王者たちの歌 6話 議事録
「お手伝いさせてくださいませんか?」
「は……い。お願いします」
はじまりは。
あの会話だったのかも――。
重苦しい雰囲気の閣議。我が師も兄弟子様も欠席状態で、どうしようかと頭を抱える事態。僕らメキドの政府はこれからどう対応しようかと、鬱々と話し合っていました。
ふと気づけば。
白い御方はいつのまにか、トルのすぐ隣の席でにこにこと、廷臣たちの話を聞いておられました。
あれ? 閣議の間の隅っこにいたはずなのに。あそこって、議長が座る席じゃ?
しかしこの部屋、とても甘ったるい香りがしますね。
白い御方の甘露の匂い? 頭が、くらくらします……
「……というわけで、王太子殿下のお怪我の治療は私にお任せください」
あれ? 白い御方が何か、喋ってる……。
穏やかな声のおかげで、不安がる廷臣たちは一様にホッとした顔。
そういえば、白の御方はかつて薬師としてマミヤさんの村を訪れたんでしたっけ。白の技の最たるものは、癒しの技だと聞いた事があります。
「……というわけで、陛下は大貴族たちに然るべき地位をご用意してください」
あ? あれ? ちょっと待って。えっと、大貴族の話ってどこから出てきたんでしたっけ?
僕、もしかして居眠りしてました? 頭がくらくらしてなんだかよく分かりません。ええと。ええと。
「わかりました。会見の日取りを決めます。では、今日の閣議はこれまで。各自の部署に戻ってください」
え? えええ?! トルの締めの言葉? 閣議終了? いつのまに?!
一斉に席を立って退室していく廷臣たち。唖然とする僕。
「す、すみません、議事録見せてください」
席を立ちかけた隣の書記官を僕はあわててひき止めて、丸められた羊皮紙を見せてもらいました。
ええと。廷臣団はまずエティアの王太子殿下の容態について、侍医から報告を受けたと。全治三ヶ月の重傷。上腕骨折であると。白の導師様が治療を担うことを申し出たと。
ここまではおぼろげに覚えています。その後は……なんだか一瞬にして時間が過ぎたような気がするんですけど……
議事録によれば。それから廷臣たちは、殿下を襲った刺客の黒幕について議論。
島を返せと特攻した刺客の黒幕は蒼鹿家ではないか、というのが、僕ら廷臣団の大多数の意見。
おそらくヒアキントス様の命令の下、大商人フロモスあたりを経由して刺客が放たれたのではないかと廷臣たちの幾人かが主張。
すると白い御方が、『レツ島返還を唱える一派が、メキドの貴族の間にも少なからずいるみたいだ』と発言。
そうしたら地方行政長官閣下が、『大貴族どもがさっそく事件を聞きつけて、次々と照会してきております』と発言……。
なるほど。つまりトルの即位に不満をもつ大貴族たちが、格好の攻撃材料に目を付けたということですね。まるで、ぽとりと地に落とされた砂糖の塊に群がる蟻のごとく。
「え? その直後、閣議の間に急使が入場?」
議事録の文字を僕はまじまじと見つめました。
ぜ……全然、気づきませんでした。やっぱり僕、居眠りか何かしてたんでしょうか?
僕は急いで議事録の文字に目を走らせました。
使いの者がトルナート陛下に言上。
レツ島返還を主張する団体が突然現れて、地方のいくつかの大都市で一斉に街頭演説を始めたとのこと。
『地方行政を担う大貴族たちが、混乱に乗じてさっそく動きだしたようだ』
と、白い御方が主張。
『大貴族たちは本当に島の返還を望んでいるのではない。現王家がエティアから睨まれて窮地に立たされることを狙ったのだ。おそれながら、陛下は大貴族達を冷遇しすぎた可能性がある』
とのこと。
廷臣たちが、賛同の意を次々と表明。白い御方がみなの意見を集約して、陛下に言上。
『このまま互いが平行線のままでいけば、陛下の一挙手一投足に対して大貴族達が逐一反応し、その都度さまざまな圧力をかけてくる恐れが大。平和的な解決を望まれるなら、譲歩が必要である』
陛下と妃殿下、ともに大貴族達と会見することを、承諾。
それでさっきの、大貴族へ然るべき地位をご用意してください、という白の導師様のセリフに……?
