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新世界の歌 6話 真空の棺

 ばさり、とはばたく白い両翼。闇に染まる手足。盛り上がる胸板。ぶちぶちと千切れる、青い衣。

 敵。

 敵は、どこだ。

 ぶるっと首を振り、地から一気に舞い上がってあたりを見回す。

 敵とは、我が君アイテリオン様に仇なすもの。我が君のご意志に反するもの。

 俺は、()き魔人ペピ。ただちに、主人の敵を駆逐しよう――。



 まずは、白い蝶を飛ばしながら、方舟の中央の白い建物に目を向ける。

 あそこにはエティア王の実弟が滞在していて、癒しの空気に満ちた室内で冬眠している。建物のそばの円堂には、メキドのトルナート王子が入ったカプセルがある。それからここにはフラヴィオス様もいる。アイテリオン様が探していらっしゃる御子だ。

 さっそく、御子を保護するとしよう。抵抗されなければ、ほかの王子たちは殺める必要はなさそうだ。

 真下を見れば、黒い星がうかぶ真っ白な空のもと、紅の樹木の合間を赤い髪の女が駆け去っている。

 あの女は、敵か?

 おそらくそうだ。中のひとりがメニスの子の手を引いている。


「ヴィオ! 急いでこっちへ!」

 

 ヴィオ。我が君の御子フラヴィオス様だ。

 あの妖精は御子を連れて逃げているのか。女と御子の姿を目で追う。しかし視界がおぼつかぬ。片目だけのせいか。以前は赤い義眼がはまっていて便利だったのに、なんとも不便だ。

 俺はぎらぎら輝く銀の右手を突き出し、純白の胡蝶たちをほとばしらせた。魔力を半精霊に変換することなど、善き魔人にはたやすいこと。あっという間に赤毛の女は胡蝶に取り巻かれてばたりと倒れ、御子から手を放した。


「ローズさあああん!」


 ぬ。なんだこの桃色甲冑の塊は。巨大な戦斧を構えて、俺と戦う気か?

 無駄なことだ。さあ、その御子をよこせ。


「いいえ! わたくし、みなさまを守ります! それがケイドーンの巨人が務め!」


 ぬう。斧が放つ風圧がすごい。さすがはケイドーンの巨人。

 だが、俺にはそんなものはまったく効かぬ。びゅんとすばやく空へ飛びのき、桃色の巨人の斧の一撃をなんなく避ける。


『メニスの王に仕える魔人には、偉大な加護が与えられている』  

 

 アリストバル護衛長が常々そう仰っていたが、よもやこんな見事な翼が我が身に与えられていたとは。おそらくこれは、我が体内に埋め込まれた我が君アイテリオン様のお力。あの御方の分霊が入っている物体に仕込まれている、有機進化体であろう。

 その物体が、盛り上がり黒ずむ我が胸の中央に現れている。真っ青な宝玉が我が心臓を包み込み、輝いている。なんと美しい玉だろうか。


『ペピ。状況を教えなさい』

「はい、我が君。フラヴィオス様を発見しました。ただちに我が君の元に、お連れいたします」


 胸の宝玉から聞こえるアイテリオン様のお声に答え、俺は桃色の巨人を排除しにかかった。巨人は必死に抵抗する。


「烈・空・斬――!!」


 おろかな桃色の塊め。何度打ち込もうが、俺にそんなものは効かぬ。なんの魔力も持たぬ物理波動など、俺には露ほどの影響も及ぼさぬ。


 魔力。

 魔力こそ、すべて。

 

 白い翼のひと薙ぎでやすやすと戦斧の攻撃をかわす。

 すばやく韻律を唱え、輝く波動をかまいたちと成す。

 我が刃はあっという間に、巨人の斧をその手からはじきとばした。これで相手は必殺技を放てない。この隙に、一気に間合いを詰める。


「きゃあああ!」


 でかくて重たい巨人の図体を、反重力の韻律でひっくり返し。真っ白な胡蝶をまき散らす翼のはばたきで吹き飛ばす。

 我が魔力の波動は戦斧の風圧の数倍、いや、数十倍はあるだろう。

 

 魔力。

 魔力こそ、すべて。


「あきらめ、ませんわあっ!」


 なんだと? 桃色の塊め、なんというしぶとさだ。俺の波動でなぎ倒された紅の木の幹を抱え上げ、ぶるんぶるんと振り回している。しかしそんな物理攻撃は――


「ぐふ!」


 なんだこの異様な回転速度は。百キンタルはあろうかという樹木をぶるぶる振り回すその勢いが、およそ尋常ではない。周囲の紅の木が軒並みめきめきと倒れているではないか。こいつは、なんという馬鹿力の化け物なのか。しかし、魔力みなぎる俺の敵ではない。


