123:結びの一番
1/13:ハクオウ・マリアの衣装の色変更。
1/21:【真機那】→【魔機女】に変更。
3/15:人物名「カメイ・ドンタ」→「マルガメ・ドンタ」に変更。
吹き抜けの天井から覗く空は、完全に夜の色に変わっている。
館内にはあちこちで照明が点灯している。客席から向けられたスポットライト(電気ではないはずなのでモエツクシかオイルランプかなにかだろう)の光が土俵を眩しいほどに照らしている。
その中心にいるのは、スガモ所属アオモト・リンとイケブクロ所属ギラン・タイチだ。
先ほどまで医務室にいた愁は見ていないが、聞いたところによると第六試合はロンドンの魔法学校もかくやというド派手なバトルになったようだ。
高火力の菌糸玉をばらまくスガモ所属〝幻術士〟イデ・ケンゾウと、多彩な菌能で対応力を見せるネリマ所属〝導士〟キヌタ・ポンポコ。一進一退の攻防は観客を大いに沸かせ、最後にはベテランらしい老獪さでキヌタを出し抜いたイデの勝利となった。
これでスガモ勢の三勝二敗。勝ち越しへ先にリーチをかけた形だ。
当然、アオモトは自らの手で勝ち越しを決めようと気合じゅうぶん。土俵に向かう前もピリピリしていて声をかけるのも躊躇われたほどだ。ああしてギランと対峙している背中からもオーラのようなものが立ち昇っている、ような気がする。
前にちょろっと確認したのだが、ケモノ狂いの彼女にとってオオカミ男のギランは「あくまで人間の男」ということらしい。モフり魂が疼いて試合に水を差してしまうような心配はなさそうだ。
「はっきよーい……残ったぁっ!」
行司のかけ声と高らかなゴングの響き。
アオモトは【戦槍】を、ギランは【騎士剣】を抜き、戦いの火蓋は激しい衝突とともに切られる。
レベル54ながら八つの菌能を習得している〝獣戦士〟アオモト。クレの上位互換的な能力構成の近距離ファイターだ。
対する〝聖騎士〟ギランはレベル73にして菌能十一個。【騎士剣】と【炎刃】の強力なコンボをメインとした近距離戦だけでなく、【投斧】や【咆哮】で中距離にも対応可能。さらに【自己再生】や【節制】の菌性などで耐久力も高い。高水準でバランスのとれたオールラウンダー、そう形容したのはアオモト本人だったか。
レベル差、菌能の差、経験の差。スペックだけで比較すれば、その差はプロ野球選手と高校、いや中学球児ほどかもしれない。
しかしながら、勝敗を決めるのはスペックだけではない。勝利への執念、願いを引き寄せる気迫、恐れず立ち向かう勇気。それらがときに奇跡を起こすことだってありうるのだ。
――多くの観客にそう思わせるほどに、アオモトは必死に食らいついた。そして。
「勝負ありぃいいっ!!」
最後には力尽きた。番狂わせは起こらなかった。
万雷の拍手に送られて、アオモトを載せた担架が愁のいる入場口へと戻ってくる。愁の横を通りすぎるとき、だらりと垂れ下がっていた彼女の手が、愁の袖を掴む。
「……すまない、アベ氏……」
ほつれて砂まみれになった髪、べっとりと血で汚れた顔、青く腫れたまぶた、悔し涙で濡れた瞳。震える声で、彼女はそう言う。
愁は彼女の手をとり、握る。
「ナイスファイトでした、アオモト関」
「……あとは……」
握り返す力も残っていない。それらはすべて土俵へと置いてきたのだ。
愁は身を屈め、その手を額に当てる。そこから受けとれるものがあるような気がして。
「――はい、任されました」
***
「ご苦労だったな、ギラン。見事な試合だったぞ」
来賓者向けの控室の一つ。膝をつくギランの前に立つのはイケブクロトライブの四代目族長マルガメ・ドンタだ。後ろに護衛役が二人控えている、いずれもギランの後輩だ。
「此度の勝利を我が王へと捧げられる悦び、至極に存じます」
「うむ、ありがたく受けとろう。して……一つ気になることがあったのだが」
ギランが顔を上げる。ドンタはにやりと口元を綻ばせる。
「此度の試合、なぜ【炎刃】を使わなんだ? 始めから使っておれば、あの勇敢な女狩人といえど端から手も足も出なかったろうに」
「……ドンタ様、周りには我々以外誰もおりません。常のお言葉遣いでよろしいかと」
「あ、うん。だね」