僕は……閣議の間、ずっとぼうっとしてたのでしょうか。なんという失態! 冷や汗ものです。
国王夫妻が出て行かれた後、廷臣たちはぞろぞろと閣議の間を退出していきました。
書記官に議事録を返した僕はじっと、白の導師様を見つめました。
白い御方はみなが出て行くのをにこにこと眺めていました。
吸い込まれそうな紫紺の瞳。光沢輝く銀の髪。目にまばゆい、純白の衣。
「どうなさいましたか? 将軍閣下」
「い、いえ」
微笑みかけられた僕は思わず顔をしかめました。
甘い、甘い、甘露の香り。むせ返るぐらいの芳香。フィリアよりもアミーケよりも、ヴィオよりも濃い香り。
壁に貼られた蒼タイルは、ゆらゆら揺らめく海のよう。
ゆらゆら。ふわふわ。あれ? 体が、浮いてる――?
ハッと我に返れば。
窓はすっかり夜の色。でもその窓は、閣議の間の窓では……ありませんでした。
「え? ええええ?!」
僕はいつのまにか大広間にいて、国王夫妻と外国からの客人たち、そして廷臣団たちと共に楽団の演奏を聴いていました。
広間にあつらえられた舞台で演奏されているのは、メキドに伝わる伝統的な古舞踊の曲。
「舞踏会が開かれなくて残念でしたけれど」
山奥の国の公爵夫妻がヒソヒソ話し合う声が、廷臣団の席まで聞こえてきました。
「王太子のご快癒をお祈りする音楽会だなんて、とても良い催しですわね」
「あれは遊牧民だった時代に使われていた、古い楽器だそうだね。今の笛とはずいぶん形が違う」
「音が情緒豊かで大変心地よいですわ」
どういう……こと?!
「素敵な音楽よね、ぺぺ」
僕の右隣にフィリアが座っていました。薄桃色の夜会用の薄絹をまとっていて、あたかも本物の王女のよう。一瞬ぽうっとしてしまうぐらいの可愛らしさ。
その隣に足をぶらぶらさせて退屈そうなヴィオがいて。
そのすぐ後ろには、ヴィオの両親が手を握り合いながら仲良く座っていて……
「どうかなさいましたか? 将軍閣下」
白の導師が僕に微笑みかけてきました。
「い、いえ……」
演奏の合間に給仕係が桃の氷菓を配り始めました。南国な上に夏の夜、気温がかなり高いからです。
僕は夜になるまでどうしていたのでしょうか? なぜ、こんなに意識が飛ぶのでしょうか?
嬉々として氷菓を食べるフィリアやヴィオを僕は茫然と眺めました。
誰も全く変に思ってないそぶりです。ということは、僕は眠っていたわけでは……ない?!
隣にメニスの人たちが三人もいるので、僕は思わず鼻を手で覆いました。
甘い甘い、甘露の香り。花のような、果実のような――。
なぜか僕の視線は斜め後ろを向いて、また白の導師様を捉えていました。
白い御方は優しげにニッコリと笑みを投げかけてこられました。
どういうわけか。
僕はニッコリと微笑を返していました。心の内では困惑して、わけのわからぬままに。
翌日の閣議の時にも、「それ」は起きました。
ハッと気づけば――閣議が終わっていたのです。
あわててまた議事録を確認すると。
自分の記憶が飛んでいるだけで、議事進行は全く問題なし。
主な議題は、大貴族との会見の日取り調整とエティアへの対応について。
それから、黒の導師お二人の公務について。
「え……僕、発言してる?!」
議事録によれば。
遅々として麻痺が治らぬ兄弟子さまを、エティアの王太子殿下とともに国内の一大温泉地へ派遣することを「僕が」提案。王太子殿下と共に養生しながら、今後のエティアとの関係修復を兄弟子様に一任する、という策です。みながそれに賛同していました。
それから、我が師をメキド全国を巡業する薔薇乙女一座の監督官として、一緒に国内を行幸させる、そのついでに王の名代として、各地の神殿に寄せられた「陳情」を受け取ってくるのはどうかというのも、「僕が」提案。これにもみなが賛同していました。
「ウサギ将軍閣下、すばらしい演説でしたね。みな感動して涙を浮かべてましたよ」
セバスちゃんが賞賛のまなざしでダメ押ししてくるので、僕はこわくてたまらなくなりました。
こんなことって……なぜ? どうして?!
