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142/195

129:研究


8/22:ノアの菌能名【縛紐】→【白紐】に変更


 タミコのリスカウターでもレベルを見ることができない。

 ――ノアの知る限りそれは、いつかの魔人病の野盗やリクギメトロで出会ったという獣王サトウと同じイレギュラーだ。


 護衛の二人はプロの狩人ではなく、レベル20そこそこだと聞いていた。狩人としては初級程度ではあるが、一切抵抗もさせずに首を握りつぶすような真似は、少なくとも達人級でないと無理な芸当だろう。


 目の前で道化のようにおどけたポーズで佇む、背広姿の薄毛の中年男。今まで隠されていたススヤマの本性なのか、それともススヤマを騙るまったく別のナニカなのか。今はなにもわからない。


「へー、やる気かい?」男の口調は涼しげだ。「か弱いウグイスちゃんたちは、目の前にいるのが恐ろしい鷹だってわからんのかね? あーこれイソップ物語ね、ってわかんねえか」


 イソップなんたらは知らないが、ノアはわかっている。

 その短躯から発せられる、得体の知れない悪意。目の前に立っているだけで押しつぶされそうなほどの禍々しい殺気。この男の底知れなさをわかっている。


 首筋に刃を当てられているようで身じろぎもできない。肩に乗っているタミコと、後ろにいるウツキも同じだろう。


「まあ、めんどくせえし時間もねえし。お嬢様渡してくれりゃ、お前らは見逃してやんよ。それともマジで死にてえなら――」

「逃げて、ハグミっち」

「はしるりす」


 ウツキとタミコが押し殺した声で言う。


「で、でも……わたし……」


 声はか細く震えている。おそらく泣いているのだろう。

 ハグミはまだ走れないという。まだ体力や筋力が病気の治癒に追いついておらず、そもそも幼少時からの大病のせいで生まれて一度も走った経験がないと。


「……お、おねえさまたちは……」

「……お願い、行って。誰か呼んできて」

「こんどはハグミが……あたいたちをたすけるばんりす」


 それらは、怯える彼女の背中を押すための言葉だ。あるいは友だちを置いて一人逃げる罪悪感を拭うための。


「行きなさいっ!」

「いけりすっ!」

「う、うんっ!」


 二人の怒声に後押しされるように、ハグミの弱々しい足音が離れていく。

 ――が、男は。


(……なんで?)


 なぜか、一切動こうとしない。逃げるのを阻止しようとも、立ちはだかるノアたちに襲いかかろうとも。


「……ん? ああ、なんで獲物宣言しといてむざむざ逃がすんだって?」


 顎のあたりをいじりながら、にたにたと気色の悪い笑みを貼りつけているだけだ。


「いやあれ、嘘だもん。〝奇跡のお嬢様〟誘拐大作戦」

「……嘘……?」


 なにを言っているのか。


「いやまあ、嘘ではねえか。ぶっちゃけ優先度高いんだけどさ。つってもまあ必須案件でもねえし、俺としちゃあこっちのが重要っつーか興味津々っつーかね」

「こっち?」

「ああ、ずっとほったらかしにしてた研究のデータ回収、ってとこかな?」


 意味がわからない。

 だが――


(なんで)

(さっきからずっと)

(ボクを見てるの?)


「もうすぐ警備が来るけど」と背後からウツキ。「逃げるなら今のうちだよ。スガモにしろ本部にしろ、あいにく今日は精鋭ぞろいだからね。あんたみたいな誘拐犯なんざフルボッコよ」


 どう考えても虚勢だが、そう聞こえさせない声音なのはさすがベテランだ。


「そうだな……あの嬢ちゃんの足だと、援軍が来るまでせいぜい二・三分ってとこか」


 ごぎぎ、とススヤマは首を倒して盛大に鳴らす。


「こっちも時間ねえし、手早く済ませっか。つーわけで、お前らのほうは逃さねえから――」


 ノアの手から投げ放たれた二振りの【短刀】がススヤマの言葉を遮る。

 ほんのわずかにタイミングをずらした二つの切っ先が鼻面へ迫る。だがそれは呆気なくすり抜ける、ススヤマが軽く左右に頭を振っただけで。


「――お」


 【短刀】の柄尻に【粘糸】で付着させた【白紐】が、彼の首に引っかかる。


「お、お」


 ノアの手さばきで先端の【短刀】がひゅんっと旋回し、紐が腕や胴体に絡みつくのと同時に――

 ボゥッ!

