王者たちの歌 9話 鉄の獅子
表紙が取れかけた革の本。その著者が、「アスパシオンの弟子」?
基本、導師の名前にひとつとて同じものは存在しないはず。
導師の名前は俗世間では使われることのない神聖語で、最長老によって慎重に名づけられるものです。同じ名前を使う時は師の名を継ぐことが多く、二世、三世とあとに付けられます。でもそんなケースはめったにありません。
ゆえにこのアスパシオンはわが師その人を指すに違いなく。しかもその弟子というのは、現在――いや、五百年前? には僕一人だけ。
つまり。もしわが師が7371年? 以降、弟子を一人も取らなかったのだとしたら、この本を書いたのは……
「僕自身?」
思わずめくれば、中表紙に献辞の言葉。
『我、アスパシオンの弟子は、愛するすべての者に時の神の加護を願う』
歴史書の名の通り、その本にはのっけから年表がついていました。
具体的な叙述は――なんと僕がやってきた時代よりももっと以前、7000年になる前から始まっているようです。
「あのあとメキドは、蒼鹿家はどうなったんだろ……おわっ?!」
「本はいいからこっちにきて」
双子の姉妹は目を皿のようにする僕から本をとりあげて、僕の腕をつかんでぐいぐい。
「根城に帰るのよ。あたし達の言ってること、分かる?」
ほぼ大陸共通語みたいですから、よく分かりますけど。
うわっ? いつの間にか、首に首輪が巻かれてる? 革? 金属? 材質がよくわかりません。
ほのかに青白く光っている首輪の先には、長い鎖。双子の一方が鎖を引っ張って僕を無理やり外へと出せば。
青空には、しゅんしゅんと飛び交う鳥の群れ。
いや、あれは鳥ではなくて……竜? でも生身の生き物ではなさそう。全身が金属で出来ているようです。
「カエラ気をつけて。スメルニアの鉄竜が行き交ってる」
「大丈夫よテラ。結界張ってるから」
赤毛の女の子たちは僕の首輪の鎖を引っ張り、平地を横断しました。
しかしあの、ちょっと目のやりどころに困るんですけど。この二人、ものすごく短いスカートを履いてて――
「きゃあ」
「なにずっこけてんの」
「石。石があったのっ」
うう。丸見えじゃないですか。ほんのり桜色。
「あんたどんだけお嬢様なのよ」
「お嬢様じゃないわよ。でも、お姫様なんでしょ」
「おじいちゃんはそう言ってるけどねえ」
五百年の間に廃院の廃墟化はかなり進んでいて、寺院の壁は腐食して黒ずんでおり、蒸気は全く出ていませんでした。
ですが一面草地だったこの人工の平地には、あたり一面まっ黄色の花と――
「あ……ウサギ?」
ひょこっと巣穴から顔を出す野ウサギがいました。そこにも。あそこにも。あっちにもウサギ。毛の色が茶色いので季節は夏でしょうか。
「あの? ウサギ多くないですか?」
「ああここ、ハッピーモフモフなんとかって呼ばれてたらしいわよ」
え? 『廃院』じゃなくて?
「ウサギ保護区だっけ? 大陸同盟で定められてるんだってね」
「大陸中にあるウサギ保護区のひとつよね。ほんとは人間は立ち入り禁止なの」
ぺろっと舌を出すテラという女の子。カエラとの区別は短いスカートの色でつけるといいみたいです。青がカエラ。緑がテラ。
あ。またウサギ。一体どれだけいるんでしょうか。ウサギ。ウサギ。ウサギだらけ!
