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アスパシオンの弟子(コンリ版)  作者: 深海
王者たちの歌
65/104

王者たちの歌 7話 暴走

 ふしゅううう

 

 ものすごい音をたてて雨空に立ちのぼる、巨大な間欠泉。

 湯けむりの中で、おお、と感嘆の声をあげる裸の僕。

 と、裸の巨人のおじさんたち。

 

 ふしゅううう

 

 数分に一回、温泉のそばの泉から熱い水柱がたちのぼります。あっちもこっちも、水柱をあげる熱泉だらけ。

 しかし温泉って、本当に気持ちがいいものです。初めて入りましたけど、兄弟子様がしきりに入りたがってた理由が分かります。


「将軍閣下、ここは硫黄泉ですよ。タマゴの腐ったような匂いがするのはそのせいです」


 今回の使節団の副団長で僕の近衛隊長で巨人のホニバさんが、むきむきの胸板を湯に沈めながら僕に教えてくれました。ニコニコしてとても感じのよい人です。


「慢性皮膚病、慢性婦人病、切り傷、糖尿病、高血圧症、動脈硬化症に効く湯です」

「ホニバさん、すごく物知りですね」

「我々ケイドーンの傭兵は、大陸中の温泉地を知っております。傷や病などを癒すためによく利用しますので」


 からっと笑うムキムキのホニバさん。その腕、僕の腕の何倍あるんでしょうか。いっしょに泉に入ってる裸の巨人たちの筋肉もみんなすごいです。

 って、なぜ僕が巨人さんたちと裸のお付き合いをしているかというと。

 ここが蒼鹿家との交渉場所、永世中立国ファイカの首都ファスの湯治場だからです。

 見上げれば、空に広がる暗い色の雲。

 やっと、空が晴れてくれました。やっと――。

 




 僕らメキドの使節団は、政府所有の飛行船に乗って霊峰ビングロンムシューのふもとの小さな飛行場に降り立ち、二時間ほど行軍して首都のファスへ入りました。

 飛行船は大貴族ノイエチェルリ家のもの。政府専用機として三隻供出されたうちの一隻です。大貴族たちが恭順したことで、僕らの宮廷は軍事力だけではなく様々な面で潤いました。

 馬や馬車、事務用の調度品。宮廷直属の楽団や舞踊団。見事な宮廷料理を提供する料理人たち――。

 大貴族の専横を懸念していた僕らですが、今のところはいいことづくめ。

 そんなに心配するほどのことではなかったのかも……なんてふと思ったり。なにしろ飛行船の内装がキンキラキンでものすごくて、それは豪華な船旅だったからです。

 ダゴ馬に乗る僕が率いたのは、ケイドーンの巨人近衛兵三十名と護送車、それから文官数人からなる小軍団。一騎当千と言われる巨人兵を三十人もくれるなんて、トルには感謝の言葉しかありません。破格の護衛体制です。


「第一将軍閣下、土砂すべりにご注意ください」


 副官のホニバさんは、道中周囲に鋭く目を向けていました。彼は妃殿下の懐刀であるセバスちゃんの従兄弟で、武官だけでなく文官としての技量も持つ万能タイプ。頼りになる人です。

 夏真っ盛りの霊峰ビングロンムシューは、すなわち雨季の真っ只中。ざんざん降りの雨のせいで、首都までの山道はひどいものでした。

 黒塗りの護送車には、風送り隊の二人――ロルとコルが乗せられていました。

 韻律使いである二人は、口に魔封じのくつわと手錠を嵌められて、韻律を使えない状態。印を結ぶ右手が使えなければ、韻律を発動することは不可能。食事のために轡を外しても大丈夫、というわけです。

 牢獄にいたものの、二人はトルの思し召しで拷問などは一切与えられていませんでした。トルはまこと優しい王者なのだと、キズ一つない彼らを見た僕は、改めて感じ入ったのでした。

 ぐしょ濡れになりながら最警戒で進んだ僕らがもっとも恐れたのは、土砂崩れではなく奇襲でした。

 こんな状況で横から攻められたらたまったものではない、と思っていたところに前方から武装した一団がやって来たので、すわ蒼鹿家の攻撃かと、僕らの間には緊張が走りました。

 しかしその一団は、ファスの青年たちで構成された警備団でした。雨季になると山道が土砂すべりで埋まらぬよう、定期的に見回っているのだとか。

 見れば確かに山道のそばの山肌には、かつての崩落の跡がそこここにみられました。木々が無くて、すっかりはげているのでした。

 永世中立国であるファイカは人口五万ほどの小国。大国の地方都市ぐらいの規模しかありません。

 霊峰のふもとにある首都は大陸屈指の湯治場で観光地であり、民のほとんどはそこで暮らしています。警備団の面々はみな首都住まいの二十代から三十代の青年たちで、団長はまだ二十代前半の青年でした。


