146:女王蜘蛛②
11/4:【蜘蛛脚】の本数、4本→6本に修正。そっちのが強そうだから。
地上より一足早く日が暮れて、ランプの明かりの並ぶ通りにはほこほこと夕餉のにおいが漂っている。
「おかえりなさい」
宿のロビーでヨシツネが出迎えてくれる。やはりウツキもクレも帰ってきていないそうだ。
「さて、部屋に戻って情報の整理でもしましょうか」
愁たち一行の目的は、この里の事実上トップであるお社様とやらに都知事の手紙を直接渡すこと。目の前で開封してもらわないとクエスト達成とならないが、里長たちはお社様と部外者との直接的接触に難色を示している。
「それとカーバンクルたちと友好的交流を果たすことだな。当方にドングリの用意あり」
「アオモトさんそれはあとにしてください」
愁としてもタミコとトーチャンに仲直りをさせたいが、ひとまず時間を置く意味でも後回しにしておく。
「まずはお社様についてですが……案の定というか、住民の口は重かったですね」
「こっちもおんなじだったな、タミコがいても」
部外者にその話をすること自体がタブーのような扱いだった。
「まあでも、カーバンクルのチビっこがちょろっと教えてくれたな……ひょっとして実在しないんじゃね? とかちょっぴり疑ってたんだけど」
――白い毛の綺麗なお姉ちゃん。
それが毛玉キッズ共通の証言だった。おそらく白髪ではなくアルビノということだろう。
「僕のほうは、工房や牧場で働いてる外からの移住者の方々から聞きました。なんでもお社様というのは血統による後継でなく、族長たちカーバンクルのお偉方が種族の中から選任するんだとか。代替わりしたのは十年くらい前だそうです」
「選ぶ基準って? 毛色?」
「いや、先代は白毛じゃなかったそうですけど。とりあえずメス……女性だけが候補になれるようですね」
巫女リス選抜試験でもあるのだろうか。うちのリスなどは気性の荒さと膀胱の緩さではじかれそうだが。
「お社様は里の運営に直接関わることはほとんどないそうです。里長たちの話のとおり、日頃は御神木の根元にある社に引きこもり、年に一度の樹慰祭の日にだけ住民の前に姿を現すんだとか」
「じゅいさい?」
「日頃里を守ってくれている御神木に感謝を捧げるお祭りだそうですよ。住民たちだけ、内輪だけでやるそうなんで、僕らのような部外者は参加できないみたいですが」
「……ちなみにそれって、近日中にやる予定だったり?」
「来月の終わりくらい? まだ先ですね」
祭りと聞いて嫌な思い出が脳裏をよぎったが、とりあえずフラグが立たずに済んでよかった。
「都知事はさ、そのカーバンクルっ娘になんの用があるんだろうね?」
里の住人にとってシンボリックな存在であり、精神的な支柱であることは間違いないようだが、そんな彼女に都知事がわざわざ伝言を頼む用事とはなんなのだろう。
「さあ……見当もつきませんが、決して無駄や酔狂に他人を巻き込むような方ではありませんから。わざわざアベさんを頼りにしたんですからなおさらです」
「うーん……」
まあ、それも手紙を渡せればはっきりすることか。
「で、肝心の『直接手紙を渡す方法』ですが……どうしましょうかね?」
「どうしようって……」
「里長たちにもう一度直談判したが、暖簾に腕押しだったな」とアオモト。
となると、真っ当なやりかたでは難しそうだ。
「こっそり忍び込んじゃうのはどうですか?」
「おお、ノアにしてはヤンチャな意見」
里は御神木を囲むようにぐるりと背の高い柵が設けられている。狩人ならよじ登るのもぶち破るのも容易だ。
「今日こっそり屋根上から観察してたんですが――」とヨシツネ。「社は役場近くの出入り口から奥に入ったところにあります。あのあたりは警備団員や毛皮ルックの男が常に張りついていて、バレずに近づくのは難しいかもしれません。まあ最悪、押し通ればいいんですけどね」
