望郷の歌 11話 恋慕
炎を吐く生き物というと、竜をまっさきに思い出します。
竜はこの大陸にかつて本当にいた生き物らしいのですが、今は影も形もありません。
寺院の図書館で見た絵本には、竜がカッと口を開けて炎を吐いてる絵があったなぁ……と、のんびり想起する僕と我が師の周囲は――今、燃え盛る紅蓮の炎で真っ赤。
でも僕らは、ひょうひょうと涼しい顔。
上下四方の空気を遮断する、という我が師の高難易度な結界で守られているからです。
この蛇のガルジューナ、火を吐くってことは竜の眷属なんでしょうか?
「お師匠さま、蛇と竜って生物学的に近いんですか?」
「いやぁ全く違うだろ」
お師匠様があほんと鼻をほじりながら仰いました。
「蛇は全くの爬虫類。遺伝子に混ぜ物なんてない。竜はな、メニスが、この大陸にウジャウジャいた恐竜を、めっちゃ遺伝子改造して作った混合生物だからな」
へええ、メニスが作ったんですか。火を吐く強力な戦車みたいな感じで使役したとか?
「いや、飛ぶための乗り物としてだ。火を吐くのは竜王とかさ、神獣として作られた奴だけらしいぞ」
竜は全部火を吐くものだと思ってましたが、違うんですね。
「うん、息吹は兵器として人工的に付与された能力さ。しっかしこの火炎噴射、いつまで続くの?」
箱が置かれた台座の周囲から噴射されている炎を、我が師はうんざり顔で眺めました。
「弟子、消すぞ。『低音波伝導』して」
「はい!」
僕らは結界の壁に手を当てて、とても低い声で韻律を歌いました。
腹の底から響くような低い音律を結界に流してやると。結界はぶるぶると震えだし、僕らの声音と同じ音を増幅して周囲に放ちました。
すると。
部屋中に燃え盛る炎が、たちまちフッと消え去りました。
燃える、という現象は、燃える物質が酸素と反応して起こるもの。
低音で空気をかき乱して、反応が盛んに起きている境界層を薄くし、酸素の供給を断ってやれば――
「よっしゃ消えた」
「あ、でもまた」
「うへええ」
少しの間を置いて、台座から再び炎が噴射されました。
我が師は、めんどくさげにぼりぼり頭を搔きました。
「入り口は遮断されてるし狭い部屋だから、すぐに酸素不足で消えると思ったのに」
「燃料と一緒に、酸素も送りこんでるんじゃないですか?」
「だよなぁ。しかもずっと噴き出てるってことは、その燃料が無尽蔵っぽいよな」
「これ、ガルジューナさんに機嫌直してもらうしかないんじゃないですか?」
「機嫌? まさかおまえ、蛇が怒ってるとか思ってるわけ?」
僕は風送り隊が調べたという古い記録の文言を引き合いに出しました。
「『竜王メルドルークの夫になることを望んだ』ってことは言い寄ったってことでしょう?普通に感情あるじゃないですか」
「神獣が乙女チックに恋心ぉ? ないわー」
きょとんとした我が師は、いきなり大げさに笑い出しました。
「そういや、ラ・レジェンデの札の説明文でもさ、ガルジューナは竜王の恋人っていう設定になってたけど、ないわー。その記録の文言の真意は大方、『ガルジューナは竜王に似た能力を付与された』ってことじゃねえの? ほんと、ないわー」
「ないわー」を強調しながら、我が師は台座の上にある箱をちらちら見やりました。
「だって神獣って、半分機械の兵器だぜー? ベースになった生き物の魂の働きは、抑制されてるはずさ」
「でも六翼の女王は、灰色の導師の奥方になったじゃないですか」
「それはな、アミーケが自分好みにレイズライトを改造したの。自分だけを愛するようにな。それが素の状態だと、あんなむさい、髭ぼうぼうのおっさんに戻っちゃうわけよ」
「兄弟子さまのあれが、素なんですか?」
「そうそう。でもそいつは珍しいケースだろうなぁ」
我が師はふるふると大仰に頭を振りました。
「兵器のくせに、私あなたを愛してますぅ? 結婚してくださいぃ? いやいや、ないわー。それないわー。超きんもー」