 魔力。

 魔力こそ、すべて。


『蝶乱舞!』 


 白胡蝶が桃色の巨人を包み込む。韻律結界でさらにくるみ、その中に胡蝶を送り込む。息もできぬほどに。

 よし。悲鳴さえあげられずに動かなくなったぞ。気を失ったか。

 あと二人、ケイドーンの傭兵たちが桃色の巨人に加勢しようと走り寄ってくる。しかしこの二人はさして強くない。小指を曲げるぐらい簡単に彼らを吹き飛ばす。

 そうして。

 俺はがちがち震えるメニスの子のそばにぎゅんと降り立ち抱き上げた。


「はなしてええ! いやああ!」

「フラヴィオス様、お探ししておりました。さあ、家へ帰りましょうぞ」


 泣きわめく御子様の魔力はさすがに強そうだ。我が手に抱くその御身が、うっすら輝いている。抵抗されたら厄介だ。眠らせ……


「ぐあ?!」


 なんというまばゆい光量。御子の体がまぶしすぎて見えぬ。


「みんなを傷つけちゃ、だめえええええ!!!!」


 ばきばきと周囲の木々が折れて倒れる。魔力の波動が一瞬で御子から放射される。びんびんと空気が震え、端に届いた力がびしびしとドームの壁を伝い、天蓋へ伝導されていく。

 素晴らしい……! さすが御子様。

 直径2015パッスース。この広さを一面覆う、魔力の大波動だと?

 御子を抱えていられず放してしまった俺は、あっという間に天の高みへと飛ばされた。

 高度800パッスース。弾丸のように、逆色の天に打ち付けられる。みしみしめりめりと、天にめり込まされる。天蓋に無数のひび割れが走る。

 だが、大丈夫だ。善き魔人は痛みを感じることはない。

 我は不死身。たとえ首を飛ばされようが、死なぬ――。

 片翼が折れたが、すぐに新しいものが生えてくる。バッとはばたき御子に近づきて、放出しきった隙を狙い、封印結界を放つ。白い胡蝶たちが御子を巻き込み、封じ込めにかかる。

 バラバラと天から、天蓋の膜の欠片が雨のように降ってきた。御子の力と俺が激突した衝撃でだいぶ傷んだようだ。急いで御子を抱えて脱出しよう。


――「おじいちゃんやめて!」 


 なんだ? 赤毛の娘? 抵抗しようというのか? やめておけ。


「ヴィオを連れて行かないで!」   


 善き魔人におまえたちは敵わない。下がれ。


「お願いおじいちゃん! そうしないと、私たちはっ……私はっ……」


 レモン色のスカートをはいた赤毛の娘が、バッと両手を突き出す。その手にはひとつずつ、煌めく赤い瞳がある。


「私たち! おじいちゃんを封じないといけなくなる! お願い! 正気に戻って!」


 正気?

 我はやっと目を覚ましたのだ。これが正気だ。我が君、アイテリオン様のご命令に従う()き魔人。これこそが、我、ペピの在るべき姿……



『My magistri (わが師よ)

 Me placere virium (助けてください)

 Adiuva me placere (力を与えて下さい)』



「う、あ?!」


 なんだその呪文は。その瞳から出てくる、虹色の光は。

 やめろ、レモン色のスカートの娘。やめ………!




 



「おじいちゃん。おじいちゃん、聞こえる?」



 




 うう?! ここは……紅の木々の森の中、か?

 目の前に、レモン色の……スカートの……娘が……いる……?


「ごめんね、おじいちゃん。トルナート王子のカプセルのそばに置いてあった、破壊の目を使わせてもらったわ。おじいちゃんが創った、時間停止波動を放射したの。今、効力が薄れてきているから私の声が聞こえてると思うんだけど……」


 ああ……見え、る。両手に紅い義眼を持っているおまえの姿が……目の前に……レモン色の、スカートの、娘……


「おじいちゃんが魔天使化して暴れて、三日たったわ。昨日、ローズとサクラコさんがやっと動けるようになったの。後遺症はないみたいでひと安心よ。監視映像機でおじいちゃんの指が動いたのを確認したから、またこの義眼を使って周りの時間を止めるわね」


 俺は……封じられ……ているのか。


「ごめんね……おじいちゃんを助ける方法がわからないから、しばらくここに封じることにしたの。エティアの王弟殿下と、トルナート殿下のカプセルと、それからヴィオは、山奥の国にある私たちの第二の塔へ移したわ。エリシア姫様のカプセルが安置されているところにね。サクラコさんたちが、護衛についていってくれたわ。ここはだいぶ壊れてしまって、いつまで()つかわからないけど……私、ここでおじいちゃんを封じる役目を担ったから。ずっと、一緒に居るね」