ほっと息をつき、肩の力を抜くドンタ。顔に貼りついたぎこちない権威の仮面が剥がれ、十七歳という年相応の幼さが戻ってくる。
「はー……ずっと貴賓席にいたもんだから、王様言葉がなんどか崩壊しそうだったよ。周りみんなすごい人たちばっかで緊張するし、焼きそばとか焼きもろこしとか食べられる雰囲気じゃないし」
イケブクロ族長が〝王〟を自称し、回りくどい王族言葉を使いはじめたのは、〝糸繰士〟の初代族長ツルハシ・ミナトの息子、二代目フネトからだという。古くは「最初に滅亡したトライブ」アカサカの流儀らしく、フネトが自らの権威を誇示するために真似てみたのがきっかけらしい。
三代目ヨットの王政を打倒してドンタが四代目に就いてからも、粛清を逃れた王権擁護派が「王たる振る舞い」を彼に強要した結果、このような旧態依然とした堅苦しい儀礼が今も残ってしまっている。ドンタが権威の衣を脱いで寛げるのは、ギランを含む気心の知れた者たちの前でのみだ。
「あー、そう。なんで【炎刃】使わなかったの?」
「あれは……人に向けるにはいささか物騒すぎる力ですからね。ましてや相手は嫁入り前の女性でしたから、後々まで残るような傷跡をつけてしまうのも心苦しいので」
「さすがギラン、女の人に甘いよね」
「まあ、それでもねじ伏せられる自信はあったのですが……正直侮っていましたね、あそこまで追いつめられるとは」
アオモトとはこれまで合同訓練などで何度か手合わせしてきたが、そこまで強い印象はなかった。
だが、訓練で見せることのなかった彼女の切り札【凶暴化】。その気迫や執念と相まって、すさまじいものだった。
その肉体操作系統のレアスキルは、身体能力の大幅な向上と引き換えに冷静さや思考能力が損なわれる。対人戦では致命的にもなりうるデメリットだが、彼女は想定以上に使いこなしていた。
犬歯を剥き出しにがむしゃらに突っ込んできながらも、位置どりを誘導して押し出しを狙おうという狡猾ささえ保っていた。
「途中で【炎刃】を使おうかとも思ったんですが、最後のほうはお互い意地の張り合いみたいになってましたね。どうにか勝ててよかったです」
アオモト・リンという狩人を見くびっていた。
それなりに優等生ではあるが上位菌職としてはせいぜい中の上未満、というのがギランの評価だった。
若くして代表に担ぎ上げられ、いらぬ苦労も背負い込んでいることだろう。だがいつか殻を破り、化けるときが来るかもしれない。〝撃ち柳〟のような上位ランカークラスの狩人になることも夢ではないかもしれない。
「そっか……敵ながらあっぱれって感じだね。ギランも大した怪我がなくてよかったよ。あ、疲れてるでしょ? 椅子に座りなよ」
「恐れ入ります。あ、スイカ、大至急焼きそばと焼きもろこしを。ここにいる人数分な」
「領収書もらってきていいっすか?」
「私の奢りでいい。最終試合が始まる前に頼む」
護衛役のミズタニ・スイカが控室を出ていくのを、ドンタがホクホクした顔で見送る。そんな様子にギランも思わず苦笑しそうになる。
(ずいぶんホワイトな組織になったものだ)
(昔ならきっと、格下に苦戦した時点で叱責と懲罰だろうに)
八年前、わずか九歳で革命の神輿に担ぎ上げられ、四代目の〝王〟となった少年。
トライブの重鎮だった父親の失脚と処刑、一族へと向けられた弾圧から逃れるための亡命……そんな波瀾万丈の幼年期を送った彼。それでも、その優しい心根や誰からも慕われる愛嬌が損なわれなかったのは、ある意味奇跡と呼んでもいいほどだろう。
二代目から続いた腐敗と圧政により崩壊寸前だった内政を短期間で建て直すことができたのも、領民の多くが「我らの優しき王のために」と力を合わせた結果だった。
「私とアオモト嬢でまた土俵を荒らしてしまったので、試合開始までもうしばらくかかるでしょう。ゆっくり味わえる時間はないかもしれませんが」
合間に行なわれるダンスタイムはなかなか見応えがあり、観客を飽きさせることはなかった。ギランとしても王への報告がなければ、一緒に祭りを見て回るべき娘を物色したいところだった。
「オウジでギランと一緒に戦った人だもんね、アベさん。恩人って言ってたっけ、応援しなきゃね」
「……私だけの恩人、というわけでもないのですが」