あ、あの、お師匠様。は、箱の蓋が……
「へ? 弟子、なに指さしてんの? わーお! なにこれ、台座の箱勝手に蓋開いてるじゃん。うわぁ! 飛んできた! 心臓飛んできたー!」
結界をも突き抜けるおそろしい蛇が、カッと口を開けて箱から飛び出てきました。憤怒の声をあげながら。
『感情がないだと?! 兵器のくせに、だと?! 我が眠りを妨げておきながら、何たる言い種か!』
――『沸き起これ! 光と風の加護!』
すかさず。我が師は結界の中に幾重にも結界を張りました。
しかし蛇はぎりぎりと光の膜を食い破ってきます。恐ろしい勢いで我が師に食いつこうとしています。
「お師匠様! ちゃんと心があるじゃないですか! めちゃくちゃ怒ってますよこれ!」
「弟子、箱を確保しろ!」
「はい?」
「早く!」
僕は我が師にどんと押され、一瞬わずかに開かれた結界から出されました。炎の放射は…… なんと止まっています。どうやら台座に心臓がなければ、作動しないようです。
言われるままに、僕は台座からずしりと重い四角い箱を抱き下ろしました。
『やめよ! 我が寝床をなんとする!』
小さな蛇がぐるっとふり向き、僕に飛びかかろうとした瞬間――。
『沸き起これ!』
我が師の韻律で、僕の目の前に光の結界が幾重にも屹立しました。
その光の壁は球形に変形し、蛇をすっぽり取り囲んで光の中に閉じ込めました。
『箱を台座に戻せ! 今すぐ!』
叫ぶ蛇に、我が師は勝ち誇った顔で仰いました。
「その箱、ガルジューナさんの心臓保護膜でしょ? こうやってお外に出ていられる時間って、実は長くないんじゃない?」
さっきわざとらしく我が師がげらげら笑い飛ばしたのは……怒らせて箱の外に出させるためだったようです。
『黙れ! 我が干からびる前におまえらを食い破る!』
「へへ、ムリムリ。俺、超すごい導師だから」
怒れる蛇を囲む光の球の膜がどんどん重なっていきます。
幾重にも。幾重にも。怒り狂った蛇は球の中で暴れ回り、ものすごい勢いでばりばり膜を食い破っていますが、我が師の結界を作る速度には追いついていません。
まさか我が師は、時間稼ぎして蛇の心臓を殺してしまうつもりでしょうか?
ヒアキントス様の手に渡らないようにするには、確かに一番手っ取り早い方法です。
でも……。
我が師が倒した黒覆面団の無残な有様が、僕の脳裏によぎりました。
目を細める我が師の口元は、いまや悪魔のように引き上がっています。また、容赦ないことを、するつもり……なのでしょうか。
数分もしないうちに、光球の中の蛇の動きが鈍ってきました。
ぶつぶつ罵り呪ってくる蛇の声がか細くなってきて。動きがだんだんゆるやかになり。びくびく痙攣し始めて……
「や……やめてハヤト!」
命が消える。
そう思った刹那――僕の口は勝手に動いていました。
「弟子?」
「お願い! 殺さないで!」
ハッと我に帰ったような顔をする我が師から、僕は瀕死の蛇に目を向けました。
「ガルジューナさん! 僕らは、ここからもっと安全なところにあなたを移したいだけなんです!それは悪党が、あなたを狙ってるからなんです!」
僕は必死に叫びました。
目の前でもう、命の灯し火が消えるのを見たくなくて。
「お願いです! どうか僕らと一緒に来て下さい!」
『断る! おまえたちがその悪党ではない確証がどこに……!』
蛇は当然の反応をしましたが。ホッとすることに――
「仕方ないなぁ。俺の弟子はほんと、優しいんだから」
我が師の顔からは、すっかり残酷な笑みが消え失せていました。
ああ、よかった! なんだか我が師に変なスイッチが入っていた感じですが、僕の言葉で正気に戻ってくれたようです。
「じゃあ弟子、ガルジューナさんはあきらめて、俺達だけで竜王メルドルークのところに行くか」
……は? 竜王?
