王者たちの歌 8話 処刑
まさか大陸同盟を引っ張り出してしまうなんて……。
つまり僕は中立国のファイカではなく、大陸同盟の身柄預かりとなり、国際裁判を受けることになったということです。
メキド人との接触はこれから固く禁じられることでしょう。
僕が放り込まれた所は、ファイカの議事堂の地下牢でした。
轡を嵌められ、手足を縛られ、ほとんど身動きできない状態。
しかもフィリアが作ってくれた銀の右手は、取り上げられてしまっていました。
今回の事件の、凶器として――。
ああ……なぜ僕は、まるでメキドを滅ぼすようなことをしてしまったのでしょうか。まさか人殺しをしでかすなんて。しかも相手が、蒼鹿家の要人だなんて。
「もうひとりの僕」がしたことは、万死に値する行為です。
被害国である蒼鹿家は、ありとあらゆる形での謝罪と賠償をメキドに求めてくるはず。その要求をすべて呑んだとしても、今回の事件は、「メキドの凶行」として大陸中に流布されるでしょう。
先のエティア王太子暗殺未遂事件に加えての、さらなる今回の不祥事ときては――さすがに博覧市の協賛を見送る国が現れるに違いなく。せっかく結んだ同盟をも、破棄される恐れがあるじゃないですか……。
トルナート陛下とサクラコ妃殿下が。メキドの人々が。国を栄えさせようと必死にがんばっているのに。なのに、僕がそれを台無しにしてしまうなんて!
僕は思わず、自分の舌を噛み切って自死をはかりました。けれどもメニスの魔人の体は、「死ぬこと」を許してくれませんでした。
僕はただ、悔恨の涙を流すことしかできませんでした。
ただだらだらと、口の隙間から血をあふれさせながら。なす術もなく。
体感で丸一日ぐらい経ったころ。ファイカの役人がやってきて、僕が率いる交渉団は全員、蒼鹿家の訴えによって部屋に軟禁されたと伝えてきました。
大陸同盟のれきれきたる面々と、メキドと蒼鹿家双方の宰相が、このファイカに集って協議を始めたということも。
心優しいトルのこと。僕を切り捨てられずに、ひょっとして助けてくれようとするかも――一瞬よぎったその懸念は、幸い杞憂に終わりました。
というのも。
「嘆かわしいことだ、我がしもべよ。おまえはメキドの第一将軍の任を解かれたぞ」
なんと意外にも、灰色のアミーケがこの牢部屋の前にやって来て、扉ごしにそう伝えてきたからでした。灰色の導師は魔人である僕の主人として裁かれるべく、大陸同盟に召喚されたとぼやいてきました。メキドの温泉地で護送車に押し込まれた、と。
「ファイカの国主に賄賂を積んで、しばしおまえとの面会時間を作ってもらった。まったく、とんだバカンスだな。よもやビングロンムシューの観光地まで、咎人として運ばれるとは」
アミーケの口から「更迭」を聞かされたとき、正直僕はホッとしました。
トルは、絶対そうしなければならないのです。メキドが生き残るためには、僕ひとりに罪を着せなければなりません。
「事件が起こって即座に、蒼鹿家がメキド政府を訴えてきた。おまえが事件を起こすのを手ぐすね引いて待っていたかのような電撃ぶりだったぞ。おまえと交渉団への酌量なき処分、被害者家族への莫大な賠償金請求。怒り心頭の蒼鹿家はそれだけでは足らぬと、コルとロル両名の即時引き渡しを要求している。そればかりではなく、トルナート陛下とエリシア姫、姉弟二人での共同統治を強く求めている。姫の帰郷は白紙に戻し、その御身を蒼鹿家預かりのままで統治権を与えろと、この上なく強気の姿勢だ。調停は、ことのほか荒れるだろうな」
ああああ……やはり。ここぞとばかりに要求の嵐じゃないですか。
でもアミーケの言葉には、なんだか含みがありました。まるで僕が事件を起こすことを蒼鹿家があらかじめ知っていたような言い様です。
「当然、加害国のメキドは強く出ることはできぬ。第三者の審問機関である理事国大使たちは、被害国である蒼鹿家の請求を全面的に支持するだろうよ。開戦を食い止められれば、御の字といったところだ。しかしまったく……まんまと白の導師にはめられたものだな。我がしもべよ」
轡をされて返事が出来ない僕でしたが。驚愕の唸り声が漏れました。
え?! はめ……られた?!
