119:開会式
午後四時。平日のまだ日の明るいうちの開催だが、スガモ武道館は収容人数を超えて満員御礼だ。
観客席の中ほどに設けられた貴賓席前の演壇に、まずは都知事が立ってにこやかな開会の挨拶。それからメトロ教団深皇の「メトロとともにあれ」という短い訓辞。この国のトップ2がそろうという一大事に詰めかけた観衆は沸きに沸く。
だが、それに続くスガモ市長アユカワによる挨拶――ともに登壇した少女の姿により、試合開始を待たずに会場のボルテージは一気に最高潮となる。
『私事で恐縮ですが――病に伏せていた娘のハグミの治療が完了したことを、ここにご報告いたします』
演壇には菌糸植物の拡声器(メガホンのような形をしたトンガリタケの傘だ)のスタンドが設置されている。拡張された市長のはにかんだような声を、その瞬間の五千人超の大歓声がかき消す。闘技場の出入り口付近で待機している愁たちも、思わず耳をふさぐほどだ。
人のよさそうな市長の隣に立つ、八歳にしてはやや小柄な少女。ピンク色のドレスと赤いリボンで着飾った彼女の姿を遠目に見て、手を振り涙を流し祝意をさけぶ観衆の姿を見て、愁は自分の選択が間違っていなかったと改めて思う。
開会式の前に、市長一家が挨拶に来てくれた。娘の難病はユニおの角によって完治し、こうして歩けるようになったことで今日がお披露目ということらしかった(ちなみに主治医のノマグチ曰く、男の子のほうも順調に快復しているという)。
市長は涙と鼻水まみれで愁に何度も感謝の言葉を告げた。すがるように手を握り、これからスピーチがあるというのに声を枯らさんばかりの勢いで。他の市民には見せないほうがいいのでは心配したくなるほどの平身低頭ぶりだった。
最初は美人の母親の陰に隠れてもじもじしていた娘は、「お人形のよう」というたとえがぴったりな小柄で可愛らしい少女だった。愁の前に立って「ありがとうございました、アベおにいさま」と頬を赤く染めてお辞儀をし、愁の肩に乗っていたタミコのほうを興味深そうにちらちら窺っていた。
ちなみに愁が彼女を救ったという事実は、今回の挨拶の中では公表されないことになっている。それは愁がこのあとの試合の選手であり、観客の過度な贔屓や対戦相手への野次などにつながらないようにという、主催側としての公平な立場からの判断だ。
それくらいはハンデとして……などと思わなくもなくもないが、自分から「みんなの前で紹介してくれぃ! 手柄を称賛してくれぃ!」などとお願いできるわけもなく。まあそれはそれでいいのだが――。
「あのさ、クレ」
「なんだい?」
「遠くてよく見えないんだけど、市長の娘さんの頭の上にリスっぽいのが乗ってるような気がするんだけど」
「うん、僕は見えるよ。タミコちゃんが乗ってるね」
「やっぱね」
娘と一緒になぜかタミコまで登壇しているようだ。あのあと意気投合したのだろうと推測される。
頭にリスを乗せた無垢な少女の姿がカメラマンにばしばし撮影されている。スガモ以外にも報道されるとしたら、タミコまさかの全国デビュー。
『――それでは、お待たせいたしました! 本日の御前試合を戦う、ツワモノたちの入場です!』
闘技場ホールの東側出入り口にはスガモ陣営が、西側には対抗するシン・トーキョー選抜陣営がスタンバイしている。司会の陽気そうな蝶ネクタイ男の読み上げに合わせて、一人ずつ土俵に上がることになる。
『まずは第一試合! 北の地が生んだ可憐なる若蕾! アカバネ女子よ、狂い咲け! アカバネ所属、カトウ・サクラ! 〝闘士〟、レベル20!』
向こう側で少女が闘技場に足を踏み入れたとたん、ブシューッ! とドライアイスの煙のようなものが噴出される。芸が細かい。愁たちの側でも出入り口前でキノコを手にスタンバイしているスタッフがいる、あれが煙を出すアイテムのようだ。
『対するは! 南東区生まれの十九歳が切り込み隊長に名乗りをあげた! おむすび屋の息子よ、勝利を握りしめろ! スガモ所属、イシイ・ナオト! 〝騎士〟、レベル21!』
身内らしき人たちの声援や冷やかしの言葉を浴びながら、おむすび屋の息子が東側の土俵際に立つ。反対側がアカバネ女子だ、そうやって一列に十六人が並ぶことになる(先に進むほど真ん中に向かう形だ)。