首をかしげるドンタ。
「あ、いえ……イケブクロの狩人もそこにいましたので。イカリ・ノアという娘です、先日スガモに移籍してしまいましたが」
「あー、アベさんのチームの。なんか菌職が変わったとかなんとか。残念だけど、スガモでがんばってほしいよね」
「……ご公務が一息つきましたら、彼らを招いて一席設けましょう。ドンタ様にぜひ彼らをご紹介したく」
「うん、楽しみにしてるよ……あ、カーバンクル族の子もね、なぜか市長の娘さんと一緒に登壇してたけど。可愛かったなあ、友だちになってくれないかなあ」
「ドングリの用意とこしょるタイミングさえ注意すれば問題ないかと」
無邪気に笑う王に、ギランは曖昧な笑みを返す。
(……まだ赤ん坊だった頃の話だ)
(きっと思い出しはしないだろう)
彼女の――イカリ・ノアと名を変えた彼女の顔を見ても。
おしめも外れていなかった頃に顔を合わせただけの、許嫁候補だった少女のことなど。
***
太鼓のリズムに合わせて、華やかな衣装を身にまとった女性たちが踊っている。愁はそれを腕組しながら見物している。
ミニスカートが揺れ、レオタードが煌めき、猫耳や尻尾がフリフリされる。コスプレか本物の亜人か見分けが難しいほどの完成度だ。こんな状況でなければもっと邪念をこめた目で見られるのに。
闘技場の真ん中では土俵の調整が進んでいるが、愁はそちらを見ないようにしている。試合開始まで待たされているこの時間が生殺しのようで苦痛だ。いっそダンスに乱入してつまみ出されてしまいたい。
「……ん?」
向こう側の入場口で行司が誰かと話し込んでいるのが目に入る。相手は――ハクオウ・マリアだ。
(あれ、ジャージじゃなくね?)
ダンサーや土俵の整備員の合間からしか見えないのではっきりとはしないが、いつの間にか彼女も衣装チェンジしている。浅黒い肌がちらちらと露出しているように見えるので、もうちょっと寄りで観察してみたい。
それからほどなくして、今度は行司が小走りで土俵を突っ切って愁のほうに向かってくる。若干小太りの体型をゆっさゆっさしながら。
「アベ選手、ちょっとよろしいでしょうか」
「はい?」
「ハクオウ選手から提案がありまして、試合のルールに関してご相談が――」
行司から説明を受け……愁は即答できず、少し考えさせてもらう。
『えー、観客の皆様にお知らせいたします』
司会者のアナウンスが場内に響く。すでにダンスタイムは終了し、整備員も裏方に引き上げている。
『これより行なわれます第八試合、本日の結びの一番について、お知らせがあります。先ほどハクオウ・マリア選手より〝ガチンコルール〟への変更の提案がありました――』
会場がどよめきと歓声の二つに分かれる。
『〝ガチンコルール〟とは、土俵の境界を撤廃して試合を行なうものです。つまり場外負けは事実上なくなり、どちらかの戦闘不能か、三十分で決着がつかない場合の判定をもって、勝敗を決することになります――』
おおおお、と驚きの声が大きくなる。
愁が行司に確認したところによると、実際には場外負けもありうるという。客席や入場口に逃げ込んだり投げ込まれたりした場合、10カウントで負けとなる。
『最後まで立っていた者の勝利、どちらが強いのかをよりはっきりさせる〝ガチンコルール〟……今大会の委員会並びに審判団は、両選手の合意によって適用するものとしました。そこでハクオウ選手の提案をアベ選手に相談したところ、アベ選手が――……』
ここでいったん間を置く。というか溜める。
『同意したため――』
会場がどっと沸く。
『結びの一番は〝ガチンコルール〟適用試合となりますっ!』
さらに沸く。「いいぞー!」とか「お前ら漢だー!」とか聞こえてくる。
愁は向こう側の入場口に目を向ける。ハクオウ・マリアが腰に手を当てて仁王立ちしている。自信たっぷりに見下すようにしながら。
「――ルールの変更、呑んでくれてありがとう。ちょっぴり見直したわ」
大歓声に包まれながらの入場。土俵の縄が撤去されてただの砂地となった闘技場の中心で、ハクオウと向かい合っている。
「まあ……こっちにしても不利にはならないかなって」
