表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

153/195

闇仕合⑤

 前回の御前試合でカン・ヨシツネに断たれた右腕は、その後すぐに医務室で教団の〝導士〟に治療を施してもらった。欠損部位をまるごと再生させる超レアスキル〝神癒〟ではなく、〝聖癒〟による断面の接合処置だった。


 前者の場合、木の枝のようなガリガリの骨と皮の棒が新たに生えてくる。筋力や神経機能を元に戻すまでには相当な時間をかけてのリハビリが必要になるといい、シシカバ姉妹もその点を(その間思うさまアルコールを摂取できなくなりそうなことを)憂慮していたものだ。


 後者の場合、「切断から時間を置かず」「断面も綺麗である」ことが前提になるが、必要なリハビリ期間は前者よりもぐっと短くなる。この点はヨシツネの腕前と切れ味の尖すぎる刀スキルに感謝しておくしかない。


 ただし――まれに神経の結合がうまくいかず、痺れや痛み、ひどいときには麻痺などの後遺症が残ることもあると説明された。そのあたりは施術者の腕次第、あるいは運次第ということだったが――どうやらハズレくじを引いてしまったらしい。


 トミーやコウイチが見抜いたとおり、今のクレの右手には指先の痺れと動作障害、そして握力の著しい低下という決して軽くない症状が出ている。


 施術した〝導士〟によれば、それらの症状は今後のリハビリ次第で消えるか軽減されるかするだろうということだ。クレ自身が【自己再生】持ちである点も加味してその可能性は高いと言われていたが――少なくとも、今日の仕合には間に合わなかった。


クレ式格闘術(ジジイの技)を使えよ、イズホ」


 トミーが言う。


「お前のスタイルは、親父の欠陥だらけの技と理合を、お前自身の身体能力とセンスで無理やり実現させたもんだろ? 女子どもの護身術もどきをよくぞそこまで磨き上げたもんだ、遠回りすぎる努力に涙が出るぜ」

「叔父さんがそこまで父の技に詳しいとは意外でしたね」

「へっ……今日び使い手のいねえ物珍しい手品だがな、種が割れてりゃ大した脅威じゃねえ。しかもその技を支える要の利き手はポンコツときたもんだ。わりいこたあ言わねえ、兄貴の技を捨てろ、あのクソジジイの技を使え。じゃなきゃこの仕合はもう無意味だ」


 そう言って、トミーは再びアップライトに構え直す。


「僕は、父の技を極め、それを世に知らしめるために故郷を離れたんです」


 クレはゆらりと立ち上がり、


「ここでそれを捨てたんじゃあ、生きてる意味がない」


 いつものように、いつもと同じように低く構える。


「そう言ってもらえてほっとしたぜ……これで俺の勝ちは決まったからな」


(気が合うね、叔父さん)

(僕も確信したところだよ)

(この仕合、僕の勝――)


 白い閃光が目の奥ではじけ、思考が中断させられる。


 鼻面を打ち抜かれてのけぞった頭を元に戻す間もなく、胸に右直突き(ストレート)、脇腹を庇った右腕に左曲突き(フック)が突き刺さる。


(やっぱり――)


 みぞおちを狙った右膝を交差受け、しかし両腕がビキッと軋む。


 すかさず髪の毛を掴まれ、無造作な拳で何度も殴りつけられる。ゴッガッと鈍い音が耳の奥に直接響く。


 気が遠くなりそうなクレをコウイチの悲痛な声が引き戻す。髪を掴むトミーの小指に指を絡めて引き剥がし、その手首をとって――


「だから」


 トミーが脇を締めるようにして腕をねじり、クレの手を外す。


「通用しねえって!」


 渾身の右直突きがクレの顔面を貫く――いや、すり抜ける、クレの顔面のあった場所を。


 崩れ落ちるようにしゃがみこんだクレが、トミーの膝と腿を足で挟み込む。〝蟹挟み〟、梃子の原理でトミーの重心を崩し、仰向けに倒れさせる。


 サイドから抑え込みに移行――する寸前で顎先が硬質な衝撃を受ける。

 視界が揺らぐ。脳が揺れる。


(まただ)