『第二試合! 南国シナガワからの刺客! 強面ながら趣味はお菓子づくり! 絶品マカロンをひっさげて殴り込みだおいしかったです! シナガワ所属、ハム・ゲンタ! 〝療術士〟、レベル29!』
『対するは! ちっちゃな頃から悪ガキで、今は立派な狩人です! 迷惑かけた倍は親孝行せえよ! スガモ所属、シマ・ダイケ! 〝闘士〟、レベル30!』
この入場演出の文化を最初につくったやつは〝糸繰士〟の誰かだと愁は確信する。間違いなくあの時代の地下格闘マンガヲタだ。
『第三試合! 幼い頃から〝龍の茸巣〟が遊び場だった! 人気急上昇中の若き龍狩りの登場だ! イチガヤ所属、キリシマ・ヤメオ! 〝絡繰士〟、レベル35!』
『対するは! リクギ村出身! ダチョウとともに育った健脚女子が土俵を駆け回る! 美しきスピードスターを見逃すな! スガモ所属、チャタニ・アミ! 〝闘士〟、レベル37!』
『第四試合! オーガのごとき巨体は達人級のパワフル! だけど日頃は三男三女のシングルファザー! がんばれお父さん! スギナミ所属、オオキ・ジュンヤ! 〝獣戦士〟、レベル45!』
『対するは! スガモが誇る技巧派は狩人とバーテンダーの二足のわらじ! 菌糸玉のカクテルで相手を翻弄しろ! だけど女遊びはほどほどに! スガモ所属、ヒノ・エノン! 〝幻術士〟、レベル46!』
八人が並んだところで、司会者がいったん間を置く。
『そして、第五試合は特別試合! 全国から選りすぐった逸材二人、次代を担う若き才能同士がぶつかります! 伝説は今宵ここから始まるっ!』
会場がざわつく。すでに発表済みのその名が読み上げられるのを待ち焦がれるように。
『まずは西側より入場! 最強の遺伝子を分け合いし者! 当代No.1狩人〝超越者〟カン・ジュウベエの実弟! 兄をして「剣術ならばすでに俺を超えた」と言わしめる超々々、超天才! シン・トーキョー最強の剣士、見参! メグロ本部所属、カン・ヨシツネ! 〝聖騎士〟、レベル57!』
涼やかな超イケメンが優雅に入場する。にこやかに手を振る姿はまるでスターかアイドルか、黄色い声援が爆発する。ついでにイケメンも爆発しろと愁は思ったり思わなかったり。
『それに挑むは東側! 当初出場予定だったダイバの猛者、カジタ・ヒロセ選手からバトンを譲り受け、急遽参戦! センジュの怪人は組技の最強を証明するためにリングに立つ! 磨き抜かれた肉体と技は最強の剣をへし折れるのか!? センジュ所属、ゴブリンマスク! 〝闘士〟、レベル52!』
「キキーッ!」
奇声を発しながら現れた緑猿の覆面男に会場がどよめく。すでに上着をキャストオフしたレスラーはスガモ四人目の隣――をすり抜けてカン・ヨシツネの前に立ち、顎を突き上げて睨みつける。愁の目から見ればちょっぴり胸熱のプロレス的アドリブだが、観客の反応が今ひとつなのに気づいてか、握手だけして指定の位置に戻る。
クレがダイバの選手に野試合を持ちかけ、見事撃破したのは一昨日の夜だった。血まみれで帰ってきたときはそのまま玄関で締め出そうかと迷ったほどだった。
それから委員会や教団側となんやかんやあり、正式に出場が決定した。詳しい経緯は愁も知らないが、カン・ヨシツネも快諾だったという。
「――彼の噂は聞いていたからね、ぜひ一度立ち会ってみたかったんだ。うふふ……つくづくシュウくんたちと一緒にいてよかった。こんな大物食いのチャンスがめぐってくるなんて」
自分より強いやつに臆することなく立ち向かう彼の勇気と信念には、最初の参戦要請を「無理」と断った愁としては素直に頭が下がる思いだ。
『続いて参りましょう! 第六試合! 〝ネリマの女王〟の懐刀がヴェールを脱ぐ! 謎多き戦士は土俵でなにを語るのか!? ネリマ所属、キヌタ・ポンポコ! 〝導士〟、レベル59!』
『対するは! スガモ黎明期からギルドを支えた超ベテランが参戦だ! 御年五十八歳はスガモの現役最高齢、だがいぶし銀の業は未だ健在! 背中で語れ、イデ・ケンゾウ! スガモ所属、〝幻術士〟、レベル61!』
愁を除くスガモの達人五人のうちの一人だ。ちなみに最高齢はここにいるが内緒。
『第七試合! イケブクロの英雄が降臨! 〝王殺しの銀狼〟がスガモの月に吠える! 貴賓席で見守る若き王に勝利を捧げられるか!? イケブクロ所属、ギラン・タイチ! 〝聖騎士〟、レベル73!』