「よい提案でしたね」
議事録を持って震える僕に、白の導師様がにこにこと笑いかけてきました。
「あ、あの! 僕自身には、全然覚えがないんです。僕、居眠りとかしてませんでしたか? これ本当に、僕が?」
「ああ、もしかしたら魔人としての能力が出たのではないですか?」
たじろぐ僕に、白の導師様はそう仰いました。
「変若玉で作られたメニスの魔人は、時間をかけて徐々に元の生物とは全く違ったものに変化していきます。ある種の進化をするのです。おそらくあなたはその過程の最中で、あなたの中に、今までとは違う人格が形成されてきているのでしょう」
僕の中に、新しい自分が生まれている?!
「ご心配は無用です。落ち着けば、またひとつの人格に統合されますよ」
メニスの王が仰るのですから、間違いはないと思いますが……。
なんだかかなり不安です。
でも変なことは口走ってないようなので、それが救いでしょうか?
しかし兄弟子さまはともかく、モフモフでひきこもりの我が師が、閣議の決定にすんなり従ってくれるとは思えません。
「……ていうことに、閣議でなっちゃったんですけど。でもお師匠様、嫌ですよね? メキドの各地を巡るなんて」
「おお! 行く行く!」
え。
「あのな、メキドってさ、ウサギを家畜として飼ってる家が多いんだって。毛皮はいだり食べちゃったりするんだって。俺、そいつは断固反対。全国まわれってんなら好都合。俺、ウサギ保護キャンペーンしに行って来る」
え?!
「かわいそうなウサギを、全部引き取ってくるわ」
そ、そそそれはちょっと……び、微妙?
「任せろ弟子。俺はこのメキドに、ウサギの理想郷を作るっ! 名づけて、ハッピーモフモフランド!」
というわけで。信じられないことに、「別人の僕」の提案通りに事が運んでしまいました。
さっそく週末に兄弟子様と灰色の導師アミーケは、エティアの王太子ご夫妻と国内の温泉地へ出立。そして我が師はウサギを抱えながら、薔薇乙女一座と共に全国を巡る旅に出られました。
黒の導師がいなくなった王宮に、ほどなく州を治める大貴族たちが召集されました。会見は白の導師様が仲介人として場を仕切り、しごく平和的に開かれて、不都合も支障もなくあっさり合意に到達。
以前のように大貴族たちを国政の中枢に入れる見返りに、大貴族たちは僕が指揮する王の直属軍へ、万単位の兵力を送ってくれることになりました。
これは大貴族達が全面的にトルナート陛下に恭順した、という意思表示でした。
この合意が成された直後。各地で「島の返還」を訴える団体がたちまち鳴りをひそめました。まるで見事に、水を打ったように。
国内のごたごたが収束していく中で、エティアの王太子殿下は温泉地でみるみる回復されました。白の導師が、特製の薬を送って下さったからです。
しかしてエティア王室の反応は、非常に厳しいものでした。
もし王太子夫妻が命を落としていたら、メキドはエティアから即座に宣戦布告されたことでしょう。
大国と戦った経験がほとんどないメキド。しかも相手は大陸同盟理事国のエティア。となれば戦う前から勝敗は見えているようなもの。エティアに味方して戦に参入する国が現れ、負け戦の後には、その国々にハイエナのごとく領土を分捕られるのがオチです。
刺客を放った黒幕の真の狙いは、まさにそれだったに違いありません。
温泉地にいる兄弟子様はエティアの王室に幾度も親書を送りましたが、両国の緊張はなかなか緩和されませんでした。
ついにはエティアの軍が国境近くの都市に集結したという情報が入ってきたので、僕ら廷臣団は蒼い顔で右往左往。
しかしその時、白の導師様がにこやかに、何も心配はいらないと宣言されたのでした。
「私がエティア王に口添えいたしましょう。エティアの王室はスメルニアと同様、定期的に水鏡の寺院から妃を娶っておりますからね。私は、かの王室の親族も同然です」
メニスの王たる白の導師様の鶴の一声は絶大な効力をもっていました。
おかげでエティアはただちに、メキドに向けた抜き身の剣を鞘に収めてくれました。
国境付近に展開されたエティア軍が解散したという喜ばしい報告を聞いた日、国内からは薔薇乙女一座の巡業は大成功で順調だ、という情報が入ってきました。それと、やっかいな動物愛護家の所業も……。
「何、これ? ウサギ?」
王宮宛てに、大量のウサギが送られてきたのです。
我が師は本気でウサギ保護活動に乗り出したらしく、それから連日のように、王宮に我が師が保護した大量のウサギが搬入されてきました。
「すみません! お師匠様が、ほんっとすみません!」
苦笑するトルは寛大なことに、ウサギたちを一時預かることを了承してくれましたが……。
ほんと、わかりません。何考えてるんですかあのクソオヤジ!