「ちょ、ちょ」
「もちろん最後の手段ですけどね。ですが――閣下の命令は絶対ですから」
そう言って浮かべた微笑みには、ダイアナとはまた別の威圧感を孕んでいる。本気だ、短い付き合いではあるがそう確信できる。
「カン氏の気持ちはわかるが、スガモのためにも軽挙妄動は謹んでもらいたいな。万が一出禁にでもなったら私の中の〝狂獣〟がなにをするかわからんぞ」
「大半私怨ですね」
「まあ、もう少し様子をさぐってみるとして……次に、クレさんとウツキさんの行方についてですが」
そちらの話題に移ると、場の真剣味が明らかに薄まる。ノアはお茶を入れ、タミコは煎餅をかじり、アオモトはそれを両手で頬杖をついて眺める。
「クレさんに関しては昨日の夜、キノコの栽培所のおじさんが夕食をごちそうしたところまで追えました。町の北側でぶらぶらしていたようですが、そのあとの足どりについては不明です。ちなみに喧嘩騒ぎなんかもなかったそうです」
「ウツキさんはこっち側で見たって人いたけど、やっぱり見つかんなかったわ。つーかいくらチビだって、あの目立つナリでどうやったら姿くらませられるんだか……タミコ?」
タミコが煎餅から顔を上げ、ぴくぴくと耳を尖らせている。
意図を察した愁が立ち上がり、足音を殺して襖戸に近寄る。
一息に引き開けると同時に、廊下を駆けて逃げる影。タミコがぴゅっと飛び出したかと思うと、角を曲がった先で「ぎゃあっ!」と悲鳴があがる。
「タイホしたりす」
男が倒れている。首筋にまとわりついたリスにおののいてブルブル震えている。
「うごくんじゃねえりす。テーコーしたらきゅっとシメてやるりす」
「お、お助けを……」
「タミコお手柄……ってあれ」
見知った顔――シイナチョウの宿場から同伴した商人だ。ひとまず部屋に連れ戻り、取り囲んで正座させる。
「いやその……ただでさえ俺たちよそ者は肩身が狭いんだ。トラブル起こされたら困るんだよ……」
「別にトラブってるつもりはないんすけど」
あくまで「まだ」だが。
「でも、あんたらと一緒にいた娘――」
「え?」
「え?」
お互いに目を丸くする。
「もしかして、ウツキさん? 昨日から帰ってきてなくて、俺らさがしてるんですけど」
「……いや、俺はなにも……」
「タミコ」
「りっす」
ネックウォーマーのように首に巻きつくタミコ。伝家の宝刀〝ウロボロス・チョーク・リスリーパー〟。二秒ともたずタップ。
「見て見ぬふりしようと思ったのに……この町じゃあ住民は絶対だ、逆らったらここで商売できなくなる……」
「なにを見たんすか?」
「昨日の晩……あの娘が町の男衆とモメてたんだよ。囲まれて、そんでどっかに連れてかれて――」
「――ああ、ついさっき運ばれていったところだよ、お社のほうにね」
一同が襖戸のほうに振り返る。そこに立っているのは、
「やあみんな、ただいま。寂しかったかい?」
クレだ。そしてすかさず座布団を投げつけるノアと湯呑を投げつけるタミコ。
「いやね、先月スガモでいろいろ体験して以来、社会の闇とか組織の秘密とか、ゲスい話題にちょっぴり興味が出てきちゃってね。昨日からずっとあちこち見て回ってたのさ。ほっこり毛玉の田舎町と思いきや、なかなかどうしてうさんくさい土地だね、ここは」
「よく見つかりませんでしたね」とヨシツネ。「至るところで人もカーバンクルも目を光らせてるのに」
「まあ、そのへんは置いとくとして――ウツキさん、さっき柵の向こうに連れてかれちゃったよ。眠らされてたみたいだね、それに警備の人も一緒だった」
「それマジ?」
なにがあったのだろう。風紀紊乱罪で逮捕されたとか?
