121:【不壊刀】
明けましておめでとうございりす。
今年もよろしくお願いしまりす。
「武とは弱きのためにあり」――それがクレ式活殺術の祖にしてクレ・イズホの父、クレ・ヒジキの口癖だった。
弱者を救う盾として、また強者を脅かす矛としてこそ、人は武を修めるべきである……そうしたヒジキの理念は人類の武という文化の歴史をなぞる正論であり、〝人民〟を中心とした一部の層には支持された。しかし強さが手段でなく目的として求められることの多いセンジュトライブにおいては、「綺麗事のお題目」「弱者のノスタルジックな理想論」として鼻で笑われることのほうが多かった。
実際それは、ヒジキの願望に端を発したものだった。なぜなら彼もまたその弱者の一人――〝人民〟だったからだ。
イズホの祖父エリックの提唱したクレ式格闘術は、当身技や武器術も網羅した全局面全方位的な総合武術だった。長男のヒジキにはそれを修める器がないと知ると、早々に武から遠ざけさせ、どこぞから拾ってきた孤児を養子にした。
跡取りとして父の寵愛(実際にはそのような生易しいものではなかったが)を独り占めにする義弟に密かな嫉妬と憎悪を抱きながら、ヒジキはそれでも自分なりの武の道を模索し続けた。
人も獣も生物である以上、身体構造上の隙や弱点が必ず存在する。それを最小限の力で制するための組技を中心とした技術体系を確立する――そうした「理想論的」な理合を追求して生まれたのがクレ式活殺術だった。
父の下を離れ、センジュの片隅で道場を開いた。技術的にも理合的にも完成には気の遠くなるような年月がかかることは承知の上だったし、あるいは絵空事で終わるのではという懸念もあった。その時点ではあくまで「弱者のための護身術」的な意味合いが強かったが、一部の物好きな〝人民〟を中心に少しずつ門下生を増やしていった。
やがて幼馴染の妻との間に息子を授かった。イズホと名づけたその子は、生まれつきレベル10の〝闘士〟だった――我が子ながら眩しいほどの才能だとヒジキは苦笑した。
(この子はきっと、俺には届かなかった道を歩ける)
(俺の理念を、より高い次元で再現できる)
イズホの成長を見守りつつ、道場の運営にもいっそう邁進した。その数年間がヒジキの人生にとっては最も満ち足りた時間だったかもしれない。
しかしそれも長くは続かなかった。ヒジキが病に倒れたのだ。
身体は思うように動かなくなり、道場に立つこともできなくなった。元々が小さな道場だったが、活気は嘘だったかのように失われていった。ヒジキが十数年かけて守ってきた火は完全に途絶えようとしていた。
「――その子は私がもらい受けよう。お前の分も、立派な武道家として育ててみせる――クレ式格闘術の三代目としてな」
そこに手を差し伸べたのが、縁を絶ったはずの父エリックだった。
***
クレの剥き出しの上体には赤と青の曲線が血管のように走っている。【剛力】と【瞬応】の発動の印だ。
さらにその上から菌糸の膜をまとう。【白鎧】――上腕から太ももまでを覆う硬菌糸の鎧だ。
異形と化したセンジュの怪人は血走った目を見開き、腰を落として身構える。
「はっきよい……残ったっ!!」
軍配が振り下ろされ、ゴングが鳴り響く。
同時にクレは前へと跳び出す。ネコ科の猛獣のように低く鋭く。
ヨシツネも一歩踏み出している。諸手に握った木刀を上段に構え、突進力を殺さずにまっすぐ振り下ろす。
武器を持つ相手の懐に飛び込むのは、スピード以上に必要なものがある――判断力と勇気だ。
「――っ!」
その一瞬の判断が、クレの身体を寸前で制止させる。木刀の切っ先がマスクの額をかすめる。初動から推測した速度を上回る攻撃だった。
(あと数センチ踏み込んでたら)
(脳天に直撃くらって終わってたな)
後ろに下げた重心を無理やり横に倒して側転し、追撃の横薙ぎをのけぞってかわす。
――奇妙な太刀筋だ。これまで戦ってきたどの相手とも違う。
見た目には力感がほとんどない。
徹底的に無駄を削ぎ落としたかのような最小限の動作。
切っ先の加速は走りだした瞬間に完了している。
予備動作もなく迫りくる斬撃。事前の予測がつかない、タイミングが測れない。
(これが)
(シン・トーキョー最強の剣技)
二十年近くを武に捧げてきたクレにはわかる。常軌を逸した完成度だ。
そしておそらく、これでもまだ全力を出してはいないだろう。
「くぉっ!」
目を見開き、全身で気配を察する。絶えず足を動かし続ける。
それでも回避だけで精いっぱいだ。懐に入るどころではない。
剥き出しの腕を、【白鎧】を、その切っ先がかすめていく。肉がえぐれ、鎧が削れ、血が飛んでいく。