エティアとの交渉で力及ばなかった兄弟子様。わけのわからないことをする我が師。
残念ながら黒い二人の印象は、ガタ落ち。
そして僕は――毎日の閣議のあとで、議事録を読み返すのが日課になりました。幸い「別人の僕」は、初めての日を除いては閣議の時だけしか出てきませんでした。
大貴族たちが入閣したことで、閣議はかなり紛糾するのかと思いきや。
信じられないことに「別人の僕」が神懸り的な議事進行をして、始終穏やかな雰囲気を作り上げていました。
閣議の間には、常に心地よい甘い香りが漂っていました。
甘い甘い、花のような。果実のような。
ふうわりふうわり、水の中に浮かんでいるような……素晴らしい感覚。
眠りから覚めるがごとく我に帰ると、閣議は終わっていて、僕は賞賛のまなざしで廷臣たちから見つめられているのでした。
とち狂った我が師のおかげで、王宮の庭園に幾千というウサギが満ち溢れて目にもすごい状態になって来たある日。
その日の閣議の議事録を読み返した僕は、「別人の僕」が自ら提案した作戦に驚きました。
「蒼鹿家と直接交渉……!」
「僕」は蒼鹿家にいるトルの姉君を救うべく、自ら交渉を行う任につきたいと、名乗りをあげていました。
かつて僕らが拘束したロルとコルという風送り隊の二人。
ヴィオの繭を切り裂いた彼らは現在王都の郊外の牢獄につながれていますが、彼らをトルの姉君と交換しようというのでした。というのも、ロルとコルは蒼鹿家の一族。ヒアキントス様とは従兄弟、現大公とははとこにあたるからです。
議事録では、白の導師様が強力に僕を後押ししてくれていました。
『北五州の貴族は親族を非常に大切にいたします。蒼鹿家は必ず交渉に乗ってくるでしょう』
蒼鹿家からの返事は、とても芳しいものでした。
僕らの願い通り、先方は交渉に乗ってきてくれたのです。
交渉場所は、霊峰ビングロンムシューのふもとにある永世中立国のファイカ。
大陸同盟の国際会議が行われる所に決まりました。
現地に赴くにあたり、僕はケイドーンの巨人からなる自分の近衛隊を作ることをトルから許されました。彼らを護衛として交渉の場に連れて行くように、との国王夫妻の思し召しでした。
僕自身が、あの姫を救う。
目の記憶で見た、赤毛のあの姫。あの人とそっくりな、名前も同じ姫を?
僕は――胸が躍りました。
彼女に会えると思うと、心臓がどくどくと変な風に脈打ちました。
「ぺぺ、気をつけてね」
ダゴ馬に乗って王宮から出立するとき、フィリアが走り寄って見送ってくれたので、これもまた嬉しくてたまりませんでした。彼女は今にも馬にまたがろうという僕を引きとめ、ギュッと僕を抱きしめて……
「絶対無事で帰ってきて」
僕の唇に励ましの口づけをサッとしてきてくれたのです。
甘い、甘い、甘露の香り……。
そのため愚かな僕はとても浮かれてしまって、全く疑いもしませんでした。
王宮に残った白の導師とヴィオのことを。
そして……全く気づきませんでした。
これから僕が、取り返しのつかない恐ろしい罠に陥ることを……。