 と男に直撃したウツキの【火球】が爆ぜる。


「――からの?」


 拘束した紐の緩みをてのひらに感じた瞬間、ノアが紐を切り離して新たな【短刀】を――抜くよりも早く、爆炎を裂いて伸びてきた拳がノアの頭を鷲掴みにする。


(【伸腕】――)


 振りほどくより先に、そのまま額から床に叩きつけられる。石材が砕けて飛び散り、同時に視界と意識が暗転する。


「ノア――ぴぎゃっ!」

「な――うああっ!」


 立て続けに二人の短い悲鳴。気力を振りしぼって顔を起こすと、明滅した視界の中で、タミコは血溜まりの中でぐったりと床に伏し、ウツキはハリネズミのように【尖針】を身体中に浴びて倒れている。


 終わってしまった。

 ほんの数秒――たったそれだけの時間で。


「――ぅあっ……!」


 髪の毛を掴まれ、強引に頭を持ち上げられる。

 目の前にススヤマの顔がある。しゃがみこんでノアの顔を覗き込んでいる。


「二十点、だな」

「……あ……?」

「いかにも〝細工士〟らしい菌能のコンボだったが、キレもテクもレベルどおり。格の違いを悟って不意打ちかました度胸は褒めてやるが……最大の減点は俺相手にふっかけた身のほど知らずなとこだな、ひゃひゃひゃっ」


 ノアの攻撃でかすり傷一つついていない。それどころか、ウツキの【火球】が直撃したのに、皮膚どころかそのスーツにすら焦げ跡一つない。


「まだまだ鍛えかたが甘えんじゃねえか? なあ――――×××」


 一瞬、ノアの思考が止まる。大きく目を見開いた自分の顔が、ススヤマの目に映っている。


「……なんで……その名前を……?」


 かろうじて漏れ出た問いかけに、ススヤマは答えずににんまりと笑うだけだ。


「そんなことよりさあ、俺のほうこそお前に訊きたいんだよ。さっきお前、どんな気持ちだった?」

「……へ……?」

「さっき言ったろ、お嬢様を差し出せば見逃してやるって。そんときどう思った? それがベストだって思わなかったか?」

「……なにを……」

「トイレん中で楽しそうにキャッキャウフフしてたよな。友だちねえ……育ての親を失って以来、誰も信用せず孤独に生きてきたお前のそれは、ガキを体よくあしらうための友だちごっこってやつじゃなかったのか?」

「……そん、な……」


 だらりと頬まで垂れてきた血を、ススヤマはべろりと舐めとる。


「そっちのロリと毛玉がお嬢様を逃がそうとしたとき、お前だけはダンマリしてたよな。冷静に冷徹に、俺の挙動だけを見据えていた。ああ、もちろん間違っちゃいねえぜ? むしろ狩人としちゃ当然だ、俺に一番近い位置にいたのはお前だったからな。けど――」


 この手を振り払いたいのに、【短刀】を突き刺してやりたいのに。

 身体が動かないのは、ダメージのせいか、恐怖のせいか、それとも――?


「まだ骨と皮のトリガラだったガキの頃から、お前は現実の厳しさと一人で生き抜くしたたかさを教わってきた。同時にメトロの外じゃあ、悪を憎み人として善良たれと常に言いつけられてきた。そんなお前の頭ん中に迷いはあったか? 葛藤は生まれたか? その友だちとやらを、本気で命がけで守りてえと思えたかよ?」


 一瞬、腹の底が凍りつくような感覚に襲われる。唇が震えて、声も出ない。


(まさか――)

(どうして――)


