、彼が手の中の菌糸玉を回しているのを見て言葉を呑み込んだ。
ほんのわずかな沈黙の間を、セミやバッタの声が埋めた。もうすぐ九月、夏が終わる。
「……んで、どうすんの?」
「決まっておろう」
「そうよね、お互い報酬のためにね」
「わかっとるじゃないか。こちとらブクロ女子が待っとるからの」
彼は枯れ枝のような腕を持ち上げ、指を差した。
「儂の金玉が途中まで追った。ブラフでなけりゃ、あっちだ」
ハクオウはその方角に目を向けた。太陽の位置からして――。
「……南西、〝ナカノの森〟のほうね」
「カーバンクルとかいう毛玉どもの巣窟か。どれ、儂の玉とどちらが毛深いか、行きがけの駄賃に雌雄を決しようかの」
***
「久しぶりの客人だ。今日はうまい酒が飲めそうだ」とすっかりおもてなしムードの獣王スズキの誘いを断る勇気もなく、愁はウツキとともにこのまま一泊することになる。
オーシャンビューで雑魚寝でもまあ寝られなくはないが、簡単な客室が設けられているという。そこから備蓄の酒樽やら保存食やらが運び出され、ダイアナが持ってきた土産の食材と合わせて浜辺でBBQが開催される。
「あっはっは、愉快愉快」
コユキとキナミを膝に乗せてご満悦の獣王スズキ。
「お前たちの尻尾をにぎにぎしながら飲む酒はうまいなあ。樽五つはいけるぞ」
そう言って二匹の腹に交互に鼻をうずめてリス吸いするスズキ。人間モードに戻っているので、傍目にはほろ酔いでリスをキメる独女だ。
「アベっちよかったじゃーん。メスばっかりじゃーんハーレムじゃーん」
ウツキにうりうりと肘でつつかれるが、愁は知っている。ここにはもう一匹オスがいる。ケァル、いやケァルさんは実にご立派なブツをぶら下げておられるのだ。
「そうだ、アベ・シュウ」とスズキ。「せっかくだからお前の話を聞きたい。この国でも指折りの使い手に勝ったんだろう、武勇伝を語るには酒も美女もじゅうぶんだと思うが」
「ああ、私もぜひ聞きたいな」とダイアナ。
「えー、あー、そうすね……」
話を聞きたいのはこっちのほうなんだけどな、という言葉は呑み込んでおく。
中身が中身だけにというか、スズキは相当のウワバミで、同じペースで飲み続けているうちにウツキが倒れ、ダイアナが突っ伏し、愁と彼女だけになったところでお開きに。二人を客室に運び(ちょうど木組みのベッドが三つある)、愁も早めの就寝となる。
頭の中に未だにごちゃごちゃと残る疑問が眠りの邪魔をして、何度も寝返りを打たせる。
「――早いな、眠れたか?」
時間の感覚がわからないが、ホタルゴケの色からしてたぶん明け方くらいだ。
なんとなく目が覚めて部屋を出ると、スズキが水辺の鳥居の下で座っている。ケァルが丸くなって彼女の背もたれ代わりになっている。
「あ、はい……つーか昨日はごちそうさまでした」
「よいよい、こちらも楽しませてもらった。久しぶりに賑やかなメシが食えた」
手招きされるまま、愁は彼女の隣に座る。ケァルがのそっと顔を上げ、ふしゅっと鼻で吐き捨てる。
「……昨日の続きを、と顔に書いてあるな」
「そうっすね」
書状や戦争? の話は結局宙ぶらりんのままBBQに進展してしまった。もやもやして少ししか眠れなかったのだ。
「石炭紀ってなんだ、って話でしたよね。すっごい大昔の、白亜紀とかジュラ紀とかのナントカ紀っすよね?」
うろ憶えなのは文系なのでという言い訳。
「ほう、よく知っているじゃないか」
「あ、いや……それくらいしか、ちょびっとなんかのときに聞いたくらいで……」
「まあ私にしても、あの男のうわ言を耳にした程度のものだがな。なんでも何億年も前、カビやキノコはこの世に存在しなかったんだそうだ。命をめぐらせる分解者であるそれが歴史に登場したことで、世界の構造は大きく変わっていったらしい。果たしてそれは必然の産物というやつだったんだろうな、のちにこの世界をこの形に構築していくために」
「はあ」
「このへんは単なる話の前フリだ、忘れていい。肝心なところはな、ピピンが前の文明の崩壊を、それになぞらえていたということさ」
「……文明の分解者……」
以前そんなフレーズを聞いた憶えがある。確かノアのひいじいメモだ。
「ピピンは真相をさがしていた。その災害が起こった原因を、あるいはその元凶を突き止めようと……それが晩年の彼の生きる意義だった」
(原因)
(あるいは元凶)
〝東京審判〟を体験していない愁も、これまでの旅で、これまで出会った人々の話を聞く中で、それが単なる自然災害の類ではないのではないかという疑念は少しずつ強くなっている。
(だとしても)
(だとしたら)
それを引き起こしたナニカが、あるいは誰かの存在があるということなのか――?