 また左の速拳だ。

 右肘で上体を起こしただけの不安定な体勢からの。それがこの威力、この伸び。


(死角か)


 今の一瞬、審判の視線はクレ自身の身体で遮られた。

 だからトミーもかなり大胆に使った。クレの目にははっきりと()()が見えた。

 尻餅をついたまますばやく後転して片膝立ちになる。正面のトミーはすでに立ち上がり、犬歯を剥いて迫ってくるところだ。


(――ああ)

(強いなあ)


 クレはそんなことを思う。左の速拳と右の直突き曲突きを防御の上から無数に浴びせられながら。


 レベル差による身体能力の差ばかりではない。十年前とは別人のような技術の向上を見せつけられている。

 そして、拳から伝わってくるものがある。ここが俺の居場所なんだという信念と、お前にだけは絶対に負けられないという執念と。


(まあ)

(負けられないのはこっちも同じなんだけどね)


 最近できたばかりの可愛い後輩の、弟や妹たちの明日がかかっている。子どもたちを望まれざる境遇へと放り出さないために、それこそ自分自身やこの叔父のように。


(守りたいものがある、か)


 それだけで強くなれると信じられるほど、クレ・イズホは夢想家ではない。

 どうあがいたところで、振るえる力は自身が持つ範疇でしかない。それが現実だ。


 だが――その覚悟が、自身の力を根こそぎ引き出す火種になりうることも、クレは知っている。

 守りたい者たちのために、己の命を燃やし尽くすようにして戦う男を知っているから。


(覚悟は)

(できてる)


 必死に防ぐその体勢を崩された瞬間、トミーの目がギラリと鈍く煌めいたのをクレは見逃さない。


 これでしまいだ、という殺気をこめた右拳が迫ってくる。こめかみを打ち抜いて地面に縫いつけてやろうという振り下ろしの曲突きだ。


 わかっている、それはブラフだ。


 案の定、その拳はクレのガードをかすめるように斜め下に落ちていく。


 次の瞬間、天井の照明が陰り、本命が降ってくる。拳を振り抜く腰の回転を利用した、超至近距離からの変速上段回し蹴り。


 これもトミーの最も得意とする技の一つだった。クレはよく知っている、鋼鉄の斧のようなその破壊力も、気づけば頸部や側頭部へと吸い込まれている幻惑的な軌道も。


 崩された今の体勢ではかわせない。直撃すれば首が吹っ飛ぶ、受ければ左腕が壊される。どちらに転んでもトミーの勝利が決まる――少なくともトミーはそう信じているようだ。


 だが、クレの覚悟はすでに決まっている。


 左腕で頭部をガードする。同時に半身を切って、右手を前に突き出している。


 打撃には使われない、掴まれたら振り払えばいい。トミーにそう軽んじられて警戒が薄れていた右手を。


 握り込まず、指先を貫手のように伸ばすこともなく、空を掻くように無造作に開いたままのてのひらを。


 トミーの右脛が、ガードしたクレの左腕をへし折り、勢いのままに、クレの首筋へと食い込む。


 同時に、クレは崩れかかる身体を斜め前へと踏み込んで支え、その右てのひらをトミーのみぞおちへと張りつかせる。

 

 

 

 叔父の言うとおり、クレ式活殺術(父の技)は「女子どもの護身術」にすぎないのかもしれない。


 祖父に見捨てられた父が自身を肯定するために没頭した、力なき〝人民〟にこそふさわしい「弱者の武」の確立。道半ばで途絶えたその過程において、父が「弱者にも持ちうる最強の牙」と称して追い続けた、奥義という名の机上の空論があった。


 〝糸繰りの民〟やメトロ獣など、体内に菌糸を巣食わせるこの国の生物は、そのほとんどが菌糸管と呼ばれる器官を持っている。それは血管のように全身に張りめぐらされ、胞子嚢で生成された菌糸と細胞をつなげている。筋細胞とも、神経とも、あるいは脳とも。