「なんだ、もう少しわかりやすく訊いてやろうか? たとえば――」


 ガッ、とその左手が空中でなにかを掴む。その手からふさふさの尻尾がぶら下がっている。


「いぎっ、ぎぎぎ……」

「姐さんっ……!」

「狸寝入り、いやリス寝入りだな。そっちに転がってんのは【分身】か? 毛玉の分際で悪知恵が働くじゃねえか」


 ノアは髪を掴む手を引き剥がそうとする。だが手に力が入らない、爪が皮膚に食い込まない。ぶんっと放り投げられ、頭から壁に激突させられる。


「お前、この毛玉とはずいぶん仲よさげにしてたな。なんだよ姐さんって、草生えるわ」


 ぎゅう、と指が閉じられていく。その手の中でタミコが必死に振りほどこうともがいている。


「ぎぎ、んぎぎぎ……」

「おっおっ? ネズ公の分際で、さっきのザコの首より締め甲斐あんじゃん。さすがはレベル40超えか? ああ、俺も持ってんだわ、【看破】」

「ひっ、ひぎっ……!」

「ほれほれ、がんばれがんばれ。『りすりす小りすー』って白秋だったか?」


 その手がどんどん握りしめられていく。


「え、どうだ? こいつが大事か? お前自身より大事か? それともこいつがトマトみてえにつぶれるまでの数秒、てめえの安全を稼げてラッキーと思うか? どうなんだ、ええ?」

「ひぎゃっ……あぁああっ……!」


 タミコの顔が歪み、口から血反吐がこぼれる。みしみし、ぺきぺきと乾いた音が聞こえる。


「……姐、さん……!」

「ぴゃあっ……ああああっ……――」


 そして――爆ぜる。

 ――男の背中が、炎とともに。


「っ!?」


 その瞬間、呪縛が解けたかのようにノアは飛び込む。【短刀】でススヤマの手首を斬りつけ、緩んだ指の間からタミコの身体をもぎとる。


「――……くくっ、【誘導】か」


 背中に受けた爆炎もものともせず、ススヤマはぱたぱたとスーツをはたいて立ち上がる。


「ただのザコかと思やぁ、わりといい菌性持ってんじゃねえか。ロリエルフよお」


 ノアが半身で振り返った先に、身体中血まみれ針だらけのウツキが立っている。その指の先には、いくつもの菌糸玉がひゅんひゅんと弧を描いて旋回している。

 

 

    ***

 

 

 玉術における投擲系の菌糸玉は、ほんの微量の胞子をまとっている。肉眼ではほとんど視認できない量と大きさの。


 それは菌糸玉が放たれた際、術者の意思に沿い、標的に到達するまでの軌道を補正する働きがある。


 それを知らずに初めて菌糸玉を投げ、目標に着弾する様を見届けた術者は、大抵が「自分は意外とコントロールがいい」「センスがある」などと多少の勘違いをすることになる。たとえばメトロ深層出身の素人などもそうだった。


 実際はその胞子による補助効果もあるというわけだ。もちろん明後日に投げても無理やり軌道修正してくれるほど強力なものではないし、あくまでも本人でも気づかないほどの微力な手伝いにすぎない。


 そして通常、その効力を鍛える術はない、と言われている――【誘導】の菌性を持つ者以外は。


 【誘導】は、その胞子の効果を極端なまでに高める能力だ。熟達すれば到達距離を大幅に伸ばしたり、夜光虫や妖精のように宙を舞わせることさえ可能になる。〝幻術士〟系統の狩人にとっては喉から手が出るほどほしい希少な能力の一つだ。

 

 

    ***

 

 

