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128/195

118:始まる


12/29:ルールに「他人の菌糸武器を使うのもダメ」と追記しました。


「選手が全員そろいましたので、まずはルールの説明をさせていただきます」


 全試合、一本勝負の待ったなし。行司はつくが、試合開始と勝負ありの合図以外は原則として手出ししない。


 行司が戦闘不能とみなした場合、決着を宣告する。降参を申し出た場合も同様。


 相手が死亡した場合でも決着は有効となる。ただし、行司による制止を振り切っての加虐行為は反則であり、それにより死に至らしめた場合は賠償金やなどの重大なペナルティーが課せられる。


 また、土俵の外に身体をついた時点で負けとなる。空中は不問。


 ジャージなどの基本的な装備以外の武具、道具の持ち込みは二つまで。要事前審査。一部の飛び道具や毒物などの道具は禁止、他人の菌糸武器の授受も禁止。使用が発覚した時点で反則負け。


 ……などなど、運営委員会の女性職員の淡々とした口調でルール説明は続く。そこまでは愁としても異論はない(リング禍についてはきっちりビビるが)。問題は――。


「なお、菌能に関してですが、弾丸系に限り禁止とさせていただきます。また、胞子系や菌糸玉などの遠距離攻撃系やそれに類するユニークスキルなど、客席に被害が及ぶおそれのある能力については、事前に申告の上でのみご使用ください」


 これだ。

 弾丸系は【白弾】などの〝狙撃士〟の能力、玉術は【火球】などの菌糸玉の能力だ。要は客席の保護のために「流れ弾が行きそうな能力は使っちゃダメよ」ということだ。


 壁の上の客席の前には白っぽい金網のフェンスが張られている。また、当日は最前列に【障壁】――オウジ深層のビショップが使った胞子バリアの菌能を使える警備人員が数人配置されるという。


 だがそれでも、流れ弾をすべて防げるわけでもない。真剣勝負と大衆向けの興行を両立させる上でのやむを得ないルールということらしい。前の世界の格闘技などではいろんな意味で考えられない配慮ではある。


 こうなると〝狙撃士〟や〝幻術士〟は著しく不利になるので、こういうガチンコ系の興行に向かない才能だと言ってしまえばそれまでだが、シモヤナギが参戦を見送るのもしかたない話だ(〝狙撃士〟のみの射撃大会や早撃ち大会、〝幻術士〟のみの魔法決闘などもあるらしい)。


 そして、このルールは愁にとっても苦しいものではある。最も勝算の高い戦略――あらかじめチャージ【白弾】やチャージ【火球】を大量につくっておいて試合開始とともに全ぶっぱ、という手段がとれないのだ。まあ、菌職バレどころか会場が半壊しかねないのでNGには変わりないが。


「――……説明は以上となります、ご不明な点は委員会にお問い合わせください。よろしいでしょうか? ……はい、では続いて当日のスケジュールを――……」


(あれ?)


 愁は首をひねる。

 なんとなくこの場の人数を数えてみたのだが、なぜか十六人いる。七試合、十四人のはずなのに。


「アオモトさん、一組多くないっすか? 補欠とか?」

「いや……君や私が留守の間に、委員会側にもう一試合追加の打診があったらしい。スガモ陣営とは別の者同士の特別試合だ。ちなみに対外的にはこのあと発表される形になっている」

「なるほど」


 エキシビジョンマッチというやつか。誰だろうと見回したとき、ふと、その目がギランの隣に立っている人に吸い込まれる。


(女――じゃない)


 ギランの隣に立つ、愁より少し小柄な青年。スガモで見かけたことはないはずだ、一度見ていたら必ず憶えていただろうから。


 クレも街中で女性が振り向くほどのフェミニンな美形だが(脱ぐとガチマッチョだが)、この青年はもっと柔和で女性的な顔立ちをしている。骨ばった肩や平らな胸板がなければ女性だと信じてしまったかもしれない。


 緑色に白の混じった長髪を後ろで結い、狩人ジャージの上に国章――十二枚の翼を生やした木のマークを胸にプリントした青い法被のようなものを羽織っている。そして腰には袖から覗く手首は病的なほどに華奢だ、毛並みまでたくましいギランと並ぶと余計そう見えてしまう。


