王者たちの歌 4話 隠密
宙に躍り、細身の剣をふるう長靴をはいたウサギたち。
眼の前で消えていく白い蝶々。
「きゅう」「きゅう!」「きゅぴ」
これは、夢?
僕は茫然と、ウサギ三銃士の動きを凝視しました。
とても物言えぬウサギだったとは思えない動作です。目にも止まらぬ素早さで飛び回り、ほとんど地に足がついていません。
電光のようなウサギたちに切り刻まれ、細やかな光の粒となって散らばり消えゆく蝶の群れ。その光の放散がひとつところに集まり、みるみる形をとってきました。
「くされ導師か!」
苦々しい顔つきのアミーケが、光の塊に右手を突き出しました。
灰色の衣の裾がぶわりと舞い上がると同時に、光の矢が飛び出していったものの。
「そんなのきかないよぉ。アミーケは弱いもん」
けらけら笑うヴィオの言葉通り、光の矢は目標に到達するや吸収されてしまいました。
まっ白な輝きは、一瞬周囲にすさまじい爆風を放ってから物質として顕現しました。
ひと目でわかる、メニスの純血種の髪と瞳。銀髪に紫紺の瞳。
灰色のアミーケよりも背が高く。切れ長の目は鋭く。その身にまとっている衣の色は雪のようにまっ白……。
昼空の光を反射して、その衣は煌々とまばゆく輝きました。
「パパー!」
嬉しげに声をあげ、ヴィオが形を成した白き衣の人に走り寄って抱きつきました。
とたんに三匹のウサギ銃士はぴたと動きを止め、剣を落として四つ足であたりをのんびりひょこひょこ。空中を飛びまわっていたのが嘘のよう。何か憑き物が落ちたような感じです。
「ヴィオ」
光り輝く白い人は端正な顔に優しい微笑を浮かべ、小さな子を抱き上げました。
「ずいぶん探したぞ。しかしなぜ包帯を巻いている? 何かあったのか?」
「ヴィオねえ、森の中で繭になっちゃってー。それで、お外に出たんだけどぉー」
「まさかもう始まったのか? それでこの姿とは……羽化不全か? なんということだ」
「ウカフゼン? なにそれー?」
白の導師はたちまち顔を曇らせ、僕らを見渡しました。
「ここにおられる方々が繭から出たこの子を看てくださったのですか? 大変お世話になってしまったようですね」
「ちょ! まっ! なんでいきなり俺様を攻撃すん、だ! げふがは!」
蝶の燐粉を激しく振り払い、兄弟子さまが食ってかかると。白の導師は苦笑し
て謝罪してきました。
「ああ、すみません。黒き衣に反応してしまいました」
「はあ?!」
「我が子を守らねば、という親の不可抗力です。黒き衣の者どもとは長年仲が悪かったものですから、反射的に手を出してしまいました」
「なにが反射的にだ! 白き衣のアイテリオン、一体何を企んでいる?」
灰色のアミーケが兄弟子様をかばうようにして、白の導師の前に近づきました。
「これは灰の衣の人。あなたがここにいるとは。しかし相変わらず言葉遣いがなってないですね」
「誰がおまえになど、かしこまるものか」
アミーケが歯軋りしています。白の導師は一見人がよさそうなのに、相当に嫌っているようです。
「アミーケ、ちゃんと挨拶してよぉ。ヴィオのパパは、メニスの王さまだよ?」
僕の背筋にぞくり、と悪寒が走りました。
白の導師に抱かれるヴィオの紫紺の目が、一瞬すうと細められたからです。
そのまなざしは、ウサギを繰り出した瞬間に見せたのと全く同じもの。
ヴィオは鋭い感触の魔法の気配を下ろしてきて、刺すような口調で囁きました。口元をにやりと引き上げながら。
『ひざまずけ、アリスルーセル』
とたんに灰色のアミーケは突然片膝をつき、ぎりぎり開いた口から呻き声を漏らしました。
「ごきげん……うるわしく、水鏡の地の長にして我が主……三つの時を統べる時の王。お会いできて光栄……です」
「ヴィオ、強制しなくてもよいよ」
白の導師が苦笑してヴィオの頭を撫でています。アミーケは蒼ざめた顔でガクガクと口を震わせ怒っています。
アリスルーセルというのはたぶん、彼の本当の名前。六翼の女王ルーセルフラウレンは「ルーセルの娘」という意味ですから、間違いないでしょう。
ヴィオが灰色の導師の名前を知ってるなんて、白の導師から聞いていたのでしょうか。それとも、フィリアから?