『対するは! 我らがスガモ代表! 若きリーダーは新たな時代を切り開くため、遙か高みへと刃を向けた! 猛れ、〝狂獣〟! スガモ所属、アオモト・リン! 〝獣戦士〟、レベル54!』
〝狂獣〟というのは彼女の二つ名だ(〝横綱クイーン〟はただのあだ名らしい)。【凶暴化】という彼女のレアスキルが由来だそうだが、むしろ「ケモノ狂い」から来ているのではと愁は疑っている。
そして――ああ。
ついにこのときが来てしまった。
スタッフに促されてスタンバイ。愁の心臓がかつてないほど荒ぶりはじめる。
『そして……第八試合。本日の結びの一番――……』
あえてか、司会者が声のトーンを落とし、長く溜めをつくる。五千人超の観客が固唾を呑んでいる。
『美しき魔女がやってきた……スガモの星を蹂躙しにやってきた……! 全国狩人ランキング六位! 〝聖銀傀儡〟のハクオウ・マリアっ!! コマゴメ所属、〝絡繰士〟、レベル78っ!!』
「「「マリア様ーっ!!」」」というファンらしき人たちのコール。隣街ということもあって、コマゴメの客も多いらしい。ひらひらと手を振って応じる彼女の姿は、女王の風格さえ帯びているかのようだ。
『対するは! 二カ月前に突如現れた超新星! シン・トーキョー史上最強のルーキー、その実力に疑いはなしっ! 今宵、世界一無謀な下剋上に挑むっ!』
そこでまた溜められてタイミングを見失う愁。前後にカクカクしてしまう。
『スガモ所属、アベ・シュウっ!! 〝聖騎士〟、レベル71っ!!』
ブシューッ! とキノコの煙を浴びながら(むせるのを我慢しながら)、ついに。
愁が闘技場へと足を踏み出す。
その瞬間――衝撃にも似た大音響が、愁の全身に叩きつけられる。思わず一瞬足が止まってしまう。
客の大半はスガモ市民だろう。それはアオモトの登場時からもわかる。
とはいえ――それに勝るとも劣らない、会場を挙げての拍手と大歓声。
まだ試合が始まってもいないのに、これでもかというほどに手を打ち鳴らしている。声を枯らさんばかりに愁の名をさけんでいる。
(俺のこと、なんも知らないだろうに……)
今日初めて愁を見たという人のほうが圧倒的だろう。なのに、こんなにも――。
その期待が、励ましが、一つ一つが愁の細胞を震わせ、熱を生じさせている。
こんな気分は初めてだ。砂を踏みしめる足がふわふわとしているかのようだ。
アオモトの隣に立つ。反対側にはハクオウがいる。
『以上、十六名の選手がここに集結しましたっ! 皆様、今一度盛大な拍手をっ!』
――と。
その拍手が、今度は遠くなっていく。
愁たちが向いている正面にある、演壇付近の貴賓席。
そこにいる二人の視線が、愁を射抜くようにまっすぐに向けられている。
都庁政府都知事、ネムロガワ・チュウタ。
メトロ教団教祖、ショーモン。
都知事のほうは来訪時とほぼ変わらない出で立ちだ。タコ焼きやリンゴ飴が似合いそうなお子様だが、にこりともせず腕組みをして愁を見つめている。
教祖は――こっそりお忍びでの来訪だったので、今日初めてその姿を見た――洋風とも和風ともつかない奇妙な白いローブに身を包んだ、五十代くらいのヒゲ面の男だ。髪は長く頬はこけ、確かに世離れした宗教家的な雰囲気がある。肘置きにもたれるように頬杖をついて見下ろしている。
二人とも、愁を値踏みするような目だ。当然だろう、彼らからしたら「勝ったらサシで会わせろ」などとほざいた世間知らずのルーキーなのだから。
愁はごくりと唾を呑む。無意識に胸元をぎゅっと握りしめている。
「……アベ氏、だいじょぶか?」
隣のアオモトが小声で尋ねてくる。
「……だいじょぶっす。どうやって全国六位を引きずり下ろしてやろうかって考えてたんで」
聞こえたのだろうか。愁と目が合うと、ハクオウは一瞬だけ口元をにやりとする。
***
「ほら見て、タミコおねえさま! アベおにいさまが出てきたわ!」
貴賓席から少し離れた一般席で、市長アユカワの娘・ハグミがはしゃぐ。まだ出会って間もないが、タミコにもノアにもすっかり打ち解けている。ウツキに対しては若干ぎこちないというか警戒心が残っている風なのは教育の賜物か女の勘か。
「ふん、ちょっぴりビビってやがるりすな。あたいがあそこにいたら、あのクロババアにイッパツかましてやったりすのに」