「ああ、彼だ」とアオモト。「メグロ本部の秘蔵っ子らしい。名字を聞いて私も驚いた」

「へえ?」


 ぱっと見た感じ、正直強そうではない。狩人というタフな仕事に就いているようには見えない(ウツキなどもそうだが)。


 だが――なぜか愁は目が離せない。降り注ぐ陽光の下で、彼の姿はなにかの透明な結晶のように、実体をうまく掴めない。そんな不思議な感覚がある。


 と、彼も愁のほうに目を向ける。視線がかち合う。

 彼の目元がふわりと柔らかく笑う。なぜだかドキッとして、愁は慌てて目を逸らす。


「えっと、アオモトさん……名字って?」

「ん? ああ……彼はカン・ヨシツネだ」

「カン? カンって――」

「狩人ランキング一位、〝超越者〟カン・ジュウベエ――彼はその弟だ」

 

 

 

 一通りの説明が終わると、対戦カードの読み上げが行なわれる。


 一人ずつ名前と所属を呼ばれ、呼ばれた側は軽く会釈をし、外の選手と職員がぱちぱちと拍手する。彼もアオモトの言ったとおりに紹介され、知らなかったと思われる人たちがざわりとする。


 大トリの愁とハクオウ・マリアのカードまで紹介が済むと、「当日は正々堂々と、心ゆくまで競い合ってください」という旨の締めの言葉でその場はお開きとなる。


 選手たちは銘々に声をかけ合いながら出口のほうに向かっていく。愁も見学していたタミコたちのほうに戻ろうとする、と――


「――ルーキーくん、ちょっといい?」


 艶めかしい声で呼び止められる。誰かはわかっているのでおそるおそる振り返ると、案の定ハクオウ・マリアだ。


「先ほどは不躾なことを言ってしまってごめんなさいね。私の指名を受けてくれてありがとう、アベくん」

「あ、いえ、こちらこそ光栄です、ハクオウさん」


 握手を求められ、応じる。握った瞬間ギュッ! みたいな嫌がらせにビビるが、ごく普通に握り返してくれる。数多の敵を蹴散らしてきた剛の者という印象に反して、柔らかくて綺麗な手だ。


「あなたの噂はいろいろ聞いてるわ。実物も……まあ想像してたよりはちょっと……だけれど、偽者じゃなさそうで安心したわ」

「はあ」

「おほほほ……それで、あなたに訊きたいことがあるんだけど――」

「シュウさん」


 ノアとクレが近づいてくる。タミコは一足先に愁の身体をよじ登って肩に到着。


「あら、可愛い毛玉のお連れさんね…………で、お姉様はどこ?」

「へ?」


 きょろきょろとあたりを見回すハクオウ。


「ソウお姉様よ。スガモ支部の人から聞いてるわ、長年音信不通だったあの人をあなたが連れ帰り、行動をともにしているって」

「あー、はい……」


 正しくは勝手についてきて勝手に居候しているわけだが。


「えっと……どっかそのへんふらついてるんじゃないかと」


 ここに来る前に家に帰ってみたが留守だった。念のため寝室などを調べてみたが、男を連れ込んでいるような痕跡はなかった(あるいは残っていなかった)。


「つか、お姉さんと仲がいいんですか?」


 ウツキの口ぶりではそんな感じではなかった。むしろウツキは再会を避けているようなそぶりさえあった。一度もコマゴメに帰ろうとしなかったのもそれが一因ではないかと思われる。


「当たり前じゃない。姉を尊敬しない妹がどこにいるのよ。姉より優れた妹など存在しないわ」


 ハクオウの顔は至って真面目だ。愁の脳裏に、飲んだくれて吐いて道端のイケメンによだれを垂らす偽ロリの姿が浮かぶ。世界の隅から隅までさがせば尊敬できる面が見つかるだろうか。


「だけれど……いつからかしらね、お姉様はあまり私に心を開いてはくれなくなったの。昔はあんなに仲がよかったのに……」

「あれ、もしかして俺を対戦相手に指名したのって、お姉さんと関係あります?」

「いいえ、それは偶然よ。あなたのところにいるって知ったのは指名したあとだもの」

「あ、確かに」

「でも……ちょうどよかったわ。大勢の観衆の前であなたを下せば、お姉様はきっと私の元に戻ってきてくれる……そんな気がするもの。そしてあの御方もきっと……私の愛に……」

