第29話 フロント企業
「ふーむ……インク一つと侮るなかれ。か」
リクは自室で、書類を見比べていた。
彼の傍には、シンプルな黒インクが、かなり形が整ったガラス瓶に入っている。
「まぁ、内通者だってわかってるなら、その周囲を調べるのは普通のこと。俺が気が付いてることはビラベル先生もわかってるだろうし、ここからどうするか」
天井を見ながら、リクは考える。
ビラベルが内通者であるとリクは気が付いている。ということをビラベルが認識しているように。
リクがビラベルを内通者と疑っているとビラベルにバレている。ということをリクも認識している。
ヘクターを介して出した情報はそれ相応に多く、そしてヘクターを介して伝わる向こう側の思惑も、リクはある程度感じている。
情報戦。
それそのものが戦いの土俵というよりは、『今後の戦いの土俵をどんな形にしたいか』を探り合い、『合意する』ようなものだ。
「はぁ、めんどくさ」
「何がめんどくさいの?」
「うおっ!?」
天井を見ていたら、そこに後ろからリリアが顔をのぞかせる。
いきなり綺麗な顔が目の前に来て、リクはびっくりした。
「そんなに驚くことはないと思うけど。ギデオンからプライバシーはないって聞いてるよね?」
「反射ですよ。頑丈な鉄仮面をかぶってても、顔面にいきなり石が飛んで来たら反応しちゃうのと同じです」
「……なるほど?」
「それに納得してないってことは、全ての奇襲に気が付けるほど感覚が鋭いってことですか。普通に……なんなんです?」
「伝説レベルとなるとこれくらいはできる」
「そう……ですか」
閑話休題。
「で、何かわかったの?」
「わかったというか、怪しいところがありました」
「?」
「このインクをつくってる業者です」
書類を見せる。
「ビラベル先生が悪霊との情報交換に使ってる高級インクですが、これは魔力と干渉しない特別性です。これがあれば、学校内に何らかの諜報機関が入っていても、かなり高い『情報の安全性』を確保できます」
「というか、そのインクがないと安全性を維持できないって。何が起こってるの?」
「『指定した範囲の中で、特定の文を紙に書いたら警報が鳴る』みたいな魔道具って作れるんですよ」
「ほう……」
「ただ、この高級インク。希少な鉱石と、強いモンスターの煤を混ぜたもので、『素材の安定供給』が難しいんです。ただ、ビラベル先生の研究室には、これが大量に運ばれてます」
「希少な鉱石……強いモンスター……擬態でいえば『常識擬態金剛石』とか、『|もはや自分が誰かも忘れた竜』とか?」
「……なんて?」
「あ、ごめん、言われた瞬間に、言われた方はその名前を忘れるヤツだった」
「それをどうしてリリアさんは覚えてるんです?」
「それよりも上の次元にいるから観測できる」
「そうですか」
リクは疲れた。
「で……それを、学校側が不審に思わない理由は?」
「『ただの高級品』にしか見えないからです。諜報の重要性を、学生が多い現場で理解を深め、広めていくのは非常に難しい」
「うーん……」
生まれつき強者のリリアには直感的にわかりにくいようだ。
「加えて、一番使ってるビラベル先生が、『紋章学』という『実験で何かを記録するときに、魔法との干渉を防ぎたい分野』を使っていることもあり、『さらに高級なものを着服し、横流しや密売をやってる人』よりも『話題性がない』んですよ」
「あの学校、腐りすぎじゃない?」
「いや、『俺にバレる程度』なら、まだ軽い方だと思っていいと思いますよ」
別にリクは権謀術数の専門家ではない。
既に存在するシステムの中で最適が何かを考えるのかということをこれまでリクはやっていたが、『どのように欺くのか、操るのか』ということに関しては経験が足りないのだ。
そんなリクにバレる程度の話なら、おそらく王国の貴族社会にとっては『割とどうでもいいこと』だろう。
「ただ、インクの性能は本物です。諜報機関が仕事に使えるレベルのもので、『質の高さ』がブランドイメージと言われても納得できるレベルです」
「ふむ」
「『使い方を考えれば軍用品としても扱えるようなもの』を……しかも素材コストがかなりかかるものを、高頻度で、大量に、一介の教師に提供するのは怪しい」
ビラベルは自分で使っているが、これが『犯罪組織』に流れ場合、どうなるか。
指輪サイズの魔道具や麻薬など、大きなカバンがなくとも成立する『密売』というのはそれ相応にある。
そうした取引において、『監視から逃れられる文書』というのは非常に大きい。
一気に『体制側が認識しない密売市場が拡大する』可能性すらある。
そんなものを大量に出していること。そのものが……。
「端的に言えば、リスク管理が甘いってことです」
「となると、そのインク業者に『何かがある』と」
「そう考えています。悪霊たちのフロント企業の可能性も考慮するべきでしょう」
「……そこまで分析できるんだ」
「まぁ、『自給自足』の経験があればあるほど、『高級品』っていうのは、大量に扱えることそのものが異常だと想像がつく。というだけです」
要するに。
ヘクターナイツでの経験が活きた。という話である。