それにしてもこんなにたやすく、灰色の導師を屈服させるなんて……。
「お、お母様。大丈夫?」
さすがにフィリアが驚いて気遣っています。
「大事ない、フィリア。こいつらには、とっとと故郷に帰ってもらおう。水鏡の地へひっこんでもらう」
「待ってお母様、それはだめよ。あ! ま、待って! まだ帰らないで」
笑顔で暇をつげようとした白の導師に、フィリアがとっさに待ったをかけました。
「お願い、白い御方! マミヤさんに会って! ヴィオのママに!」
「えーと、それでその白の導師ってのは、現在マミヤさんと対面中ってわけ?」
「はい」
神妙な顔の僕の眼の前には、ニコニコ満面の笑みの我が師。三匹のウサギを一度に抱きしめてご機嫌です。もふもふ要員が戻ってきて、僕もひと安心といったところ。これでまた当分、ウサギに変えられることはないでしょう。
「うひぇー、なにその修羅場。つまり白の導師は、まかないのおばさんにひっぱたかれてる最中ってわけ?」
「ど、どうなんでしょう? でも子はかすがいといいますから、お子さんがいる面前で、暴力沙汰とか痴話げんかとか、そんな風にはならないかと」
「しっかしエリク大丈夫なのー? 白の技もろに受けちゃって」
「灰色のアミーケさんが、部屋に運び込んで様子を見てます。お見舞いに行かれたらどうですか?」
「えー、ヤダ」
そこで渋るとか。
「どーせアミーケとちちくりあってるんだろ? 邪魔したら吹っ飛ばされるからいい」
憎まれ口叩くとか。
気になるくせに、ほんと素直じゃないです。視線がきょろきょろ、動揺してるのが丸わかりですってば。
「それよりお師匠さま、ちゃんと摂政のお仕事してくださいよ。兄弟子様に任せっぱなしじゃないですか?」
兄弟子様はせわしなく動いています。舞台劇を企画したり、博覧市を開こうとなさってたり。なのに。
同じ摂政位にある我が師はウサギで一喜一憂なんて、弟子の僕はかなり情けないんですけど。
「え? 俺? ちゃんと仕事してるよ?」
しかし我が師はきょとんとされて、指折り数えあげました。
「蒼鹿家に式鳥送っただろ? 使者も隠密も送っただろ? あっちこっちにお金を送っただろ? でっかい宝石も送ったし、木材も送ったー」
は? お師匠さま、それって……
「てなわけで、大貴族も役人もみーんな、すんなり言うこと聞いてくれる状態にしたぜ?」
や、やっぱり賄賂?! たしかにもともと反抗的な大貴族を御すには、それしかないような気もしますけど。でも、そんな大盤振る舞いしてたら財務が困るんじゃ?
「エリクが稼いでくるだろ」
え。さも当然のようにさらっと言っちゃうし。妙な所で変な信頼をしてるような気がするし。
「あいつが稼ぐ。俺が使ってやる。これですべてはうまーくまわる」
え、えっと。なんだかどえらく自信満々ですけど。いいんでしょうかこれで。
「ああそれでさ、さっき式鳥がきてさ、隠密からの報告読んだぜ。弟子も見る?」
我が師は黒い衣の懐から、折り目のある紙を出してみせました。隠密に何枚か持たせてやったものだそうで、鶴かなにか飛びやすい形に折られて北五州から飛ばされてきたものでした。天の道をはるばる飛んできたそれは、ほわほわと淡く輝いてインクで書かれた文字を浮かび上がらせていました。
紙を覗き込んだ僕はたちまち――美しい文字の一行に目を奪われました。
『エリシア姫は生存せり』
「父さま~♪ 母さま~♪ フィリアぁ~♪」
王宮の庭園に、ヴィオの無邪気な笑い声が響き渡っています。
一夜明けて、この得体の知れないメニスの子を見守る人がひとり増えました。
歩行訓練をするヴィオの前方には、手招きするフィリア。母親のマミヤさん。そして父親の白の導師。
微笑を浮かべる両親は、庭園に置かれた長椅子に並んで座っています。
よちよち歩いてきたヴィオを抱きしめるフィリアの顔は、前にも増して幸せ一杯。まるで、四人家族のよう。まかないのおばさんは、白の導師としっかり手を握り合っています。
『涙、涙の感動的な再会だったのよ』
朝方、フィリアがこっそり二人の対面の場面を教えてくれました。
