ドングリをめぐる冒険①
お待たせいたしました。「オオツカメトロ編」の番外編です。
4/22発売予定の1巻の書影と口絵を公開いたしました。詳細は割烹にて。
ドングリタンポポと呼ばれる菌糸植物がある。
その名のとおりというか、黄色の可愛らしい花の中心にドングリをくっつけたような外見をしている。と言ってしまうと簡単だが、どう考えても従来の植物の生態とはかけ離れている。
そもそもドングリというのはコナラとかクヌギといった木の果実だ(種ではない)。栗の実も広義にはドングリで、要は「なんとか科に属する木の、かたい果実の総称」みたいなものだったと愁は記憶している。確かリスやネズミなどに保存食として地中に埋めてもらい、掘り返し忘れたものが発芽するという繁殖戦略だったとかなんとか。
ではドングリタンポポはというと、そもそも花と果実が同じタイミングというのも謎だし、そんな重そうなものを頭にぶら下げる意図も不明だし、なんなら花ごとネズミにもがれることもしょっちゅうだし。
かと言って隠れ家で試した限り、ドングリを栽培しようとしても(土に埋めて水やりや肥料を試行錯誤しても)一度も芽が出たことはない。なので、このドングリもどきは果実や種子ではないのではと愁は推測した。
ならばどうやって繁殖するのか、タンポポと名がつくくらいだからふわふわの綿毛でも飛ばすのか。と思いきや、ドングリもどきが落ちて花がしぼんだあとも綿毛を生じさせることはない。普通にそのまま茎ごとしおしおとなっておしまい、それだけだ(しばらく経つとまた復活するが)。
これに限った話ではないが、メトロの動植物の生態は謎だらけだ。あくまで文系の素人目だが、不条理というか非合理的というか、「なんでそんな色とか形してんの?」「それなんか意味あんの?」みたいなことばかりに見えてしまう。地球上の生命が何億年もかけて育んできた合理的なシステムが崩れ去り、闇雲でデタラメな混沌であふれ返っている、みたいな。
これが、〝超菌類汚染〟と〝メトロの氾濫〟によって変革した、新たな世界なのだ。
***
愁が新世界に目覚めて三年半と少し経った頃。タミコとともにオオツカメトロで生活していたある日の朝。
「アベシュー! はやくあさごはんにするりすよ! あたいもうおなかペコペコ! ほおぶくろペッタンコ!」
隠れ家近くのオアシスで顔を洗っていると、お花摘みを終えたタミコがぐいぐいと服を引っ張って急かしてきた。
「そのうすっぺらいかおをあらうのにいつまでかかってるりすか! モタモタするんじゃねえりす! はよ、はよ!」
「わかったからちょっと待って。あと一日の始まりから塩顔には触れるな」
二人がオアシスと呼ぶ水場の部屋には、色とりどりの菌糸植物が生い茂っていた。草花や灌木、キノコやら苔やら、果ては珊瑚やイソギンチャクのようなちょっぴりグロテスクなものまで。
タミコの主食と言っていいドングリタンポポもその一つだ。愁を先導するようにそれが密生しているあたりに向かうタミコの足どりはウキウキとしていた。
「やっぱりあさはもぎたてフレッシュがいちばんりす。つちのなかでジュクセーさせたやつもすてがたいりすけど」
「すっかりグルメだなあ。俺はどうやっても苦く感じるけど」
「へっ! オトナのニガミがわからんのはドーテーのショーコりすな! ……ああっ、こしょるのはヨルまで……ガマンなのにぃっ……!」
気をとり直して朝食を――と思った二人はあたりを見回して、首をかしげた。
「……あれ?」
「……ないりす……」
ドングリをくっつけた可愛らしい花が見当たらない。いつもならこのあたりに二・三十本くらいは咲いているはずなのに。
「……メチャクチャになってるりす……」
タミコの言うとおり、花も実もすべてもぎとられ、茎も葉もぐしゃぐしゃに踏み荒らされていた。強欲なネズミたちによる買い占め騒動でも勃発したかのように。
「まあ……メトロじゃよくあること、だよなあ……?」
メトロの動植物の栄枯盛衰は目まぐるしい。地中深くのせいか季節の移り変わりを感じることはないが、見慣れた草花がある日突然不気味なキノコに変わっていた、なんてことはザラにある。まあ、無から湧いて出たわけではないだろうから、要は植物やキノコも熾烈な生存闘争にさらされているということなのだろう。
「えっと……他にどっか咲いてるんじゃね?」
とは言ったものの、オアシス中をさがしてみても同じ花は見当たらなかった。