「ちょっとなに言ってるのかわかんないんすけど」

「あら、ごめんなさい。とにかく、当日はいい試合をしましょうね。勝ったほうは都知事閣下と謁見できる……あなたの要望が叶ったのは癪だけれど、私にとっても願ってもない話だわ」


 にたりと笑う美女の目には、獲物を前にした蛇のようなねっとりした殺気がこもっている――気がして、愁は額ににじんだ冷や汗を拭う。勝者がではなく「愁が勝ったら」だった気がするが、わざわざ訂正したらそれこそ藪蛇になりそうだ。


「アベシュー、こいつがゲロリババアのいもーとりすか?」

「あ、うん……って失礼だぞタミk――」


 その瞬間、ハクオウの笑みが消え、愁の背筋がぞわりとする。


 音もなく伸びた手が、タミコの前でぴたりと止まる。

 すらりとした中指が弛められ、親指がそれを押さえる。

 高速ではじき出された指先が、タミコの鼻面をパチンッ! と打ちつける。


「ぴぎゃっ!」

「タッ――!」


 後ろにふっとばされたタミコを、ノアが空中で受け止める。


「姐さんっ!」

「タミコっ!」

「……ふぐぐ……」


 ノアのてのひらの上で仰向けになって鼻を押さえるタミコ。目には涙がにじみ、毛並みには赤いしみが飛んでいる――鼻血だ。


「虫けらの分際で……お姉様を侮辱するとは! 生皮を剥いで串刺しにしてやろうかしら、この毛虫めがっ!」


 背後からのキンキンとした罵声を耳にした瞬間――愁の中を流れる血が一瞬にして沸騰し、目の前が真っ赤になる。


 かつてない暴力的な衝動が身体を跳ね上げる。


 ほとんど無意識のまま、振り向きざまに拳を放つ。それが彼女の鼻先へとめりこむ――寸前で後ろから羽交い締めされる。


「ちょっ、シュウくんっ! ストップっ!」


 耳元でさけぶ声はクレのものだ。さらにいつの間にか現れたギランも「アベくん! 落ち着け!」と前から愁を押し返そうとしている。


 鼻先の寸前まで拳が迫ったはずのハクオウは、それでも微動だにせず、表情も変えない。不敵な笑みで挑発するばかりだ。


「なんだ、どうしたっ!?」


 アオモトと運営委員の女性職員が駆け寄ってくる。それでも愁は前に出ようともがく。馬鹿力を遺憾なく発揮し、全力で押さえにかかる男二人を振り払おうとする。


「ほほほ……なんて殺気でしょう、まるで獣ね」

「ハクオウ氏――」とアオモト。「うちの者がなにか?」

「いえ、大したことじゃないわ」とハクオウ。「そちらの毛深いお友だちが、その汚らわしい口で私の姉を侮辱したものだから……優しく『めっ』ってしてあげたのよ?」


 アオモトがハクオウに、愁に、タミコに目を向け、事態を察したようで、ぎりっと唇を噛みしめる。


「……うちの者が非礼な振る舞いをしたなら、代表である私が詫びよう」

「あら、ヒヨッコのリーダー様に頭を下げていただく必要はないわ。あなたごときがそんなことしても、高くもない頭が砂に埋れてしまうだけだもの」


 周囲の空気が張り詰めていく。「んだとこら」「もっぺん言ってみろや」と鬼の形相でとり囲むのはスガモ勢だ。一方のハクオウはやれやれとでも言いたげに肩をすくめている。


「殿方に詰め寄られるのは美女の宿命ですけれどね、あなたたちみたいな蚊トンボにそうされてもちっとも嬉しくないのよ。それともなに――ザコどもがまとめてかかりゃあ私に勝てるって?」


 ハクオウがにたりと口の端を持ち上げ、ゆっくりと両手を開く。周りを囲む怒気をたった一人の圧力で跳ねのけ、さらに呑み込もうとしている。気圧されたスガモ勢がじりっとあとずさる。