 この国のすべての生物は、その身に等しく菌糸の力を宿している。菌能を持たない〝人民〟であろうとも。


 父が実践しようとしていたのは、菌能に頼らずにその力を直接出力する術だった。その理論は父が生涯を終えるまでに完成することなく、名なしの奥義として秘伝書の一ページに眠ることになった。


 そしてその幻の技を、息子のイズホは実現してみせた。

 先日のメトロ籠りの三日間のうちに、いともあっさりと。さらには実戦で使用できるレベルにまで昇華してみせたのだ。


(まあ)

(できる気はしてたんだけどね、最初から)


 実際にやってみてわかったのは、発案者である父の意図とは真逆に、習得の可否は、個人の素質やセンスに大きく左右されるだろうということ。現にコウイチは三日ではその片鱗さえ再現できなかった。普段から体内の菌糸を操る感覚を持つ狩人ですらこれだから、〝人民〟の中で再現できるのはおそらくほんの一握りだろう。


 ――父の理念に反する代物を、父の遺した技の列に加えていいものかどうか。

 そんな風に躊躇う気持ちがクレの中にあったのも事実だが、


(でもまあ)

(この仕合)


 祖父の技は捨てた。

 だが、壊れた右手では、父の技だけでは、叔父には勝てない。

 なので、


(いろいろと)

(負けるわけにはいかないからね)


 覚悟という言葉を、なりふり構わないという言い訳に置き換えて。

 ギリギリの妥協点ということで、納得しておくことにしたわけだ。

 

 

 

 意識するのは――伝えること、伝わること。

 全身の菌糸をつなげ、振動させるイメージ。

 生み出した振動を一箇所に集約させるイメージ。

 集めた力を、相手の体内に伝播させるイメージ。

 そして――相手の体内ではじけさせるイメージ。

 

 

 

 トミーの最初の感覚的には、あるいは観客の目には、

 ぽすっ、とみぞおちに軽い掌底が当たった程度のことだろう。


 だが――たったそれだけで、

 ズドンッ! と重く鈍い音が爆ぜる。

 トミーの背中がたわむ。

 腹から突き抜けた衝撃波でぶわりと埃が舞う。

 「げぁっ!」と血の混じった胃液を撒き散らしながら、トミーはもんどり打ってリングを転げ回る。


 ざわめきまじりの歓声が沸き起こる中、クレは追撃もせずに叔父の様子を見下ろしている。


 というよりできない。彼の蹴りで受けたダメージが思った以上に大きい。左腕の骨折以上に首筋に受けた一撃が身体の芯に響いて、ぐわんぐわんとめまいを生じさせている。


「い、イズホ……おめえ……!」


 トミーは距離をとって身体を起こし、


「今のは……菌能……【振動】……いや……別の……審判……!」


 すがるような目でレフェリーを見上げる。


「違いますよ……今のは菌能じゃない、父の遺した技です」


 クレは叔父に、というかレフェリーに向けて答える。


「やろうと思えば〝人民〟だって使える技です」


 クレの目と、ピエロマスクに開いた二つの穴から覗く目が合う。そして――レフェリーは一度うなずき、仕合の続行を促すように腕を交差させる。「立て」と「戦え」の身振りだ。


「嘘だろ……おいっ……!」


 トミーは信じられないという風だが、それでも懸命に立ち上がろうとしている。闇仕合において彼のジャッジが絶対であることをわかっているからだ。


「まあ……仮に菌能だったとしても――叔父さんにとやかく言われたくないですけどね」


 トミーの脂汗まみれの顔がぎくりとこわばる。こういうわかりやすさも、この人の憎めないところだ。


 菌能を排し、闘技者の肉体と技のぶつかり合いを見せる〝トーキョー地下格闘倶楽部〟。だがその実態は、上に行けば行くほど「観客や審判の目を盗んでいかに菌能を使用するか」というイカサマに努力と工夫が費やされることになる。運営側もそれを楽しんでいる風なのが余計に茶番なのだ。


