王者たちの歌 10話 ツルギ島
ふしゅうと噴き出す蒸気。ガラガラ回る歯車。
リンゴロンと鳴り響く、時を知らせる鐘の音――。
「おじいちゃん」と赤毛人たちが住む塔は、表面はびっしり木や草に覆われているのですが、内部はとても機械的な音に満ちていました。そこかしこ、金属の壁や管や歯車だらけです。
しかし上の方の階には、赤毛人たちの生活感あふれる居住空間がありました。
ずらりと並んだ寝台のある寝室。温水が出る大浴場。丸窓にはたくさん風車がついていて、ひゅんひゅん音を立てて回りながら、乾季の暑い空気を冷たく心地よいものに換えています。その風に揺られて軽快に鳴り響いているのは、いくつもの大きな風鈴。その音はなんと人工の韻律を発生させていて、たくさんの円窓から目に見えて漏れ出しており、淡い緑色の音幕の結界を張っていました。
糸を紡いだり機を織ったり、鍛冶場のようなところで金属を溶かしたりしている赤毛の人たちは、「おじいちゃん」が手がける細工物の原料となるものを一日中作り出していました。
技師である「おじいちゃん」は珍しい細工物を王侯貴族に売って、食べ物以外の日常品や鉱石などを手に入れ、赤毛人たちを養っている――塔を案内してくれたカエラとテラは、そう自慢げに教えてくれました。
ここは、ひとつの小さな街そのものだと。
「外の街でのお買い物は楽しいけど、たいていの物は私たちで作っちゃうの。この服や石鹸や、料理器具や農具とか。みーんな自家製」
「そうそう、全部作っちゃうわよね。ごはんもそうだし」
階下の方には、穀物や果樹を育てている部屋がいくつもありました。そこでは不思議な色の光を浴びながら、りんごや桃や葡萄、それに見たことのない果物がたくさん実っていました。まるで天空の島にあった温室のように、果樹園の空気はとても濃く、滋養たっぷり。
食堂は塔の中ほどにあり、僕はカエラとテラと一緒に食事を摂りました。飾り気のない銀の四角いトレーに載っているのは、パンのようなふわふわした実や、肉の味がする豆を煮込んだスープ。全部ここで採れたものだそうで、どれもとてもおいしかったのですが。僕には悠長に味わっているひまはありませんでした。
「食事の時ぐらい、本読むのやめたら?」
呆れ顔のカエラ。
「勉強熱心ね。ていうか、片手で器用にめくるわねえ」
苦笑するテラ。
二人の真ん中で僕は口をもぐもぐしながら、地図や数冊の本を読み続けました。銀の右手を失ったので、左手だけで読書と食事をなんとかこなしています。
両手の花、二人の赤毛の少女はちょっと不機嫌顔。というのも、僕の首にはもう、服従の首輪がついていないからです。
本を探していた時に、ひよこをいじる「おじいちゃん」が、「あーそうそう」と思い出したように手を打って、服従の鎖を外すようにと命じてくれたのでした。
「私てっきり、この『ツルギ島』の警備を魔人に任せるのかと思ったんだけどな」
「私もー。監視鳥、ぶっ壊れちゃったもんね」
二人の少女は、ふわふわのパンの実を割いて口に放り込みながら愚痴っていました。
「こないだみたいに、どこかの国の隠密が来たら困るわよね」
「ほんと。ここでは兵器なんか作ってないのに。とんだ誤解よねー」
少女達の言う『ツルギ島』とは、この森の山のような塔のこと。
もともとはなんと移動要塞だったそうですが、「おじいちゃん」が先代の黒獅子の皇帝陛下から褒美としてもらい受けたそうです。現在は帝国の一州である緑虹州のはずれに、ひっそり鎮座しているんだとか。
本棚から引っ張りだした五百年後の大陸の地図帳には……
国の名前が三つしかありませんでした。
一番領土が広いのは、大陸西部一帯を版図とする魔道帝国。緑虹州の他に三十ほど州があり、この国の国主が黒獅子の皇帝陛下です。
それから北部・東部を支配するスメルニア皇国の、太阳聖神帝。
そして南東部と多島海を統べるナイ・ケルティーヤ帝国の、黄金豹の大君。
三国の三国主が、大陸に覇を唱えんとしのぎを削っている。というのが、今の大陸の状況のようです。