「そっ、そこまでっ!」と職員のお姉さん。「運営委員として申し上げます! 先ほどもご説明したとおり、選手や関係者による他の選手への加害行為は即時失格とさせていただきます! アベさん、ハクオウさん、よろしいですか!?」

「……はい、もうだいじょぶっす」


 愁は素直にうなずく。アオモトが割って入ったあたりから、だいぶ我をとり戻していた。


「ギランさん、すいません。もういいっすから。クレも止めてくれてありがとう。もういいから…………うん、放して…………放せや」


 最終的に肘で脇腹を殴って突き放す。地面に横たわってもどこか満足げなクレ。


 愁は大きく息を吸い、大きく息を吐く。それを二度繰り返す。そして顔を上げる。


「……ハクオウさん、うちのタミコがお姉さんの悪口を言ってすいませんでした。まあ……こっちはこっちであの人に迷惑つーか実害こうむってるんですけど、それはハクオウさんには関係ないし」

「……いい顔になったわね、ルーキーくん。お姉様が気に入るのもわかるわ」


 ハクオウが一歩前に出る。


「さっきの動き、悪くなかったわ。明日は久々に楽しめそうね……あなたが砂まみれで倒れ伏す無様を、お姉様とあの御方に捧げるわ」

「……じゃあ、俺も宣言しときます」


 愁も一歩前に出る。互いのつま先の距離はほんの十センチほどだ。


「あんたに鼻血噴かせて、頭から砂に突っ込んでやる。憶えとけ、クソババア」


 塩顔を精いっぱい引き絞り、人生をかけた渾身の啖呵。


 ババア呼ばわりに一瞬だけ鼻を引きつらせたハクオウだが、また元の不敵な笑みに戻り、愁の横をすり抜けていく。


「……せいぜいくらいついてみせることね。楽しみにしてるわ……ほほほ……ほーっほっほっほっゲボォッ! ゴハァッ!」


 盛大にむせてギランに背中をさすられる。


「ハクオウさん、昔はそんなアホみたいな笑いかたしてなかったのに……」

「うっさいわねオオカミ小僧! 上に立つ人間には下々の理想像に寄り添う義務があるのよ! ……」


 ぶつぶつ言い合う二人がそのままホールから退場すると、ようやく張り詰めていた空気が解放される。ふう、とアオモトのため息を合図に他のみんなも姿勢を崩す。


「タミコ、だいじょぶか?」

「りしゅ……」


 タミコはノアのてのひらにすっぽり収まったままだ。鼻血は止まったようだが、痛みはあるのかまだ鼻を押さえている。【聖癒】をぎゅっとつぶして汁をかけてやると「あまいりしゅあまいりしゅ」と舐める。


 握りしめたままの手に力が入る。ぷるぷると震える拳を見上げ、「……アベシュー?」とタミコが小首をかしげる。


 頭に上った血は鎮まった。

 それでも――身体中を灼くような熱は、じりじりと胸の奥を焦がし続けている。

 こんなにも強く相手を叩きのめしたいと思う勝負は初めてかもしれない。


 タミコとノアへと交互に目を向け、愁は口の中でつぶやく。


「――もう一つできたな、負けらんねえ理由が」

 

 

    ***

 

 

 愁たちが事前説明会に参加した日の、夜。

 カワタローは北西区の城壁寄りにある建物の屋根の上に座って、ぼうっと街並みを眺めている。


「――カワちゃん」


 後ろから声をかけられてびくっとする。完全に無防備だった。暗がりからぬっと現れたのは、額にバンダナを巻いた少女、トロコだ。


「トロコぉ、子どもはもう寝る時間だぞ」

「……まだ九時とかじゃないの? つーか……下がうるさくて眠れないし」


 現在の〝旅団〟は二つのグループに分かれている。


 カワタローと彼が率いてきた村の生き残りの子どもたち、計九名。

 団長の子飼いの、あるいは今度の計画のために集めてきたならず者たち、計十数名。ムジラミもこちらの人間だ。


 団長がなんらかの手段で入手したこの建物の一階で騒いでいるのは後者だ。毎夜のごとくがさつな酒宴を催し、カワタローより何日か先に合流していたトロコたちはずいぶん辟易していたらしい。


