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アスパシオンの弟子(コンリ版)  作者: 深海
王者たちの歌
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王者たちの歌 1話 記憶の夢

「きゃー! あははははは」

 

 とてもかわいらしい子どもの声が王宮の庭に響いています。

 太陽の光がはじけるような、快活で明るい笑い声。


「フィリアー! フィリアー!」

「こっちよ、ヴィオ。がんばって、ほら」 

 

 まだ歩くのもおぼつかなげな感じの包帯だらけの物体が、両腕をさしのべるメニスの少女のもとへよたよた。まるで小さなミイラ男。

 ミイラ男の後ろには、まかないのおばさん――マミヤさんの喜びに満ち溢れた顔。

 ハンカチで嬉し涙をぬぐって。鼻を噛んで。くしゃくしゃの笑顔で我が子を見ています。

 マミヤさんにとっては至福の出来事でしょう。

 赤子の時に別れた子が、生みの親を探してはるばるやってきて。

 しかも晴れて親子で王宮に住めるようになったのですから。

 ヴィオの姉妹――亡くしてしまった娘さんを取り戻したような気がする。

 そう言っていました。


「上手ねヴィオ!」

「フィリアー」


 小さなミイラ男はフィリアのもとに到達。ぎゅうっと彼女を抱きしめました。

 毎日日課となったこの「歩行練習」のおかげで、足取りがだいぶしっかりしてきています。

 フィリアの献身的な看護には目を見張るばかりです。すごい溺愛ぶりで、

実の親のマミヤさんが遠慮してしまうぐらい。

 僕も彼女がヴィオを抱っこするのを見ると、なんだか妙に胸がきゅっとなるというかなんというか……


「う?」


 ミイラ男がこっちにくる? まずいっ。


「きゃあああ♪」


 伸びてくる腕。有無を言わさぬ瞬発力。

 ぐふっ!


「ウサギさん、かわいーいのぉ♪」

「放せこら!」


 後ろ足で思いっきり踏み切って逃げたはずなのに、僕はあえなくヴィオの腕の中。

 ぎゅっと抱きしめられて頬ですりすり。鼻をつく甘い甘いメニスの香り。

 ヴィオのは特にきついです。この匂いに敏感に反応する「魔人」の僕は、吐き気がするぐらい頭がくらくら。

 すぐ逃げたいのですが、おそろしいことに相手には全く隙がありません。

 ヴィオはまだ幼い子どもの外見ですが子どもではありません。

 マミヤさんによれば、彼女が双子を生んだのは三十年ほど前。僕よりはるかに年上です。

 喋り方は幼児と変わらないのに、大きな紫紺の瞳の中には、なんだか底知れぬものがあるような……。

 ていうか。


「いいかげん、僕は人間に戻りたいんですけどー!!」  


 白い手足をばたたと動かして、僕は蒼い空に向かって叫びました。

 無駄なもがきを試みながら。




 困ったことにモフモフ禁断症状を抱える我が師のせいで、僕はここ数日人間に戻れていません。トルが神獣ガルジューナと共に出立してからというもの、ずっとウサギのまま。

 侍従長のセバスちゃんは僕のことをすでに、「ウサギ将軍閣下」と呼んでいます。巨人の彼にひざまずかれて頭を垂れられても、僕の耳の先っぽは彼よりだいぶ下。セバスちゃんはそれで当初ほとほと困って、僕の前で五体投地してました。

 僕がとても軽い折りたたみ式脚立を背負うようになったのは、そのためです。誰かにかしこまって話しかけられるたびに、脚立を広げて乗っています。

 フィリアは、僕のために小さな衣装を幾着か作ってくれました。ミニサイズの金糸の肩章やマントなど、それはもう器用に作ってくれました。オリハルコンの布の手袋を短衣に作り直してもくれたので、灰色の導師の呪いからちゃんと逃れられています。

 フィリアの母親は今でも時折、眼光鋭く僕を睨んでくるのですが、常に兄弟子様がそばにいて抑えてくれています。前世で夫婦だった二人は仲睦まじくて、今は同じ部屋に寝泊りしています。