ひとしきりさがし終えたあと、タミコはふらりとよろけ、そのへんのキノコにぱふっと寄りかかった。尻尾がへなへなとしなだれて地に落ちていた。
「ドングリ……あたいのドングリ……」
地球滅亡でも告げられたかというほどの打ちひしがれようだった。
「いやまあ、キノコとか野草とか、食べられるものは他にもあるし。あっちのグミの実? みたいな赤いやつも結構イケるって言ってたよね? 俺は渋くて全然ダメだったけど」
「……ドングリはべつぶくろりす……」
「そこは別腹でええやん」
完全に絶えてしまったならともかく、そこはメトロの植物だ。朽ちるのも早ければ復活するのも早い。数日経てばまた元通りなにごともなかったかのようにひょっこり顔を出すことだろう。
――などと考えているうちに、二日経ち、三日経った。
残念なことに、オアシスにもう一度ドングリタンポポの姿が現れることはなかった。踏み荒らされた群生地は紫色のクローバーみたいな新顔の植物が幅を利かせ、あの黄色い花の居場所はなくなってしまっていた。
あるいはどこかの道端にでも咲いてはいないかと自分たちの行動範囲の中でさがしてみたが、やはり見つけることはできなかった。
「……まあ、気長にさがそうか。そのうち絶対見つかるよ」
「……そうりすね、まだビーチクもあるりすし」
「備蓄ね」
「こういうときにヘソクリしとくもんりすね」
「へそくりという名のドングリね」
「まだじゅっこくらいあったはず……あれ?」
隠れ家中をごそごそとさがして回り、かき集めてきたドングリは、計七個だった。
「いがいとすくなかったりす……」
「一日一個としても一週間か」
「でも……しかたないりす。どっかにさいてるのをみつけるまで、だいじにたべるりす」
ドングリタンポポ消失からずっとしょげていたタミコだが、現実を受け入れて前を向けたようだ。大人になったな、と愁は彼女の成長を嬉しく感じ、思わず笑みをこぼさずにはいられなかった。
「あのさ、タミコ」
「りす?」
愁ははにかむように鼻頭をぽりぽり掻きながら続けた。
「えっと……もしもだよ、もしもの話だけど」
「りす?」
「もしも……こないだ夜中にふと目が覚めて、どうしようもなく腹減っててたまたまドングリが目に入って、まずいけどまあいっかって何個か食っちゃってたとしたら……怒る?」
愁の目が最後に捉えたのは、前歯と殺意を剥き出しに飛びかかってくる小鬼の姿だった。
***
その三日後。
「ただいま、タミコ」
「…………」
愁がレベル上げの狩りから戻ると、タミコは相変わらず定位置と化した部屋の隅で背中を丸めていた。まさに毛玉モード。
「帰りに松ぼっくりもどき拾ってきたよ。あとヤモリも捕まえたから燃える玉でちょろっと焼いてきた。ヤモリの姿焼き、香ばしくて好きって言ってたよね?」
「……いやないりしゅ」
若干舌足らずな返事だ。拗ねて幼児退行モード。
「つっても腹減ったろ? 胞子嚢も近場でとれたやつだけ持って帰ってきたけど、これは食べなきゃダメだよ」
タミコは振り返らずに尻尾で胞子嚢を受けとってみせた。感知胞子でも使っているのかという芸当だ。
食べ終わったあとはかたわらに並べた七個のドングリを愛おしげに撫ではじめた。もったいなくて手をつけられないらしい。もはや見ていて切なくなるほどのドングリロスだ。
「ドングリってそこまでうまいか?」
前にも同じ質問をしたことがあった。「ほろにがくてこうばしい」という食レポによれば、愁の舌よりもドングリの渋味や苦味(タンニンとかいう成分だったか)に耐性はあるようだが、格別にうまいかというとそうでもないらしい。
「……カラダがほっしてるりす、ノーミソがもとめてるりす」
「わからんでもないけどなあ」
要は彼女らにとって本能やDNAに根ざした「おふくろの味」なのだろう。日本人の身体が米でできているように、インド人の血管にカレーが流れているように。
「アベシュ~~……ドングリくれりすよ~~……アレがねえとカラダのふるえがとまらねえりすよ~~……」
「それは違うやつだわ、ただのジャンキーだわ」
(つっても)
(このままじゃアレだしなあ)
愁たちの目標はこのフロアの脱出だ。そのためにはもっと力をつけなければ、もっと狩りをして胞子嚢を食べなければいけないのだ。いつまでもここに引きこもらせているわけにはいかない。