 もちろん生半可な練度では目の肥えた客を騙すことは不可能だ。


 たとえばトミーの左速拳、クレが一度見切ったあとに拳が異様に伸びだしたのに気づいた者がこの会場にどれだけいることか。拳を振るう一瞬にほんの数センチ【伸腕】を使うその繊細かつ瞬発的なコントロールは達人級の狩人でさえ容易には真似しえないだろう。


 途中から右の拳が異様なまでにかたく重くなったのも、おそらくは瞬間的な【鉄拳】の使用によるものだ。これについては肉眼で確認できなかったので憶測でしかないが、手首まで巻いたバンテージは拳の保護でなくカモフラージュが目的だったのだろう。


(イタバシのチャンピオンも)

(似たようなことやってたしね)


 バレなければ八百長ではない。それも正論ではあるが、クレがいまいち闇仕合にのめりこまなかった理由の一つがこれだった。


 ともあれ、郷に入りては郷に従え。クレの奥義は菌能ではないと認められ、トミーの反則は黙認なのか気づかれていないのか。どちらにせよ、今この場を仕切るレフェリーは仕合続行を促している。


 ならば、やることは一つだ。


「……ケリ、つけようぜ……」


 ようやく立ち上がったトミーが言う。足がまだふらついている。試し打ちを受けた緑ゴブリンが顔中の穴という穴から血を噴き出して悶絶死した実験結果を見るに、たとえレベル60超えであろうと直撃して無事では済まないはずだ。内臓への甚大なダメージのみならず、顔色を見るに呼吸困難も起こっていそうだ。


 【苦痛軽減】を持つトミーがこうなっているのだから、ブラフでない限り、勝敗はすでに決したと言っていいのだろう。


 だが――


「……そうですね。仕合はきちんと終わらせないと、お客さんが帰れないですからね」


 トミーは重そうな腕をアップライトに構え、クレは折れた左腕を後ろにして半身を切る。

 レフェリーの仕合再開の合図を待たず、二人は同時に地面を蹴る。

 

 

 

 技と技の応酬なら、純粋な力と力のぶつかり合いなら、クレに勝ち目はなかったかもしれない。

 だが――仕合とは結果がすべてであり、勝敗はすでに決している。


 それでも互いに、その足を止めはしない。

 その腕を前へと伸ばす、その先にあるものを掴みとろうとするかのように。


 勢いを削がれた左速拳の幕をかいくぐったクレが、二度目の奥義を相手の腹に突き刺す。

 くの字に折れて膝をついたトミーの背後に回り、右腕をその首に巻きつかせる。

 折れた左腕で固定し、後ろ裸絞め、最後の力を振り絞って絞め上げる。


「またやりましょう、叔父さん」

「……へっ……やなこった……」


 かすれた声で悪態をついた叔父は、最後まで自ら降参の意思を示しはしなかった。


 その手がぼとりと地面に落ち、レフェリーが頭上で腕を交差した瞬間、会場が震えるほどに歓声が爆発する。

 

 

    ***

 

 

 金網の開閉口から担架が運び込まれ、ちょっぴり心配になるほど口からどばどば吐血したトミーが乗せられる。それでもまだ意識があるようだから、さすが達人レベルはタフだ。【自己再生】もあることだし、まあ死にはしないだろう。


 リングの中心で会場を見渡すと、マスクマンやゴロツキっぽい観衆が拍手と喝采を送っている。あまり気乗りはしないが、腕を突き上げて応えておくのが主役の努めだろう。


 ハマダとコウイチが、頭を寄せ合うようにして涙目で金網にかじりついている。その後ろでは市議のオオサキが気どった仕草で手を叩いている。そして二階の作業用通路、とり乱した様子で部下らしき男を罵倒しているのは〝奇米裸〟のサコタだ。


 気になる人物はあと一人――いた、ニワトリというかコカトリスを模したマスクをかぶった男。クレと目が合うと、踵を返して足早に出入り口のほうへと向かっていく。用事は済んだようだ。