「――ふっ!」


 ぴんと伸ばした人差し指の合図に沿って、赤い菌糸玉が群れのように連なって飛翔する。

 それらは上下左右に進路を分岐させ、四方八方からススヤマに着弾。爆炎と火柱が廊下を埋め尽くし、床に伏せたノアの頬を熱風が灼く。


「ウツキさん!」


 起き上がって駆け寄ると、ウツキの身体がぐらりと揺らぐ。慌てて肩を抱くようにして支える。


「……ノアっち、タミコっち連れて逃げて……」


 タミコはノアの腕の中で気絶している。手足が折れ曲がり、息も絶え絶えの状態だ。


「でも――」


 ぶわっともう一度熱風が吹きつける。顔を上げた二人の視線の先には――やはり、無傷の男が立っている。


「かかか……爆竹遊びは終わりかよ? そういうのはアラカワ河川敷でやれや」

「……【障壁】か……あたしの【火球】じゃちょっと無理かな……」


 【火球】は肉体に触れる寸前で胞子の壁に阻まれていた。正面も死角もすべてガードされた。ノアが斬りつけた手首も、出血はおろか傷口さえ見当たらない。


「ノアっち……あたしさ、もう一歩も動けないから……」


 ウツキの足下には血溜まりができている。支えていなければ立っていることも難しいだろう。


「逃げて……もうちょい時間稼ぐから……」

「でも……」

「お前、さっきからばらまいてんのは【魅了】か? わりいけど無駄だぜ、ロリエルフの色仕掛けなんざ大昔のおっきいお友だちにしか通用しねえさ」

「ここで二人に死なれたら、どのみちアベっちにも師匠にもぶっ殺されちゃうからね……」

「ウツキさん……」

「だから……行って……行きなさい!」

「だから、逃がさねえって」


 ウツキがその手を前にかざすのと同時に、ススヤマもその指先に菌糸玉を生み出している。黄色――【雷球】か。


「わりとレアな能力だけど、どっちも持ってんだよなあ。だから、お前は用なし」


 かすかな胞子の煌めきをまとった【雷球】が飛翔し、三人に降り注ぐ。

 

 

 

 途切れた意識が戻ると、あたりにはしゅうしゅうと焦げくさいにおいが立ち込めている。


 幾重もの電撃を浴びたノアとウツキは仰向けに倒れ、ノアの手からこぼれたタミコもぐったりとして動かない。


「おー、今ので心臓止まんなかったか。しぶてえザコとかゲームじゃ一番イラつくやつだわな」


 頭上で男の声がする。視界がぼんやりしてよく見えないが、おそらくあの悪魔のような笑みを浮かべているのだろう。


「まあ、お前だけは心臓止まっても蘇生させてやるつもりだったけどな。まだまだ使い道ありそうだし」


 ススヤマの手がウツキの頭を鷲掴みにする。そのままぐいっと持ち上げ、小柄な身体をぶらぶらと揺する。


「つーわけで……次の検証、行ってみるか」


 その指がウツキのこめかみに食い込む。


「次のコーナーはこれ! じゃじゃん! 『極悪王族の血を受け継ぐ姫は、友人の死に涙を流せるのか?』。わーわー!」

「……やめて……」


 必死に手を伸ばし、ススヤマの足首を掴む。力が入らない、菌能を使う力も残っていない。


「おいおい、もう泣きそうな顔してんなよ。嘘泣きじゃねえだろうな? そういうのテーマがブレるからやめてくれよな」


 ウツキの頭蓋骨がみしみしと軋み、金髪が赤黒く染まっていく。


「ちゃんと考えてくれよ。心からの感想がほしいんだよ。お前の涙は本物か? お前の悲しみは偽善が生み出した欺瞞じゃないか? 教えてくれよ……イケブクロ王朝最後の血統よ」

「……お願い……もう……」


(お願い)

(止めて)

(この人を)

(誰か――)


 べきっと頭蓋骨が砕ける。その指が脳へ到達し、頭を林檎のように握りつぶす、

 ――寸前。


 ノアは黒い閃光を見る。


 とっさにススヤマがかざした手の先で、黒鉄色の刀と【障壁】がぶつかり合う。

 そして刀は、あっさりとそれを斬り裂いて奔る。


「――っ!」


 【障壁】を破った初撃を、ススヤマはバックステップでギリギリ回避する。


「しっ!」


 しかし返す刀の振り上げが追いすがる。ウツキを握る右腕を両断する。

 ざざっと床を滑りながら着地したススヤマが、肘から先を失った右腕を垣間見て「ちっ!」と舌打ちする。


 現れた男は、空中でキャッチしたウツキの身体をゆっくり床に横たわせ、再び刀を正眼に構え直す。

 全狩人においてただ一人が持ちうる、地上最強の菌糸刀【不壊刀】。


「――……お待たせしました。もうだいじょぶです」


 それを握るカン・ヨシツネは、涼やかな声で言う。


ウツキ・ソウ(48)

〝幻術士〟 レベル37

菌能:【火球】【氷球】【白杖】【魅了】

菌性:【誘導】


カン・ヨシツネ(21)

〝聖騎士〟 レベル57

菌能:【不壊刀】


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― 新着の感想 ―
[一言] 悲しいまでに大昔への執着を見せて、すがり続ける団長。 これ死んだはずの糸繰士が、実は生きて闇落ちしてましたパティーン……。
[一言] 団長台詞と行動が全て悪意100%で怖すぎる 何か異常にスキル豊富だし某能力バトル漫画のオマージュで団長が能力奪取系能力者でヨシツネの唯一の能力が奪われる展開とか想像したら恐ろしいです……
[良い点] ノアさんに焦点が当たってきて嬉しい限りです [一言] うわあ、怖かった… ヨシツネ君頼む姐さんの仇を!(なお存命)
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