「――けど」
学習能力の高さこそがクレ・イズホの真骨頂。
軌道の把握完了。スピードの計測完了。タイミングの修正完了。
「もう見たよ」
振り下ろしに合わせて手刀を振り上げ、相手の手首を制止する。そのまま手首を掴んで――いや、その寸前でヨシツネが前蹴りを放つ。みぞおちを蹴り抜くような打撃ではなく、相手を押して突き放すような蹴りだ。
まともに受けたクレが一歩下がったのと同時に、ヨシツネが木刀を引き、左脇に納める。右手一本で柄を持ち、左手は鞘の役割をするように刀身に添えられている。
(――居合)
切っ先が弧ではなく直線を描くように放たれ、クレの右脇に吸い込まれる。
ボグッ! と鈍い音が響く。両者はそれを接触した部分から直接認識する。柄を握る手から、あばらをへし折られた脇腹から。
その一瞬、ヨシツネが目を見開く――破砕した木刀の破片が宙を舞っている。
コンマ一秒にも満たない隙。その間にクレは右腕に絡みついている。
反射的に引き戻そうとされる腕を、クレは背中をのけぞるようにして伸ばす。接触は一瞬、それでじゅうぶん。
ベキィッ! 肘の骨が乾いた悲鳴をあげて折れる。その感触を味わいながらクレは着地、同時に四足で後ろに飛び退く。
両者の距離が開く。中腰で脇腹を押さえるクレと、不自然に曲がったままの右腕をだらりと垂らしたヨシツネと、両者は目を離さずに睨み合う。
「……木刀が直撃した瞬間、腕で挟んでへし折ったのか……僕の一振りにそんな芸当を合わせたのはあなたが初めてですよ」
「まあ、こっちのあばらと引き換えってことで。腕一本はオマケかな?」
そう軽口を吐くが、実際はギリギリだった。あえて一撃を受ける覚悟が事前になければ、その時点で反撃する力は奪われていただろう。腕をとれたのもたまたまというか、千載一遇の幸運だったと言っていい。
「簡単に折れるような代物じゃなかったんですけど……ああ、腕じゃなくて木刀のほう。刀樹マサムネから削り出した最高級品ですよ」
「そりゃあ悪いことしたね」
右脇の硬菌糸が卵の殻のように砕けている。うずくような痛みの度合いからして、二・三本は折れている。
彼の技量があったとはいえ、【白鎧】の上からあばらを折る木刀など、並大抵の代物ではない。それは最初から想像がついていた。だが――。
「だけど――やっぱり違うよね」
「え?」
「人のことさんざん舐めプ呼ばわりしといて、君はその枝っ切れ一本でやろうってんだから。おちょくってんのはどっちだって話だよ」
ヨシツネは地面に落ちた木刀の残骸をちらりと見て、苦笑する。
「そんな生易しい武器じゃないし、僕にとってはそんなつもりはなかったんですけど」
「使いなよ、菌糸武器。君は〝聖騎士〟だろう? 剣でもなんでも出したらいい、菌糸玉も胞子も全部使ったらいい。その上で君をねじ伏せなけりゃ、僕がここに立った意味がないんだ」
互いに脂汗をにじませながら見つめ合う。ふう、とヨシツネが息をつく。
「……出したくはなかったんですけどね、試合じゃ済まなくなるから」
左手を前に差し出す。そのてのひらからしゅるしゅると菌糸が生じ、形をなしていく。
なだらかな反りを描く、一振りの刀。【戦刀】――いや、刀身の色が違う。ギラリと光沢のある黒鉄色だ。
「――【不壊刀】、そう名づけました。僕のユニークスキルです」
ヨシツネが木刀の切れ端を蹴り上げる。真上に飛んだのと同時に、ひゅんっと黒刀が走る。クレが全力をかけてへし折ったそれが、なんの抵抗もなくするっと両断される。
「文字どおり、絶対に折れない刀です。兄の【光刃】や都知事閣下の愛刀と打ち合っても、刃こぼれ一つしませんでした」
都知事の愛刀――確か最強金属ヒヒイロカネ製だと聞いたことがある。それに匹敵する強度ということか。
虚仮威しではないと、その鈍く煌めく刀身から、それを握る彼の佇まいから、クレは確信する。ぶるっと武者震いがこみあげる。
「いいねえ……みなぎってきたねえ……!」
マスクを剥ぎとって放り捨てる。赤い髪がこぼれ、端正な顔立ちが露わになる。会場がいっそうどよめく。
「他にももっと見せてくれよ、君の力を」
「……見たいのなら、クレさんも見せてくださいよ」
「……そうか、君は……」
わずかに苛立ったような彼の表情を見て、クレはようやく察する。目の前の天才青年がその内側に秘めている思いを。
「あなたの持っている全部を、信念なんてものに縛られずに――」
折れた右腕をぶら下げたまま、ヨシツネは左腕を上段に構える。
「――クレ・イズホ、推参」
クレはさらに低く構え、はじかれたように突進する。
決着はその数分後に訪れる。




