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新世界の歌 5話 方舟

 淡い虹色の天蓋。空に浮かぶ雲は真っ青。

 普通の空とは逆の色合いの天が頭上にある。

 周囲は見渡す限り林立する紅色の樹木に覆われ、果てが見えない。けれども色の違う空の丸みが、この地の形状を如実に現している。


「空気が濃い……」


 2015パッスース。小さな数百人規模の村ほどの大きさの居住ドームだ。 

 にわかに、逆転色の空が暗くなる。みるみる紫色に染まり、再び色褪せて白くなる。すると無数の黒い粒々が現れて、黒い宝石のごときに輝き出した。色を反転させれば、これはまさしく――。


「星空か」

「はい。ここの空は、外の景色がちょうど反転色に見えます。純度八十パーセントの軽いビノニウム、二十パーセントの紫ガノバリウムの合金で作られた、強化圧縮膜が貼られているんです」


 黒い星たちがまたたく空を見上げる俺の隣で、赤毛の妖精が説明してくれる。人懐っこいかわいい笑顔。はいているスカートの色は、レモン色。


「きゃー♪ 落ち葉♪ 落ち葉~♪」

「ヴィオ、ほらどんぐりが落ちてるわ」


 俺たちの目の前にもうひとり妖精がいて、鳶色の髪の子どもと楽しげに紅の葉っぱを拾っている。そのスカートの色は、あざやかな薔薇色。

 ヴィオが機嫌よく飛び跳ねているそばの円堂に、細長い培養カプセルがひとつ安置されている。中には、再生液に漬けられたトルが眠っている。潜みの塔から、カプセルごと運んできてここに安置したのだ。


「しかしまさか、おまえたちにここで会えるとはなぁ」


 感慨深くつぶやけば。レモン色のスカートをはいた娘が、嬉しげに俺に微笑みかけてきた。


「一緒に逃げたリシ団が仲間割れを始めたんです。ヴィオを新たなメニスの王にしようって画策する人と、このままどこかで平穏にくらそうじゃないかっていう人とで、争いになってしまって。困りきってエティアの陛下にこっそり打診したら、私たち三人をひそかにここへ運んでくれたんです。世界一安全な場所であるここに身を隠しなさいって」

「あの陛下、だれにでもそういってここを紹介してんのかな。でも元気そうでよかった。レモン、会いたかったよ」


 声を出して笑った俺がそう言うなり。レモン色のスカートをはいた娘はボッと頬を赤く染め、涙ぐんだ。  


「おじいちゃん、私もすごく会いたかった!」


 感極まって抱きついてくる娘の頭をぽふぽふと撫でながら、俺は不思議な反転の空を目を細めて眺めた。人工太陽は見当たらない。膜自体が発光しているんだろう。きらきら輝く黒い星たち。肺に満ちるとても濃い癒しの空気。どこかから鳥の鳴き声が聞こえる……

 ここは、アルカム。

 天に浮かぶ島よりさらに高い、天のきわみをこえたところにある、方舟――。





 二十歳を迎え、立派な大人に育ちあがったジャルデ陛下の仕事は速かった。

 副官に伝信に使う水晶玉をもってこさせるや、陛下は避難させた臣下たちに打電し、ただちに俺とトルナート王子を箱舟に運ぶよう命じてくれた。


『おじいはヘイデンというものを知っているか?』

『天に浮かぶ島だろう? しかしあそこは決して安全とはいえないぞ』


 凡庸な国ならいざ知らず、大陸同盟理事国であるスメルニアの軍事力は統一王国末期のものと対して変わりない。浮遊石を動力源とする鉄の竜(ロンティエ)ならば、容易に浮島へ到達できる。その昔スメルニアの管轄となった浮島は皇家が所有しており、現在は墓所として使用されていて、今でも頻繁に地上と行き来していると聞く。


『いや、目的地は浮島じゃない。そこを経由して至る場所だ。うちの属州の金獅子家が持ってる浮島からしか行けないところでな、そこはスメルニアの鉄の竜どもをもってしても届かぬ。俺の親族はあらかた永世中立国のファイカに逃したが、王位継承者の弟だけは、絶対安全なそこに逃したんだ。だからおじいもそこへ行け』

