望郷の歌 5話 変化(へんげ)
ダゴ馬は、とてもがたいの大きな馬。
胸筋も足の筋肉ももりもり盛り上がっていて、一見すると牛とみまがうばかり。どちらかといえば力仕事向きで、速さは期待できません。
でも人気の多い大通りに出られれば……。敵は、見境なく街の人々を巻き込む真似はしないはず。
僕はフィリアを乗せて必死に馬を走らせました。しかし音速で迫ってくる地走りは、あっというまに馬の足を捉えて地に引きずりこみました。
どうと倒れる馬の巨体。宙に投げ出される僕ら。
「ぺぺ! 結界が追いつかないわ!」
「飛ぶしかないっ」
僕はフィリアを抱きかかえ、韻律で風を巻き起こしました。
兄弟子さまのように鳥に変身できればいいのですが、今はウサギにすら変身できない身。むりくり高位の韻律を使うしかありません。
でも、いくら魔力が増幅されている魔人といえども、僕は導師としてはまだまだ未熟なわけで……。
「うぁあガス欠ー!」
情けないことに、浮いた体はすぐに落下。
「物理法則に反する自然現象は、持続性に問題があるわよね。魔力も使うし」
「フィリア、冷静に分析してる場合じゃ――」
「分かってるわ。交互に風を起こしましょう」
「お姫さま」は取り乱すことなく韻律を唱えて、僕と同じように風を起こしてくれました。
僕らの体はぶわっと宙に舞い上がり。大きな樹木の並木を突き抜けて――
「うわ、まぶしい……!」
輝く青空のもとに浮上しました。
緩やかに放物線を描いて落ちる僕ら。
タイミングを見計らい、僕はもう一度風を起こしました。
繁る大樹に覆われて、眼下はまるで緑の海のようです。
今度はフィリアがタイミングよく風を出し、ゆるゆる下降する僕らは、またふわりと飛びあがりました。
「いい感じ。私たち、息がぴったりね」
嬉しそうにそう言ったフィリアが、僕の胸元をギュッとつかんで来ました。
「あの人たち……怖かった」
あ……震えてる。菫の瞳がうるんで、今にも泣きそう……。
「大丈夫。守るから」
「ぺぺ……」
「君を、絶対守るから」
「ごめんなさい、私のせいでこんな……」
「フィリアがあやまるのはおかしい。メニスを捕まえるってのが、おかしいんだ」
「ぺぺ……ありがとう」
甘い甘い、甘露の香り。
彼女を抱きかかえているので、僕らの顔はほとんど距離がなくて。
あ、あれ? なんだか、さらにもっと近づいたような。
え? ええっ? く、唇が……ひっついているような……。
「お、落ちるわぺぺ!」
「あ! ご、ごめん!」
僕はハッと我に帰り、あわてて風を放ちました。
王宮は、もう目と鼻の先。安全な場所はもうすぐです。あとひと飛びで――
ところがその時。ボッ、と木々の合間から黒々とした影が飛び出してきて、みるみる僕らに迫ってきました。
地走りを打った覆面男です。背中になんだか、光輝く炎が見えます。たすきがけにして背負っている金属のベルトから、まばゆい光が噴き出しています。
「なにあれ! あの人の装備、尋常じゃないわ!」
「くそ、あいつだけじゃない!」
緑の海の中からたてつづけに、ボッ、ボッと、光を噴き出すベルトを背負った覆面男たちが飛び出してきました。
ふわふわ飛ぶ僕らとは、月とすっぽんの速さ。
瞬く間に僕らは追いつかれ。次々と恐ろしい勢いでヴンヴン突っ込んでこられ――
「きゃああ!」――「フィリア!!」
連続して突進された僕の腕から、フィリアが奪い取られました。
韻律使いにいやというほど背中を突き飛ばされ、あえなく落ちる僕。
視界の端に、フィリアが自分を捕らえた相手の胸に右手を当て、韻律ではじき飛ばすのが見えました。
赤い薄絹をパラシュートのように大きく広げ、ぽすんと緑の木々の中へ沈んでいく彼女。それを矢のように、一直線に飛んで追いかける覆面男たち。
木の枝に引っかかれながら地に転げ落ちた僕は、自分の左腕が変な方向に曲がっているのもかまわず、メニスの少女が落ちたとおぼしき場所へ突っ走りました。
トルがいる王宮は、すぐそこ。なんとか逃げ込めれば……!