 虹色の光。なんとまぶしい……

 ま、まて。レモン色の……スカートの……むす……


「愛してる、おじいちゃん」

 




 まばたきするほどの、ほんの一瞬の後。

 俺が目を開けると、ついさっき俺に口づけてきたレモン色のスカートの娘が、なんと一週間経ったと教えてきた。

 娘は腕を伸ばし、ぎゅうと俺を抱きしめてきた。


「おじいちゃん、アフマル姉様がメキドに戻ったわ。ロザチェルリがパルト将軍のニセモノをメキド王にまつりあげているから、姉様は地下に潜って、薔薇乙女歌劇団を隠れ蓑にして、メキド解放戦線という組織を立ちあげたそうよ。妖精たちとケイドーンの傭兵団が、全面的に協力しているわ。私たち、きっと勝てるわよね。あのね……おじいちゃんの足が動いたから、また義眼の光を放射するね。心配しないで。私、ずっと、一緒に居るから」


 虹色の光。なんとまぶしい……

 まて。レモン色の……スカートの……むす……


「愛してる、おじいちゃん」





 まばたきほどの感覚の後――。

 目の前にいるレモン色のスカートの娘は、四日経ったと告げてきた。

 混乱している頭が落ち着いてきたのか、俺はこの赤毛の娘に何か言わなければならないことがあったんじゃないかと、うっすら思い出した。

 しかし俺の口は時間凍結されていて、ほんの少しも動かなかった。


「分析の結果、その青い宝玉におじいちゃんを支配するものが入っているってわかったの。何度も取りだそうとしてるんだけど、どうしてもダメ……金剛石より硬い物質でできているみたいで、削ろうとしてもほじくりだそうとしても全然歯がたたないの。おじいちゃんの首が少し動いてるから、また義眼の力を照射するね。ごめんね……でも私、ずっと一緒に居るから」


 虹色の光。なんとまぶしい……

 まて。レモン色の……スカートの……むす……


「愛してる、おじいちゃん」





 レモン色のスカートをはいた娘は、幾度も二つの赤い瞳を照射してきて、俺の時間を止めてきた。たぶん娘は白い建物にいて、普段は現像機で四六時中俺を監視しているんだろう。

 赤い瞳から放射される虹色の光は、常に一定の出力を放つものではないらしい。三日経ったと告げられることもあれば、なんとひと月経ったと疲れたように言われることもあった。

 そのたびに、赤毛の娘は下界の情勢を手短に教えてくれた。そして報告の最後に必ず、「愛してる」とつぶやいて俺に口づけてくるのだった。

 我が君アイテリオン様のご意志は、この赤毛の娘たちやケイドーンの巨人、そしてエティア王のせいで妨げられているようだった。フラヴィオス様はいまだ、父君のもとへ帰っていない。善き魔人である俺は不安になったが、ほどなく、護衛長様たち魔人団がめざましい働きをしてくださったことがわかった。


「おじいちゃん、私たちの第二の塔が襲われたわ。魔人団についにその存在を知られてしまったの」


 俺が封じられて三ヶ月経った、と告げられたとき。レモン色のスカートの娘がそう報告して、泣き崩れた。


「アズハルの子は故郷へ疎開させたそうよ。幸いエティアでの戦が落ち着いたから、エティアの王弟殿下はジャルデ陛下のもとへお戻りになったわ。ヴィオと、トルナート殿下や姉姫様のカプセルも一緒に陛下のもとへ逃したそうだけど……でも姉姫様のカプセルが……避難中に何者かに襲われて、行方不明になってしまって……どこにいったか、見つからないそうなの……」 


 虹色の光。なんとまぶしい……

 まて。レモン色の……スカートの娘。俺は何かおまえに言わなければならないことが……

 

「愛してる、おじいちゃん」

 




 それからしばらく、「俺がまばたきするたびに」口づけて報告してくる赤毛の娘の貌は、とても哀しげだった。 

 何者かに奪われた姉姫のカプセルは、ついぞ見つからず。故郷に戻ったはずのアズハルの娘にも異変が起こったらしい。いつしか生家から何者かに連れだされ、行方不明になってしまったという。

