135:秘密②
書籍版第1巻、絶賛?発売中りす。お読みいただけると幸いりす。
※ノアの菌能【縛紐】の名称を【白紐】(しらひも)と変更させていただきます。
※過去分も順次修正していく予定です。
人集めと作戦会議、そして最後の準備と慌ただしく時間はすぎていき。
作戦決行直前、ホタルゴケの光はやや青みを帯びはじめる。もうすぐ夜が来る、それまでにカタをつけるべく、狩人たちは動きだす。
ワームジョー討伐の準備はすでに整った、あとは実践するだけだ。
――と、言葉にしてしまうのは容易だが、どうあっても結局一番身体を張るのは愁自身だし、一番危険な役回りなのも間違いはない。
それは別にいい。タミコやノアがそんな目に遭うよりはずっと。
それに、準備の段階で最も力を尽くしたのはノアだ。もはや立ち上がれないほどヘロヘロになっていた彼女の期待に応えてやりたいとも思う。
ただ――それでも気になるのは――。
「もっとゴツいの想像してたんだけどな」
「明日には思い出せなそうな顔してんな」
「むしろ肩のリスが本体なんじゃね?」
集まったギャラリー、もとい狩人のみなさん総勢三十人。
その大半がレベル10台20台のいわゆる初級者だ。今回もっぱら矢面に立つのは愁だが、彼らの働きが作戦成功の大きな鍵になる。
彼らはおおよそ二十歳前後の若者だが、作戦会議中も終始わいわいガヤガヤと賑やかな感じだった。愁自身も大学時代はそれ以上に世間知らずの洟垂れだったのでとやかくは言えないが、なんというか「うちの娘はよっぽど大人びてるんだなあ」と率直に思ってしまった。
ともあれ、彼らがうまくやってくれれば討伐の可能性はぐんと上がるだろうし、逆に愁がヘマをすれば彼らの命を危険に晒すことになる。愁は自分の頬をぱしゃっと叩く。
「アベシュー、ムチャはキンモツりすよ」
「任せとけ。タミコ、ノアを頼むよ」
奥のほうで岩壁にぐったりもたれているノアと目が合う。愁は一つうなずいてみせ、一人その場を離れる。
***
ざっ、ざっ、と砂を踏みしめる足音が小さく響いている。
夜の砂漠だがここは地中世界、寒さはない。あの場で靴とマントを脱いできて正解だった、ここからは少しでも身軽なほうがいい。
周囲に遮蔽物のない、荒涼とした砂地のど真ん中で足を止める。
右手に【戦刀】、左に【大盾】。菌糸が形をなしたのち、愁はすうっと息を吸い込む。
「……出てこいよ」
呼びかけに応えるように、小さな地響きがみるみる膨れ上がっていく。ザラザラと砂がこぼれて足元がおぼつかなくなるほどに。
――そして、ワームジョーがその巨大な頭を地中から覗かせ、両者は対峙する。いざ勝負。
――とはならない。ここは野生の世界、侍のような戦名乗りなど発生するはずもなく。
すなわち、すでに戦いは始まっている。
愁は全力でその場から飛び退く。その直後にそこが蟻地獄のように陥没し、ドォンッ! と砲撃のごとく衝撃が突き上げる。
「……出なくてもよかったのに」
遥か見上げるほどの巨躯を前にして、一瞬で前言撤回。
――ワームジョー。
全長は推定七十メートル前後。胴回りは最低でも直径五メートル以上。
首長竜のように頭をもたげ、その先端のギザギザに連なる歯をがちがちと打ち鳴らしている。目に類する器官はないようだが、正面に相対する愁を値踏みするように首を左右に揺らしている。
(デカすぎだろ)
オウジ深層のルークゴーレムもそうだったが、あれとは直接やり合うことはなかった。これほど巨大な相手と戦うのは初めてだ。
ゴジラと対峙する自衛隊員とはこんな気分なのだろうか。自分がどれだけちっぽけな存在なのかと思い知らされる。
円形に並ぶ乱杭歯の奥にブラックホールのような真っ黒な深淵を覗いた瞬間――一口で呑み込まんと降ってくる。愁は砂の上に飛び込むように回避するが、衝撃の余波と砂の波に押されて吹っ飛ぶ。ゴロゴロと小石のように転がる。
「とんでもねえなっ!」