「うわ!」
でも突然、片膝がガクリと折れました。痛んだのは腕だけじゃなかったようです。
地にもんどり打った僕は、必死に這い進みました。そこは建築用の資材置き場で、すぐ隣の区画では、大きな建物が建造されている真っ最中。隣に落ちれば作業員がいっぱいいたのでしょうが、ここは運悪く、ほとんど人気がありません。
フィリアは、敷地をうっそうととり囲む木々の中の、ひときわ野太い大樹の根元にいました。
「倒れてる!」
覆面男たちが、わらわらと彼女を取り囲んでいます。
無造作に彼女の頭を掴んでひきずり起こして。薔薇色の服によってたかって手をかけて――
「きゃああああ!」
鼓膜を震わせる、フィリアの悲鳴。ぱっと舞い上がる、裂かれた薄絹。
ちくしょう! 足! 足がもっと動けば……!
僕の頭は真っ白になって。
「や……! やめろぉおおっ――!!」
きれた。
「その子に、さわるなぁああああ!!」
無我夢中だった。
たぶん、無意識に変身の韻律を唱えたのだろうと思う。
人間よりも足の速いものになろうとしたのだ。
一瞬でフィリアのもとへ!
そう強く、強く、念じた。
たちまち信じられないことが起こった。
俺自身、予想だにしなかった事態が。
「フィリアぁあ!!」
たぶん。オリハルコンの布は外からの干渉だけでなく、僕の体内の変若玉の働きも抑えてくれるんだろう。
俺の体は――変化した。
頭から長い耳が生え。手足は縮まり。後足が異様にでかく。白く、もふもふとしたものに。
俺が唯一、変身できるものに。
そう……
ウサギに――!
――「フィリアに、さわるなぁあああああ――!!」
がしゃんと、銀の右手が地に落ちた。ふわりと、青い服も落ちた。
俺は片足で思い切り踏み切って、弾丸のように敵の渦中に飛びこんだ。
オリハルコンの布でできた手袋に、むりくり小さな胴体をねじ込みながら。
「ったああああああああっ!!」
『ってええええ! ぺぺいたいっ! やめろこら!』
だまれエリク! まーたハヤトをいじめたな。おいらが成敗してやる!
『いたいって! まじでやめろって! 内臓破裂する! この殺人ウサギ!』
ふん! おいらの後ろ足は百万馬力なんだぞ。これにこりたら、もうハヤトを泣かせるな!
『わ、わかりましたごめんなさいぺぺさん! このとおりですっ! もぉ勘弁して下さいっ』
ほんとエリクは、イタズラが過ぎるんだよな。ハヤトのサンダルを床に接着するとか、何考えてんだよこいつは。
あれ? ハヤト? どうした? 何真っ青になって……。え? 何そのウネウネ。いったい何抱えてんの?
『ぼ、僕の寝台に、こ、こんなものが……』
ちょ……そ、それおま……い、生きた毒蛇だとぉ?!
『あ。やべえ。もうばれ――おっと』
おまえが仕込んだのかエリクうううう!
『いやそれ、呪術用の触媒だって! 今度全体講義で実習するっていうから、ハヤトにあげようと思ってさあ!』
ちゃんと干物にしてから、突っ込めごらあああ! ハヤトが噛まれたらどうすんだごらああああ!