「よくやった! よくやったぞぉっ!」

「すげえっす! 感動したっす! うおおォォン!」


 リングから出ると、怪我人への配慮もなしにもみくちゃにされる。強面のダゴでさえ後ろで号泣しているから、傍目にはさぞハラハラさせてしまったのだろう。


「これでうちの組も守られたぜ! あのシャバゾウどものシマも押さえられて、スガモの平和も戻ってくるってもんよ! これもお前のおかげだぜえ、クレの旦那!」

「うちの園もこれでなくならないっすよね!? あざっす、マジ感謝っす! クレさん、いやクレニキ!」


(まあ)

(もうひと悶着くらいありそうだけどね)


 とは口には出さないでおく。先ほどのコカトリスマスクがクレの見立てどおりあの〝撃ち柳〟なら、彼に睨みをつけられた人物はそうそう逃げおおせはしないだろう。


 まあ、ただの雇われ闘技者には関係のない話だ。


 仕事は終わった、今日は疲れた。一刻も早く家に帰って布団にくるまって眠りたい。それがなによりの薬になるだろうから。


「あのサイキョー技、なんで最後のほうまでださなかったんすか? 俺もういつKOされちまうかって心配で……」

「まあ……最後に出すから奥義なのさ」


 あの技には一つわかりやすい欠点がある、接触から衝撃を浸透させるまでに一瞬の間が必要になるのだ。


 ディフェンス技術とすばやさで勝るトミーにあれを当てるためには、右手が死んでいることをあえて悟らせる準備が必要だった。打撃を使わないことを意識づけさせ、右手への警戒心を削ぎ、左腕を犠牲にしてようやく奥義は彼に届いたわけだ。


(まだまだ)

(改良の余地はあるってことだね)


 武の道は一日にしてならず、ということか。兎角にこの世は面白い。


「あ……ちなみになんすけど」

「ん?」

「あの技、結局なんて名前にするんすか? 勝ったお祝いに今決めちゃいましょうよ!」

「うん、そうだね」


 技の体をなさず、提唱者に命名の機会を与えられなかった技。だがこうして多くの観衆の前で日の目を見た、そして勝利をもたらしてくれた今夜こそ、立派な名を与えないわけにはいかないだろう。


「前から考えてはいたんだ。この技の肝は『力を伝えること』、そしてこの技が真に完成したときこそ、〝クレ式活殺術〟の武名を世に広く伝えてくれるはず……そう願いをこめて、僕はこう命名したよ――――――〝伝武(でんぶ)〟とね」

「そっすか」

 

 

    ***

 

 

 後日談。

 というか、闇仕合の翌日のことだった。クレの推測どおり、市議のオオサキが逮捕されたのだ。


 ただ、その容疑は若干斜め上を行っていた。先日の前夜祭での〝越境旅団〟のテロ活動への支援と、並びに市長邸宅の強盗事件への関与ということだった。


 元はと言えばオオサキはイケブクロの出身であり、熱心な旧族長派だったという。あの「自称ツルハシ・ミナト」にそそのかされたのか、それとも自分から協力を買って出たのかまでは現時点ではわからない。


 少なくとも〝越境旅団〟のゴロツキどもがスガモに侵入・滞在するのに手を貸した上、市長邸宅の警備情報を流していたという。強奪した金品の一部を譲り受けるという金銭目的ばかりでなく、そもそも市長個人への怨恨もあったというからなかなかの売市奴っぷりだ。


 そして今回の、スガモの裏組織両巨塔の統合を賭けた闇仕合もまた、案の定オオサキが仕組んだことだったらしい。


 かねてからオオサキは〝奇米裸〟の運営にも首を突っ込んでいたといい、密かに両組織の縄張りやシノギの統合を目論んでいたという。加えて捜査の手が近づいていることに勘づき、生贄を用意する必要も出てきた。


 勝者側を裏街の新たな仕切り役に据え、そして敗者側には〝越境旅団〟と関与した証拠をでっち上げて切り捨てる――それがオオサキの描いたシナリオだったようだ。つまり結局あの仕合は「本物の茶番」であって、オオサキからすればどちらの結果に転ぼうが大した違いはなかったのだ。


(やっぱりシモヤナギさん)

(相当業腹だったみたいだね)