『俺はウサギの理想郷を作る!』
そんなこと言ってた人が、約一名いたような。まさか、ね。
しかし僕がいなくなったあと、わが師は一体どうなったんでしょうか。
革表紙の本を読みたくてたまらない僕を、赤毛の少女達はぐいぐい平地の隅に引っ張って行きました。
はるか向こうにはファイカの首都へ繋がる道。その道端に草に埋もれた大きな看板が落ちていました。この保護区の名前を掲げていたものらしいのですが、すっかり腐食していてその字はほとんど読めませんでした。
その首都への道に出るのかと思いきや。少女達は平地の四隅にある小さな四角い建物の中に入って、壁についている宝石板をぽんぽんと押しました。すると。箱のような建物の内部がぐわりと揺らいで動き出したのです。
「うわ?! 下降してる?」
これって五百年前にファイカの役人が説明してくれた、昇降する通路? もう動かないはずなのに……動いてる?!
「あのこれ、誰か修理を?」
「燃料を入れただけよ」
え? 燃料?
この装置少しも痛んでなかったわよねと、女の子達はころころ笑いました。燃料タンクに魔力を秘めた石を入れるだけで済んだというのです。
「ほんとうちのおじいちゃんってすごいわよね。パパッと魔石作っちゃうんだから」
「ほんとなんであんな辺境で、万年子守りしてんのかわかんない。サクラコあたりに引っ越したらいいのに」
「おじいちゃんほどの技師だったらサクラコどころか、帝都に呼ばれて当然じゃない?」
え? サクラコ? それって……桃色甲冑の妃殿下の名前だったような。でもこの話しぶりからすると。
「あの、サクラコって、もしかして地名ですか?」
「そうよ」
「メキド王国の、どこかの都市ですか?」
僕は期待に目を輝かせて聞きました。英雄や賢王の名が都市の名に冠されることはよくあることです。
「メキド王国?」
しかし女の子たちはきょとんと首を傾げました。そして僕の期待を容赦なく打ち砕く答えをくれたのでした。
「ああ、緑虹州って昔、王国だったっけ?」
「そういえばそんなこと、おじいちゃんが言ってたわね」
五百年。一体何世代分の月日でしょうか。
僕にとってはまばたきする間に過ぎた時間。なのに、外では……。
確かにかの樹海王朝は二百五十年余りしか寿命が無く、戦乱をはさんで建ったその次の王朝も、二百年に届くか届かぬかで革命が起こって滅んでいます。でも、メキドが独立した王国ではなくなってるなんて。まさか僕がいなくなったあの時代に、すぐ滅んだんじゃ……。
箱がひときわ大きくずんと揺れて止まり、扉が開きました。蒼ざめる僕を少女たちは引っ張りたてて、木陰の下に葉っぱで隠されている大きな塊に近づきました。
それは――鈍い黒色に光る鉄の獅子でした。
四肢の先には鋭い刃のごとき爪。尻尾の先も尖っていて突き刺さると痛そう。細長い金属板のたてがみは美しく整っていますが、その先端はやはり針のごとし。
「獅子に三人乗れる?」
「乗れるんじゃない?」
女の子たちが鉄の獅子の背に乗ると。鉄の獅子はぐおん、と咆哮のようなものをあげ、目の部分が赤く点灯し、いきなり走り出しました。
「速い! ってうわぁああ?」
「あら。カエラ、魔人がいきなり落ちちゃったわ」
獅子は疾風のように駆けたので、僕は勢いよく後ろにすっ転げていきました。うっそうと茂る、草むらの中に。
「大丈夫よ。服従の鎖付けてるから」
青いミニスカートのカエラが快活に笑うなり。ぐい、と僕の首輪がおそろしい引力で引っ張られ。まるで伸びきったゴムがいっきに縮まるように、鉄の獅子めがけて体がすっとんでいきました。
「うぁああああ?!」
「ほら、乗って!」
一瞬天に舞い上がった僕は、獅子の背にどそりと落ちて。あまりの速さにまたすっころげたのですが。
「ぐぬううう!」
なんとか獅子の尻尾につかまり、地に滑り落ちるのをこらえました。
獅子は木立の間を器用に抜けて、ずんずん走っていきました。
まるで空を裂く風の精霊のように。
びゅんびゅん風切る獅子に乗る双子の姉妹。と、尻尾にしがみつく僕。
蒼かった空がほのかに橙色に染まるぐらい、獅子は木々の間をかけ続けました。恐ろしく速いので、相当な距離を走ったでしょう。
鉄の獅子の尻尾の先は鋭い棘になので、彼女達の根城に着くまでに僕はあちこち血まみれ。って、その前からかなり血まみれでしたけど。
まばたきする瞬間ほどしか感じなかった永久凍結。僕がとじこめられていたその泉は、本当に時間を止めてしまう力があるらしく、吊るされて石打ちされた僕の傷は少しも治っていませんでした。
一体どんな原理であの泉ができているのか。あんな狭い空間にそんなすさまじい力を持つ者がどうして収まっているのか。皆目分かりませんが、あと他の二つの泉も似たような力を持っているのでしょうか。
「あ。だからアミーケさんは隣の泉に飛び込めって?」
隣。
隣に飛び込んだら、時間が止まるのと似たような何かが起こる?