地図帳には、三人の王者たちの姿を描いた美しい挿絵が載っていました。それぞれ黒い獅子、黒い竜、黄金の豹を背負っていて、とても絢爛豪華。
僕が居た時代にメキド王国だった地域は、ほぼ現在の緑虹州となっていて、州都にサクラコの名前がついていました。その位置は間違いなく、かつてのメキド王国の王都。トルが自ら汗水流して復興を手がけている、あの都の在った場所です。
僕が今目を皿のようにしてめくっている、『トリオンの歴史書』という本によれば――
大陸が三カ国にまとまったのは、この百年ほどの間のこと。それまでは他の諸国と共に「メキド王国」も、かろうじて存続していたようです。
でも、トルとサクラコ妃の王朝がどれほど続いたのかは……
「うう、わからない」
『トリオンの歴史書』は大陸共通語ながら大変な美文で叙述されていますが、残念ながら今の時代から二百年前ぐらいまでの歴史や戦役のことしか書かれていません。
しかも……。
僕が書いたらしい『師に捧げる歴史書』の第五巻目は、神聖暦7300年のエティア王国建国から、7371年の魔人ペペの永久凍結に端を発する大陸同盟の総会議召集で、メキド王家と蒼鹿家の調停が決裂した、というところで終わっていました。
決裂――。
僕が知りたいのはその先。メキドは……戦に巻き込まれたのでしょうか……。
困ったことに、書棚からあふれかえる本をほとんどほっくり返して探したのに、まともに歴史系の記述があったのはこの二冊だけ。他の本はみな難しい数式や気味の悪い生き物の図鑑や解剖図、細やかな機械の図面ばかりでした。
「『師に捧げる歴史書』って、ほんとにこれだけしか残ってないんですか? 続きの六巻目は?」
二人の少女に聞いてみれば。
「おじいちゃんがすっごい昔に処分しちゃったみたい」
「この本見せた時、何で残ってんだー! とかあたふたしてたよね」
「あたしたちから取り上げて他の巻も捨てようとしたけど、カエラが巻末の魔人の話読み上げたとたん、あなたを引き上げなきゃって話になって、うやむやになってるわ」
捨てる……ま、まあ、僕が書いたらしい本は、たしかに『トリオンの歴史書』の流麗な美しい文体と比べると、お世辞にも文才があるとはいえませんけど……なんだかちょっと複雑な気分です。
「あれ? この記述は……」
視界に一瞬覚えのある名前が目に入ったので、僕は「トリオンの歴史書」の一節をのぞきこみました。
『神聖暦7755年、楽園にて封ぜられし日々送りし時の王、白の癒やし手アイテリオンは水鏡の地の底、壮麗なる琥珀の都にて身罷られたり。
アリステル、レイスレイリ、アイテリオンの不死たる血の連なりを継ぎしは、第四代目の時の王にして白の癒やし手レクリアル。
そはアイテリオンとメイスカヤの珠のようなる美しき御子にして、天空の城に憩う天上の玲瓏なる御柱なり。
魔王フラヴィオスの異母弟である汚名も、その神々しくも聖なる真紅の涙を流す御身には、露ほどの翳りともならず……』
アイテリオン? フラヴィオス?!
白の導師様は、僕が凍結されて三百八十四年後に亡くなっている?
そしてヴィオは――魔王?!
魔王って、一体……ヴィオは何をやらかしてそんな称号を後世つけられることに?
もしかしてメキドの未来は。トルナート陛下の将来は……!
たちまち僕の心に暗雲がたちこめました。
絶望と不安の暗い翳りが。
暗い顔でてっぺんの部屋に地図帳と本を返しにいくと。
「おじいちゃん」はまだひよこと格闘していました。首を捻り、ため息をついて頭をぶるぶる。
「わかんねえ。なんでズレるんだろ。歯車の削りはみんな完璧だしなぁ」
そっと本を本棚に押し込んだにもかかわらず、どそどそと本がなだれてきたので、僕はあわてて本をきれいに整頓して並べました。やはり歴史書はありません。見事に幾何学や物理といった、およそ僕には理解できそうもない本ばかり。
あ。カイヤールの倫理学が全巻そろってる。すごい……!
