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望郷の歌 3話 薔薇乙女一座

 どこ? フィリアはどこにいる? 

 押し入った建物の中は暗く、目の前にあるのは奥まで続く長い廊下。

 両脇にアーチ型の扉が向かい合う壁があり、灯りのついている奥間には幾人もの人影。

 奥は広間のようになっているようで、濃い桃色の照明に照らされ、空気が赤く見える。

 その中にかなりたくさんの女の子たちの姿がある。なんだかみな、かなり薄着だ。ガウンだけだの、細い肩紐の胸隠しだの……


「ううううわっ?!」


 な、なにもつけてない子まで? こ、この子たちみんな、もしかしてさらわれてきた子?

 あまりのことに呆然とする俺の頭の熱が。

 


 すうっと、引いた。



「きゃあああああ! だれよあんた!」


 落ち着きを取り戻し、眼を覆って侵入をためらう僕を見咎めるや、女の子たちは一斉に悲鳴をあげました。

 待ってください違います! 怪しい者ではありません! 

 僕はフィリアを! メニスの少女を探してるんです!

 そう叫びながらも眼の隙間から女の子をちらりとすれば。

 彼女たちは鼻血が出そうな姿で逃げまどっていて。と、とても正視できるような状況では……


「×××!?」「みんな隠れて!」

「なに? なにがきたの? ×××?」

「人さらいよ!」

 

 え?

 

 ち、違います! 僕は君たちを買いに来た商人じゃなくって…… 


――「あらやだ、お婆やられちゃったの?」


 さっき戸口で応対した女が、広間の中でバタバタする女の子たちの中から出てきました。

 細長い棒から煙をふかしながら眉根を寄せ、赤いガウンを気だるげにひるがえして。

 ため息混じりの艶っぽい声が、真っ赤な紅をさした口から煙と一緒に漏れました。


「役に立たないんじゃ、お給料下げないといけないわねえ」


 何度問うても、女は飄々と煙を吐くばかり。埒が明かないので、僕は彼女を押しのけ広間の奥に入り込みました。

 きゃあきゃあ逃げる女の子たちの右向こうには、幕が下りた舞台のようなものが。デクリオンさまの雑誌で見たような、お立ち台です。

 きっとあそこでこの子たちは鎖に繋がれて立たされて悪徳商人たちに値踏みされて……

 あれ? この子たちを見張る奴隷商人は? 逃げないように見張る監視人とかは?


「ジュージェさまぁ! こわいー!」

「奴隷商人よ!」

「おねがい助けてえ!」


 舞台の上に逃げた女の子が甘ったるい声で群がるところに、大きな箱型の楽器のようなものがひとつ。


 じょんじょこ、じょーん 


 その楽器の前に座っている男が、景気良く腕を振り下ろして音を鳴らし、バッと直立。明るい茶髪の、すらっと細い男です。


「任せろ、淑女諸君。この、もと宮廷楽師ジュージェ・イブン・パヌ・マーン様が、けったいな不埒者を見事撃退してしんぜよう」


 白い歯をきらりと光らせるその人は、群がる女の子から黄色い声援を受けながら僕のところへつかつか降りてきました。


「あー君、ここはだな、」


 しかし僕がぎんぎん睨んで銀の右手を突き出すなり、その人はたちまち腰が引け、ひいと悲鳴をあげて女の子が落としていった桃色のドレスを盾代わりにかざしました。


「ななななんというか、お客様。でででできますれば、開演時間までご遠慮していただきたく」


 は?! 開……演?


「ももも申し訳ございませんが、団員一同ただいま鋭意稽古中でございまして、今回の演し物は前作よりさらにさらにスケールアップ、大道芸の要素を盛り込みまして空中ブランコを披露させていただく予定でございまして、ブランコの下から華やかなる団員たちの衣装の中身も十分ご堪能いただけるご仕様となっておりまして、それはそれはもう、薔薇乙女(ワルド・アドラ)一座始まって以来の優雅華麗、絢爛豪華な舞台に……」


 は……? ぶ、舞台?