とはいえ、モチベーションの低下した彼女を無理やり引っ張り出すのも違う気がしている。なんだかんだ言ってまだまだ子どもだし、愁としても不可抗力とはいえ追い打ちをかけてしまった元凶だ。寝ぼけて食ったドングリまずかったですなどと言えば二週間は口を利いてくれなくなるだろう。
(つっても)
(マジで見つかんないんだよなあ)
そう多くはなかったものの、これまでもオアシス以外でもたまに見かけることはあった。確率はゼロではないはずなのだ。なのにいざとなると全然見つからない。物欲センサー仕事しすぎ。
百年前の地上なら、東京でも公園や空き地を覗けば一つくらい見つけられたものだ。それらの大抵はセイヨウタンポポで、アスファルトのひび割れからでも顔を出す生命力を持ち、単為生殖でバンバン綿毛を飛ばして繁殖するのだ。そのたくましさを珍妙な大後輩にも分けてあげてほしかったものだ。
空前のドングリ品薄問題。タミコだけでなく小動物たちも途方に暮れていることだろう。こうなれば自然と在庫が戻るのを待つしかないが、果たしていつになることか。
「……なあ、タミコ。オアシスみたいな場所って他にもないの?」
このオオツカメトロ地下五十階は広い。愁たちが足を踏み入れたのもまだ一部にすぎないのだ。まだ見ぬ場所にドングリの楽園が残されている可能性は否定できない。
「ほかに……………あっ!」
タミコが立ち上がって振り返った。
「……しってるりす、いっかしょだけ。オアシスとよくにたところりす!」
「マジか! じゃあ行ってみようぜ!」
「……でも、いけないりす」
「へ?」
ぱっと表情が晴れたのも束の間、再び曇ってしまう。
「とってもキケンなばしょをとおるりす。カーチャンがちかづいちゃダメっていってたところ……」
「なにそれ怖い」
このフロアの主要なメトロ獣とはほぼ戦闘経験済みだ。この期に及んでまだ未知の強敵が出てきたりするのだろうか。
「……〝パイプのもり〟りす」
「へ?」
「カーチャンがそうよんでたりす。〝パイプのもり〟……とってもひろくてフクザツで、あそこはサルどものホームりす」
***
五十階は狼勢と猿勢が長年ひしめき合っていた。愁たちのいる隠れ家はその両陣営のちょうど境目に近いところにあり、そいつらの縄張りからちょっとだけ離れていたことで比較的安全なエリアだったのは幸運だった。
隠れ家を出て右側に、ゴブリン村やオーガの草原などの猿系メトロ獣のはびこるエリアがいくつも続いていた。タミコの言う〝パイプの森〟は、それらを抜けた先にあった。
「……すげえな、こりゃ」
カーチャンの命名どおり、確かにパイプ――管の森だ。
イメージとしては「文明崩壊後にとり残された巨大なガスプラント施設」といったところだろうか。見渡す限り上下左右無数に金属製のパイプが入り組み、菌糸植物の蔓がそれを埋め尽くそうとするかのように鬱蒼と這い伝っている。
うっすらと霧が立ち込めて視界が悪く、どこまで続いているのか見通すことができない。加えて上下――天井も地の底も見えない。なんとなく肌で感じる空気の流れや音の反響具合からして、相当広いエリアなのは間違いないだろう。
「タミコ、その『もう一つのオアシス』に行くにはここを抜けるしかないんだよな?」
こくんと愁の肩の上でうなずくタミコ。へそ曲がりモードも一時休戦だ。
「あたいもいちどいっただけりすけど、まえはそうじゃなかったりす。メトロがへんどうして、べつのみちがなくなっちゃったりす」
「なるほど」
メトロという迷宮はたびたびその姿を変える。ある日突然見知らぬ部屋が現れたかと思えば、昨日まではつながっていた通路がいきなりふさがっていたりする(しょっちゅうあるわけでもないが)。そういった不可思議な現象を「メトロの変動」と呼ぶそうだが、その原理や規則性などについてはタミコも知らないという。
「カーチャンがひとりでここをぬけたっていってたけど、サルどものたまりばになっててあぶないから、ここにはもうきちゃダメってなったりす。でも、ここからもうひとつのオアシスにいけるりす」
「その抜け道もメトロの変動でつぶれてなきゃいいけどな……」
「アベシュー、きをつけるりす。ここはいろんなメトロじゅうがまよいこんできてるりす、しょっちゅうみんなバトってるヤバンなばしょりす」
「そりゃめんどい……慎重に行こう」
ひとまず一番下まで下りてみることにする。どれだけ広いかもわからない状況で、パイプの上を渡り歩いていくのはさすがにしんどい。