 とはいえ、今回の下準備の大半は彼らの手によるものだ。正直に言って仲間意識というものは薄いが、カワタローたちだけではこの計画を実行するには至らなかったのも事実だ。


 トロコはそのままカワタローの隣に腰を下ろす。こてん、と彼女の頭が彼の肩にもたれかかる。


「……いよいよだね」

「ああ、まあなあ」


 重いわ、と肩を跳ね上げてやると、トロコは恨みがましくしながらも頭を離す。


「ようやく……村の老いぼれどもの無念を晴らせるなあ。これで俺の肩の荷も下りるってもんだあ……お前らの子守もお役御免だなあ」

「……そんなこと言わないでよ。もっと一緒にいてよ」

「いやあ、無理無理。お前はもう俺なんかよりずっとつえーし、アカガイたちだってもう俺の教えることはなんもねえし」


 計画の全容を知るのは、団長側とカワタローだけだ。トロコたちには彼女らの役割の側しか伝えていない。


 すべてがうまくいったとき、トロコたちを逃がすのがカワタローの最後の役目だ。この優秀すぎる生徒たちなら、どこへ行ってもうまくやれるだろう。

 そのためになんとしても、彼女らを返り血で汚さずに終わらせなければいけない。それは万が一のときに彼らを守る保険になるだろう。


 そのあとの自分のことを考えて、カワタローは内心苦笑する。


「ようやく俺も、一人になれる。清々すらあなあ」


 すべては八年前の冬に始まった。

 粛清から逃れた男と八人の子どもたちの、復讐の旅が始まった。


 何度も思いとどまらせようとした。それでも彼らは止まらなかった。カワタローにできたのは、身を守る力を備えさせることと、最後の一歩を踏み外さないように見守ることだけだった。


 カワタローはそっと手を伸ばし、トロコの頭に触れる。

 大きくなったもんだなあ、などと柄にもないことを思いながら、その頭をごしごしと撫でる。


「ようやくこれで――〝越境旅団〟はこの世から消えるんだ」


 過去の汚名を払拭する。死者たちの魂の安寧をとり戻す。

 そうして初めて拓ける未来がある――少なくとも、彼ら子どもたちには。

 

 

    ***

 

 

 同じ頃。


 ダイバ支部所属の狩人、カジタ・ヒロセは北西区の繁華街を一人歩いている。

 先ほど屋台で何杯かひっかけたが、案の定全然酔えなかった。【毒耐性】持ちのつらいところだ。


「ったく……」


 酔ってはいない、だがその足どりは重い。ひとえに数時間前の御前試合の事前打ち合わせが原因だ――彼も大会の選手なのだ。


「なんで、よりにもよってあんな……」


 カジタに出馬の要請が来たのは一週間ほど前のことだ。レベル60前後で対人戦に長けたものをという人選で、支部組合員代表からの直々の指名だった。


 スガモ勢との対戦ではなく、都庁派と教団派それぞれの推薦人員による特別試合の枠だ。

 対戦相手は互いに事前説明会での発表となる。つまり、相手が誰かもわからないままの参戦要請だった。


 報酬は悪くなかったが、実質的に拒否権がないというのが気に入らなかった。まあ、似通ったレベルのどこぞの狩人と一戦交えるだけという簡単な仕事だ、多少の不満を抱きながらもカジタはそれに応じることにした。


 なのに――。


 今日になって、ようやく真相がわかった。


 今回の特別試合の趣旨は、両陣営の「次世代を担う有望株のお披露目」だ。それを聞いたとき、カジタは悪い気はしなかったが、同時に違和感も覚えていた。


 カジタはレベル60。同期や年の近い先輩方よりも先んじて達人の地位に到達した。三十一歳というのもダイバ支部でも有数のスピード出世だと自分を誇りもした。

 とはいえ――上に行けば行くほど、見えてくるものもある。現実を知りもする。


 自分は他の多くよりも優れている、秀才だ。

 けれど、決して一握りの天才や怪物の類ではない。

 一生を費やしても、同じ支部の〝終わらねえよ、夏〟のようなトップランカーにはきっと届かない。


 同じレベル帯で自分よりも若くて有望なやつは一人や二人いるはずだ。なのに、なぜ自分のような地味な存在がこの晴れの舞台に選ばれたのか。

 対戦相手があの〝超越者〟の弟だと知って、カジタはようやく理解した。


(つまり、俺は)