すばやく起き上がり、指先から【火球】を放つ。その胴体に着弾、ボンッ! と景気よく爆ぜるが、それだけだ。ワームジョーはほんのわずかに身じろぎしただけで、ほとんどビクともしていない。
再び頭部が降ってくる。タイミングを測り、ギリギリまで引きつけ、かわしざまに【戦刀】を走らせる。「ふっ!」と斜めに振り上げた白い切っ先が、その表皮をまっすぐに斬り裂く。
――だが、
(届いてねえ)
手応えでわかる。皮膚を裂いて肉を浅く撫でただけだ。
肉質がかたい、まるで分厚いゴムタイヤみたいだ。本腰を入れて斬り込んでも、【光刃】なしでは奥まで到底届かない。そしてその傷も、間もなく完全にふさがってしまう。〝糸繰士〟も顔負けの再生能力だ。
「んがっ!」
爆風を帯びた突き上げ。
「くぁっ!」
乱杭歯での噛みつきもとい叩きつぶし。
「どぁっ!」
あるいは胴体を長く伸ばしてボディープレス。
ほとんど災害じみた猛攻を、必死に避ける時間が続く。
図体に似合わず動きが速い。それ以上に攻撃とその余波の範囲が広すぎる。
対して愁は砂の足場で機動力を削がれている。易々と反撃に転じられるほどの隙を見い出せない。
にじむ冷や汗に砂が張りつく。呼吸を荒らげ、身体中をじゃりじゃりにしながら逃げ惑う。一撃でもまともにくらえばタダでは済みそうにない。
(だけど)
(菌能は使えないのか)
攻撃パターンは単調だ。巨体をフルに活かした肉弾戦、破壊力は桁違いでスピードもあるが、逆に言えばそれだけだ。
(ノアの言ってたとおりかもな)
やってやれないこともないかな、という下心が愁の胸の内をくすぐる。
持てる火力をフルに出しきれば、相応のリスクは伴うだろうが、このままタイマンでも勝てる気がする。
わざわざ後輩たちを危険に晒すこともない。小手調べはこのへんにして、ここから全力で恨みっこなしのガチンコを――
と次の瞬間、ワームジョーが大きく頭を後ろに回す。
「え――」
初めて見せる動作だ。そのままとぐろを巻くように回転し――その尻尾の薙ぎ払いがうなりをあげて愁へと襲いかかる。
(やべ)
(かわせ)
(ない)
【大盾】で受け止める。歯を食いしばったその身体を、ダンプカーのぶちかましかという衝撃が貫く。
砕けた【大盾】が粉々に散っていく様を、空中に投げ出された愁がその視界の端に捉える。身体が砂の上をバウンドし、転がり、うつ伏せになって静止する。
「……………………ぅあー……」
(死ぬかと思った)
寸前で地面を蹴って衝撃を殺して、それでもこの威力か。まともに直撃していたら身体ごと【大盾】のようになっていたかもしれない。柔らかい砂地だったのも幸いした。
げぽっと胃液まじりの血を吐き出しながら立ち上がる。何十メートル吹っ飛ばされたのか、と考える間もなく、ワームジョーが砂を巻き上げながらにじり寄ってくる。
(今日は前言撤回の日だな)
愁はふらつく足をぴしゃりと叩き、迫りくる敵に背を向けて走りだす。
ここは一つ、後輩に花を持たせようではないか。
砂地でのかけっこも分が悪い。必死に手足を振って走る愁にワームジョーは容易に追いつき、後ろから一口でいってやろうと牙を剥く。
背中を見せながら振り返らず、それでも愁は足を止めることなく攻撃をかわし続ける。今ほど【感知胞子】のありがたみを感じられるシチュエーションが果たしてあっただろうか。
これだけ派手な音をたてていれば、なにかしらの合図を送る必要はない。そう思いながら、やがて周囲にゴツゴツとした剥き出しの岩が目立ちはじめ、左右を切り立った崖に囲まれた一本道に入り込む。
あと百メートルほど。
あと少し。
もう少し。
――ここだ。
愁が振り返り、右手を振り抜く。
投げ放たれた巨大な赤い菌糸玉、チャージ【火球】がワームジョーの首元に直撃。大きく爆ぜて燃え上がる。
表皮がえぐれ肉がこそげ、さすがに一瞬怯んだ巨大ミミズだが、それでも大きなダメージには至っていない。怒りを露わにするように乱杭歯をガチガチと鳴らし、距離の開いた愁を再び追いかけようと――
「――今だ」
愁とワームジョー、