「あら、場外押し出し以外で私に勝つ見込みでもあって? なかなか笑えないジョークね」
だが彼女の【魔機女】を想定した場合、ただでさえ限られた土俵内のスペースを奪われて押し出される可能性のほうが高い。それにこういった試合の経験値で圧倒的に劣る分、場外という制約なしのほうが愁にとっても戦いやすい。
まあ、彼女の言うとおり「格上を倒しきる」のが勝利条件となった分、勝つのも難しくなったわけだが。
「まあいいわ。これで中途半端な決着はなくなった……どちらが上か、白黒はっきりつけてあげる」
「臨むところ、ですけど……」
というか、正直それよりも気になっていることがある。
「あの……その格好で戦うんすか……?」
彼女はピチピチの金銀ギラギラなボディースーツに着替えている。袖も裾も丈が短く、健康的に引き締まった二の腕や太ももが露わになっている。両の二の腕にはコマゴメ市章とギルドの組合章が刻印されていて、それすらなぜかエロく見えてくるから不思議だ。
それだけならまだしも、胸の部分がハート型に開かれ、冬晴れの空のように豊満な谷間がくっきり覗いている。腰の部分にも大胆なスリットが入っている。そんな非実用的なあざとさはフィクションでしか見たことがないのに、まさか百年後の世界で実現しているとは。
「これは真剣勝負であると同時に、観客を喜ばせるショーなのよ。私みたいなスターがイモくさい格好で戦ってたら興醒めだと思わない?」
「実用面はだいじょぶなんすか?」
「ふふっ、私を気遣うなんて百年早くてよ。あなたのそのボロ布の何十倍も高級な素材だから、心配無用だわ」
「素材より面積が問題だと思うんすけど」
ともあれ、これは思わぬ形で障害発生。
ただでさえ相手は銀髪褐色の超美人ダークエルフだというのに、こんな格好までされると本能がチラ見を強要してくる。男とは魂の髄まで罪深き生き物なのだと思い知らされる。
これはいかん、と内心に強く言い聞かせる。集中しなければ、真面目にやらなければ。
相手はあくまでも獰猛なコスプレオーガだと自己暗示をかける。しかもその本性は、あのエレガントな皮を一枚剥いたその正体は――ロリとショタをこじらせたアラフォー女子なのだ。
ウツキとギランからすべて聞いている(ギランはメグロ本部時代の後輩らしい)。あの偽ロリ駄ネキへの異常な執着は、ローティーンの頃のまま変わることのない幼貌への盲目的崇拝によるものであると。なんなら今大会に自ら参戦を名乗り出たのも、長年恋い焦がれ続けている「あの御方」こと永遠のショタ都知事へのアプローチのために違いないと。
百年前なら条例違反な外見年齢なのにイケメンと見ればよだれを垂らす駄ネキと、海外セレブもかくやという美貌なのにちっこいのを追いかけ続けて四十二までこじらせている妹と。なんというか、業の深い姉妹だ。
「ちょっとあなた、そんな舐め回すような目で見ないでちょうだい。露骨すぎてさすがに不快だわ」
「あ、いや、違います(違わない)」
「ふんっ、そのしけた面ともじもじした態度を見れば大方察しはつくわ。あなた、女性を悦ばせた経験がないんじゃなくて?」
「いいいやんなわけねえし! そっちこそどうなんすか、実は年齢=彼氏いない歴とか噂――」
「んんんなわけねえですわ! こちとら言い寄ってくる殿方なんざ腐るほどいやがりましてそんな男どもをちぎっては投げちぎっては投げ――……」
早口でまくしたてるハクオウがぴたりと止まる。彼女の視線を追うと、行司がなんとも言えない表情をしている。
愁とハクオウは互いに見つめ合う。
そして互いに察する。これ以上の詮索は不毛、互いにとってなんの利益も生み出さないと。
初めて意思の疎通がされたと愁は実感する。小さくうなずいてみせると、彼女も同じように返してくれる。
「……恋愛遍歴とか、人前で語ることでもないですしね。ハラスメントになっちゃいますしね」
「……そうね、そんなもので人の価値を決めるのは愚民の所業よ。私たちにはもっと大事なものがある」
清々しく笑い合う両者。
「これより先は、お互いの拳で語りましょう。胸をお借りします、ハクオウさん」
「臨むところよ。見せてもらいましょうか、史上最強ルーキーとやらの実力を」
御前試合、結びの一番が始まる。