「白の導師が陛下を説得して、おまえひとりに罪を被せて切り捨てることを承諾させた。そして勝手におまえの後任にヴィオを据えたぞ。あの化け物はアスパシオンが送り込んだ庭園のウサギを衛兵にして、王宮でやりたい放題。我が物顔だそうだ」
そ、それは僕がとんでもない失態を演じたからでは……?
「哀れなしもべよ。おまえのそばに、白い蝶がいなかったか?」
あ……! いました。温泉に入った時、見ました。あれはもしかして、白の導師様のお力?
もしかして、あの蝶は僕に何か影響を与えるものだった?
「白の導師が来てから、我が妻ルーセルフラウレンは無力にされ、弟弟子のアスパシオンは様子がおかしくなった。おまえも何かされたとしか思えぬ。何か変なことが起きていなかったか?」
ま……まさか。そんな!
もう一人の僕がおかしくなったのは、白の導師様のせいだと?
いや、そもそももう一人の僕という存在が出てきたこと自体、あの方と関係がある?
「轡をされて答えられぬか。だが扉越しに聞こえてくるその荒い息遣いで、反応がわかる。身に覚えがあるようだな」
でも。でも! まさか白の導師様は、味方じゃないなんて?!
そんなばかな! あんなに清らかで穏やかな人が……
「ふん。おまえは今、そんなはずはない、あの人はそんな人ではないと心中で必死に否定しているな? それがあの白い導師のやり方だ。あれは正義と慈悲をかざして、すべてを懐柔して取り込んでは駆逐していくんだ」
心の内の思考を読まれてどきりとする僕に、灰色の導師は恐ろしいことを告げました。
「我がしもべよ。メニスの王はな、おのれの魔人だけではなく、他のメニスの魔人も自在に操ることができるのだ。おまえがしごくまともだったゆえ、手を出されていないと思っていたが……違ったようだな。白の導師がここまでしてくるとは、メキドの復興を邪魔したい輩が、奴と組んだのやもしれぬ」
その時の僕には、アミーケに言われたことがとても信じられませんでした。
白の導師様が、あの柔らかな微笑でメキドを貶めようとしているなんて。
かの方が組んだ相手はまさしく蒼鹿家だとでも言いたげに、アミーケは鼻を鳴らしました。
「哀れなしもべよ。おそらく裁判の後、私は水鏡の寺院へ護送され、かの地で封印されることだろう。フィリアをあの白い親子に人質にとられていては、その処分に甘んじるしか今のところ手はない。土台、あの白の導師にまっこうから抗っても無駄だ。正攻法では絶対勝てぬ。我が妻ルーセルフラウレンとおまえの師とて、普通にやってあれを負かすことはできぬだろう。だから……」
深いため息が扉の向こうから聞こえました。
「おまえはしばし安らかに眠っていろ。本音を言えば、私はいずれおまえを永久に封じてやるつもりでいた。ゆえにこたびの処罰は、私にとっては願ったりかなったりだからな」
あ……そうですよね。僕はこの人にとても嫌われてますから。こんな風に言われるのは当然――
「おまえは、私の伏兵としてこの地に置いていく」
え? 伏兵?
灰色の導師の言葉に、僕は首を傾げました。一体何を言っているのかと。
「おまえは不死身。決して死なぬ。そんなメニスの魔人は、永遠に凍結封印されることになっている。だから、しばしおまえを救う奴が現れるのを待っていろ。もし運よく凍結から目覚めた暁には、隣の泉に飛び込んでやるべきことを成せ。いいな」
え? 隣の泉? 泉……って?
――「灰色の方、時間です。被告人の扉から離れてください」
ファイカの役人が扉の前に来て催促しました。灰色の導師は今一度僕に言い含めて、扉の前から連れ去られていきました。
「いいな、元を断て。そして奴に気づかれぬよう周到に網を張れ。我がしもべよ」
泉?
泉とは一体?
それよりも、僕を救ってくれる人なんているのでしょうか。こんな大失敗をかました僕を、許してやろうなんていう奇特な人なんて。
あのおかしい我が師でさえ、呆れ返っているんじゃ?
だから、影も形もなくだんまりなんじゃ? それとも白の導師に完全におかしくされた?
