闇仕合②
書籍版第1巻、絶賛発売中です。
書き下ろしのリス親子のエピソードをぜひご覧ください。
「――んで、連れてきたってわけか。そいt――そのあんちゃんを」
「あー、はい……」
営業所を出たコウイチが赴いたのは、昨日と同じハマダのいる居酒屋だ。クレ・イズホを伴っている。
「へー、ずいぶん庶民派な店構えだなあ。一人じゃ入りづらそうだからいい機会かも」
クレはもの珍しげにきょろきょろと見回している。断りもなくハマダの向かいにどかっと腰を下ろし、壁にかかった障子紙の品書きをじろじろと眺め、「大将、砂肝とレバーの串焼き、塩で」と勝手に注文する。
「あんちゃん、目の前のジジイがどういう人間かわかってんのかい?」
「反社会的勢力の一員、街の日陰に巣食う嫌われの荒くれ者。ぶっちゃけヤクザですよね?」
「へっ、さすがは御前試合の選手様だな。場末の筋者ごときにゃイモ引いてやる義理もねえってか」
コウイチは冷や汗が止まらない。ハマダの後ろに待機する付き人の顔をまともに見られない。
「僕に用事があるのはそっちじゃないんですか?」
「……おう、コウイチ。おめえ、こいつになんて話しやがったんだ? つーか英雄様はどうした?」
「いえ、その……」
〝スガモの英雄〟ことアベ・シュウは今、スガモにはいない。二日前にこの街を発ったそうだ。
「シュウくん、最近いたたまれなくなってたからね。周りの視線に、いや視線の温度差かな、そういうのに耐えかねてっていうか」
実のところ、アベ・シュウを手放しで称賛しているのは市井の人々や一部の狩人だけだった。他の狩人、特に古参の中堅やベテランどころはその真逆、あからさまによそよそしかったりしたらしい。
それは、世間の話題をさらったぽっと出の新参者に対する妬みや嫉み――というわけではなく、彼の菌職詐称疑惑に対する反応だという。
コウイチ自身は指摘されるまで気づかなかったが、あの御前試合の折にアベ・シュウが使ってみせた菌能は、彼の菌職〝聖騎士〟では通常ありえない組み合わせだった。〝騎士〟系統のレアスキル【光刃】と、〝闘士〟系統の頂点とも言われる進化菌能【真阿修羅】。他にも面接の際には申し出なかった菌能も使われていたらしい。
「アベの菌職は本当に〝聖騎士〟なのか?」
それに気づいた一部の狩人の間でそんな疑惑が持ち上がるのも当然のことだった。単に前例がないだけだけと言ってしまえばそれまでかもしれないが、汎用型としても異常なまでの多彩さや二系統の奥義を使いこなす破天荒ぶりは事実だった。
支部の上層部は大会後すぐに彼に聴取を行なったというが、その内容を一般の組合員に公表することはなかった。「個人のプライバシー保護のため」というもっともらしい理由だったが、それがいっそう他の者の猜疑心を掻きたてることになった。
「シュウくんって案外というか相当小市民なところがあるからね。出ていく前は『炎上こわい炎上こわい』ってうわ言のようにつぶやいてたよ」
というわけで「ルーキーでもやれそうなガキの使い的クエスト」をいくつか受注し、今頃は近隣の人里やメトロを回っているはずだという。彼の仲間とともに。
「クレさんは一緒に行かなかったんすね。チームの仲間ってわけじゃ――」
コウイチがそんなことを不用意にこぼした瞬間、クレのこめかみに血管が隆起した。表情はほとんど変わらなかったが、全身から漏れ出した殺気にコウイチは死を覚悟するほどビビってチビった。
「前日の夜……シュウくんが自分の布団を貸してくれたんだ」
「はあ?」
「いつも台所の床に雑魚寝じゃ身体を壊すだろう、夏風邪でもひいたら大変だろうってね。この身に受け止めきれないほどの優しさに僕は危うく暴発しかけたほどだった。当然僕は同衾を提案したけど、さすがに男二人が寝るには狭いから、今日は一人でゆっくり休むといい、ということでね。せっかくだからお言葉に甘えることにしたんだ」
「はあ」
疑念が確信に変わった瞬間だった。
「その布団の柔らかさとぬくもりと、むせ返るほどのシュウくんの香りに包まれて、僕はかつてないほどの興奮と、母の胸に抱かれるかのような安らぎを交互に覚えずにはいられなかった。こんなんじゃ頭沸騰して眠れないよお! ともぞもぞしていると、シュウくんが安眠を助けるアロマタケのロウソクを炊いてくれてね。いつしか不思議と心地よい眠りに落ちていて……目が覚めたら家はもぬけの殻になっていた。『鉢植えの下に置いといて』というメモと家の鍵が置いてあった。それが一昨日の朝のことだ」