「彼が魔人戦争で命を落としたのち、その弟子である私たちが遺志を引き継いだ。躍起になったあのアホ鮫が単身アキハバラにカチコミしたのが四十年前だったな、そのときの狼藉を咎められて〝氷絶龍鮫〟などという物騒な称号と狩人ギルドからの指名手配をもらったわけだ」
「なるほど……じゃあスズキさんは?」
「私か? 私はいや……まあその、若い頃は誰でも……ヤンチャな時期というのがあるものが……ゴニョゴニョ……」
とたんに口ごもるスズキ。彼女も彼女なりに黒歴史があるということか。ここにも元ヤンが。
「ともあれ、〝糸繰りの民〟というのはな、三種類の勢力に分けられるんだ。この新世界に関するなんらかの秘密を抱え、隠している者。それを知ってか知らずか、ともかく人類の安寧と繁栄を優先する者。そして……それらをすべて破壊してでも、壁の外への脱出を狙う者」
「それってもしかして……メトロ教団、都庁、あとはあのテロ集団みたいなやつら?」
「察しがいいじゃないか。三つ目については私も新聞の情報でしか知らんが、たぶんリュウザキあたりの過激思想と似てるようだ。あいつもそれで他の〝糸繰士〟とずいぶん揉めてたもんだ」
シナガワトライブの族長、リュウザキ・スカイ。生前は相当な暴れん坊だったとスガモで読んだ文献に書かれていた。〝糸繰士〟同士での決闘を繰り返したり、都庁転覆を密かに画策して兵力を集めたり。最後はトライブを魔人に滅ぼされ、彼もそこで戦死したという。
「でも……安寧と繁栄って、都知事は戦争したがってるって話じゃ?」
「お前ら人間の歴史は、平和のための戦争という矛盾を繰り返してきたと聞いたぞ。それと同じことさ、まああのクソガキの場合は己の野心も存分に含んでいるのだろうがな」
「野心?」
「五十年以上前に魔人の侵攻によって頓挫した計画を、あいつは今も忘れていないのだろう。えっとアレだ、『この国の人と街を結ぶ円環を復活させる』とか言ってな」
「あ、それ……俺宛ての手紙に書いてあったやつ……」
力を貸してほしい、失われた円環をとり戻すために。都知事からの手紙にはそう書かれていた。
あれからたびたびそのことについて考えてきて、愁なりに一つの結論に至った。
失われた円環――それは、
開幕を目前にしながら、その機会を永遠に失われたこの国の悲願。
すなわち、
(わかったぞ! 失われた円環――それは、五輪マークだ!)
(つまり、都知事が復活を目論むものとは――東京五輪なんだよ!)
結論に至った瞬間はメガネをかけて集中線を浴びてタミコに「な、なんりすってー!」とさけんでもらう幻影を見た。
「確かにまあ、人々の心をつなぐ栄光の架橋ってやつっすね」
「うん? うん、そうだな……人とものを運ぶ、都市と都市を結ぶ、超巨大な環状の交通路だ。あいつはそれを〝ヤマノテセン〟とか呼んでたな、その道に巨大な車を走らせるとかなんとか」
「…………マジで…………?」
そっちね知ってたとてのひらを返す余裕もなく、愁は開いた口がふさがらなくなる。
(ヤマノテセンって)
(山手線? この国に、山手線を復活させる?)
「それを成すためには、どうしてもシンジュクの奪還が必要になる。つまり今回、やつが私に乞うたのは――――」
同時だった。
愁の背筋がぞわりと粟立った瞬間、
ケァルとともにスズキの腕を抱えて後ろに飛び退く。
三人のいた場所が、上から降り注ぐものに押しつぶされる。大木のように連なった、無数の触手の束だ。
「っっぶねっ!」
「ふん、いい反応じゃないか。だが、いらぬ世話というやつだ」
スズキがパチッと指を鳴らす。
と、触手の束がバラバラと細かな肉片になって崩れ落ちる。一瞬でみじん切りにでもされたみたいに。
スズキがやったのか、しかしなにをしたのか、愁の目には見えなかった。
「つーかこれ……」
触手の束は湖の中から生えていた。ぶった切られた断面から紫っぽい体液がぼたぼたとこぼれている。
(……あれか)
水面にぷかりと頭が一つ浮かんでいる。
片手が水面を掴み、よいしょと台に上るように水面から身体を押し上げ、水面に立つ。
(なんだこいつ)
姿形は人間に近いが、人間でないのは明らかだ。
髪も体毛はなく、一糸まとわぬ青白い皮膚はしわだらけでたるんでいる。四肢も胴体もひょろりと細長く、右腕が肘のあたりから膨張して触手の束になっている。くいっとそれを持ち上げると、ずりゅずりゅと触手が再び生えそろっていく。
「久し、ぶり、だな」
そいつが発する声は抑揚がなく、ボソボソとぶつ切りで聞きとりづらい。
「ようやく、会えた。準備が、終わった、んでな」
「……まったく、腹立たしいことこの上なしだな」
そう言ってスズキが舌打ちする。
「あのクソガキめ、裏で運命の糸でも繰っているつもりか。思惑どおりに事が運んでさぞご機嫌なことだろうな」
「あの……めっちゃ怒ってます?」
「怒っているとも、激おこなんとか丸だ」
「よく知ってますね」
言葉のとおり、彼女の横顔は獣に戻ったかというほど険しく歯を剥き出しにしている。
「ほれ、こいつが都知事の野望を阻む大敵、シンジュク奪還戦争の相手だぞ。向こうからわざわざお出ましで手間が省けたというものだろう?」
「シンジュク奪還……ってことは、マジかよ……」
嫌な予感メーターがマックスを振り切り、愁は顔を覆いたくなる。
都知事よ、ショタっ子チュウタくんよ。
一緒にジェダイごっこした仲じゃないか。なぜに友をこのような災厄に巻き込んだ?
「しばらくぶりだな。そのしゃがれ顔、二度と目にしたくはなかったぞ――〝万象地象〟よ」
〝万象地象〟さんのイメージはブラボの「ゴースの遺子」です。何回殺されたか。
漫画版の第1巻が発売になります。活動報告にて素敵な表紙などを紹介しております。ぜひご覧ください。