『白の御方はマミヤさんをいきなり抱きしめて、涙を流して謝罪なさったの』
白の導師の故郷である水鏡の寺院は、メニスの一族の隠れ里。
ゆえに普通の人間であるマミヤさんと双子のかたわれを、当時すんなり連れ帰るわけにはいかなかったんだそうです。
彼はメニスの血が出たヴィオだけを連れて故郷に戻り、人間である妻子も隠れ里に迎え入れたいと一族の者を説得しようとしました。ところが……
『一族の者たちはかんかんに怒って拒否して、白の御方とヴィオを幽閉してしまったそうなの。三十年経ってようやく、二人は外に出ることを許されたのですって』
ヴィオは自由になるなり、生みの母親を探しに出ました。
逐一白の御方に経過を手紙で報せていたようですが、王宮近くの森で繭化して音信不通に。それで白の導師は、我が子を捜しにメニスの里から出てきたというのでした。
『じゃあ、白の導師はマミヤさんを見捨てたわけじゃなかったんですね』
『ええ、ずっとずっと、想っていたみたい』
幸せそうなマミヤさんの顔を見るにつけ。穏やかな微笑を浮かべる白の導師は、灰色のアミーケが毛嫌いして警戒するような人にはおよそ見えないのですが……。
「マミヤを水鏡の里に連れて行く方法がひとつだけある」
美しいメニスの王の囁きが、彼らを眺める僕の耳に入ってきました。
「一族の者は、その方法をとるならマミヤを認めると言っているんだ」
白の導師は、まかないのおばさんの節くれだった手を両手でギュッと握りました。
「どうか、私の魔人になってくれぬだろうか」
『それはだめ!!』
思わず僕は、そう叫びそうになるのをあわててこらえました。
魔人になるということは、死ねない体、輪廻できない魂になるということ。たとえ主人のメニスが死んでいなくなっても、その呪いは解けません。
そうなることを自ら望んだ僕は、その選択を後悔してはいません。でも、他人には絶対勧めたくない道です。
「マミヤ、じっくり考えてくれ。永遠の若さを得るか、このまま年老いて安らかに死ぬか」
僕はごくりと息を呑みました。人間にとって、永遠の命や若さは、何にも変えがたい誘惑。永い永い寿命を持つ恋人に願われる、というだけでとても心動かされることだのに。心の内にある暗い欲望を刺激してくるなんて、なんだかちょっと卑怯かも。
「あ、ぺぺ。丁度いいところに」
「やあフィリア。マミヤさんが笑ってて、本当によかった」
「ええ、そう思うわ。あのねぺぺ、お願いがあるのだけど、またウサギを貸してくれるようハヤトさんにかけあってくれない? ヴィオがまたウサギさんと遊びたくて。とても寂しがってるの」
うううう。
「ねえ、お願い」
……断れないということは、僕はフィリアに惚れてるのかも。
かわいいフィリア。鳶色の髪はどことなく赤毛っぽくて。菫の瞳はどことなく青い感じで。
って、僕……一体誰と比較してるんでしょうか!?
『エリシア! エリシア!』
あ……過去のあの、悲劇の姫君……。
でもあの姫は過去の人。
会ったことなどないのに。ただ義眼に内臓された映像で見ただけなのに。
思い出すだけで胸がつぶれそうになるなんて、ちょっと僕、おかしいかもしれません。
――「ぺぺさぁぁああああん!」
回廊を歩いていると、ドップラー効果な声と共に茶髪の楽師がやってきました。
「徹夜で書いてきましたぁぁああ!」
あ、追い抜かれました。すごいスピードです。
「摂政殿下に見せるので一緒に来てくださぃぃいい!」
ふう、戻ってきました。僕は仕方なく行き先を変更し、お見舞いがてら兄弟子さまの所に伺いました。
気の毒なことに兄弟子さまは床に臥せっており、灰色のアミーケが心配げに付き添っていました。
「胡蝶の神経毒にやられて、全っ然手足動かねええ! な・に・が不可抗力だ」
兄弟子さまはかろうじて喋れるようです。
「だから言っただろう。くされ導師は笑顔で容赦なく人を殺すんだ」
吐き捨てるように呻く灰色のアミーケ。白の導師は全然残酷そうには見えないのに。むしろこわいのは……ヴィオの方じゃ?