つまりそれは……
「も、戻らないと! 泉のところに」
しかしすでに時遅し。尻尾を離そうと思ったとたん獅子は根城に到着してしまい、首輪の鎖をぐいぐい引っ張られ、僕は有無を言わせず中に引っ張りこまれてしまいました。
根城は、森の中にある泥土を固めたような丈高い塔でした。つる草が一面這っており、ところどころから小さな木々や草が生えていて、まるで緑の化け物のようです。しかし中は――
「石? 金属? すごい、少しも隙間がない」
壁はびっちり光沢のあるつるつるした石が組まれ、とてもすっきりした内観。僕はえんえん、中央でとぐろを巻く螺旋階段を昇らされました。階段の周囲にはたくさん穴があいていて、そのひとつひとつは大小さまざまな部屋でした。
驚くことにどの部屋にも、短いスカートや短パンを履いた赤毛の人がたくさん。静かに糸を紡いだり、布を織ったり、縫い物をしたり。それからなにやらキンキン、シュンシュンと音を立てて、金槌で金属板を加工している子たちや、木を削っている子。彫刻をしている子……。
「な、なにこれ?」
年はバラバラっぽいけれど、みんな赤毛。そしてみんな顔がどことなくそっくり。
下はまだ歩くのもおぼつかなげな子から、上はかなり年を取ったおじさん、おばさんと言っていい年齢の人まで、塔の中にはたくさんの赤毛の人たちがいました。テラとカエラは僕を塔のてっぺんの部屋に押し込みました。
そこはかなりごちゃごちゃしており、筒型の瓶や山積みの書物や天球儀、羅針盤、地球儀といった道具、それから金属の……
「鳥?」
まるでアミーケの隠れ家の工房のように、精巧な鉄の動物たちがいました。鳥やネズミや、犬、ネコ……その部品であろう金属の破片もいっぱい散らかっています。
「おじいちゃん?」
カエラが部屋の中に声をかけると。書物の山の向こうから、ゴソゴソ音がしました。
「おじいちゃん、言いつけどおり魔人を引き上げてきたわよ」
テラが呼びましたが、返事はなく。ただモゾモゾ音がするだけ。
「おじいちゃんたら!」
カエラがずかずか部屋の奥へ入り、足の踏み場のなさそうな床をひょいひょい越えて、本の山の向こうへ行きました。
「わあ、なにこれ!」
「うーんうーん」
カエラのそばからなんだか唸り声が。テラが僕を引っ張って興味津々部屋の奥に進みました。
そばの本棚に「師に捧げる歴史書」がずらっと並んでいるので、僕は息を呑みました。
それは五冊ぐらいあって。著者名が軒並み「アスパシオンの弟子」。
これを全部僕が書いた? 信じられません……。
本に手をのばした瞬間、僕はテラにぐいっと鎖を引っ張られました。
「おじいちゃん、また何か作ってるの?」
「うーん」
本の山の向こうに、小さな瓶の前にしゃがみこんでいる人がいます。片目が悪いのか、右目に眼帯をしていて、とても長い黒髪。そして、真っ青な衣。
あれ? この衣の布……オリハルコンの布じゃ……?