パイプに飛び乗ると、ぎしぎしと不吉に軋みながらも崩れたり壊れたりはしなかった。錆だらけでボロいが足場としてはわりとしっかりしているようだ。一歩ずつ足場を確認しつつ、ゆっくり時間をかけて下りていった。
二・三十メートルほどでようやく地面に着いた。しかしそこはくるぶしまで浸るほどの湿地になっていて、むしろパイプの上より歩きにくい状態だった。しかたなくもう一度パイプに登り、奥をめざしてまっすぐ進んでいった。
巨大なジャングルジムの中を進んでいるような気分だった。プライベートならもう少し楽しめたのかもしれないが、あいにくそんな余裕はなかった。パイプの上は湿気で滑るし、誤って苔や葉っぱを踏むとやはり滑るし、四方八方から獣らしき鳴き声が聞こえてくる。
(マジで感知胞子様々だな)
(白ドングリも見習ってほしいわ)
ボススライムに挑んで返り討ちにされたのが半年以上前。リベンジに向けて絶賛猛特訓中で、あのときからレベルを三つ上げて今は58だ。菌能も新たに一つ習得したが、その十四個目の菌能「菌糸製の謎の白ドングリ」は、用途も使いかたもよくわからないまま封印状態だった。
(あのスライムにも通用するような)
(火力の高いやつを覚えられたらいいんだけど)
「アベシュー!」
タミコが耳元でさけんだ。愁の感知胞子も同時にそれを捉えていた――上から猛スピードで近づいてくる気配。
「ギャギャッ!」
「ゲギャギャッ!」
赤ゴブリンが二匹。ぴょんぴょんとパイプを蹴り、落下するような勢いのままに頭上から迫ってくる。このアスレチックな環境に熟達した機動だ。
「ふっ!」
菌糸のナイフを握った一匹目を、菌糸盾で殴るようにしてはじき飛ばした。同時に二匹目を菌糸刀で――という計算だったが、一撃目の時点で足が滑り、刀が空を切った。
(やべっ)
二匹目の菌糸棍棒が降ってくる、それを上体を捻ってスレスレでかわす。
「くぁっ!」
回避と同時に刃を相手の腹に押しつけ、引くように振り抜いた。気色悪い感触をてのひらに伝えながら、二匹目の胴体が上下に両断された。
「うわっと!」
勢い余ってパイプから落ちそうになった。慌てて隣のパイプに飛び移り、垂直になった部分に背中を預けて構え直した。まだ一匹目を仕留めきれていない。
「アベシュー、みぎからも!」
「わかってる!」
気づけば囲まれていた。感知胞子が捉えるのは小柄な輪郭のみ、ゴブリンだけなのは幸いか。
だが、この足場に慣れないうちは脅威だ。地の利は思った以上に向こうにある、レベル差は天と地ほどでも決して油断はできない。
「ギャギャッ!」
「ギャァアッ!」
前後左右上下から、統率のとれた襲撃が迫ってくる。愁は足場を変えながら包囲をかいくぐり、一匹ずつ迎撃、確実に仕留めていく。
(――あれ?)
愁の脳裏に違和感がよぎった。
(俺、獣除け胞子も使ってたよな?)
というか、今でも散布している。通常なら低レベルなゴブリンのほうから襲ってくることはない。
(霧のせいか?)
それもあるかもしれない。感知胞子は若干ノイズまじりだし、獣除け胞子も効果が薄まっているのかもしれない。
(だけど)
(もしかして、それだけじゃ――)
背筋がぞわりとした。
霧の向こうから、感知胞子の領域を突き破るようにして、音もなく高速で飛翔してくるもの。
かろうじて受け止めた菌糸盾が大きくはじかれ、体勢が崩れ、足がずるりと滑った。
「――んがっ!」
空中に投げ出された瞬間、手頃なパイプに菌糸刀を引っかけて逆上がりの要領でぐるんと回転。びょんっと跳び上がって別の足場に着地。見事すぎるリカバリーで「うおおお俺すげえええ」と内心自画自賛。
「……アベシュー……」
「……わかってる」
その輪郭を感知胞子で捉えていた。すでに肉眼でも確認できる位置にいた。
幽霊を思わせる真っ白な体毛の巨大な猿が、愁たちの頭上に佇んでいた。
ここオオツカメトロ地下五十階において、最強クラスの殺傷能力を誇る怪物。レイスだ。
「……あいつ……」
愁の心臓がどくん跳ねた。
「……まさか……」
「……ボ」
愁のつぶやきに応えるように、そいつが短く小さく鳴いた。
そいつの顔はひどい火傷でただれ、うろのような黒い目は片方つぶれていた。
続きは来週。もう少し早めに更新できると思い……たい。
前書きでも触れましたが、活動報告にて1巻の書影と口絵を公開しております。
チョー素敵な仕上がりになっておりますので、ぜひご覧ください。
あと皆様、くれぐれも体調にはお気をつけくださいませ。