『ご、ごごごごめん! ひいいい! いやあああ! ぺぺさん蹴らないで! もう蹴らないでえー!』
『黙れこの性悪兄弟子!! 天に変わって、』
――「お仕置きだああああっ!!」
俺は後ろ足を思いっ切り、覆面男の胴にめりこませた。
渾身の力をこめて。
「ぐあっ!」「ぐふっ!」「ぐほっ……」
目にも留まらぬ速さで、覆面男の間を飛び跳ねる俺。
きりきりと高速回転する我が身。敵にめりこむ後ろ足。
ボキ、とかバキ、とか響き渡る鈍い音。
敵は次々と、血反吐を吐いて吹き飛んでいく。
「この……クソウサギが!」
韻律使いの男が、手を大地に押しつけ、あの地走りを唱えたけれども。
「ウサギだからって!」
俺はそいつが韻律を唱え終わる前に、頭からわき腹に突っこんで。
「バカにするなああああ!」
身をひるがえして、思いっきり蹴り飛ばした。
「ぺ……ぺ……?」
俺の暴れように茫然とするフィリア。きいきい声で俺は叫んだ。
「逃げろフィリア! 王宮へ、走れ――!!」
彼女の退路を確保しようと、俺は男たちの間を弾丸のように飛び回った。
片手片足で、十分だ! 俺の白いもふもふの体は、いまや熱く輝いていた。
まばゆい虹色に。
『ぺぺ、ありがとう。でも君の後ろ足キックって、強烈だよね。エリク兄さま、鼻血出してたよ』
気にすんな、ハヤト。おいら毎晩鍛えてるからな。またいつでも助けてやるよ。へへっ。
『鍛えてる?』
うん。おまえが寝たあと、おいら毎晩、足に重りつけて寺院を走ってんの。
見ろよ、あれ。
『え? 中庭の岩壁? うわ! これ、足の跡?』
うん。走ったあとはここで何百何千回って、必殺後ろ足キックの練習してるんだ。
『すごい……びっしりついてるし、ひびが入ってるとこもあるよ?』
ふふふふ。もう少しで、穴があくかもなぁ。
『岩壁が崩れたら、やばいんじゃない?』
大丈夫さ、その裏は硬い岩山だから。ちょっと穴あけたぐらいじゃ崩れないって。
『でも、いずれ鍾乳洞に通じる穴ができるかもね。すごいや、ペペ』
ハヤトを守るためには、日頃からちゃんと鍛えとかないとな。
『ありがとうペペ。大好きだ』
わふ。きついよハヤト。ぎゅむうって抱っこされるのは嬉しいけど。
息が……息が……
「ぐ……息が……?!」
「て、手間かけさせやがって、クソウサギが!」
血みどろの覆面男が、肩で息をしながら俺を睨んでいる。
俺の長い耳をぎりぎりと片手で掴み。もう片方の手は、俺の首を絞めながら。
驚いたことに、変若玉の効果が薄れているせいなのか、普通に息苦しい。胴体にはめているオリハルコンの手袋の効果が、じわじわ効いている。そんな感じがする。
フィリアは助けを呼んでくると言って、王宮へ向かってくれた。
でも助けなんかなくても、大丈夫。
敵は軒並み僕の後ろ足キックにやられて、そのほとんどが地べたでのたうちまわっている。
これはその、ちょっとうっかり、よろろと起き上がった奴に捕まってしまっただけ。隙をみて、すぐにもう一度後ろ足キックをかませば――
「ウサギめ! 潰してやる!」
猛り狂った覆面男は、俺の耳を握ったまま凄まじい勢いで振り回し、
「うわ! ちょっと待っ……」
大樹の幹に、嫌というほど俺を叩きつけた。
「ぐ、ぐふ! ちょっ……えっ……? 痛っ……?!」
何度も。何度も。敵は鬼の形相で俺を幹に叩きつけた。
衝撃と痛みが、全身を襲ってくる。やはり布の効果で痛覚が戻っている。
痛い。ものすごく……痛い。
木の幹が、赤くなっている。俺の血……だ。
だ、大丈夫、だよな?