僕の時代では農場が買えるぐらいとても高価だったけれど、この時代ではもっと値がはるんでしょうか。
「あ、何か落ちてますよ」
本が収納されてあらわになった床に、きらりと光る宝石のような真紅の粒がひとつ。豆粒よりもはるかに小さいそれを拾い上げると、「おじいちゃん」はひとつしかない目をきゅっとすがめて、おお! と声をあげました。
「赤鋼玉ネジ一個落っこちてたのかー!」
「おじいちゃん」は助かったぞと上機嫌に僕の肩を叩いてきて、さっそくどこのネジが抜けているのか箱庭を開いて探し始めました。
肩を叩かれたとき、きらっと彼の右手が無機質に光りました。肌色をしていますが、右手は義手のようです。
「どうだ、知りたいことはわかったか?」
「残念ながら、知りたい時代を書いた書物がありませんでした」
「ああ、歴史書ってのはみんなウソっぱちだからなぁ。トリオンのはまだマシだから、それだけ置いてる」
「おじいちゃん」は箱庭の牧場から歯車のひとつを出して、韻律を唱えながら真紅の粒を器用に細い道具で嵌め込みました。その歯車にはびっしりと、真紅や翠緑の細かい粒が嵌っていました。
「よっし。これでいいだろ。ああ、えっと、ごめんな? 俺、相当な爺ちゃんだから、当時のことはあんまり覚えてないんだ」
え? 当時?
「今から百年ぐらい前かなぁ、白の導師にして時の王アイテリオンが、突然四代目のレクリアルに喰われてぽっくり逝ったんだよね。あと最低千年は生きるだろうなぁとのんびり構えてたからびっくりだった。それでめでたく、ハッピーモフモフランドの廃墟にアイテリオンがぶっかけてた、『監視の結界』が切れたんだよ」
ハッピーモフモフランドって……、あのウサギ保護区の名前ですか?
そのネーミング、なんだか誰かを彷彿とさせるんですけど。
「これで晴れておまえをこっそり救えるってことになったんだけど、でも俺さ、超忙しかったから、明日行くか~って延ばしてるうちに、野暮用ができちゃって。それでどさくさまぎれにすっかり忘れちゃったんだわ。あははごめんごめん。やるべきことを忘れないように、俺が書いた本、ちゃんと五巻目だけ残しておいたのにな」
え?! 「おじいちゃん」が……『師に捧げる歴史書』を書いた!?
「誤字脱字だらけじゃんとか、師匠にげらげら笑われたのがトラウマになったかもなぁ。他の巻は師匠に渡して笑われた時に即効で焼却しちゃったから、俺って五巻目も記憶から消去しちゃいたかったんだろうなー。あははは」
まさか! ちょ、ちょっと待って。お、「おじいちゃん」、あなたは……あなたはもしかして――
「いやぁほんと、引き留めたいのは山々だけど、あんまり構ってやれんわ。ごめんな。今の大陸は三すくみで、俺は超忙しくってね。箱庭終わったら、この島の改造しないといけないんだよ。黒獅子の皇帝陛下は好きに使えって言ってくれてんのに、家臣どもがこの「島」を、要塞に戻してくれって泣きついてきてさー。また動かすのめんどいって言ったら、武帝トルナートの時代みたいに不動の要塞でいいですからって、ごねだしたの。なんだそりゃあだよ。それじゃ全然意味ないだろうに。でもさ、もとの移動要塞にすんのは嫌だから、移動遊園地にでもしちまおうかなって」
「おじいちゃん」、あなたは。あなたはつまり……
「帝国の家臣たち、少しはあのかわいらしい赤目の陛下の余裕っぷりを見習えって思うよ。変な杞憂ばっかりしちゃってさ。あ。そうそう、」
「おじいちゃん」は虹色に光る眼鏡をかけるや、僕のほうを向いてその縁をしきりにカシャカシャと押しました。
「へへ。記念撮影。これ十六万画素もあってすごい画質なんだ。カエラ、俺たちが並んでるところ撮って~」
「な、何ですかそれ」
「幻像記録装置だよ。小型化に成功したから、眼鏡にひっつけちゃった」
青いミニスカートのカエラが虹色眼鏡をかけるや、僕は「おじいちゃん」に肩をつかまれて横に並ばせられ、彼女に向かって笑えといわれました。
「おまえの服、ボロボロだけどまあいいや。ビフォーアフター際立つからな。はい、モフッピー♪」
「モフッピー?」
「俺が今売り出してる、ウサギより断然かわいい今年のびっくりどっきりギミックキャラ♪ こないだ帝国全国放送の幻像アニメになったんだ。ほら、一緒に言おうぜ。言ったら笑顔で映るぞ~」
ギミックキャラ? 幻像アニメ?