たしかにウサギを与えられてからというもの、我が師はおよそ尋常ではありませんでしたけど……。
白の導師のあの清らかな気を思うと、いまだに信じられません。
まさか本当に白の導師は、蒼鹿家と繋がっているのでしょうか。
わからない。わからない……。
灰色のアミーケが訪れてから三日もしないうちに、判決が下りました。
役人が僕の牢部屋に入ってきて、判決文を読んだことでここに入れられていた日数が分かりました。
その日は、もう一人の僕が事件を起こしてから二週間後のことでした。
それまでパンの一切れも与えられずただ転がされていた僕は、やせおとろえていましたが、まだしっかり生きていました。
どんなに飢えようが僕は魔人。決して死ねないのです。たとえこの体が腐り落ちても。
判決は、むろん有罪でした。
申し開きも弁護もつけられないどころか、審議の場にいることすら、「危険な」僕には許されない裁判でした。
アミーケの予想通り、魔人の僕はこの地で凍結され、永遠に封印されることになり。アミーケ自身も、水鏡の寺院へ送還処分になりました。
副官のホニバさん始めとするメキドの交渉団は、僕とは無関係だというセバスちゃんの訴えが何とか通り、一年間メキドから追放されるだけで済みました。
判決を知らせにきた役人は、そのまますぐに僕を牢から引き出しました。ただちに処刑を、という蒼鹿家の意向が汲まれたからでした。
凍結処刑される前に丸三日、僕はファイカの議事堂前の広場でさらされました。
両手両足を縛られ、丈高い円柱から吊り下げられた僕を、蒼鹿家に命じられた者どもが日に三回ほど、石を投げて痛めつけました。
セバスちゃんを始めとするメキド人はすべて、僕に近づくことを禁じられ、議事堂の窓から、痛ましい泣き顔で僕を眺めることしかできませんでした。
こんな僕のために泣いてくれるなんて……
申し訳なさと絶望とで、僕も涙が止まりませんでした。
涙と、体から流れる大量の血が、円柱の下にたまっていきました。
オリハルコンの服を着ていたので、猛烈な痛みが体を襲ってきましたが、頭がかち割れていても僕は死ぬことができませんでした。
情けない声を出したら、蒼鹿家の人たちをさらにあおってしまいます。
だから僕は必死に呻き声を出すのをこらえました。
三日目の夜ふけ。
ひと気のない広場に、息を潜めてこっそりと、僕に近づく者がありました。
それはなんと――僕がさらおうとした、蒼鹿家の「エリシア姫」その人でした。
「あの。メキドの方。あなたに、謝罪しなければならないことが……あります」
人目を盗んで忍んできたのでしょう。黒いマントを羽織りちぢこまって震えるその姿は、今にも闇の中に消え入りそうでした。
「あの、実は私は……エリシア王女殿下の侍女でした。姫様がトルナート陛下を逃がし、革命軍に斬られた時、私は瀕死の姫様の御身を抱えて必死に国外へ逃げたのです。でも、国境を越えて身を寄せたとある小国で、姫様はあえなくお亡くなりに……。でもその後、その小国の王は、当時交易問題で争っていた蒼鹿家に私を売ったのです。『メキドの姫』として……」
柱の下にたまっている血だまりに、ぽろぽろと「姫」の涙がこぼれ落ちました。
「だから私は本物の姫ではないのです。このことがばれたら、私を売ったあの国は、蒼鹿家に滅ぼされてしまいます。だから私は、今までずっとエリシアとして生きてきました。だって私を売ったその国は……」
姫の声は涙に埋もれて、途切れ途切れでした。
「私の故郷なのです……私はどうしても、守りたかったんです……そこに住む、両親を」
だから自分もあなたと同じ罪人なのだと、「姫」はしばらく僕の下で泣き続けました。おのが正体を蒼鹿家にばらしていれば、あなたはこんな罪を犯さずに済んだのだと。
「こんな私を、あなたは守ると。絶対守るといってくださって……とても、とても、自分が悪者に思えます。だから、私は遺書を書いて、ファイカの国主さまのもとへお届けしてきました。これから私は、人知れぬところで命を絶って――」
しかし。嘆く「姫」の言葉は途中で途切れました。
「きゃあ!」