「『神の椅子』という別名を持つこの山は、時々ひどくお怒りになります。メキドの方々、くれぐれもお気をつけて」


 標高四万三千フィート。大陸最高峰の神山を誇らしげに見上げる青年の視線の先は――暗い雨雲にすっかり隠れていました。

 こうして細心の注意を払いつつ行軍を続けた僕らメキドの一団は、まだほんのふもと、三千フィートの標高地点にある首都に入るや。ふしゅふしゅ吹き上がるいくつもの間欠泉に迎えられたのでした。

 さすが大陸一の温泉場。間欠泉は、雨の勢いもなんのそのの豪快さ。

 街のいたるところで立ちのぼる熱泉のおかげで、街はまっ白な水蒸気に覆われていて。熱泉を囲むように、古代様式の円柱が並ぶ建物がずらりと建っていました。街路は一面大理石で色とりどりの紋様が描かれており、なんと美しい街並みかと、僕らは感嘆の声をあげるばかりでした。

 ひときわ丈高い間欠泉が立ちのぼる中央広場でファイカの役人たちに迎えられた僕らは、議事堂で国主に謁見。続いて役人の案内で迎賓館へ――。

 あてがわれた部屋で濡れそぼったマントをおろすなり、役人がさっそく伝えてきました。蒼鹿家の使節団は、すでに到着していると。

『相手方は蒼鹿荘ヴィラ・アリンシーニンと呼ばれる屋敷に滞在している』と聞くや、副官のホニバさんはうらやましげなため息をつきました。


「さすが蒼鹿家、この地に私邸をお持ちなのですね。大陸屈指の有名な観光地で、何度も大陸同盟会議が開かれてますから、名だたる王家はみな私有のお屋敷をお持ちと聞きましたが」

「実質、大使館ですよね。メキドの王家も、いつかここに私邸を持てるといいなぁ」 

「今回は、両陛下へのおみやげに霊水を持って帰ってはいかがでしょう?」 

「そうですね。霊峰ビングロンムシューの温泉水は、長寿の妙薬ともいわれる薬湯ですから」


 しかし家の格の違いを見せ付けられることになろうとは。

 金獅子家に誹謗中傷されているとはいえ、蒼鹿家は千年以上の血統を誇るもと王家。樹海王朝の直系ではないトルの家は、百年に届くかどうか。

 実際のところ蒼鹿家にとっては、トルの家は年端も行かない新参者です。対等に話し合いをしてくれるでしょうか……。

 こうしてその晩、僕らはロルとコルを入れた部屋に厳重に見張りを立て、目の前の温泉に入ったのです。

 が。

 が……。


「あの、ホニバさん」

「はい」

「すぐそこにいる人って、その……」

「ああ、女の方ですねえ」


 ホニバさん。余裕。

 って! な、な、な、なんで?!


「温泉には、混浴場というものがありまして。特にこのファスの浴場はみんなそうですねえ」


 ホニバさん。超余裕。

 うわあ。温泉って、すごい。でもよく見たら、年配の人ばかり、かな?

 あ……あそこに赤毛の女の人が……。

 どきりとした僕の右目が、音を立てて収縮しました。思わず拡大してしまいましたが、ふりむきざま皺くちゃのおばあさんの貌が見えたので、僕は安堵とも落胆ともいえぬ複雑なため息をもらしてしまいました。

 ああ、赤い髪に反応するなんて。こんな調子で交渉の時、まともに姫の顔を見られるんでしょうか……。


「おや?」 


 ホニバさんがほう、と声をあげて僕の背後に目を向けました。


「将軍閣下。蛍ですかね?」


 面映くてずぶずぶ湯に沈んでいた僕が振り向くと。

 小さくて白く輝く玉のようなものがすぐそばを飛んでいました。

 ちりちりとその玉から細かい光の粒が落ちています。これは……蛍ではなくて……

 

 蝶々?

 

 兄弟子様を襲ったあの白い蝶々にそっくり?

 僕は首をかしげながら、蝶が温泉を横切って姿を消すのを見送りました。

 あれは、白の導師様のもの? それとも、普通にこの地方の生き物?