ハグミの隣のノアの胸に座るタミコは監督のごとく腕組みをしながらふんぞり返っている。
「お嬢様――」と反対隣のノマグチが耳打ちする。「試合が始まりましたら、お父様のいる関係者席のほうに戻りましょうね」
「えー……でも、もう少しおねえさまたちと一緒に……」
「ここにいると目立ちますし、試合が始まったらお客さんもヒートアップされますからね。お嬢様の体調もまだ万全ではありませんし」
「まだげんきじゃないりすか?」
「うーんと……」とハグミ。「おさんぽはできるようになったけど、おいかけっこはまだムリなの。すぐにあしがバタバタってなっちゃうの」
「走れるようになるには、もう少し足腰がしっかりしてきてからですね」
「じゃあ、げんきになったらあそんでやるりすわ。あたいのしっぽをおってくるがいいりすよ」
「ほんと? おねえさま大好き!」
ハグミはタミコをむしりとり、頬ずりしながら小さな指でわしゃわしゃする。「ああっ……そんなふうにしっぽニギニギされるとぉ……!」と下剋上されかけるリスを生ぬるい目で見つめるノアとウツキ。
「まあ、ここで一緒に見るならボクらが面倒見ますよ」とノア。
「女の子同士だからね。ハグミちゃん、一緒にイカ焼き食べようね」とウツキ。
実年齢四十八歳のエルフの「女の子同士」発言はともかく、ノマグチとしては当然ありがたい提案ではある。ただでさえ友だちと呼べる存在の少ないハグミ嬢がこれだけ懐いていて、これだけ楽しそうにしている。安全面でもプロの狩人二人と一匹がいるのは心強い。
「では……女子会の中で恐縮ですが、私もご一緒させていただきます。お嬢様、お楽しみ中だからといってもお薬はちゃんと飲んでもらいますからね」
「おくすりにがいの……でもげんきになりたいからのむの……」
「がんばってのんだらベビーカステラかってやるりす。クリみたいなのにあまあまのふわふわりす」
「姐さん今日はシュウさんにお小遣いもらったもんね」
「ちなみにノマグチさんは独身ですか? お医者さんっていいですよねあたしお隣お邪魔してもいいですか胸がちょっと苦しくて」
「ロリビッチかえれりす」
選手紹介が終了し、選手たちが最後の拍手に送られて退場していく。最後尾でややギクシャクした歩きかたの愁の背中が出入り口の奥へと消えていくと、女性陣もほっと胸を撫で下ろす。
「とりあえず……ここまではなにもなかったね」
ウツキがぽつりとこぼし、ノアはうなずく。
リクギメトロの件については、ノアも愁たちから聞いている。ここスガモからそう遠くない地で起きた、バフォメットコロニーの人為的な暴走事件。魔人と関連があるかもしれない無法者集団の暗躍。
その報告を受けてか、入市の検問や街中の警備は例年になく厳重に行なわれているという。建国の英雄二人がそろうこの会場も、持ち込み検査やら身分証明やら入念なチェックが行なわれていた。
もちろん不審な輩すべての侵入を防げはしないだろう。それでも会場の警備も厳重だ、客席のそこかしこに配備された黒服やら狩人やらが目を光らせている。
「このまま無事に大会が終わればいいんだけどね」
「そうですね……姐さん、なにか不審なものは見てないですか?」
タミコは他者のレベルを視認できる稀有な能力の持ち主だ。不自然にレベルの高い者がうろついていれば、彼女の目に留まるだろう。ある意味高性能な不審者探知システムだ。
「うーん……」
タミコはハグミの頭によじ登り、きょろきょろする。
「このちかくにはいないけど……さいしょからきになってたやつはいるりす」
「え?」
「どゆこと?」
首をかしげるノアとウツキ。
「ふしんっていうか……へんりす」
「変?」
「てゆーか、どこ? 誰?」
顔を寄せてひそひそしながら、きょろきょろとあたりを見回す。にわかに緊張感が高まる。
「あのおっさんりす」
リスのちっこい手が指さした先へと向き直り――ノアとウツキは息を呑む。
貴賓席の最上段。
二つ、間隔を空けて並んだ一際豪華なソファー席。
その左側に腰かける、白ローブの男。タミコの指先は彼を示している。
メトロ教団教祖、ショーモンだ。
選手紹介やりましたが、主要カード以外はダイジェストでお送りします(地上波放送感)。