 カン・ヨシツネ――その名は兄の七光ではない。

 噂が本当なら、あれは確実に向こう側の人間だ。いずれはトップランカーたちと肩を並べる器だ。


(――噛ませ犬だったってわけか)


 教団派は事前に対戦相手の人選を把握していたのだ。あれと比肩しうる同レベル帯の人材がいないことを認識していた、だからカジタのような中途半端な秀才にお鉢が回ってきたのだ。アキハバラ本部から選ばなかったのも、確実な負けを見越して少しでもダメージを減らしたかったからだ。


「あー、もう……」


 やってらんねえ、とカジタは口の中でつぶやく。


 先ほど実物を目の当たりにして、あれは本物だろうと確信した。つまり、どうあがいても勝ち目はない。

 負けることが悔しいわけではない。あれは別次元の存在なのだから、そもそも競い合おうという対象ではないのだ。

 とはいえ、五千人の観衆の前でただボコボコにされるというのもぞっとしない話だ。報酬額に見合う仕事とは思えない。

 やれば十回中十回負けるだろう。だが、世間様に発表されてしまった以上、トンズラするわけにもいかない。二度とダイバの地を踏めなくなってしまう。


「めんどくせえ……」


 いくら悩もうとも、もはや選択肢は一つしかない、それが不愉快でならない。

 騙し討ちのようなやり口も、噛ませ犬だという暗黙の評価も、なにもかもが気に食わない。


 重たい足はふらふらと、喧騒から離れ、狭い路地を抜け、人気の少ない暗がりへと進んでいく。

 そうしてたどり着いたのは、建物に囲まれた空き地だ。建築資材が隅に置かれているので、なにかを建てる予定地なのだろう。


「……おい、そろそろいいだろ。出てこいよ」


 だいぶ前から、誰かが尾行していると気づいていた。このまま宿まで連れ帰るわけにもいかないので、ここで片づけようと思ったのだ。


 ざっ、ざっ、と足音が近づいてくる。そいつは空き地の手前で足を止める。輪郭からして男だろうが、影に隠れて顔が見えない。


「……御前試合の出場選手、ダイバ支部のカジタ・ヒロセ氏とお見受けする」


 やはり、男の声だ。


「ああ、そうだ。んで、お前はどこのどいつだ? 俺になんの用だ?」

「カン・ヨシツネとの特別試合、その出場枠を賭けて、ぼ――俺と尋常に立ち合ってもらいたい」

「はあ? なに言ってんだてめえ、頭おかしいのか?」


 要は「勝負して勝ったら俺に試合やらせろ」ということだ。ありえない提案にもほどがある。そんなことを選手と部外者で勝手に決められるはずがない。


「なに、より強き者が晴れ舞台に臨み、観衆を沸かせる……それが興行というものだ。当然だろう?」


 くく、とカジタは笑う。ふさいでいた気持ちが少しだけ愉快になる。


「てめえ、俺よりつええって言いてえのか? 上等じゃねえか、ぶっとばしてやるからそのツラ見せろや」


 と、男がいきなり上着を脱ぎ捨て、ズボンのポケットからとり出したものをぐいっと頭にかぶる。訝しげに見守るカジタだが、男が暗がりから一歩踏み出したとたん、ぎょっとする。


 筋骨隆々の上半身を晒すそいつは、緑色の猿――ゴブリンのような覆面をかぶっている。


「俺の名はゴブリンマスク……通りすがりの覆面レスラーさ。キキーッ!」

 

 

    ***

 

 

 そして――七月二十四日。

 スガモ市生誕祭、前夜祭、御前試合開催当日。


 スガモの一番長い日が始まる。


ようやく今度こそ御前試合が始まります。

ご期待ください。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ゴブリンマスク、お前かよ!!!
[気になる点] 【煙玉】も興行的に禁止、とかにしておかないと、アベシューが有利になってしまうのでは?
[一言] ああ…やってしまったなあ。 最初は残念キャラくらいだったのに、リスに手を出すのは禁忌だなあ。 あの瞬間、大部分の読者の心は一つになった。 と言う点では実に良い憎まれ役ですね。 しかも完全に…
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