 カプセルに入っていたトルナート王子はエティアの王宮で目覚めたが、王子は自ら黒き衣の導師となることを望み、岩窟の寺院に入ったそうだ。


「トルナート殿下は、誰よりも強くなりたいと仰せになったそうです。誰かを守れる力が欲しいと……。それで黒の技を身につけようとご決心なさいました。将来は一国の後見人になれるぐらいの力をつけ、周囲の国々に働きかけてメキドを取り戻したい。そう思し召しだそうです」


 レモン色のスカートの娘は、しきりに涙を拭った。


「岩窟の寺院ならば、強固な結界に守られてます。だから、殿下の御身は安全ですよね。姉様や巨人の傭兵さまたちは、一刻も早く殿下をメキドにお迎えできるようがんばるそうです」


 黒き衣の寺院。

 あそこは……よく知っているような、気がする。

 でも、あそこも……安全ではないような、気がする……。 


「拠点をひとつ失ったけど、妖精たちは大陸中にいるわ。本営の潜みの塔はエティア王宮にあるし。だから巻き返せるはずよ。それにね、おじいちゃんを助ける方法をみんなで一所懸命探してるわ。だから、もう少し我慢してね」


 敵ながら甲斐甲斐しく俺を見張るこの娘に、俺はほのかに好意を覚えた。

 それは善き魔人にはあるまじきこと。しかしこうもひんぱんに唇を重ねられては、情が移るというものだ。娘は今回も手に持つ紅い瞳から虹色の光を照射しながら、俺の唇に薔薇色の唇を重ねてきた。


「愛してる、おじいちゃん」


 



 こうして俺は少し動くたびに、赤毛の娘から下界の様子を語られ。幾度も虹色の光を浴びせられた。

 口づけをはさんで細切れに聞かされる娘の話では、メキドの情勢は特に混迷を極めているようだった。

 にせのパルト将軍を王に立てた摂政ロザチェルリの革命軍は、善政を敷くどころか恐ろしい暴政を行い始めた。妖精たちが嫁いだ選王候家はまっさきに潰され、貴族たちには粛清の嵐が、民には重税が襲いかかった。

 アフマルのメキド解放戦線は、薔薇乙女歌劇団を隠れ蓑にして地下へ潜った。

 妖精たちは、メキドの民を支え。励まし。蜂起を促した。

 叛乱軍は革命軍と幾度か戦ったが、アイテリオン様の魔人たちによって苦戦を強いられ、解放は遅々として進まなかったようだ。

 かような状況の中で生き残った貴族たちは革命軍に抵抗せんと、貴族連合軍なるものを組織した。その後ろ盾は、黒き衣の導師が住む岩窟の寺院。

 そしてついに――

 知恵ある賢者たちの後見を受けた貴族連合軍は、隣国ファラディアとの会戦にのぞんだ革命軍を陥し入れた。岩窟の寺院の封印所に在った封神器を使用し、革命軍の守護神となっていたアイテリオン様の魔人団を捕らえ、眠りの棺に入れて封じたのだ。

 かくして、革命軍は常勝の力を失い……。


『おじいちゃん、やったわ! たった今超伝信がきてね、革命軍がファラディアに敗れて、摂政ロザチェルリが戦死したんですって。にせのパルト将軍は震え上がって逃げ出したところを貴族連合に捉えられたそうよ。きっと断罪されるわ。これでメキドは平和になる!』


 赤毛の娘の嬉しげな声を聞いて、俺はなぜか心が躍った。

 我が君、アイテリオン様のご意志が曲げられたというのに。

 俺の感覚ではそれは動けなくなって二、三時間ぐらいのことだったが、しかし実際には六年ほど経っていたようだ。

 そして俺はこのとき、娘の貌を見ることはできなかった。唇に直接口づけを受けることもかなわなかった。

 俺の感覚では一瞬にして、目の前の娘の容姿が変化していた。

 なんと、金属の筒服に身をつつんだ寸銅なフォルム。ふわふわ浮いており、背中に背負っているのは酸素ボンベ。すっぽり頭部を覆う金属兜に送られる空気で、娘はしゅこーっ、しゅこーっ、と呼吸していた。


『これでやっとトルナート殿下をお迎えすることができるって、みんな大喜びしているわ』 


 ヘルメット越しの娘の声は、俺の耳に直接入れられたマイクから聞こえてきていた。

 壊れかけている方舟は応急措置でなんとか保たれている。しかし今の時代には宇宙空間で修理できる機器がないために、ただ朽ちるに任せる状態。ゆえに方舟の中には空気はほとんど残っておらず、重力装置も稼動が止まり、中はほとんど真空の空間と化した。