「こそこそと夜陰に乗じてって感じで、いかにも小悪党なムーブだったよ。それに……彼女もいたね、あの超強そうな警備団長さん」
ダイアナか。
「クレさん、それは確かなんですね?」
「僕の目を疑うのかい? 百メートル先のアリンコのダンスも拝めるってのに」
さすがに言いすぎだろうが、【望遠】を持つクレの見間違いということはなさそうだ。
「では――これで名分は成り立つということですね」
すくっと立ち上がるヨシツネ。
「ちょ、ちょ」
「正当な理由があるなら説明や抗議があって然るべきですが、こちらに内緒で拉致監禁しているわけですから」
「いやまあ、事実関係とか一度お役所を通して確認をさ。そんで遺憾の意を表明するとか……ヨシツネくん、なんでさっきからずっと笑顔で怖いんだけど」
ヨシツネはウツキの奪還に乗じてお社様に面会するつもりなのだろうが、それ以上に目がギラギラと血に飢えている。
「白を切られたら? この間に彼女にもしものことがあったら? それともアベさんは仲間を見殺しにするつもりですか?」
「そうだけど……うーん……」
これがタミコやノアだったら躊躇なく立ち上がっただろうが……囚われの姫がロリビッチババアとなるといまいちテンションが上がらないのも必定。あの女のことだ、多少の拷問ならご褒美まである。
「アベ氏――」とアオモト。「彼女に万が一のことがあれば、コマゴメあたりから菌糸人形が飛んでくるぞ」
「行きましょう、大事な仲間の危機を見すごすわけにはいかない」
そうして愁は勇ましく立ち上がる。
***
「――なんだ君たち」
役場の近く、柵の奥へと通じる出入り口の前で、ダイアナが仁王立ちしている。その肩にはキナミもいる。
「もう夜も更けてきた頃合いだ。こんな時間に大勢で押しかけてきて、スガモの狩人は礼儀を知らんと見える」
「お互い様じゃないっすかね?」と愁。「うちのチンチクリンがそちらに監禁されてるって聞いたもんで。経緯を説明してもらいたいんですけど」
ちらりと横目で見ると、役場の窓から里長と族長がこっそりこちらを窺っている。彼らも一枚噛んでいるのは間違いなさそうだ。
「……彼女は無断で御神木の領域に侵入した。我々の手で拘束し、現在は事情聴取中だ」
「お社に運ばれてったって聞いたんですけど。事情聴取もそっちで?」
「……」
「つーか、ウツキさんが拘束されたのは昨日だったはずですけど。今朝訊きに行ったときは知らないって言ってましたよね?」
「……それが済み次第、君たちにも話を聞かせてやるつもりだった……」
あからさまに動揺している。彼女は嘘や小細工が苦手なタイプだと愁は推測している。
ウツキを捕らえたのは警備団員でなく里の男衆だったらしい。あくまで彼女の与り知らぬところで起こり、今朝の時点で情報共有もされていなかったのだろう。そして会話の中でそれに気づいた――あのとき一瞬漏れ出た怒気の正体はそれだったのだ。
「ダイアナ氏――」アオモトが一歩前に出る。「スガモ支部の代表として正式に抗議申し上げる。今すぐに一連の経緯についての説明と、拘束されたウツキ氏の釈放を――」
「――うるせえなあ……」
「……え?」
「ゴチャゴチャゴチャゴチャ……不法侵入者の一味のくせして御託並べやがって……今すぐ叩き出すぞオンドレぁ!」
「うおっ!」
「ぴぎゃっ!」
啖呵だけで人を殺せそうな気迫――出発前にトイレに行かせておいてよかった。
「みなさん落ち着いて……違うんです、団長はそもそもこういうやりかたには以前から反対して――」
「クマガイ、もういい。どちらにせよ、責任は私にある」
やはりウツキ拘束にダイアナは関与していなかったようだ。
「すいませんみなさん、どうかこの場はお引取り願えませんでしょうか? この件に関しては後日改めて――」