「黒獅子家の皇帝陛下にお世継ぎが生まれたんで、ご出産祝いを作ってるんだけどさー」
「注文品?」
「うんにゃ、俺個人から。お中元のお返しにって思ってさ。こないだ、貴重な緑髄を貰っちゃったんだ。あそこの一族は気前がいいのよ」
青い衣の人は瓶の前で首を傾げました。とても「おじいさん」には見えないほど若々しい青年です。
「なんか微調整うまくいかねえ。ひよこがでてくんのがコンマ一秒遅いのよ」
ドーム型の瓶の中には、精巧な作り物の牧場の箱庭がありました。キラキラ輝く緑や土色の金属。牧草地を模したその台にかわいらしい農家の家の模型が建っていて、オルゴールのような音楽と共にその扉から次々と、鉄製のかわいらしい牛や豚やめんどりが飛び出してくるのです。その動物達が牧草地を模した舞台に走ってくると、モーと鳴いたりぶうぶう鳴いたり、ぴちぴち歌ったり。
そして、めんどりは……
「あ、卵生んだ!」「この卵割れるの?」
「毎時00分にこれが始まって、三分劇場かます仕掛け時計なんだけどさ」
なるほど、ドーム型の瓶の下の台座には金の象嵌を施した美しい時計がついています。
「あ、卵割れた! ひよこ出た!」「かわいーい!」
少女達が手を打ちたたくそばで、青い衣の「おじいちゃん」はがっくり頭を垂れました。
「やっぱタイミングずれてるわ。もしかして下の時計部分から作り直しかよー」
「ええー、大丈夫だよおじいちゃん」「遅れてるなんて全然感じないよ」
「いやいや、技師のはしくれたるもの、妥協はしちゃいかんのよ」
すごい仕掛けです。すごいですけど……
「あの」
僕は思わず言ってしまいました。
「なんでウサギは出てこないんですか?」
「ウサギ?」
青い衣の「おじいちゃん」ははたと一瞬体を硬直させ。次の瞬間、
「ウサギうぜええええ!」
頭を抱えて悲壮な声を吐きだすと。
「あー、もう! バカでアホで頭おかしい俺の師匠思い出しちゃっただろ。だれだよウサギなんて言った奴は。って……あ?」
そこで初めてようやく。「おじいちゃん」は僕に気づきました。
「あれ? 君……」
「あ、おじいちゃん、依頼通りに魔人を引き揚げてきたわよ」
テラがずいっと鎖を引っ張って僕を「おじいちゃん」の前に押し出しました。
「破壊の目の魔人ぺぺってこれでしょ」
「あー、まだ破壊の目じゃないよ。ていうか、魔人引き上げろって頼んだっけ?」
「言ったでしょ、昨日! あたしがこの本読んで興味津々質問し出したらさ、」
カエラはぶんぶんと古ぼけた革表紙の本を振りました。
「あ! 忘れてた! とかいきなり叫んで、魔人を引き上げてきてってあたし達に頼んだじゃない」
「あー、そうだったっけか」
「おじいちゃん」はボリボリ頭を搔き、僕をちらっと一瞥しただけでドーム型の瓶の蓋を外しました。
「今忙しいからさー、ちょっと待ってて。ひよこ直さないと~」
「ま、待てません!」
僕は反射的に叫びました。
「聞きたいことがたくさんあるんです! メキドはどんな歴史を歩んできたんですか? 大陸は今どうなってるんですか? 教えてくださいっ」
「本、読んだらいいんじゃね?」
「おじいちゃん」は親指でひょいと後ろを指差しました。視線は、眼の前の細工物に集中したままで。
「では失礼して、情報収集させていただきます!」
やっと少女達の「主人」?からお墨付きをもらった僕は、遠慮なく本の山に飛びつきました。
歯を食いしばり。何を見ても冷静でいようと、覚悟を決めながら。