『待て。トルナート殿下はよろしく頼みたいが、俺はすんなり行くわけには――』


 スメルニアとの苦しげな会戦。第二のメキドたるエティアの危機を放って、自分だけのうのうと避難所に行くことはできない。


『大丈夫だ。心配するな、おじい』 


 強がりを言う陛下を押し切り、俺は戦火に染まる赤空からまるでトンボのような迎えの飛空挺が降り立ち、中から出てきた官たちにどうぞどうぞと無理やり連行されるまで、できるかぎりのことをしていった。 

 俺しか知らない暗号(コード)をポチ2号に入力して、能力限界弁(リミッター)を外し。


『これで伝説の神獣メルドルークと全く同じ能力、つまり竜の大咆哮ドラゴンビッグブレス大衝撃波スペシャルパッチンウェーブ隕石落とし(メテオスオーム)をかませるようになるから! 俺の娘たちに操作させるね!』

『おお! そいつはすごいな、おじい!』


 喜ぶ陛下のそばで潜みの塔にいる妖精たちに伝信を送り、暗号を打ち込ませ。


『うんそう、レティシアサイコウアイシテル、シショウゴメンナサイアキラメテ、だよ。陛下、これで塔の主砲を解放したからね!』

『おじい、主砲ってなんだ?』

『次元波動砲だ。塔のてっぺんに取り付けたんだが、平野を一瞬で灰にするから気をつけてくれ。これも、操舵と発射の権限は俺の娘たちに任せていくね』

『お、おう、ぶちかましてもらう時は、味方の軍をとっとと退避させろってことだな』

『逃げ遅れるなよ。もし巻き込まれたら、歪んだ次元の亀裂から異世界にいっちゃうぞ』

『お、おう』


 さすがに陛下はちょっと引き気味だったが、ポチも塔も、エリシア・プログラムで覚醒した娘たちに委ねれば安心だ。 

 治療を始めたばかりのトルナート殿下をカプセルから出すのはしのびなく、俺は迎えに来た飛行機の操縦士に無理を言い、塔まで来てもらって培養カプセルを丸ごと飛行機に積んでもらった。

 かくして飛行機はぎゅんと上空へひと飛びして、金獅子家所有の浮島、五十五番島へと至ったのだが。この島は北五州の中央辺りの上空にあったので、とてもひやひやした。なぜならその真下の深い深い地の底には、アイテリオンが治め、メニスたちが死守している隠れ里がある。アリストバル護衛長たちが時間凍結から回復すれば、たちどころにアイテリオンに俺の離脱のことが知られる。魔人の反逆を知った白の導師が、俺を探し出そうとするのは必至だ。いつものようにオリハルコン製の青い衣に着替えたけれど……


 逃げ切れるだろうか?


 居所を知られる恐怖を抱えながら、俺は王子を封じたカプセルと共に、五十五番島にある飛翔門(ゲート)をくぐった。そこにはフゲーレと呼ばれる大きな瓜ざね型の乗り物が、弩のような射出機に据え付けられていた。

 飛空挺の操縦士が引き続きそのままフゲーレの操縦をしてくれ、俺に金属の筒を身につけろと指示してくれた。


『気体の無いところへ出ますので、筒服をお召しになってください』 


 それは金属製の土管のような服で、腕の部分だけ突き出ている奇妙な防護服だった。トルが入ったカプセルは規格外ゆえに金属の筒で覆えなかったが、もとから密閉されているので心配は無用。

 かくして俺たちが乗り込んだフゲーレは、射出機で勢いよく弾かれて――。


『うおおおお! 大陸から出た!』


 大陸どころか。


『うおおおお! 星の海! 宇宙だ! すげえ!』


 この黄色っぽくて海の部分が紫がかった星から飛びだして、統一王国時代に創られた、誰も知らぬ遺物へと至ったのである。

 アルカム――方舟と呼ばれる、逆転した空の色を持つ人工の小さな星に。





 アルカムは、統一王国中期に作られた施設だそうだ。

 当時廃れ始めていた宇宙軍とその事業の最後の遺物で、王室の緊急の隠れ家、すなわちシェルターである。統一王国末期においては隠居した王の憩いの住まいであったようで、王室の秘密の私有財産だったために、ほとんど知る者とてない機密物だった。ゆえに何百年も永らく浮島に住んであらゆる情報を手に入れられた俺ですら、全く知らないものだった。