 わからぬままにその夜を迎賓館の客室で過ごした僕は、奇妙な夢を見たのでした。

 自分が――なぜか灰色の衣を着ている夢を。





 北の辺境のフィリアの家で、一度着たことのある灰色の衣。

 なぜそれを身にまとう夢など見たのかというと、それは――。

 翌朝、僕らメキドの一団は、ロルとコルを迎賓館の部屋に置いたまま、交渉場所へ赴きました。

 そこは都の外れの、山腹にせり出している平地にあり、ふしゅふしゅと屋根のあちこちから蒸気が噴出している建物で、「廃院」と呼ばれていました。

 壁や柱は首都にある石造りの建物とは全く違います。金属のようなのですが、

壁や柱が草で編んだかのように流麗な模様を形作っています。

 案内役のファスの高官は、ここが「噴煙の寺院」の跡地であると説明してくれました。

 そう。ここはすなわち。


「灰色の導師の寺院……アミーケさんがいたところか」 


 たぶんこの寺院を意識したから、夢を見たのでしょう。

 灰色の衣をまとって、アミーケさんのように拡大鏡をつけて何か細かいものを作っている僕。夢なので、何を作っているのかまでは分かりませんでしたが。その周囲にはいろんな金属の板が山積みになっていました。

 さもあらん。

 この霊峰ビングロンムシューには、超合金の材料となる特殊な鉱石の鉱道があります。世界一硬いといわれるその鉱石を鋳金する施設が、この噴煙の寺院の起源であったそうです。

 せり出した平地は、なんと灰色の導師たちによって作られた人工の台地で、山すそに向かって刺さっている幾本もの太い柱によって支えられているのです。

 魔力より技術工学に長けていた灰色の導師たちの技は、およそ不可能などないレベルにまで達していました。神獣を生み出したことはその最たるもの。何千フィートもある金属製の大柱など、彼らにとってはしごく簡単なことだったでしょうが、現代の人間が建造するのはおよそ無理でしょう。


「ふもとと寺院をあっという間に行き来できる装置が、柱の中に内臓されているんですよ」


 平地に入ると、高官が四方に立つ小屋のようなものを指さしながら言いました。


「あれがその装置の出入り口でしたけれど、今は全然稼動いたしません」


 今の世に。灰色の導師はほとんど存在しません。

 統一王国の時代に遺物封印法ができて以来、この寺院は徐々に廃れていきました。灰色の技と呼ばれる超技術を継承する者がいなくなったからです。

 大陸憲章で定められた、「危険なものはすべて黒の寺院に」という古代技術の封印法のせいです。

 灰色の導師の超技術の技は、ことごとくこの法律の規制対象となったのです。

 これは一説によれば、黒の導師たちが灰色の導師たちの台頭を抑えるために画策したことだと言われています。そのような時流の中で、灰色の導師たちはなかなか後継者を得ることができなかったのです。

 白き技を伝える水鏡の寺院。

 黒き技を伝える岩窟の寺院。

 灰の技を伝える噴煙の寺院。

 灰の寺院が廃れ始めたとき、黒の寺院は本拠地を放棄した灰色の導師たちを受け入れました。水鏡の寺院がメニスだけに技を継承したいと人間を排斥し始めたときは、追い出された白の導師たちを受け入れました。

 それゆえ岩窟の寺院だけは一時期三色の衣の導師がすべてそろっていた時代があったのですが、衣の色が違う導師たちは互いに大変仲が悪く、常に争い合っていたようです。それはとりもなおさず、導師たちが永年培ってきた他色の衣への敵意があったからでした。

 白の導師様が思わず黒い衣に反応して兄弟子様を攻撃してしまったのも、その大昔からの互いの反目があるゆえだったのでしょう――。


「わあ……!」


 蒼鹿家の交渉団が待つ「廃院」の中へ入るなり。金属の網目美しい壁が一瞬リ……ンと鳴り響いて、天井がきらきら輝き出しました。

 天井に浮かび上がる、息を呑むほど美しい流線型の模様。照明ひとつとってもえもいわれぬ技術に僕らは舌を巻きました。

 院の内部は大きな十字の形に作られており、交差点となる中央の広間に相手方の交渉団が待ち構えていました。

 数十人の紺地の長衣を着た人々。その頭髪は、ほとんどがまばゆい金髪で碧眼。

 その中に。


「あ……エリシア……?」


 いました。あの過去の記憶の中の赤毛の姫とそっくりなその人が。


「エリシア姫?」

 

 しゅん、と僕の右目が音を立て、その人の顔をいきなり拡大しました。

 やはり瓜二つ。真っ赤な髪。蒼い瞳。緑色の北方風のドレスがとてもよく似合っています。夏物なのか袖も裾も短く提灯のように膨らんでいて、すとんと筒状の透けた絹地が腕と足を覆っています。

 息を呑むほど美しい衣装。でも。なんて、蒼白い貌……。

 蒼鹿家の使者と言葉を交わそうと、僕がついと前に進むと。


――「ごきげんよう、メキドの方々。こちらは我ら蒼鹿の一族の真摯なる誠意を込めてここに姫君をお連れしたのだが。そちらは、我らが蒼鹿家の殿下お二人を、囚人のごとくどこぞの部屋に閉じ込めているのか? ロルナリス殿下とコルティノス殿下は、ご健在であらせられるか?」