罠だったということか。
「別に置き去りにされたわけじゃない」
「俺なんも言ってないっす」
「彼は僕に……この街の平和を託したんだ。大会のときのテロリストのように、この街にまたぞろ脅威が訪れないとも限らない。そんなときのために、最も信頼の置ける僕という最強の駒をこの街に置いていったんだよ」
狂信的なメトロ教団員のような目をしていた。何度も自分にそう言い聞かせた結果、それが彼の中で真実になったのだろう。
そんなこんなで話を切り上げて退散しようとしたコウイチだったが、「死ぬほど退屈している」「思いきり身体を動かしたくてうずうずしている」「なんなら街の実力者にケンカでもふっかけてみようか」とクレが剣呑なことを言いだしたところで妙案が浮かんだ。彼を巻き込むために有効な言葉はこれ以外にないという確信があった。
「――『強いやつと戦わせてやる』って聞いて来たんだけどね」
運ばれてきた串焼きにがっつきながら、クレはご機嫌ににかっと笑う。
***
河岸を変えよう、ということでハマダについていった先は、同じ区内にあるハマダの屋敷だ。コウイチも何度か(お忍びで)訪れたことがある。高い生け垣に囲まれた二階建ての古びた家屋で、組の事務所も兼ねているので人の出入りは多い。
屋敷の中に入るのかと思いきや、ハマダは庭の灯籠にひょいっと腰かけ、付き人に耳打ちをする。
「あんちゃん、こんなむさ苦しいとこまでご足労いただいてすまねえな。そういや自己紹介したっけか?」
「それには及びませんよ。スガモの裏街を仕切る最大の反社会的組織〝ハマダ組〟の組長、ハマダ・ゴリンさんでしょ?」
ちらっとハマダに目配せされ、コウイチはぶるぶると首を振る。ギルドではそんな踏み込んだ話はしなかった。「とある強敵と戦ってくれる人をさがしている」「戦ってもらえたら相応の報酬をもらえる」といった表層的な部分のみだ。さすがにギルドのど真ん中で反社とのつながりを仄めかせる度胸などない。
「いや、そこに『ハマダ』って表札かかってるし。見るからにヤクザの親分感出てるし、もう名乗る必要もないレベルでしょ」
「よそもんにまで知られてるたあ、俺も有名になったもんだな。スガモに来てなげえのかい?」
「まだ一カ月くらいですかね。まあ、新聞とか回覧板に目を通す機会もあったし、ギルドの張り紙もなんとなく目に入ってきたし、この街のことも多少は詳しくなりましたよ。そういうの一度見たら忘れないんで、僕」
ハマダは顎をじょりっと撫で、にやりと笑う。
「おもしれえな、あんちゃん。俺もおめえさんのことは多少聞いてるぜ。センジュのクレ・イズホ、菌職とレベルは確か――……」
「〝闘士〟、レベルは52」
「そうそう。御前試合に飛び入りで参加した肝っ玉だってな。試合は見れなかったんだけどな、当日はシノギの準備で忙しくて、夜中までこっちでバタバタしてたからよお」
ハマダが玄関のほうにちらっと視線を送ると、それに応じるかのように先ほどの付き人とその他数人が外に出てくる。一番後ろにいる大男はコウイチもよく見知った人物だ。
「だが、あらましくれえは耳にしてるぜ。片腕ぶった切られても最後まで戦い抜いたってなあ、まさに漢ん中の漢じゃねえか。俺は好きだぜ、エンコ詰めくれえぎゃーぎゃーぬかす若え衆にも見習わせてえくれえだ」
実際の試合内容は対戦相手のカン・ヨシツネのほうが終始優勢だった、試合に勝って勝負にというやつだった――というのが先輩狩人たちの戦評だ。コウイチにはどちらも化け物すぎて軽々しく論じられないレベルだったが。
ギルドでその姿を見かけたとき、彼以上の適任者はいないと思った。菌糸武器を使わずに天下の最強剣士と互角に渡り合う戦闘技術と、スガモとは無関係というしがらみの少なさ。あの場で彼と出会えたことは偶然ではないと確信したのだ。
「コウイチから聞いてんだろうが、俺たちはつええやつをさがしてる。ちょっくら喧嘩試合みてえなもんを企画しててな――」
「地下格闘の闇仕合でしょ? そんであなたたちは、腕の立つ代打ちをさがしているところだと」
コウイチはぎょっと目を剥く。それもまだ説明していない情報だ。
「それくらいここまでの経緯で見当はついてますよ。僕だってバカじゃない」