 俺の体は枯れ始めている木々の幹に巻かれた鎖で繋がれているものの、やはり浮いていた。そんな環境でも赤毛の娘は俺の前にやってきて、義眼の虹色の光を当てにきたらしい。


『魔人を封じる封神器と棺のおかげね。金獅子家の後見のレクサリオン様が、封印所の中から探し出して下さったんですって。感謝しなくちゃ』


 寺院の最長老レクサリオン。

 おそらくその者は、我が君アイテリオン様に復讐されるだろう。護衛長様はいつだったかちらりと、寺院の導師の中に内通者がいると漏らしていたことがある……。

 それにたぶん、トルナート王子の帰国は、手放しでは喜べる状況にはないはずだ。

 俺はうっすら脳に残っている記憶を思い起こした。

 たしか貴族連合軍には、黒き衣のバルバトスの息がかかっている……。


 まも、れ……


『え? 何? おじいちゃん』


 トルを。まも、れ……


 だめだ。真空のせいで、俺の声は届かない。

 でもなぜ、王子を守ってくれ、などと思ったのだろう。俺は、善き()魔人のはずなのに。

 金属の筒服が近づいてきて、ヘルメットが真空の空間で凍りついている俺の唇に触れた。


『それじゃ、またね。愛してる、おじいちゃん』





 しゅこーっ。

 

 

 しゅこーっ。

 

 

 酸素ボンベの呼吸音が聞こえる。

 レモン。そうだ。いつも目の前にいる娘は、レモン……。

 方舟の大きな割れ目から暗い星空が見える。まばたきするごとに、その割れ目が大きくなっている。

 目の前にいる金属の筒服の娘は今や完全にぷかぷか浮いていて、白い建物から長い命綱を繋いで伸ばしている。枯れ木に繋がれている俺も、だいぶ上の方に浮いている。

 今度は、どのぐらい経ったのだろう。

 

『おじいちゃん、久しぶり。半年たったわ。義眼の力の最長記録ね。下では……いろいろなことがたくさん起こったわ』


 耳に入れられたマイクから聞こえる声は、はじめとても明るかった。


『メキドは、順調よ。トルナート殿下は、半年前に寺院からメキドへ戻られて、晴れて国王になられたわ。まだ修行途中で導師にはなられていなかったから、殿下はとても迷われたのだけど、貴族連合の貴族たちが無理に呼び戻したの。でもね、それは陛下を操り人形にしようとしていたからだったみたい。もし岩窟の寺院にいるトルナート陛下のお友達から警告の手紙がこなかったら、アフマル姉様たちは、まんまと貴族連合の者どもに騙されるところだったそうよ』


 警告の手紙……トルナート陛下のお友達……

 友達って……もしかして……


『手紙は隊商が運んできたの。でも「つむじ風」がいなかったら届かなかったかもしれないそうよ』


 「つむじ風」? なんだそれは……


『最近、岩窟の寺院からしきりに飛んでくる「風」がいるの。たぶん導師のどなたかの魂よ。解放戦線に協力してくれてるのよね。その「風」のおかげで手紙が陛下とケイドーンの傭兵団に渡ったの。それで陛下たちは貴族連合の貴族たちをうまくあしらって、メキドの実権を握ることができたんですって。陰で糸を引いていたバルバトスという後見導師も罷免したし。焼かれた首都の復興も始まったし。陛下は、なんと巨人のサクラコさんとご結婚なされたし。いい事づくめだったんだけど……』


 レモンの声が、ほんのり(かげ)る。


『数週間前にヴィオがお母さんに会いたいって騒ぎ出して、ジャルデ陛下のもとからひとりで家出しちゃったの。急いで保護しようと妖精たちが総出で探しているんだけど、まだ見つからないわ。それから……』


 しゅこーっとひときわ大きく息を吐き、レモンはかわいらしい声音に硬い緊張を乗せてきた。


『あのね……おじいちゃんに瓜二つの人が、メキドに現れたそうなの。運送会社のウェシ・プトリから超伝信があって、今、メニスの子と一緒にポチ2号に乗せてるところですって。オリハルコンの布をかぶってて、どうやら魔人みたい』

 

 レモン。

 そいつは。

 そいつは……!


『とりあえずアフマル姉様は、メニスの子を保護することにするそうよ。おじいちゃんにそっくりの魔人はアイテリオンの手先かもしれないから、最警戒で密かに見張るって言ってるわ』


 そいつは。

 俺……だ……!


『それじゃ、またね。私たち、ずっと一緒よ』


 金属の筒服が近づいてきて、ヘルメットが真空の空間で凍りついている俺の唇に触れる。


『愛してる、おじいちゃん』


 そうして再び、俺の時間は。

 止められて、しまった――。






キンタル:重さの単位です。1キンタル=46キログラムぐらいです。

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