僕は茶髪の楽師の強いまなざしに促され、ドンと胸に押し付けられた台本を仕方なく二人の前で読み上げてみせました。
「ふうん? エリシア姫はトルナート陛下が落とした無垢の涙を唇の隙間から偶然受け止めて? 奇跡の涙で大復活? うんまあ、いいんじゃね?」
後で報酬を支払うと約束し、兄弟子様は有頂天になった楽師を部屋からさっさと追い出しました。
「ペペ、あいつにはフロモスの手がついちまってるから、雇うには危険だ。金貨だけ送る」
「了解です。あの、我が師から聞きました? トルナート陛下の姉君のこと」
「あー、さっき言霊が来たわ。エリシア姫は生きてるって?」
うわ、言霊とか。すぐ隣の部屋にいるのに、じかに会いにくるのを渋るなんて。まったく我が師は……。
でもエリシアという名前を聞くと、なんかどきりとしてしまうのって、やっぱり僕、変かも……。
「件の姫君が本物かどうかはまだ判断がつかないようです。でも確実に『メキドの王位継承権を主張する姫君』が蒼鹿家の食客となっていることは確かみたいです」
「厄介だなぁ。ところで、式鳥を飛ばせる隠密って一体どこから雇ったんだ。ハヤトってば使える奴持ってていいなぁ」
「あ、それは僕が推薦しました。『衣』をはおらずして韻律を使える者です。その方が断然足がつきにくいと思ったので」
「ほうほう、潜りの術者か」
それから兄弟子さまの部屋には続々と廷臣たちが訪れてきて、指示を仰いできました。
税金などの財務に関することだけでなく、国民の文化教養や福利厚生、国内のインフラの整備などなど、裁可を求められる事柄が山のようにありました。加えて王都の政についても宰相や役人がやってきて様々な案件を持ってくるので、兄弟子さまはとても忙しそうでした。
「しかしこれ、トルナート陛下と妃殿下二人でこなしてたんだよな。ほんと、あの二人はすげーわ。まぁ、地方行政はおいといて、王都再建を優先させてたみたいだけどな。でもちょっと正直、俺様首回んないわー。ハヤトサボりすぎ。もっと働くよう言ってきて」
「了解しました」
すぐ隣の部屋に行くと、我が師は大きな水晶玉を覗き込んでいました。
北五州にいる隠密から直接連絡が入ったようです。
「あの、」
僕は一緒に水晶玉を覗き込み、映っている人に手を振りました。
「どうなんですか? 陛下の姉君は本物なんですか?」
水晶玉に、小さな玉をいっぱい下げた帽子を被った老婆が頭を横に振る姿が映りました。
『そこはまだわからん。しかし「姫君」は実在し、蒼鹿の大公とは仲が悪い。というかその』
老婆――薔薇乙女一座の用心棒をしていたかの韻律使いは、暗い表情で告げて
きました。
『無理やり、婚約させられておるようじゃ』
「囚われのお姫様が、おじさん大公に迫られてるの? 何かぞくぞくしちゃうなぁ」
ちょっとお師匠さま何ですか、そのにへら顔は。いやらしい妄想しないでくださいよ。
『しかし蒼鹿家の城になんとか入り込んだが、もう命がけじゃて。くわばらくわばら。姫君の似姿を送るゆえ、陛下がご帰国されたら確認していただいておくれ』
数日後。予告通り、北五州から式鳥がやって来ました。
我が師が鳥の形に折られた紙を広げると、そこには黒炭か何かでかなり写実的な肖像が描かれていました。
宮廷画家が描いたものをこっそり盗んで貼り付けたとの添え書きがありました。
「うわあ、めっちゃ美人だなぁ!」
その絵姿を見たとたん。
感嘆の声をあげる我が師の隣で、僕は息を呑んで言葉を失いました。
蒼鹿家に囚われている姫君の顔は……驚くぐらいそっくりだったからです。
僕が見たあの――
赤毛の悲劇の姫君に。
数百年前の、あのエリシアに……。