 金獅子家が浮島ごとその財産を受け継ぎ、今までひそかに維持してきたのだそうで、これまで幾度か戦で劣勢になるたび、当主や嫡男がここに避難してきたそうだ。そしてエティア王家が金獅子家と姻戚となった時、エティア王家にも知られるところとなったという。


「今の陛下のおばあさまと金獅子家の王配殿下のハネムーンは、ここだったそうですよ」


 レモンが目を輝かせて、俺の腕に細い腕をからませてくる。

 統一王国時代には宇宙軍が。金獅子家の時代には近衛隊がここを管理していたのであるが。


「おじいちゃん!」「おじいちゃんだわ!」


 今は俺の娘たち、すなわちとても優秀な赤毛の妖精たちが、ここの管理官として抜擢されて働いていた。

 メニスの聖域から逃げてきたレモンとローズも、姉たち同様にジャルデ陛下からここに送られた際に、管理官として任じられたそうだ。聞けば、ヴィオを担ぎ出そうというリシたちと離れるため、赤猫の剣が盾となって白の技を使う彼らを足止めしてくれたという。一緒に連れて来れなかったのが心残りだと、レモンは赤猫のことをとても気にした。


「リシたちの手に落ちてしまったと思うの。いつか取り戻さなくちゃ」


 レモンは俺に再会できたのがことのほか嬉しいようで、率先して方舟の中を案内してくれた。とはいえドームの八割は酸素を噴き出す紅色の葉の樹木ばかり。中央にある広めの邸宅一件分ぐらいの大きさの白い建物と泉と果樹園ぐらいしか、めぼしい物はない。

エティアの王弟殿下は、白い建物の「冬眠室」で老化を止めつつ眠りについているという。王国の戦が幾年月長引くかわからぬゆえに、次代の政の君を年をとらせぬまま保護するという措置をとっているそうだ。


「おじいちゃん、大昔には、星船っていう船がたくさんあったんですってね。私たちの祖先は、この星と別の星の間を頻繁に飛び回っていたそうよ。それにね、ここよりももっともっと大きな方舟がたくさんあって、たくさんの人がそこに住んでたんですって」

 

 レモンは一所懸命俺に説明してくれた。

 太古の昔。射出機で飛ばされる舟とは違い、本物の星船には自航能力があり。はるか彼方の遠くの星々、空にまたたく星座の星へとあっという間にたどり着けたのだと。

 

「そういえば赤猫の剣さんは、青の三の星っていう遠い星からきたと言ってたわ」


 それ、ソートくんも言ってたな。青の三の星。その星の情報は、俺が住んでいた八番等の記録箱でもちらほら見た覚えがある。たしかこの星から二十光年離れたところにある星だ。

 光の速さで進んで二十年かかる距離。

 音波である韻律波動の速さに換算すれば、一万七千年以上もかかる遠い遠いところだ……。


「おじいちゃん、ここを警護してくれている人たちよ」

「あ……」


 レモンが白い建物の周囲にぽつぽつと配置されている衛兵を紹介してくれた。

 みな天を突くように高く、肩幅広く、とても巨大だ。

 そう、彼らはみな巨人たちだった。それもただの巨人ではなく……。


「ジャルデ陛下がそろえた大陸最強の兵士たちよ。だからここは、絶対安全なの」

「そうだねレモン。それは絶対確かだ」


 全身甲冑に身を包んだ巨人たちが携えているのは、大きな戦斧。まごうことなく、ケイドーンの巨人傭兵団だ。トルのカプセルを安置した円堂にも巨人が三人ついてくれた。再生液がゆっくり循環しているカプセルは自家発電しているから、どこにでも置ける。だから建物の内庭の泉のそばにあるこの円堂に安置したのだが、さらに最強の護りがついてくれるとは心強い。

 三人の屈強な護衛の中に桃色甲冑を着込んだ女巨人がいたので、俺は思わず満面の笑みを浮かべた。


「メキドの王子殿下がこられたと聞いて。もしやと思いましたら……ああ、トルナート殿下!」

 