 繭から出てきたヴィオは、我が師以上にウサギの僕を大変気に入っていて、抱っこしようとするだけでなく……


「ウサギさん、ズボンはきかえて?」

「は、放せっ」 


 嬉々として、僕の着せ替えをしたがります。一日に、何度も。

 困ったことにヴィオは、僕のウサギ衣装を詰め込んだバスケットをいつも持ち歩いているのでした。


「今度は、くーるな、あおにするぅ? それとも、じょうねつの、あか?」

「い、いや、さっき着せ替えられたばっかりだから」

「えーっ。でもヴィオ、緑のズボンあきたー」


 いや、僕は着せ替え人形じゃないですから! ただのニンゲ……ウサギですから!

 鼻歌混じりにバスケットからゴソゴソ、服を取り出されても困りますって!

 う? なんだか、服の種類が増えてませんか?


「フィリアがねえ、作ってくれたのー」

「また?!」

「はい、ぬぎぬぎしましょうね」

「だめです、僕、忙しいんです。あ、バスケットから服落ちましたよ」

「えっ」


 よし、隙をついて猛ダッシュ!


「ああん! まってよウサギいー」


 無邪気なヴィオの前からようやく脱出成功。

 矢のごとく走って逃げた僕は、宮殿裏にいる我が師のもとへ駆けていきました。


――「うらぁあああ! くらえええ! いなずまサーブ!」


 ……って。

 スコーンパコーンと球を打ち合う音?


「ちょっと! お師匠さま!」

――「うんがぁあああ! エース! リターンエース!」

「ちょっと! 兄弟子さまも!」


 何ですかこれは。二人とも、黒い衣の裾をたくしあげて結んで。ごわごわのスネ毛出して。

 大臣さんたちと閣議してるんじゃなかったんですか? 

 なんで摂政二人が、庭球(テニス)のコートで汗ぷったらしてるんですか?


――「30ー15」 


 しかも能面のような顔で灰色のアミーケが審判してるとか、一体何の冗談ですか?! 

 廷臣たちの群れがコートの中を行ったりきたりする球を、右に左に首を動かして追視しています。


「お師匠様! ちょっと何やって……」 

「あ、ウサギ将軍閣下ご機嫌麗しく」


 セバスちゃんが五体倒地しかけたので、僕はあわてて折りたたみ脚立を広げて上に登りました。


「こ、これどういうことですか?」

「審議に出された政案を、実際にお二人が試されているところでして」


 政案? 


「戦後で殺伐としたこの国に幸福を与え、陛下への敬愛を育んでもらうことを目的とする政策を考えることになりまして。そのひとつの方策として、陛下奨励の国民的スポーツを制定し、全国民に普及させたらどうかということになりました」


 で、庭球(テニス)


「候補をいくつか挙げました。貴族たちに領地内での普及を推進してもらい、ゆくゆくは国内各地において、陛下の御名で大会など開いたらよいのではないかと。とにかく、国内での陛下のご評判を上げるのが急務です。陛下の名のもとに広まる娯楽は、その効力が見込めます」

   

 貴族達によって貶められたトルの評判。

 それはすでに国中に広がっています。貴族達が民衆を味方につけて王宮門に詰め寄った時の逆転劇の話は、まだ王都とその周辺ぐらいまでしか広がっていません。

 

 神獣ガルジューナがトルナート王に服従した――。

 

 いまや赤い義眼で蛇を従えた陛下の継承権に、不服を唱える者はいないでしょう。ですが陛下が国民に真に愛されて磐石な支持を得るためには、不十分です。むしろ神獣と聞いて恐怖を抱かれる恐れがあります。