わ、わからない単語が続々と……。
それからしばらくカシャカシャ言う眼鏡に向かってポーズをとりまくったあと。ふと思い出したように、「おじいちゃん」は金属の部品が山積みになった卓を指さしました。
「そうそう、妖精たちに命じて倉庫から発掘させといたよ。持ってけ」
あれは……!!
思わず、僕の息が止まりました。
部品の山の上には、銀色に輝く美しい細工物がありました。
きらめく――銀の、右手が。
左右の森の景色が、びゅんびゅん過ぎていきます。
黒い鉄の獅子の背に乗る僕の頬を、勢いよく風が通り抜けていきます。
僕の前には青いミニスカートのカエラ。後ろには緑のミニスカートのテラ。
二人の少女は、僕を元の場所へ送ってくれました。霊峰のふもとにある、三つの泉がある所へ。
半日かけてそこへ行き着き、昇降装置を昇ってウサギの楽園を再び目の当たりにしたとき。塔から僕を送り出した「おじいちゃん」の言葉が僕の脳裏によみがえりました。
『とにかく過去に戻って作れ。ひたすら作れ。周囲に正体ばれないように気をつけて、みんなのために作りまくれ。いいな?』
作る。 ……何を?
その言葉の意味が分からぬまま、僕は三つの泉の前に立ちました。
服はぼろぼろのまま。魔人なので痛みはあまり感じませんが、体の傷はあまり治っていません。そんな僕の右腕に、きらきらときらめく銀の義手がはまっています。奇麗に磨かれていて新品同然です。これは僕がフィリアに作ってもらったものに間違いなく、彼女の名前の刻印がはっきりと、手首の部分に刻まれていました。義手は、僕の右腕にするりとはまってくれました。もとからそこにあったように。
『すんごい昔に運よく回収できたからさ。闇市に売り飛ばされてたんだぜ。いやぁ、高かったなー』
「真ん中の泉は時間が止まる……」
未来へ流れる時間の流れ。
過去へ流れる逆位相の時間の流れ。
それがぶつかると、真ん中に時間が止まる水溜りができる。
詳しい原理は分からないのですが、この三つの泉はそんな構造になっているのだと、「おじいちゃん」は頭を搔きながら教えてくれました。
『あー、どっちが過去に行く泉だったかなぁ?』
そこをしっかり教えて欲しかったんですけど。
『右に飛び込んだかな? 左だったかな? まあ、確率二分の一だ。間違えたら浮かび上がって、反対の泉に飛び込めばいいよ』
我ながらかなり大ざっぱで、涙がちょちょ切れそうです。
「カエラ、テラ、送ってくれてどうもありがとう。ごはんとってもおいしかったです」
二人の少女は、勘に頼って左側の泉に足をかけた僕に手を振ってくれました。
「気をつけて行ってきてね、魔人さん」
「また会いましょ」
ええ、また会えると思います。必ず。
僕は息を止め、ざぶりと青く澄んだ泉に飛び込みました。
青いオリハルコンの服を着た「おじいちゃん」の言葉を、また思い出しながら。
『作りまくれ』
※トリオンの歴史書
某黒髪の導師がライフワークとして書いているもの(現在進行形)。
レクリアルに関する記述は、親バカ全開です。