 全身桃色の女巨人は、胸がはりさけんばかりの表情でカプセルにすがりついた。


「サクラコさん、心配はいらない。トルナート殿下の傷はあと一週間ぐらいで治るよ。跡は残るかもしれないが……」

「あら? わたくしの名前をごぞんじですの? 以前どこかでお会いしまして?」


 未来のメキドの王妃が、ここにいるとは嬉しい驚きだ。彼女が守ってくれるなら、トルは絶対大丈夫だ――。





 俺がサクラコさんと会ってほどなく。下界から嬉しい報せが超伝信でやってきた。赤毛の妖精たちがその吉報を建物にある通信装置で受け取り、息せき切って報告しに来てくれた。


「おじいちゃん! 戦勝報告です!」

「ポチと塔が大活躍したそうですよ!」


 ジャルデ陛下は、背水の陣を乗り切ったらしい。

 よかった。本当によかった。かつて徹夜でトテカンやって、ポチや塔にこつこつ細工を施した甲斐があったというものだ。まさか本当に、その隠し能力を使わねばならない時がくるとは思わなかったが……。

 すべてが良い方向へ転がっていきそうな気がして、俺はレモンやサクラコさんたちと思わず肩を抱き合い、うっしゃあと声をあげて喜んだ。


「ねえ、ここウサギさんいないの? リスさんはぁ? ねえねえ、みんななんで、そんなに喜んでるのぉ?」

 

 きょとんとするヴィオをローズがひっぱりこんで抱き上げる。ノミオスにくらべて、ヴィオはとても小さい。覚醒をうながす薬を飲まされていた影響だろうか、とても幼くて十歳にも見えない。

 ローズがヴィオに頬ずりすると、彼は声をあげて機嫌よくころころ笑った。

 これからも良い結果が続く。俺はこの時そう信じた。時の流れは決して変えられないという、哀しい事実を完全に忘れて――。

 しかし翌日。

 容赦なく悲報がやってきた。それはメキドからの急報と同時に、冷酷にも襲いかかってきた。


「おじいちゃん、メキドの革命軍から大陸公報が出されました! パルト将軍が国王ベイヤート陛下を誅し、王位につくことを宣言した、という内容です!」


 先に妖精のターコイズが、憤懣やるかたない表情でそう報告してきた。どうやら摂政ロザチェルリは魔人たちに助けられ、パルト将軍の名を好き勝手に利用し始めたらしい。 


「アフマル姉様はまだメキドに戻っておられないというのに。摂政はパルト将軍の身代わりを立てたようですね。何たる事態でしょう」


 そして怒れるターコイズの後ろから、レモンがはらはら泣きながら伝えてきた。


「おじいちゃん、たった今……そのアフマル姉様から、伝信があって……トルナート殿下のお姉様の蘇生に、難航していると……」

「蘇生? ああ、そんな!」


 俺と一緒に円堂のそばにいたサクラコさんが、短い悲鳴をあげる。

 やはり未来を変えることは……不可能なのだろうか――

 


 


 アフマルは、腕を怪我したアズハルの娘と共に姉姫を抱えてポチ3号に飛び乗り、山岳鉄道の終点である山奥の国に至っていた。妖精たちはエリシア・プログラムで覚醒した直後、この国に中規模の拠点を作り、そこに潜みの塔と同じような作業施設つきの基地を建設したそうだ。

 アフマルは基地に備えつけられている培養カプセルに姉姫を入れ、必死に治療を試みているらしい。だが思ったよりも傷が深く、カプセルに入れられた時点で姫はこときれていたという。

 

「アフマル姉様は決してあきらめないようにと基地のみんなに伝達して、現在も姫様の蘇生を試みさせています。でも生き返る可能性はとても低いそうです……」


 そんな状況下で、アフマルはメキドの「にせパルト将軍」が出した公報を聞き及んで激怒したそうだ。


「アフマル姉様は急ぎメキドに戻って、摂政を倒そうと意気込んでいます。私たち妖精は、全面的にアフマル姉様に協力する所存です」


 ターコイズがきっぱり宣言する。しかしロザチェルリの背後には、不死身の魔人団とアイテリオンがいる。政権を取り戻すには一筋縄ではいかないだろう。


「俺も協力する。これまで作ったものを総動員させよう。それで、アズハルの娘はどうなんだ? 拠点にいて怪我を治してるのか? 元気なのか?」

「はい、リネアは怪我を治療しながら、姉姫様のカプセルのそばにずっとついています」


 未来の光景が一瞬浮かぶ。

 大丈夫だ。俺たちはロザチェルリに勝てる。将来トルは王位につく。

 しかし――

 その治世を阻む者が、現れる。それは北五州の蒼鹿家で、トルの姉は生きていると主張してくる。その姫はたしかにせもので、姫が死んだ時にそばにいた侍女……


『私は、エリシア姫ではないんです』


 たしかに姉姫ではない。だがあの子も、れっきとした姫だ。俺がファイカで会ったあの姫は、アズハルの娘だ……! 