 金の髪の使節団長がサッと僕のまん前に来て、姫の姿を隠しました。

 でも僕には、見えました。金髪の男たちが彼女が逃げぬよう、両肩をぎっちり掴むのを……。

 背の高い蒼鹿家の団長は、冷徹な声を叩きつけてきました。

 僕を見下ろしながら。いや、明らかに見下しながら。


「メキドの方々。交渉は、まず二人の殿下をここに連れて来ていただいてからにしていただこう――」  

    

 



 雨が。ざんざんと降っています。また雨が降り出してきたようです。 

 どるるっ、どるるっ、とダゴ馬が山道を駆け下りています。

 手綱を持つ僕が片手に抱いているのは――緑のドレスを着た女の人。

 

 あ……れ? 僕、いつの間に。

 

 なんで彼女を馬に乗せて、ひとりで逃げるように山道を?

 ええと……何が、起こったのだっけ?


「あ、あの」


 緑のドレスの女の人が、ひどくうろたえていて。震えながらこちらを振り向いて。


「下ろして下さい。私は、違います。メキド人ですけど、姫様じゃ……」


 え……ドレスに血がついてる?

 どこか怪我を?! いやこれは、返り血? 一体だれの?!

 うわ! 僕の青いオリハルコンの服にもいっぱい血が?!


「将軍閣下ぁああ――!!」


 ホニバさん? うわ、すごい。凄まじい勢いで走ってきて、ダゴ馬に追いついてる……。


「なんということを!!」


 え?


「使節団を韻律でなぎ倒すなんて! むちゃくちゃです!」


 ……え?! な……にそれ?!

 刺すような雨に打たれる僕は、茫然と馬を止めました。


「相手方の団長は即死です! 先方の使節団の半数が重傷を負い、蒼鹿家の一団は由々しき犯罪行為として我々を非難しています!」

「ちょ、ちょっと待って。なんで僕が使節の人たちを」

「かまいたちでいきなり切り刻んだじゃないですか!」


 え……? う……そ?! 


 そのとき。血の気が引いて蒼ざめる僕の肩先を、フッと白い光が横切っていきました。

 白い蝶々がひらひらと――。

 きらめく光を見たとたん、僕はハッとおそろしい推測に思い至ってわななきました。

 もしかして。もしかして。


「別人の僕」が……出てきた?!


「そんな! 僕には何も覚えが!」


 刹那。僕の叫びは恐ろしい轟音でかき消されました。

 ざんざん降りの雨にまぎれて、一瞬それが何か分からないぐらいの低音が僕らを包み。山道が震え。ホニバさんが、目を見開きました。


「将軍閣下! 山が!」

「土砂崩れ?!」


 山が、唸っていました。

 緑のドレスの姫が悲鳴をあげると同時に、僕はダゴ馬の馬首をぐるりと回し。土の波が押し寄せてくる中を、必死に必死に駆け抜けました。


「呑まれる!」


 馬の後ろ足が土砂に引っかかってもんどり打つや、僕は緑のドレスの姫を抱えて道に転がり。結界を張り――


「守るから!」


 姫を抱きかかえて、山道を這い……。 


「守るから! 絶対守るから!」


 僕は……狂ったように叫び続けていました。


「君を、守る――!」


 何度も。何度も……。

  

 

  


 フッと目を覚ました時。

 僕はジメジメと暗くて硫黄くさい、窓のない部屋に放り込まれていました。

 口にはロルとコルに嵌めたあの(くつわ)をはめられて。手には、手錠を嵌められて。オリハルコンの青い服は泥だらけで。頭はなんだか、もやもやとして……


 どうして? なぜ、「別人の僕」が暴走した? 姫は無事?


 事情がわからずただ震えていると。鍵をがっちりかけられた扉の向こうから、暗い呼び声が聞こえました。

 副官のホニバさんの声でした。


「申し訳ありません、将軍閣下。ご乱心なさった御身を、拘束させていただきました。でないと我々全員が、罪人になってしまいますので」

「エ……う……」

 

 轡の奥からもごもご音を吐きだす僕が訊きたいことを、ホニバさんは察してくれました。


「姫はご無事です。ファイカの国主様が保護されておられます」


 ああ。よかった……!


「ですが閣下。大変残念なことでありますが、メキド王国が閣下をかばい立てすることは……できません。今回のゆゆしく痛ましい国際問題に対し、大陸同盟会議が召集されました」 


 大陸同盟会議?! なんていう大事に……!

 ホニバさんの声はとてつもなく沈んでいました。

 僕はただ、絶望と恐怖に慄くしかありませんでした。どうしてこんな事態になったのだろうと、己が不覚を悔やみながら。


「閣下。どうか……お覚悟を」

 


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