『なん……だと?!』
光の球の中で、蛇が大きくわななきました。
「俺達、悪党を倒すために助力を乞おうと、竜王の処にこれから行く予定でして。それでガルジューナさんも一緒に来てくれたら、鬼に金棒かなぁと」
ちょ、ちょっと何言ってるんですかお師匠様。そんな嘘っぱちこくなんて。
『あの御方の、魂の居場所がわかるのか?』
え? 食いついてきた?!
や、やはり神獣ガルジューナは、記録の通り竜王のことが……?
『おまえたちについていけば、あの御方にまた会えるのか?』
しかし我が師は蛇を無視して、僕を手まねきしました。
「弟子、引きあげようぜ。竜王の力だけで、世界はきっと救われるさ」
我が師が遮断された扉をぶち抜こうとするそぶりを見せると。
『待て! 我を、あの御方のもとへ連れて行ってくれ!』
蛇は、叫びました。とても切ない声で。
『頼むから、会わせてくれ! あの御方に!』
竜王メルドルーク。
大陸中に名を知られているその神獣は、神のごとき力を持つと歌われる伝説の巨竜です。
大陸の覇権をめぐって国々が争っていた時代の終りに、七日七晩の大戦争の末、六翼の女王ルーセルフラウレンが辛くもこの竜を倒したといわれています。
その「大決戦」の話は大変有名で、おそらく大陸中の誰もが知っているでしょう。僕も寺院の絵本で見ただけでなく、幼い頃実家で話を聞いたおぼえがあります。
しかし、数千年前もの昔に塵と化し、その魂は輪廻しているかどうかも解らない竜王に会いに行く?
そんな話に、蛇がほいほい乗ってくるなんて……。
我が師が同行を承諾して結界を外してやると、蛇は弱々しく動いて箱の中に大人しく納まりました。
蛇は箱を台座に置けといいました。そこに置かれなければ、体を動かせないというのです。蛇は大きな本体を動かして、竜王のもとへ馳せ参じる気満々でした。
永い時間稼動を停止していた巨体を動かすのは、不可能では?
そう思いつつ、十分警戒しながら試しに箱を台座に置いてみると――
とたんに、足にかかる重力が変になり、浮き上がる感覚がしました。恐ろしい速さで下降しているのでしょう。それから床がぐわんとななめに動き、僕らはよろけました。
「うわあ、嘘だろこれ」
さすがの我が師も眼を剥き仰天。蛇は上機嫌に笑いました。
『我の体は半永久の耐久性を誇る。眠っている間も、最低限の血を体内に巡らせていた。さあ、あの御方のもとへ参ろうぞ』
しかし突然、蛇の動きはがくりと停止。あまりの唐突さに、僕らはつんのめりました。
『おのれ! 地の動脈への道がふさがれている』
古えのメキド王家は周到に、蛇が目覚めても鉱山から逃げられぬようにしたようです。
蛇が言うには、地の底には「地の動脈」という太いトンネルのような道が網目のように走っており、普段――つまり蛇が活躍していた時代には、そこを通ってメキド国内のあらゆる場所へ移動し、地上へ出現したそうです。
その動脈への入り口が分厚く塞がれていると、蛇は愚痴りました。
やはり心臓だけ移動した方がよいのでは?