 桃色のドレスの向こうから、茶髪の男は弾丸のようにしゃべくり続けました。


「むろん我が一座の一の舞姫、アフマル・シュラザーラの典雅なる炎舞と乙女(アドラ)たちの乱舞もいつも通りご堪能いただけますし、当然、客席においては無制限の呑み放題、おつまみの茶羽虫のから揚げとネズミの揚げ団子の二種は完全サービスとなっておりまして……」

 

 一座? それって……

 ぽっかり口を開けた僕がよくよく周囲を見渡してみると。

 背後には、たくさんのテーブルと椅子。そのさらに後ろには、長いカウンター……


「きえええええ!」


 そこから鍋をかぶった野太いおばさんが、いきなり杓子を振り回して突進してきて……


――「出ておいき! この人でなしの人さらい!」


 がこーんという景気のいい音と共に、僕は……壁際にすっ飛びました。

 おばさんの、大きな杓子にぶん殴られて。

 




 ここは、劇場つきの……酒場?

 よろよろ壁によりかかった僕にやっとのこと説明をくれたのは、あの赤いガウンを羽織った赤毛の女でした。


「マジ、信じらんない」


 第一声が、それでした。


「メニスを連れてる怪しい布男なんて、人さらい以外の何モノでもないでしょ? だからウェシ・プトリはあのメニスの少女を保護してここにかくまいにきたの。この薔薇乙女一座に」


 かくまう? だってここは、奴隷市場じゃ?


「たしかにこの界隈の、もっと奥まった危険なところに奴隷市場があるけど」


 しかしここは、違う。

 ここは、人さらいから助けた子どもをかくまう所。

 基本親元に返すが、どうしても親が見つからない子は、そのまま一座の団員となってここに残る……

 赤毛の女はそう言いながら、長く真っ赤な爪で髪を撫でつけました。


「でも、入り口の看板は……あの鉄兜の少女こそ、人さらいなんじゃ?」


 混乱する僕。女は怪訝な顔で、あの看板は今興行中の、『囚われの薔薇乙女、自由への脱出』という演目の宣伝看板だというのです。そしてあの鉄兜の少女は……


「ウェシ・プトリは、あたしたちの協力者。鉱山の組合長の娘よ。あの子のナワバリでとくに子どもが変な奴に売られないように目を光らせてる」


 赤毛の女は、僕を咎めるように細い棒――キセルで指しました。

 あんたのその身なりとフィリアが言った言葉で、鉄兜の少女は助けが必要だと判断したと。


「あの娘、『人間の友達はひとりもいない』って言ったんでしょ?」

「あ……!」

「だからウェシ・プトリは当然、どこかの王族が飼ってたメニスの混血を、あんたが盗んできたと思ったわけ」 

 

そんな! フィリアを縄や鎖で繋いだりなんてしてないのにどうして――


「人さらいは、服従の薬を飲ませて売り物を従順にする。縄や鎖で繋いだら、一発で怪しいと判るからそれは避ける。ごく普通の旅の一行を装って、国境の検閲や役人どもの目を巧みにごまかすのさ」

「だからってやたらに疑わなくとも!」

「なに言ってんの? あんたは、土台クロにしか見えないでしょうが? メニスの混血を連れてたんだから」


 赤毛の女の顔は、怒っていました。燃え上がる炎のようにその貌はほんのり紅潮していました。

 僕が、何も知らない愚か者だということに気づいたからです。

 僕が、どうして、と聞いたからです。

 どうしてメニスを連れているとだめなのか。

 本当にあんた何も知らないの? 周りの女の子が興味津々で遠巻きに僕をとりまいてきました。


「だってメニスは、そういうもんでしょ?」


 赤毛の女はふうと煙を吐いて言いました。


 僕には、信じられない事実を。


「人間に売られて、最後はバラバラにされて食べられる。そういう生き物でしょうに」






 人間に食べられる? メニスは、そういう生き物?

 まさかそんな……!


――「座長、大丈夫じゃ! こやつはあの娘の味方じゃ」


 赤毛の女の言葉にみるみる蒼ざめる僕の前に、あのコマ使いの老婆がよろけながらやってきました。

 僕が吹き飛ばした老婆は、まだ生きていました。玉飾りの帽子を失くしていて頭から血を流していましたが、傷は軽傷。お婆の鶴のひと声で、みなはようやくのこと、僕が怪しい者ではないと認めてくれました。