「できますれば国内のあらゆる教育機関で、広めることができればよいのですが」

――「あー、だめだめ。ダブルスでもこれ一度に四人しかできねえし。お上品すぎるわ」

 コートの中で我が師が突然ポイッとラケットを放り出しました。 

「全国各地、どこでも誰でもできて、王都で優勝決定大会できるようなやつ

って何だろうなぁ」

「おいハヤト、まだ勝負ついてねえぞ。勝ち逃げすんな!」

「うっさいエリク、これダメだ、次の試そうぜ? えっと、閣議で出たのは排球(ハイキュー)野球(クリケット)籠球(ロウキュー)卓球(ユケムリピンポン)にー……」


 大きな毬を捧げ持つセバスちゃんが、指折り数える我が師に渡しました。


「次の候補は排球(ハイキュー)でございます」

「おいさ」 


 我が師と兄弟子様はそれから丸一日、いろんなスポーツを試しまくりました。


「喰らえ! 俺の! 超絶、すまぁあああっしゅ!」

「けっ! 甘いわ! 俺の回転レシーブを見てさらせ!」


 二人の対戦を観戦するのはそれなりに――特に卓球(ピンポン)などは手に汗握るほど見ごたえがあったのですが、どれもこれもすぐに普及させることができるようには思えませんでした。


「どうです? 将軍閣下のご意見は」


 セバスちゃんに聞かれた僕は頭をかしげました。


「寺院では蹴鞠(けまり)が盛んだった。そんなに難しくはないかな」

 僕はへたっぴですけどね。

 大臣たちが集まってきてふむふむうなずいています。

 彼らはトルがケイドーンの巨人たちを使って政権奪取劇を行った時、王の服毒計画に加担していなかった貴族たち。弱小の貴族ばかりですが、この数ヶ月の間にトルが慎重に人選して、しかるべき爵位と役職を授けてきました。

 しかし地方ではまだまだ大貴族の勢力が勝っています。

 メキドの国土は十数の州に分かれていますが、古い時代から大貴族たちが州の領主として支配しています。

 直接陛下が統べる王領の州は、たった二つ。ガルジューナのおかげで大貴族たちは渋々トルに恭順しましたが、そんな彼らが素直にトルナート陛下の御名のもとでの娯楽を広めてくれるとは思えません。


「あの、大衆だけでなく貴族も夢中になれるものがいいんじゃないですか? それぞれの州を統べる大貴族たちも夢中になれば、すんなり協力してくれそうですし」


 セバスチャンは唸りました。


「どの階級にも受け入れられるもの、ですか。そのようなものがありますかどうか。あ、将軍閣下、そういえばそろそろお時間ですよ。閲兵をお願いします」

「はい」


 僕はくたびれてぐったり寝椅子にだれている我が師のまん前に走りました。


「閲兵してきますので、僕を人間に戻して下さい」

「やーだね」

「これでは示しがつきません」

「肩章ちゃんとつけてるんだからそれでいいって。はやく行って帰って来い。モフモフさせろ」

「こ……の! クソオヤジ!」


 鼻をほじる我が師に背を向けて僕は王宮に入り、玉座の間の前にずらりと並ぶケイドーンの巨人兵たちのもとへ行きました。

 閲兵は朝夕二回。一の将軍の位をいただいてしまった僕の仕事です。

 折りたたみ式の脚立を立て。背伸びして乗り。ビシッと敬礼すると。

 巨人兵たちは一分の隙もなく真顔で敬礼を返してくれました。

 ケイドーンの傭兵団長――サクラコ妃殿下の父君が、今日はどんな訓練をしたか報告してきました。

 王宮百周駆けとか、重量上げ訓練とか、組打ちとか。

 ふと僕は天を突くがごとき傭兵団長に、面白くて誰でもやりやすいスポーツは何だろうかと訊ねてみました。


「我らケイドーンの巨人は、戦踊りやら砲丸投げやらが好きですね」

「なるほど。メキドの人は、何が好きなんでしょうね?」

「昔から戦続きの国ですから、戦に繋がるようなものではありませんか?」

「戦か……」


 すんなり我が師のもとへ帰るのは、しゃくにさわる。と、閲兵を終えた僕が庭園へ出たとたん。


「ウサギ~♪」


 うう?!

 背中に悪寒。鼻に芳香。振り向けば、小さなミイラ男!


「きせかえしよう?」

「ぺぺ、お願いちょっと付き合ってあげて」


 う。フィリア。いくら君の頼みでも。


「だが断る!」


 これまで何回もそういわれて付き合ってきたんだから、もういいじゃないです

かー!