我が師がそう説得しましたが。
『この体なしで、あの御方に会うことなどできぬ!』
蛇は聞く耳を持ちませんでした。まるで、着ていく服がないから舞踏会にいけないとだだをこねる、年頃の女の子のように。
『丸裸であの御方に会うなど、そんなはしたない真似はできぬ!』
蛇はがつんがつんと、封鎖された穴に幾度も突撃をかましました。僕らはそのたびに狭い部屋の中で跳ね飛びました。
竜王に会いたい。
一途に想う蛇の執念の激しさに、僕はたちまち不安になりました。
まるで乙女のような蛇に、竜王のことが口からでまかせだなんて知れたら……。
僕の微妙な顔を読み取った我が師が、苦笑して頬を搔いています。
とっさに言い出しちゃってどうしよう? というような表情です。
でも。さっきの悪魔のような残酷な顔よりは、ずっといい……。
蛇は必死に幾度も我が身を打ちつけて、ついに――封印の扉を打ち破ってしまいました。
めき、と音を立てて部屋の入り口付近にひびが入りました。じわ、と体液のようなものが壁に染み出してきました。
かなり無茶をして傷を負った。そんな感じです。
『さあ、あの御方の魂の居所を教えろ』
我が身を省みず無邪気にはしゃいでいる蛇に、我が師は答えました。
「ええと、それは……前人未到の地でして。そこへ行く前にメキドの王宮に
寄ってくれませんか? そこへいたる地図が王宮にあるんですよ」
承知した、と蛇は地の動脈の中を滑るように進みました。
途中幾度も道が塞がっているところがあったようで、蛇はその度に恐ろしい勢いで何度も我が身を打ちつけ、強行突破しました。
部屋の入り口のひびが、いくつも増えていきました。体液のようなものも、さらにどくどくと染み出しています。
蛇の体は、もう満身創痍なのではないか。
小部屋の中で跳ね飛ばされるたび、僕は心が痛みました。
「そんなに、会いたいんだ……」
「弟子? ちょ。ちょっと?」
「ばか! このクソオヤジ!! ばかやろう!!」
「で、弟子ちゃん? な、泣いてるよ?」
「うるさい! 何であんなこというんだ。人でなし!」
大好きな人に会わせてやる。
ひどい嘘だ。とってもひどい……。
「弟子ちゃん、落ち着いてっ」
クソオヤジが俺の口を手で塞いで、俺の叫びを押しとどめる。それから俺たちの周りに結界を張って音が漏れないようにしてから、こそっと、こんなにてきめんに効くとは俺も思わなかったとほざいた。
「ラ・レジェンデの札の説明な、神獣のだれそれがあの神獣を気に入ってたとか、犬猿の中だったとか、そんなのが多かったわ。だからもしかしてって口にしてみたが、神獣って噂以上に人間臭いんだなぁ」
「むがー!」
「心配するな」
クソオヤジは俺の頭を宥めるように撫でてきた。
「蛇は、主人の言うことを聞く」
主人。というと……。
「メキドの真の王。正統なる後継者。だから王宮に連れていってだな、びしぃとトルナート陛下に話つけてもらえばいい」
メキドの王その人、つまりトルが相手なら、蛇はおとなしくなる?
蛇は、トルを主人と認めてくれる?
「まぁ困ったら、また箱からなんとか蛇を出してだな、干からびさせ……」
「だめだ!」
俺はきっぱりクソオヤジに言い渡した。
「だめ。命はとるな」
「……わかった。弟子ちゃんが言うなら、極力そうしないようにする。でも俺は、弟子ちゃんを守るためなら――」
「俺のためとうそぶくならなおのこと、無益な殺生は止めてくれ。俺が悲しむようなことは、絶対するな。でないと俺、あんたのこと嫌いになるからな?!」
クソオヤジは一瞬固まり。それから申し訳なさそうに目を落とした。
「わ、わかった。ごめん。ちょっと……自重する」
「いいな? ほんとたのんだからな?」
「う。は、はい」
よ、よし。
これでなんとか……
なんとか落ち着いた僕は、ホッと胸を撫で下ろしました。
当分はこんな調子で暴走を止めつつ、しのいでいけそうです。
『王宮へついたぞ』
体感的に一刻もしないうちに、いきなり蛇の動きが止まり。小部屋の入り口――すなわち蛇の口がゆっくり開かれました。
僕らは息を飲みました。
入り口から見えたのは。目にも鮮やかな真っ赤な鉱物が、一面ひしめく空間――。
「王宮の地下に、こんな空間が?」
「いやここ、今の王宮の地下じゃなさそうな気がするぞ」
外に出た我が師はしゃがみこんで赤い鉱物をのぞきこみました。 その鉱物は
蛇の体から発する淡い光を受けて、輝いています。真っ赤な血のように……。
「いくら神獣にしても、着くまで速すぎだ。ここって――」
蛇は、我が師の声を遮って命じました。はしゃぎ声でうきうきと。
『さあ、早く地図を取って来い』
音波で火を消す原理はこちらを参照・ω・
↓
ttp://japanese.engadget.com/2015/03/29/sonic/
アメリカの大学生が発明したそうです。
30~60Hzの低音がよく消える音域なのだそうです。