「さすがはセンジュ出身だな。真っ当な狩人さんは地下格闘なんぞと縁を持たねえもんだが」
「創設者は各地を放浪していた初代族長オヤマ・マスオ氏……とかいう都市伝説の真偽に興味はないですけどね。〝トーキョー地下格闘倶楽部〟の実在はこの身をもって知っていますよ」
「まさか、リングにも上がったことがあんのかい?」
「去年一度だけ、イタバシで観客として見学しただけですけど。僕もぜひ参戦したかったんだけど、身分証明とか手続きとかいろいろとめんどくさそうだったもんで、飛び入りでチャンピオン絞め落として逃げてきました」
「そりゃあ豪気なこって…………ってマジかよ?」
ぎょっと目を剥くハマダに、クレはこともなげにうなずいてみせる。コウイチはごくりと喉を鳴らす。
「要は、闇仕合でライバル陣営が相当な手練を用意したから、それに勝てる人材をさがしてるってことでしょ? ヤクザ者はなによりメンツを優先する生き物だから、慌てて代打ちをさがしてるあたり、勝敗に賞品なりペナルティーなりがあるってところかな?」
ハマダはしわの寄った鼻頭をぽりぽりと掻く。目の前の人物を真剣に値踏みしているときの仕草だとコウイチは知っている。
「まあ、細かい事情を詮索するつもりはないし、あなたたちの領分に踏み入るつもりもない。あなたたちはただ、その相手の前に僕を連れていけばいい。そうすればあなたたちのお悩みはすべて解決しますよ」
「ずいぶん目端が利くんだな、あんちゃん。狩人にしとくにゃもったいねえぜ。だがな……ダゴ」
「うっす」
クレの前にのは、クレより二回り以上大柄なスキンヘッドの男だ。顔のパーツは子どもの落書きみたいに大雑把で、左目の下に傷があり、にやりと笑うと一本欠けた前歯が覗く。
ダゴは正規の狩人ではない。素行の悪さから生まれ育った村を追い出され、各地を放浪して腕を磨き、流れ着いたこのスガモでハマダの「養子」となった荒くれ者の元自由民だ。
三十をすぎて未だに文字の読み書きも簡単なかけ算もできない脳筋な男で、コウイチにとっては地下格闘の先輩だ。多少面倒を見てもらったりしているが――正直苦手だ。決して根っからの悪党というわけではないが、単細胞で思い込みが強く、粗野で短気な乱暴者。基本は適当におだてていればご機嫌だが、一度それを損ねると餌をとり上げられた獣のように扱いづらくなる。
だが、その実力は本物だ。
「チョウ・ダゴ、レベル54の〝闘士〟。うちで一番の勝ち頭で、去年と一昨年のスガモリングの年間チャンピオンだぜ。つまりな、おめえさんくれえの駒は端から持ってんのさ」
クレの目が一瞬ギラリと煌めいたのをコウイチは見逃さない。
「……へえ、ならなんで代打ちなんか?」
「簡単なことよ。このダゴでも勝ち目のねえほどの相手なのさ。おめえさんの言うとおり、こちとらぜってえに負けるわけにはいかねえ事情がある、だから今は恥の捨てどきってやつよ。身内もよそもんも関係ねえ、ちっとでも勝算のたけえやつをリングに送りてえのさ」
「オヤジはシンペーショーだからよ」とダゴ。「俺が負けるわけねえじゃねえか。少なくとも、こんな女みてえなギザ野郎よりは俺を信用してほしいもんだぜ」
たぶんキザ野郎と言いたかったのだろうが、ともあれダゴがずいっと身を乗り出してクレに顔を近づける。そのこめかみには青筋が立っている。
「だ、ダゴのアニキ、落ち着いて――」
「うっせえ! てめえは黙ってろ!」
明らかにご機嫌斜めモードだ。一触即発な空気が充満していく、今すぐクレに殴りかかっても不思議ではない。
確かにダゴからすれば面白くはないのだろう。組の一大事とはいえ、いやだからこそ、自分を信用せずに代打ちをさがす義父に対して不満を抱くのも当然と言える。思春期の頃に故郷の人々から見放されたトラウマからか、なにげに家族思い組思いの男なのだ。
当のクレはというと、あくまで涼しい顔を崩さない。明らかに敵意剥き出しの男が目の前にいるというのに、そのガンつけを正面から受け止め、口元に薄く笑みを浮かべてさえいる。
「……ちなみに、その対戦相手の名前を伺っても?」
「――――――――――――」
ハマダが答えた、その瞬間。
「ひっ――」
現実にそんなものがありえるはずがない。それでもコウイチは、確かにそれを目にする。