 鉄兜の少女は、舞台の地下の楽屋――「隠れ処」と呼ばれる所にフィリアをかくまっていました。

 僕が下へ降りておくと、鉄兜の少女ウェシ・プトリは、寝台に寝せられているフィリアを守るようにして僕の前に仁王立ちになりました。


「近づくな! この人さらい!」


 コマのお婆に言われてしぶしぶ引いたものの、その顔は半信半疑です。

 深い眠りに落ちているフィリアの白い腕には、包帯が分厚く巻いてありました。


「これ、あたいじゃないからね。この子が勝手に、自分の腕を食いちぎったんだから」


 フィリアはメニスの血の匂いに反応する僕に、自分の居所を教えようとしたようです。彼女はひどく抵抗したのですが、非道な奴隷商人の僕に服従の薬を盛られたのだろうと鉄兜の少女は思い込んだそうです。フィリアの姿が人に見られないよう頭からマントをひっかぶせ、この劇場まで無理やり引っ張ってくるとコマのお婆と一緒に彼女を押さえ込み、眠り薬をかがせて無理やり眠らせたのだとか。


「しかし魔人のくせに、主人の種族のことを知らぬとは」


 コマの老婆はため息しきり。赤毛の女が目を細めて僕に訊きました。


「あんたいったい、どこのド田舎からやってきたわけ?」

「岩窟の寺院、らしいぞ」


 コマのお婆が僕の出身地を当てました。


「蒼き衣がなんたらとわめいておったからの」

「なにそれ?」

「普通の人間には知られざる秘境じゃよ。わしもおぼろげにしか知らん。黒き衣をはおる導師というものがそこに住んでおるらしい。その見習いは蒼き衣をはおるという。男しかおらんと聞くが、本当かえ?」


 はい、本当です。黒き衣の導師になるべく寺院に連れてこられるのは、男の子だけ。人間に生まれて十年、僕は湖のほとりの小さな農村で、学校にも行かずに暮らして。それから六年、その寺院にいて……


「ド辺境に生まれてさらにド辺境の寺院で育ったってわけ? それにこの娘も、世間のことは全く知らないねんねみたいだし」   

 

 赤毛の女が、眠るフィリアを不憫そうに眺めます。コマのお婆が僕に厳しく言い含めました。


「よいか、絶対にこの娘をむやみやたらに外に出してはならんぞ。気を抜けばあっという間にさらわれる。人がたくさんおるところに出る時は、顔と体の匂いを隠すようにするのじゃぞ」


 メニスは、人間に食べられる。

 赤毛の女が言ったことは、嘘いつわりではないようです。

 コマのお婆の目は、真剣でした。

 たしかにメニスは、人間よりも永く生きる生き物。フィリアの母親が出した変若玉は、まさに不老不死の妙薬。フィリア自身の甘露も、僕の体の傷を治しました。

 その力が普通の人々の目にどう映るのか、僕は今まで考えてもみませんでした。

 コマのお婆は僕に鬱々と語ってくれました。

 人間に捕まったメニスが、どんな末路をたどるかを――。

 

 



 もしおまえさんが、どこぞの国のお貴族さまでしかも大金持ちで。

 年老いてきて足腰も立たのうなって。

 ああ、あの若かりし頃に戻りたい。髪艶やかな若者に戻りたいと望んだなら。

 ただ、御用商人に黄金をたくさん積めばよい。

 商人は、「長寿の秘薬」というものを手に入れてきてくれる。

 まっ白な。甘い甘い芳香のする、粉薬じゃ。

 花のような果物のようなその香りは、甘露と呼ばれる秘密の薬。

 呑めばたちどころに、若返る薬。

 その薬は、もともと何であったか。

 このベルトは、牛の革から作られる。

 この靴の紐は、豚の腸から作られる。

 腰巻の毛皮は、狐の尻尾。

 それと同じように。その秘薬は、メニスの骨から作られる。

 呑めばたちどころに、動かぬ手足の節々が楽になる。 

 もっと黄金を積めば、芳香を放つその肉を手に入れられる。

 食べればたちどころに、肌に艶が戻ってくる。

 さらにもっともっと黄金を積めば、きれいな菫の眼球を手に入れられる。

 呑めばたちどころに、白髪がなくなる……。





「すでに何百年もの昔から、メニスの一族は人間の前から身を隠し、人間に捕まらないようにしておる」


 メニスの混血は、格好の「商品」。売れば一生、王族のような暮らしができる。ゆえに巷ではメニスを専門に狩る盗賊がいるのだと、お婆は震え上がる僕に教えました。


「特にここは約百万もの人間が集まる王都ゆえ、いかがわしい輩が多い。戦の後で人々の生活は苦しい。みな、よい金づるを探しておる。まともに街中を歩けるとは思わん方がええ。神官どもも信用してはならん。もし何かあったら、国の主、つまり国王陛下に庇護を求める方がええぞ。王族はメニスを保護すべし、と大陸共通法で定められとるからの」

 

 実のところ一座の人たちは、メキド王にフィリアの庇護を頼むつもりだったそうです。


「王族の間では、メニスは大変大事にされる。保護したメニスを後宮に入れて、子を産ませる者もおるぐらいじゃ」


 後宮に入れて妃にする? ……あ! メディキウムのリンのお母さんが、まさしくそれじゃないですか!