 あの子は将来、生まれ故郷に帰る? そこで蒼鹿家につかまる?

 それを阻止するには、あの子を妖精たちの拠点で保護し続けなければ。

 トルの家族は救えなかったが、トルの未来は守らなければ――

 しかし、その指示を。アズハルの娘をずっと保護しつづけてくれ、という願いを。俺はレモンたちに伝えることができなかった。

 指示を与えようとしたそのとき。

 

『どこにいるのです?』


 頭に直接、恐ろしい声が響いてきたからだった。


『魔人ペピ。どこにいるのですか?』


 その声の主は、アイテリオンその人のものであり。

 まるで耳をつかまれて大声で叫ばれているように、くっきりはっきり聞こえてきた。


『善き魔人は、勝手なことをしてはいけません』 


「ちく……しょう! そんなっ! オリハルコンの服を着てるのに!」 

「おじいちゃん? 急に取り乱してどうしたの?」


 度を失い、衣のフードを目深に被り。とにかく外に肌を出さないようにするも。その声はびんびんと、わが体の内側から響いてくる。

 なぜ奴の呼びかけが聞こえる? 世界一安全な場所で。魔人の主人の働きかけを完全に遮断するはずのものを身につけていて、なぜ? 


『ペピ。逃げようとしても無駄です。私はあなたの心臓に、分霊したわが魂を分け与えました。ゆえに、あなたは私から決して逃れられません』

「な……!」


 つまりアイテリオンに囚われた時に、体内にアイテリオンの一部を仕込まれたのか? ということは、もうオリハルコンの服を着ても無駄?!

 恐れていたことが起きてしまった。アリストバル護衛長がやっとのこと動けるようになり、アイテリオンに報告したのだろう。それで魔人の主人は、俺を探し始めたのだ。


『ペピ。もし私の敵の中にいるのなら。ただちに駆逐しなさい』


 どくん。

 心臓が大きく脈打つ。


『敵を退け、私のもとへ戻りなさい』 


 どくん。

 もう一度、大きく波打つ。幾度も響く声にこたえるがごとく、ずきずきと胸が熱く痛んでくる。


『魔人の力を解放し。我がもとへ、帰りなさい』 

「うあああああっ!!」


 体のうちで熱くくすぶる何かが、俺の脳髄を焼いた。頭を抑えながら叫んだとたん。灼熱の感覚がぶわりと背中に広がり、めきめきと背が割れた。すさまじい痛みと共に、背中からみるまに何かが生えてくる。


「お……俺から離れろ! レモン! ターコイズ! サクラコさん!」


 トルのカプセルを巻き込んではいけないと、俺はおのが意志をふりしぼって円堂から離れ、ドームの端へ走った。

 見れば手足が焼け焦げるようにじわじわ黒ずんでいく。背中から割れ出てきたものが、みるみる大きく広がっていく。ばさり、という羽音が聞こえる。

 燃えるがごとく熱く、激痛に苛まれる背から生えてきたもの。

 それは――大きな翼だった。


「うそ、だ……ろ……」


 体は黒ずんでいるのに、その翼は目がくらむほどまっ白で輝いていた。

 まるで、天の御使いの翼のように。


『さあ。敵を駆逐し。我が元に戻りなさい』


「ぐああああああ!!」 


 アイテリオンの声に呼応して、俺は悲鳴とも雄たけびともつかぬ叫び声をあげた。おのが意識がどろどろ溶けていく。


『帰ってきなさい』


「あああああああ!!」

 

 頭を抱えて叫んでいるうちに。

 意志があとかたもなく、霧散していく……。

 白い胡蝶がうわっとまばゆい翼から出てきた。はばたくごとに、何百、何千と。

 

「はい。ご主人様。我が君。おおせの、とおりに。敵を。敵を」


 俺の抑揚の無いつぶやきとともに、光の蝶々たちはドームのそこかしこに飛んでいった。

 「敵」を、駆逐するために――。 


 


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