口の端を耳まで吊り上げて笑うクレ。その全身からからぶわりと、黒い靄のようなものが噴き上がるのを。まるで悪魔かのような禍々しいまでの殺意が具現化するのを。
そしてそれは、コウイチだけではなかったらしい。
間近で対峙していたダゴが目を見開いたかと思うと、「うああっ!」と短い悲鳴のようなおたけびとともに拳を繰り出す。目の前の危険生物を突き放すような、とっさの防御反応のような攻撃だ。
常人の倍ほどもありそうな拳がクレの顔面を捉える――瞬間、拳はそこを突き抜ける。鼻面を貫かれたクレの残像が消え、その隣にクレの頭がある。
ダゴが伸びきった腕を引き戻すより早く、クレがその手首を上から押さえる。がくん、とダゴの身体が前のめりに崩れる。
クレが頭を軸にして半回転。同時にもう片方の手がダゴの手首から先をねじる。ダゴの巨体がぶわっと宙を舞い、縦に一回転して背中から地面に叩きつけられる。重い衝突音とともに「がはっ!」とダゴが息を詰まらせる。
「てめ――」
受け身もとれず、自重で相当の衝撃があっただろう。それでも怯まずダゴは即座に身を翻し、力ずくで捕縛された右手を振り払い、左手でクレの足首を掴みにかかる。
――だが、そこにクレはいない。一番近くで見ていたコウイチにも、まるで消えたように映った。
そして、気づけばダゴの背後にいる。
クレの両足がダゴの右腕ごと胴体に巻きつき、
クレの左腕がダゴの左腕に絡みつき、
クレの右腕がダゴの首を絞め上げる。
ほんの数秒――ダゴが足をばたばたさせてもがくことができた時間ののち。
その左腕が力なくだらりと垂れ下がったのと同時に、クレは拘束を解いて立ち上がる。ふう、と小さく息をつく。
「……勘弁してくださいね。仕掛けたのはこの人のほうからだったんで」
ダゴは地面に横たわったままだ。白目を剥き、口から赤みの混じった泡がこぼれている。
「ああ、ちゃんと強かったですよ。きちんとした仕合ならもうちょっと苦戦してたかも。結果は変わらなかったと思うけど」
ジャージについた埃をぱたぱたと払うその軽やかな仕草を、コウイチやハマダや組員たちは呆然と見つめることしかできない。
「レベルや菌職だけじゃあ勝敗は決まらない。断言してもいい、闇仕合のリングの上であの男に勝てるのは、今のスガモでは僕だけだ」
「かは、かははは……」
ハマダが乾いた声で笑う。
「……いいぜ、こっちからお願いしてやらあ。今度の闇仕合、出るのはおめえさんだ。クレ先生よお、どうか一つ、うちのために一肌脱いでくれ」
「あなたたちのためっていうのは、正直どうでもいいけど――」
クレはつかつかとハマダのところに歩み寄る。そして、手を差し出す。
「利害と手段は一致しています。僕に任せてください、必ず勝ってみせるんで」
がっちりと握手が交わされる。
こうして、力を求めるヤクザ者と戦う相手を求める怪人の契約は成立した。
「おう、コウイチ」
「あ、はい」
「おめえ、今から先生の付き人やれや」
「はあ……はあ?」
「当然だろうが。必要なもんがありゃあこっちで用意すっからよ。んじゃ、頼んだぜ」
なんで俺が、と考えるまでもない。確かに当然の流れだ。同じ狩人同士、年下で(おそらく)後輩、そして連れてきた張本人。
ぽん、と後ろから肩を叩かれる。
ぎぎぎ、と錆びついたネジのようにコウイチの首がぎこちなく回る。振り返った先にはクレが立っている。
「仕合って一週間後だっけ? よろしくね。君にはお願いしたことが山ほどあるから」
にこやかに握手を求められ、コウイチは応じるしかない。手がキンキンに冷えているのが伝わっただろうか。
(この人の世話って?)
(なにすんの?)
この短い間に、どれだけこの人が理解不能かと思い知らされたことか。
そして同時に、この人についてある程度わかっていることもある。
(てか俺――なにされんの?)
弟たち、妹たちよ。
にいちゃんは思いがけないほうの大人の階段を上らされるかもしれない。
「じゃあ、さっそく行こうか」
「えっ!? はっ!?」
びくっと肩を震わせるコウイチ。
「え、あの、どこ、どこへ――」
「決まってるじゃんか」
そんなコウイチをよそに、クレは、あくまで爽やかに微笑む。
「――昨日注文した合鍵をとりに行くのさ」
もうちょい続きます。
GW中にもう一話更新できる、、、かなあ。。。
書籍版のほうの感想もお待ちしておりす。