広場の奥から僕に石を投げた蒼鹿家の男たちがわらわらと出てきて、彼女をあっという間に拘束したのです。彼らは密かにこの広場を監視していたのでした。
「死なせてください!」
懇願する「姫」を、男たちは丁重に、しかし断固とした態度で連れ去っていきました。
蒼鹿家の者たちの手によって、国主への遺書は取り下げられるのでしょうか。
彼らは事実を葬り去ってメキドの王権を半分手に入れるつもりなのでしょうか。
せめて今の姫の言葉を、セバスちゃんに聞かせることができていたら……
連れ去られる「姫」が残した悲痛な叫びが、広場にこだましました。
「お願いします! 私を死なせてください!」
それは。僕も今、一番叫びたい言葉でした。
切に、心から願う言葉でした。
『死なせてください!』
夜が明けて。ついに、僕の処刑が行われました。
場所は、噴煙の寺院跡の地下でした。
そこにはしゅうしゅうと蒸気が吹き出る人工熱泉が、ずらりと並んでいました。かつて金属を洗ったり溶かしたりするためのものだったようです。
僕はその最も奥の間に並んでいる、静謐な三つの泉の前に引っ立てられました。
ファイカの国主、蒼鹿家の宰相、メキドの宰相セバスちゃん、それから理事国大使たち。彼らが見守る中で、僕は罪状を読み上げられたあとただちに、拘束された姿のまま、蒼く澄んだまんなかの泉に突き落とされました。
どぶん、
と重い水音がして。冷たい泉の水が全身を包み込んだ瞬間――
冷たい水がまとわりついてきて。
それから――
「……生きてる?」
「生きてるみたい。あ、目を開けた。うわ、右目真っ赤」
まばたきした刹那。体がぐいと引き上げられる感覚がして。
「これが、魔人?」
目を開けると。
僕は真ん中の泉の前に寝かされていて、同じ顔をした赤毛の女の子二人にのぞき込まれていました。
あ……れ?
ここは地下のはずなのに。暗い天井に覆われているはずなのに。
蒼い空が、見える?
赤毛の女の子たちは、僕の眼の前でおでこを合わせて一冊の古い書物を広げて、僕と本を交互に見比べていました。
「すっごーい! 『師に捧ぐ歴史書』に書いてある通りよね。ほら、ここ。第五十五章。『神聖暦7371年、かくして不死身の魔人ペペは、噴煙の寺院跡地の時の泉に封印された』って」
え? 時の、泉?
「さあさ、こいつにさっさと服従の印を施しちゃいましょ。これからばんばん働いてもらわないとね」
「でもこれ、なんだか普通の男の子っぽいよね? 引き上げた時は、もっと大きい獣みたいに見えたのに。ほんとに不死身? ダイジョウブかな?なんか弱そう~」
二人とも、蒼い瞳がきれいな、かわいい女の子。
どことなく、二人のエリシア姫に似ているような? って、ああもう! ここまできても、赤毛の子に反応してしまうなんて。
いやそれよりも。
「あの」
轡を外してもらった僕は。ごくりと息を呑んで、開口一番尋ねました。
「あの。今……何年ですか?」
嫌な予感は、当たっていました。双子の女の子たちは、口を揃えて答えてくれたのです。
無常な年号を。
「7871年よ!」「7871年ね!」
彼女たちが古い書物を広げて言っていた年号は。僕? が泉に落とされたという年号は、たしか……7371年……。
泉の中に入っている間の時間をちっとも感じないなんて……
まさか、「凍結」の意味って!
つまりこの泉の中では、「時間が止まっている」?!
というか。 女の子たちが持っている本って、一体?!
「それ、貸してっ!」
僕は目を見開いて、女の子達からぼろぼろの本を引ったくりました。
とれかけた革表紙に刻印された題字を見たとたん。全身がぶわっと粟立ちました。半ば禿げていましたが、かろうじて判読できます。
穴があくかと思うほど、僕はその金色の文字を眺めました。
しゅんしゅんと赤い瞳で拡大と縮小を繰り返して、読みました。
何度も。
何度も。
抜けた天井から差し込む光に照らされて、きら、と光るその文字を――。
『historical libro V
Dedicate Ad magister
Discipulus Aspasionis』
(師に捧ぐ歴史書 第五巻 著:アスパシオンの弟子)