バキ、とか、ビシャ、とか、なんだかすごい音がしてるけど。
いくら布の効果があるといっても、不死の体の組成までは、変えることは、でき……な……
俺はついには大樹の幹に投げつけられ。ずるると地に伸びた。
あたり一面飛び散っている、真っ赤な血。
うわまずい……ちょっと、やられすぎたかも。さすがに、動けな……
ああ、頭もすんごく、冷静になって……
きま
した……
「死ね、ウサギ!」
覆面男がとどめに僕を踏み潰そうと、足を高々と振り上げたそのとき。
――「おやめな、さあああい!」
とても甲高い声が、あたりに響き渡りました。
「か弱い生き物をいじめるなんて、最低ですことよ!」
ずん、と地を揺るがす凄まじい地響き。
何かが、近づいてきます。とてつもなく、巨大な……もの? が。
全身桃色?
しかも、鉄の……塊? こ、これは。
天を突くような、大きな大きな、鎧姿の――
き、巨人?!
「そのウサギさんを、おはなしな、さああああい!」
まず始めに――ぶわっという突風。
次に――飛びこんでくる、桃色の鉄の巨体。
な、なに?! これ?!
ありえない踏み込みの速さに、唖然とするうちに。
僕を踏みつけようとした覆面男は、大きな戦斧ですくい上げられて。
「風雅! 烈 ・ 風 ・ 斬!」
なにやらすごい技の叫びと共に、すこーんとふき飛ばされて。
「うわぁあぁあぁあぁぁぁぁ」
ドップラー効果で悲鳴がぎゅうんと遠のいて。
あっという間にはるか空の彼方の、キラリと光る一点の星に……!
「弱い者いじめするやつは! このわたくしが、許しませんわ!」
ぶん、と巨大な戦斧をひと薙ぎした巨人は、きゃぴっと膝を折ってポーズをとり。鉄仮面のバイザーにVサインをした手をぴしっと当てました。
「だーりんに代わって、お仕置きよ♪」
うえっ。
な、なんだか、お笑い芸人リューノゲキリンの、げきりーんポーズに似ているような気がするのは、気のせい、ですか?
全身桃色の巨人はそれからも。
すこーん、すこーんと、巨大な戦斧で覆面男たちを空へかっ飛ばしました。
「雷 ・ 迅 ・ 斬!」とか。
「炎 ・ 牙 ・ 斬!」とか。
「雪 ・ 花 ・ 斬!」とか。
なんだかすごい雄たけびをあげながら。
その場からすっかり敵が排除されると、血みどろの僕は桃色の巨人にひしと抱きしめられました。
「かわいそうに! ウサギさん、大丈夫?」
ぐ、ぐふ。大丈夫じゃないです。きついです。い、息が。息ができませ……
尋常じゃない太さの腕でしぼりあげられ、気が遠のく僕の目に。フィリアの姿が映りました。巨人の背後にいて、心配げに僕を窺っています。
「ぺぺ! 王家の人たちが、隣の建設現場に視察に来てたの。そうしたら、一も二もなく、案内しろって。私たち、もう大丈夫よ」
彼女の隣にだれかいます。僕と同じぐらいの背格好の少年です。そのターバンは、砂埃だらけ。ターバンの下からのぞいているのは、真っ赤な髪。
ト……トル……!!
ずっと会いたかった友達が、そこにいました。赤毛のトルが。
トル! 今はウサギの姿だけど。僕は。僕は君の――
叫んで知らせたかったのに。声が少しも出ませんでした。
トルが桃色の巨人に命じる声が、気を失いかけている僕の耳にうっすら聞こえました。
「サクラコさん、勇敢なウサギを王宮へ! 早く手当てを! メニスの混血とその連れ……この人たちはきっと、アスパシオン様たちがお探しのお二人に違いないよ! つまりこのウサギは……」
王宮に、我が師がいる? 僕らを、探している?
思いがけずホッとする僕に、トルは優しく微笑んできました。
「君は、アスワド、だよね? 君の色が……虹色の魂が視える。なつかしい輝きが」
ああトル! 大好きだ!
僕の正体をちゃんと見極めてくれた友達に、僕は飛びついて礼を言いたかったのですが。
巨人の腕が苦しすぎて、もう意識がもちませんでした。
そういえば、トルは巨人族のハーフと結婚したって手紙に……
もしかして、このすごい巨人が……彼の……奥……さ……
力尽きた僕は、みるみる落ちていきました。
深い深い、夢のない眠りの中へ。