両者を隔てるように砂の壁が立ち上がり、
それがワームジョーの頭に絡みつく。
「引っ張れぇーーーっ!」
「オラーーーッ!」
両側の岩壁の上から怒声が響く。立ち並ぶ計三十名の漁師、いや狩人たちだ。
彼らは紐を両手に絡ませ、身体ごとのけぞるようにして必死に引っ張っている。
――それは、ノアを含む四人の【白紐】使いたちが生み出し紡ぎ上げた、【白紐】の網だ。
愁が駆け抜けてきたその足の下に埋め、頭が引っかかる部分には返しがつくように設計されている。見事ワームジョーは頭からそれに絡まり、身体をうねらせるようにしてもがいている。
網はそんじょそこらの素材ではない。ノアたちが文字どおりその身体から限界まで搾り出し、手作業で撚り合わせ編み込み、【粘糸】でつなぎ合わせてつくった菌能百パーセントの捕獲網。その頑丈さは折り紙つき、いくらワームジョーとてそう簡単に――
「くっそ、重すぎぃっ!」
「腕! 腕ちぎれるっ!」
「やべえ! 糸が切れるっ!」
「無理っ! もう無理っ!」
ぶちぶちと網が引きちぎられていく。相手は推定数十トンの巨大ミミズ。人力で抑え込めるものでもなく、たちまち上は阿鼻叫喚。
――だが、これでじゅうぶんだ。
動きが止まれば、それでじゅうぶん。
愁はすでに、岩壁を蹴ってワームジョーの頭上まで跳んでいる。
【真阿修羅】――背中には二対の腕。
自前を合わせた三対の手に握るのは、【蓄積】で肥大化させた【戦刀】。
そして、その無骨な刃にまとわせるのは【光刃】。
「おぉおおおおおおおおっ!」
己を奮い立たせるためにさけび、
身体がねじ切れんばかりに背中をよじり、
独楽のように身体を回転させる。
青白く光る刀身が、ワームジョーの首へと食い込み、
一撃、
二撃、
三撃。
振り抜いた先に、撒き散らされる体液を浴びながら、
愁が着地したとき、切り離されたワームジョーの頭部はまだ空中に躍っている。
ドラム缶のような姿になったそれが、それでもギチギチと歯を蠢かせている。
まだだ、やつは頭だけになっても生き続けるという。
だから――
「――ノアっ!」
後輩に花を持たせる。とどめを彼らに譲るのも先輩の親心か。
崖のへりに、投手のごとく大きく振りかぶったノアたちの姿がある。
一斉に投げ放たれたのは、あらかじめ愁が渡しておいたチャージ【火球】だ。
どさっと地面に落ちたワームジョーの頭部に赤い球体が降り注ぎ、
あたりは目もくらむ爆炎に包まれる。
***
ホタルゴケの光は完全に夜のそれに変わり、しかし宴席はますます熱気を帯びていくばかりだ。
摘出されたワームジョーの胞子嚢は作戦の参加者全員に分配され、レベルの低い者はことごとく身体ビキビキ。残念ながら愁たちはアップしなかったものの、タミコとノアには身体ぽかぽか、つまり身体能力アップが起こった模様だ。
そのあとは有志による解体作業が始まり、その肉が次々と料理されていった。串焼き、生姜焼き、他人丼、生肉のたたき。いずれも現場の指揮監督(という名のどやし)をしたデブリスから「うまたにえぇん!」のお墨付きをもらい、炊き出しのように一同に振る舞われ、そこに手持ちのアルコール類も持ち込まれてプチ宴会がスタートすることに。
さすがにミミズ肉は……と遠慮がちだった愁だが、ミンチ肉の円盤焼きはもう絶品だった。あっさりなのにジューシーでコクがあって肉々しさも残っていて。リアルミミズハンバーグがここまでうまいとは百年前には思いもしなかった。
あの飲んだくれ姉妹のようにメトロに酒を持ち込むことに憧れていた愁だが、理解の足りないお子様な連れ二人に阻まれてしまっていた。だが他人からもらう分には問題ない。ということでカグラザカの中堅トリオからウイスキー入りのスキットルを一本ごちそうになり、すなわち幸せ。
「にしても、最後すごかったっすね、アベさん!」
「つーか見てましたよ、あのバケモンと互角にガチンコやってたの!」
「さすがは狩人史上最強のルーキーっすね! マジパねえ!」