 一連の捜査の指揮をとったのは、仕合会場にいた〝撃ち柳〟ことシモヤナギ・ヘイヤだったという。前夜祭の諸々で最も煮え湯を飲まされた彼は、今後の狩人人生を旅団の壊滅に捧げると豪語しているらしい彼に目をつけられた時点で、あの小悪党に逃げ場はなかったのかもしれない。


「今まであんなゲス野郎の下についてたと思うと、てめえが恥ずかしくて墓穴に飛び込みてえくれえだよ」


 そうボヤいていたのはハマダだった。結局〝奇米裸〟との統合の話は白紙となり、今は後始末のゴタゴタに右往左往の真っ只中だ。


 〝よしもと園〟についても、これでオオサキの私的利用(というか悪用)は解消されるわけだが、経営の出資者がいなくなってしまったのだ。コウイチも気が気でないようだったが、新たな出資者が見つかるなり市営化してもらうなり、うまく転がることを祈るほかない。


(まあ)

(僕には関係ないんだけどね)


 クレは居間にひとり寝転がり、あの激戦の傷と疲労を癒やしている。

 開け放した窓から幾分涼しい風と心地よい風鈴の音が舞い込んでくるが、まだまだ夏が衰える気配はない。


(夏が終わる前に)

(帰ってくるといいんだけどな)


 前夜祭の折の重傷が癒えたとたん義妹に拉致されたウツキは当分戻らなそうな予感がするが、ではこの家の借り主たちはどうだろう。どういったクエストをいくつ受注したのか不明なので、帰宅がいつ頃になるのか予想もつかない。


 とはいえ、それほど心配してはいない。必ずここへ帰ってくると信じているから。


(――不思議な感覚だな)

(誰かの帰りを待ちわびるのって)


 人生で初めての体験かもしれない。それも悪くない、とクレはひとり微笑む。

 守りたいものがある、という言葉は、強さを錯覚させる詭弁にすぎないのかもしれない。

 そうだとしても――守りたい者がいることは、悪くない気分だ。


 盆を迎え、夏の盛りがすぎ、雨の時間が増えていく。

 そうして陽射しが少しずつ陰りだした頃――そのときはようやく訪れる。

 

 

 

 外に気配を感じ、クレは飛び起きて玄関に向かう。

 がらりと開けた戸の向こうには――待ちわびた者たちがいる。


「……おかえり、みんな」


 クレはどこかほっとした笑みで、彼らを出迎える。


 頭でっかちで大人びているけれど、人一倍がんばり屋で将来が楽しみな少女。


 ちょっぴり乱暴で生意気で、けれどとびきりチャーミングなカーバンクル族の娘。


 そして――


 彼女らを支える大黒柱。少し間の抜けた感じもご愛嬌な、クレがこの世で最も信頼する男。この世で最も大切な人。なぜか新品の布団一式を小脇に抱えている。


 愛すべき仲間たち。あの日の姿のまま、みんなそろって戻ってきてくれた。


 そしてもう一人――もう一人?


 三人の後ろにもう一人いる。


 工具箱を持った作業着の青年だ。


 その顔に見憶えがある。彼はクレに軽く会釈してから「あの――」とシュウに尋ねる。


「こちらの玄関の鍵でよろしいですか?」

「はい、交換お願いします」


闇仕合編、ここまでです。お付き合いいただきありがとうございます。


次回、最後の番外編(前章の答え合わせ編)にするか本編に戻るか考え中。

どちらにしても2巻の改稿作業のため、次回更新までお時間を頂戴すると思われます。あらかじめご了承くださいませ。


ここまでの感想、評価などをいただけりすと幸いりす。

絶賛発売中の1巻のほうもどうぞよろしくお願いいたしりす。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] オチがこれ以上ないくらい最高なんだがw 綺麗かつメチャメチャ笑わせてもらいました
[一言] でんぶ… 最後までブレない漢は嫌いじゃない。(近寄りたくはないけども) 布団も鍵も新しく。 お後がよろしいようで。 さぁ、リス成分を補充だ!
[一言] 1巻読んだので追いかけました‼️ でんぶってオチリ?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