 僕はかろうじてヴィオの腕をすり抜けて王宮へ舞い戻り、自分の部屋に駆け込みました。

 ぼふんと寝室へ突っ込むように飛び込み、ふうとひと息。

 ヴィオは本当に苦手です。僕が魔人のせいもあるかもしれませんが。

 あの紫の瞳は、なんだかこわいです。


「あふ」


 あくびが出ました。昼下がりで眠気が襲ってきたようです。

 でも夕食前にまた閣議があるから起きないと……起きないと……起き…… 





 う……?

 ここは?

 なんだか、緑の木々がざわざわ。うっそうと茂った森?

 巨木がたくさん生えていて……

 風を切る音。

 頬を掠める疾風。

 どすっという貫通音。


『ごめんなさい!』

 

 あわてて謝る誰かの声。   


『まさか的に近づくと思わなくて』


 的? あ……僕のすぐ隣の木の幹に、細長い槍が刺さってる?


『ねえ、そんなにプンプン怒らないで。いいでしょう?』


 草を切る音と共に近づく人影。すらっとした細身の……少女?

 赤毛で、ぱっちりとした蒼い目で。とても……美人。


『殿下が婚約者の私のことをご心配なさるのは当然だけれど、ほら私、小さい頃から兄様と一緒に育てられたわけだから』


 この人……だれ? こんもりした胸の隆起を薄いレースのミニドレスで覆ったその少女は、腰に革の腰布を巻き、肘まで覆う革の手甲に膝まで覆う長い革ブーツという出で立ち。

 彼女の腰の細さにごくりと息を呑む僕は――ウサギじゃなくて。

 彼女と同じぐらいの背丈の青年のようで。


『だから心配しないで、私の殿下。実の兄が結婚するっていう大事な記念日なのよ? どうか木槍(ジェリード)の試合に出させてちょうだい。兄様をお祝いしてあげたいの』

『でもエリシア――!』


 何かを言いかけた僕の唇がいきなりふさがれました。熱くて柔らかいものに。


『!!!!!』


 エリシアという赤毛の少女はそのまま――僕に口づけしたまま、幹に刺さった槍を引き抜きました。


『エ、エリ……』

『大丈夫。本当に、怪我なんかしないから』


 少女は一瞬唇を離してそう囁くと。また僕の唇を襲ってきました。


『!!!!!』


 さっきよりも激しく濃厚に……。





「う……うあぁああああ?!」


 がばりと跳ね起き、僕はぜえぜえと息を切らしました。

 い、今のは、一体? いつのまにか眠ってしまってた? ということは、ゆ、夢?

 でもあんな、全く他人になるという、しかもとてもリアルな感覚の夢なんて……

 生々しい感触が僕の唇に残っています。

 たった今、起こったことのように。


「う!」


 突然、刺すような熱さが右目を襲いました。

 樹海王朝の王の証――赤い義眼が熱を帯びていて、右目の奥をまるで焼いているようでした。まるでじりじり燃える炎のようです。


「うう……」


 目を抑えながら僕は夕刻の閣議に出ました。

 我が師と兄弟子さまは、体を動かしすぎてダレダレ。灰色の導師はスポーツの種目を決める決議でつんとした顔で蹴鞠(けまり)を主張。

セバスちゃんは砲丸投げを。他の廷臣たちもさまざまな案を出し、意見が分かれました。

 僕は目を押さえて卓につっぷしていました。右目の奥が熱くて痛くてたまりませんでした。


「どうなさいました? ウサギ将軍閣下」


 セバスちゃんが気遣ってくれたので、僕は何とか顔をあげて呻きました。


「なんだか、槍で刺されたように、目が痛くて」

「槍?」


 突然、メキド貴族の大臣たちがみなハッとして、顔を見合わせました。


「槍、か」「そうだ、それでよいのでは?」

「しかし奉納の儀で行うものでは?」

「もともと蹴鞠(けまり)もそうだという話ですぞ」


 ざわざわざわざわ。大臣たちはしばし相談しあって。

 それから国務大臣がすっと手をあげ提案してきました。


「我々は一致して、木槍(ジェリード)を推します」 





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