「その必要はないですよ。虜囚の辱めを受ける仲間を捨て置いて、のこのこ引き下がるわけにはいかない」
ヨシツネが腰に帯びた木刀を抜き、隣でクレがぺきぺきと拳を鳴らす。それを合図に場の空気がひりついたものに変わる。
――【感知胞子】で気づいていた。後ろからゾロゾロとやってくる警備団員や男たち、それに軒の上にはカーバンクルもいる。全部で十五人と五匹か。
「悪いがな……里の平和を脅かそうとする者は排除させてもらう」
「ヤクザかよもう……」
行政による不当な強制排除とは。こんな理不尽がまかり通っていいものか、SNSが生きていたら全力で拡散してやるのに。
これがナカノの里という閉鎖的集落の本性なのか。
「それが今の私の使命だ。カン・ヨシツネ、君も知ってのとおり、閣下から遣わされた私のな」
「重々承知してますよ、ダイアナ先輩。ですがそうはいきません、押し通ります――それもまた、閣下の望みだから」
場の者が一斉に身構える。結局こうなるのか、とうんざりしつつもそれに倣う愁。
「初めて会ったときから興味があったんだ――〝スガモの英雄〟さん」
「え――」
返事をするより先に、ダイアナが目の前に迫っている。
とっさに胸の前で交差させた腕の上に、まるで鉄球のような拳が打ちつけられる。背骨まで軋むほどの衝撃を後ろへ跳んでいなす。
(マジでやる気かよ)
ガードしなければ内臓までぐしゃぐしゃになっていたかもしれない。完全に「本気」の乗ったパンチだ。
「タミコっ、離れてろっ!」
「り、りっす!」
肩から下りたタミコの前に、シャッと黄色みがかった毛玉が立ちふさがる。キナミだ。
「危ないからこっちで遊びましょ、お嬢ちゃん」
「タ――」
「よそ見してる場合か?」
真横から繰り出された拳。死角からの一撃も、愁にはその軌道まではっきりと感知している。
背筋を後ろに反らし、地面に片手をつきながら足を振り上げる。完全に首筋に入ったと思った蹴りは、彼女の肘から先のない左腕で完全にガードされる。
「ふんっ!」
ジャージの胸ぐらを鷲掴みにされ、ぶわりと持ち上げられ、地面に投げつけられる。ダンッ! とバウンドして思わず息が詰まるが、とっさに身体を丸めて受け身をとれた。というか片手でなんてパワーだ、レスラーか。
片膝をついて起き上がりながら、他のみんなもおっ始めていることに諦めのため息をつく。
こうなったらもう、やるしかない。この場を(暴力で)収め、ロリババアを回収しつつお社様に手紙を突きつけて脱出。もはやそれしか選べるシナリオがない。
「どうした、ルーキーでも私の肩書くらいは耳にしているだろう? 君が負ければ私一人で残りの全員つぶすぞ。本気を出せよ、ゴールデンルーキー」
「……んじゃあ、失礼します」
背中に意識を集中する。
菌糸がしゅるしゅるとジャージのスリットから伸び、二対の腕を形成する。異形の手はその感触を確かめるようにわきわきと握り開きをする。
「〝聖騎士〟の使う【真阿修羅】……本物だったか。カン・ジュウベエのようなイレギュラーか、それとも別の……まあいい」
ダイアナがジャージを脱ぎ捨てる。タンクトップがはちきれそうなド迫力の胸元――はさておき。がんばってさておき。
「君が六本腕なら――」
タンクトップは丈が短く、どこかのライダーのごとく盛り上がった腹筋が覗いている。
その腰回りから――菌糸が生じる。しゅるしゅると束なり、形をなしていく。
前後と側面に一対ずつ、計六本の細長く鋭い突起。かりかりと地面を引っ掻くそれは、まるで蜘蛛の脚のようだ。
「私は八本脚ってところかね」
これが彼女の代名詞、超レアスキル【蜘蛛脚】か。
ダイアナ・ワンダ、元メグロ本部所属の〝獣戦士〟。
二つ名は〝女王蜘蛛〟。十年前には狩人ランキング一位にまで登りつめた最強の女狩人だ。
感想とか評価とかいただけるとありがたいりす。
あと書籍版もよろしくりす。