 リンはスメルニアの第二十一番目の皇子。フィリアより香りが強くない、つまりあまり血は濃くないのですが、メニスの混血です。彼のお母さんは、たしか十二番目にえらい妃だとか。

 リンが寺院に来た時、導師様たちがこっそり仰っていました。スメルニアの皇帝は三代に一度メニスを妃に加えて、その血を必ず入れると。きっとメニスの永い寿命を、子孫に受け継がせるためなのでしょう。

 しかし僕はその話を聞いて、メニスという一族はずっと、何処かの王国の高貴な王族なのだと思っていました。人間とは全く違う異種族だと身をもって知ったのは、このフィリアに会ってからです。しかもまさか、人間に捕まって食べられてしまう危険があるなんて……

 

「僕の認識が甘かったんですね……すみません、気をつけます」


 フィリアの身に何か起きる前に、トルを頼るといいかもしれない。

 僕の心に、トルに会いたい気持ちがまたむくむくと再燃してきました。

 あの優しいトルなら、たとえ「メニスを保護する」という法律がなくても、フィリアを匿ってくれそうだし……。


「まあ、あんたが命がけでこの娘を守るというなら、何も文句はないけれど」


 赤いガウンの赤毛の女は、僕の胸倉をつかんでふうと煙を吹きかけました。


「ここを出てく前に、うちの扉はちゃんと直していってよね」





 キセルで煙を吐く女。

 彼女こそは薔薇乙女一座の座長にして筆頭の舞姫、アフマル・シュラザーラその人でした。

 フィリアに嗅がせた薬はかなり強力なもので、起きるのは翌日だろうといわれた僕は、夜の開演までにふっ飛んだ扉を治せという彼女の命令をなんとかこなせました。勘違いして悪かったと、ウェシ・プトリが自分の組の男たちを呼んできて、修理を手伝ってくれたからです。

 僕はその晩、ウェシ・プトリとともに、一座の公演を観せてもらいました。

 薔薇乙女(ワルド・アダラ)と呼ばれる女の子たちはとてもかわいらしくて、茶髪の男が奏でる音楽に合わせて舞ったり飛んだり。

 話の筋は、盗賊にさらわれて奴隷として売り飛ばされた女の子を、王子が救いにいくというもので……

 

 自由を分かち合おう

 今この船に乗り

 虹の橋くぐり

 

 最後はもちろん、王子が悪者をやっつけて、無事にヒロインを救出。

 舟に乗って牢獄のような後宮から大脱出の、大団円。

 何より驚いたのは、かっこいい王子役も女の子が演じていること。これには本当に瞠目です。

 呑んだ暮れオヤジたちと一緒に僕も思わず立ちあがって、盛大な拍手喝采を送りました。

 ウェシ・プトリは卓に頬杖をついて、ぶすくれた顔でそんな僕を見上げていました。


「やっぱり、その布かぶりは怪しすぎる」


 そして僕は、拍手しながら決心していました。

 フィリアを連れて、トルに会いに行こうと。

 決して私情だけではなく。これは、メニスの少女を守るため。僕は何度も自分にそう言い聞かせました。

 トルはとても忙しい身。でもきっと笑顔で、僕らを迎えてくれるはず――。

 その夜。

 翌日の感動の対面をひそかにうきうき期待しながら、僕がフィリアのそばで寝ずの番をしていると。


「ちょっと布男」


 女座長がひょっこりやってきて、ぱんと手を打ちました。

 とたんにひょいひょいひょい、と団員の女の子たちが戸口から顔を出しました。

 え? これは一体?


「ぺぺさん、覚悟ぉ―♪」

「動かないでね♪」

「きゃー、腰ほっそーい」 


 ちょ……! ま……! なっ……!

 どういうわけか僕は布を剥がされ。草でできた服も剥がされ……! 

 な、なんで? どうして?

 ひい!

 女の子たちがくりくりした目で恥ずかしい格好の僕をのぞきこんできます。

 というか、手足をつかんできた?!

 ちょ……ちょっと待って!? 

 う、うあああああー!!!!



※薔薇乙女の演し物は、アマデウス・モーツァルトの『後宮からの逃亡』を

ロリポップなミュージカルにした感じで。

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