肉を食らって酒も喰らっていい感じになっても、新米狩人たちはひっきりなしに愁のところにやってくる。こうして称賛されるだけなら照れて多少変顔を晒すくらいで済むのだが、
「最後のあれ、【阿修羅】に【大太刀】?」
「なんか武器光ってたけど、【光刃】?」
「アベさんって菌職はなんなんすか?」
「あー……えー……」
こういう詰問や訝しげな目から逃れるためにスガモを離れたのに、まさかメトロの奥底で質問攻めに遭うとは。
「いやねー、アレね。〝聖騎士〟だけど菌才でユニークでアレがアレなんで、まあよい子はちょっと真似できないっていうかあーあっちの肉うまそうだなー」
無理やりその場を離れると、今度は女性陣にチヤホヤされていたタミコが頭の上に乗ってくる。しこたま食って腹も頬袋もパンパンだ。
「よく考えるとさあ、タミコはすげえよな」
「りす?」
「いやさ、今日あんだけデカいやつとやってすげえ大変だったけど。単純な比率でいや、タミコと人間だって相当だろ? なのに人相手でも獣相手でも果敢に立ち向かってさ」
「へっ! キサマらニンゲンなんぞ、あたいのまえばにかかりゃあトーフもドーゼンりすわ!」
ちょっと褒めると調子に乗るのでこしょったらビクンビクン。目の前に垂れ下がった尻尾を前髪ウィッグのようにブラブラさせながらノアのほうに向かうと、彼女は一人離れたところで岩に腰掛けてちょびちょびと串焼きをかじっている。
「ノア、体調はどう?」
愁はその向かいにどかっと腰を下ろす。その拍子にタミコがべろんっと垂れ落ちる。
「はい、おかげさまで」
大量の【白紐】をひねり出すために、ノアたち使い手は「もう無理もう無理」とミイラ寸前になりながらも無理やり胞子嚢を口に詰め込まれていた。オウジでノアとタミコに似たようなことをやられた愁はそのつらさがわかると同時に仕返しができてちょっとすっきり。
「今回の立役者はノアだよな。菌能で捕獲網つくるとか、さすがは狩人的な発想っていうか。おかげで俺も楽できたし、犠牲者も出なかったしね」
「いえいえ……結局はシュウさんがいなければ無理でしたよ。今回のはたぶん成長個体だったと思いますけど、ギルドに文句言ってきっちりふんだくってやりましょう」
悪戯っぽく笑うノアを見て、愁は内心ほっとする。
あの御前試合のゴタゴタからしばらく、ノアは一人なにかを抱えて悩んでいる風で、少しふさぎこんでいるような感じだったから。
「つーか、あれが獣王の〝眷属〟か。頭だけになっても生きてるとか、とんでもねーバケモンだったなあ」
滅亡したシンジュクトライブの跡地を今も「不法占拠」している五大獣王の一角、〝万象地象ワタナベ〟。
そいつがときおりこうして、(どうやってか知らないが)周辺のメトロに〝眷属〟を送り込んでいるのだという。その目的は不明だが、狩人からしたら迷惑以外のなにものでもない。
――と。
さりげなく口にしたセリフだったが、なぜかノアの顔がみるみる険しくなっていく。
「……ノア?」
「……頭を切り離されて、その頭も破壊されて……それでも死なない生き物なんて、いるんでしょうか?」
「へ?」
なんの質問だろう。いや、質問というより独り言のようにも聞こえるが。
ノアが顔を上げる。愁に視線を向ける。
「……すいません。今までシュウさんと姐さんに、黙っていたことがあります」
「りす?」
地面に落ちたまま寝そべっていたタミコがむくりと起き上がる。
「……八年前、ボクのひいじいは、首を刎ねられて身体ごと油をかけられて燃やされました。ギランさんにです。その光景を、ボクは物陰から見ていました」
一瞬、愁の呼吸と思考が止まる。三人の間を、砂を含んだそよ風がさらさらと流れていく。
「ひいじいの本当の名前は、ツルハシ・ミナト……イケブクロトライブの初代族長で、先日スガモを襲撃したあの男です」
ここから怒涛のノア過去編……には行かない模様。のちほどギラン主役の番外編をやるかも。
次回は今週末か来週頭くらいに更新する予定です。お楽しみに。




